第四話 閑話
さて、本来ならば時系列順に語らねばならないことではあるが、今回は話の流れをすっきりさせるため、少し話を飛ばして、俺がアリオシュ翁からサバクダイオウグモの討伐の話を引き受けた直後の話をしようと思う。
奴隷達は槍の稽古をしているし、ヘタイラはヘティという渾名で呼ばれているが、そこには目を瞑ってもらおう。
ようやくマルクから解放された俺がまず思ったことは「そうだ、風呂を作ろう」という個人的な欲求であった。
「お風呂! それ物凄く欲しかったです! もう大好きですご主人様!」
がば、とミーナが抱き付こうとやってくるが、槍の稽古の後なので汗臭いし砂に塗れているため、頭を抑えて遠ざけておく。ミーナもミーナで負けじと俺の服を掴んで離れない。ひどいとか主人公の所業じゃないとか好き放題言ってるが、主人公ってなんだよって話である。
この獣人巫女は時々よく分からない。
ただ、マルクがいなくなってから、ミーナは随分生き生きしている。そのことだけは良く分かった。
等と考えてる俺の一瞬の隙をついて、ミーナは手から逃れて胸元にダイブしてきた。
「こら、お前汚いんだから抱きつこうとするな、てか自分の匂いを擦り付けるような動きをするな」
「そこまで悪し様に言わなくても!?」
結構傷付いたらしい。口を半開きにして変なポーズで固まっているが、こいつってこんなに面白い奴だったっけ。
尻尾まで固まっているのがちょっと面白いなと思いつつ、俺は彼女を引き剥がそうと考えたが思いっきりがしっと捕まれてる何だこれ握力強すぎる嘘だろ肉球の癖にすげえ!?
そんな風に「死んでも離さないです!」「いや離せ、離せば分かる」「どこの総理ですか! 問答無用です!」と騒がしくしていると、ヘティが「あら?」と騒ぎを聞きつけたようだ。
後ろにはぞろぞろと、イリ、ユフィ、ネル、の三人娘が続いていた。この店にやってきたばかりのイリに、色々と物を教えている途中だったらしい。
「そうだ、丁度良いです! 聞いてくださいよ! 主様が――」
ミーナはそう言いながら皆に事の顛末を話そうとするが、まあそれは良いとして、まだ離さないのかよこいつ、と俺は思った。
「どうですか!」
ミーナは、それはもう凄く嬉しそうに風呂のことを話していた。よほど楽しみらしい。俺も勿論楽しみではある。実は今日にでも風呂に入れるのなら入りたいなとすら思っている。
一方他の奴隷達はぴんと来ていないようで、「風呂?」「急に?」「どうして?」とあまりピンと来ていないようであった。
「ああ、まあこれは正直俺の個人的な贅沢というか何というか。……あれだ、砂漠の夜は冷え込むだろ? だからちょっと体を温めるようなものが欲しかったんだ」
さて幾らほど金を出せば風呂を作れるだろうか、と俺は早速試算してみた。案外金貨十枚程度で何とかなりそうである。
例えば浴槽はそこまで立派じゃなくてもいいので、加工した石臼とかを買えば良いだろう。テントが湿気ると駄目なので、もう思い切って露天風呂タイプにする。裸が見られるとかそういう話は全く気にしない。それこそ金に余裕があれば考えればいい話だ。
そんなことを考えている俺に、奴隷たちが口々に質問をしてきた。
「水は、貴重」
「とは言うがイリ。街の中央のオアシスから汲んできて運ぶのに、俺達はあまりお金を支払っていないだろう? 大変なのは費用じゃなくて、運び込む手間だけさ」
新しくやってきたばかりのハーピィの娘イリは、その跳ねた髪の毛を揺らしていた。緑色の短い髪に、頂点から一房ぴょいっと出ている跳ね毛がちょっと目に付く。
水は確かに貴重だ。だが、市民の生活必需品である水は安い値段で大量に汲むことが出来る。そもそもこの街のオアシスの水はまだまだ枯れることはない、という調査結果が出たらしいので、ちょっとぐらいこうやって贅沢してもいいのだ。
「……その金貨十枚を他のことに使いなさいよ。例えば新しい奴隷を買うとか」
銀髪エルフの高級奴隷、ユフィが苦言を呈した。言葉はどことなく高慢だが指摘する点はごもっともである。しかし、そういう話ではない。
「いやいや、違うぞユフィ。奴隷の衛生環境を良くすることにも繋がるし、体を暖めることは単純に風邪の引き始めとかにも効果がある。他にも、脂ぎった髪とか中々落としにくい体の垢とかは単純に水で体を拭うだけじゃどうにもならない。お湯の方がいいんだ」
「何でそんなに真剣なのよ……」
そりゃ入りたいからだろ。
何故かは知らないが、訝っているユフィが突然体を守るように自分を抱きしめて距離を取っていたが、正直それはない。
どちらかというと、小生意気なこの銀髪エルフと風呂に入るぐらいなら無口なイリの羽毛を洗いたい。そう思って俺はイリを見た。相変わらず要領を得ずぼんやりとしているようなイリであったが、俺と目が合うとふくろうのように首をかしげていた。すげえ、とどうでもいい感心をする。
「え、で、でも、皆で入るには相当大きな石臼じゃないと、厳しいと思います……」
「何で皆で入る前提なんだよネル……。順番に入ればいいさ」
セイレーンの高級奴隷、ネルはちょっと違うことを不安に思っていたようだった。青い瞳をぱちくりとさせ、「あれ?」とどこか腑に落ちない様子である。
「え? そ、そのような目的ではないのですか?」
「それなら金貨十枚で女と遊ぶ」
「あー……」
そんな俺の発言に、ユフィとミーナは嫌悪感を示したようで、無言の視線の圧力が二方向からやってきた。物言いたげな様子だが俺は無視をする。
なるほど、とネルは素直に納得してしまっているが、いや納得してしまっていいのだろうか、それは正しい反応なのだろうか、とこちらはこちらで微妙なずれを感じる。何となくネルからは天然の匂いがするのだが、気のせいだろうか。
そしてイリは「女と遊ぶ」と俺の言葉を復唱していた。何故そこだけ復唱した。
「うふふ。君も遊びたくなるのね。いいえ、ご主人様も遊びたくなるのね」
「いやヘティ、そういう話だっけ? まあ遊びというか、風呂は欲しいと思っているな」
「うふふ。私で良ければ遊んでもいいのよ。どうかしら?」
「魅力的な提案だな……」
え、本当ですか、と一瞬素で答えてしまいそうになったが、「で、風呂には賛成してくれるか?」と脱線しそうだった話を何とか元に戻した。
ちょっとだけ考え込んだヘティは、「そうねえ……」と言葉を遊ばせて、ちらとこちらの表情を窺っていた。
「……。ふふ、私もお風呂に入りたいわね。でもそんなにお金の余裕はないんじゃないかしら」
「金貨十枚でいけそうだと踏んだ。もちろん石細工をオーダーメイドして金貨十枚って計算だから、都合の良さそうな浴槽を見繕えたらもっと安くなると思うぜ」
「迷うわね。……でも、良いんじゃないかしら。最近金貨十枚以上の収入があったらしいし」
ヘティはそう言って意味ありげな視線を送ってきた。俺がアリオシュ翁と交渉して得た副次収入のことを指しているらしい。
その通り、出費が一気に金貨十枚を超えるほどに浮いたのだ。本来は払わなければならないはずのお金をちょっとだけ取引でチャラにしてもらったわけである。
ただその際「まあ出来れば、溜め込まずに街の経済に貢献してくれたらありがたいんじゃがのう」という発言を頂いたので、言葉どおりそのお金の数割を使うことに決めたのである。
「よし。奴隷頭だったヘティも合意したわけだ。もうこれは決定だ」
「ですね!」
「ふふ、そうね」
ミーナもヘティもそうやって笑っているが、チビ三人は微妙な反応である。「遊びたい……魅力的……」とイリは俺のことをじっと見ていたし、「その分水汲みの負担が増えるじゃない……」とユフィは自分が汲むわけでもないくせにぼやいており、「イリちゃん五人分の石……」とネルは謎の計算をしていた。
「……(でも、主様はもうこういうことは独断で決められる権限を持っているんですけどね)」
「そろそろ離してくれない?」
俺の耳元に小声で囁くミーナに、俺は軽く注意をしておいた。
「結論を言うと、何か良い石材をすぐに見つけて来ちゃったから随分安く済んでしまった。金貨二枚だった」
「やったー! ありがとうございます主様!」
「稽古中断するんじゃない、ほら続けるんだ」
「釣れなさすぎる!?」
尻尾まで一緒にしょんぼりとさせながら、ミーナは槍を担いで戻っていった。そんなにがっかりしながら槍の稽古をするんじゃない、一緒に槍の稽古をしている奴隷達の志気に関わるだろ。幸い皆真面目に槍の稽古に打ち込んでくれているが。
思ったけど尻尾をあんなに動かすのって猫じゃなくて犬なんじゃないかあいつ? などと詮無いことを考えつつも俺は早速風呂の設営にかかった。
今はまだ昼過ぎだが、きっと風呂に入る頃には夕方深くになっているに違いない。
「さて、浴槽の設計だが……焼いた小石を風呂の底に沈めることで、水を暖める方式にしよう」
浴槽の石を直接火で暖めるのはよろしくない。風呂で浴槽にもたれかかったらそのまま火傷してしまう恐れがある。
それに、浴槽を焼いて水を温めようという発想では温度調整も上手に出来ない。熱くなった石の浴槽を即座に冷ますことは不可能だからだ。
なので、浴槽の底に熱くした小石を沈め、その上にスノコなどの敷き物で火傷を防ぎ、水を注いでいく方針がいいだろう。冷めたら暖めたお湯を継ぎ足せば良い。
「最初はまあ、試行錯誤で適温を探していくしかないな」
とは言え鑑定スキルで温度と体積が分かる俺は、水と石の比熱を大まかに計算すればいいからすぐに丁度良い配分が見つかるだろうと踏んでいた。
「……一番風呂は頂こうか」
周りを見回したが、まあ槍の稽古をしている奴らとか剣の稽古をしている奴ら以外に人の気配はなかった。
焚き火を準備して石を暖め、風呂の準備をちゃくちゃくと進めていく。
「これだよこれ! あー、極楽って奴だ」
「ずるいです、恨みます!」
「悪いがミーナ、お前は見張りだ。ほら、暗くなってきたし周りでも見張っておけ」
「いや私も入れそうですよねこれ!」
「まあ、ヘティの蛇の尻尾が寛げそうなサイズを選んだからなあ」
ミーナには悪いが、彼女を敢えて見張りにおいておくことで来たるべきハプニングを予防しておいた。当然ミーナが引き起こすハプニングのことである。
ちなみに入浴するときガン見された。「うっはぁー」とか凄く楽しそうだった。うっはぁーじゃねえよ見張れよ。
「安心して下さい、見張ってますよ!」と見当違いの場所を見張ろうとするので、デコピンで撃退しておく。
「入れてください、お願いします。入れて欲しいんです……」
「そんな神妙に頼み込まれても……」
何か遠くでイリが入れてくださいって単語に反応しているし。あいつ年頃の男子かよ。
「主様、私も汗を流したいです……」
「まあ、そこまで言うならいいけど、先に体を拭いてから入るんだぞ。たくさんの人が入るからなるべく水を汚さないようにしたい」
まあ、ハプニング予防とは言ったものの、そこまで頼まれるなら正直断る理由はない。風呂に早く入りたい気持ちは俺も良く分かる。
正直まあ、浴槽が狭くなるから嫌だなあと思っていたが、良く考えたら二人ぐらい普通に入れそうな気がしてきた。
「へへ、じゃあ私もお返ししましょう。恩返しですよ! ほら!」
「恩返しってなんだよ」
服を脱ぐのにいちいちオーバーアクション過ぎる。「つ、釣れなさすぎる……」と呆然としているミーナに手拭い程度の布と桶を渡し、体を拭くよう指示しておいた。
まあ、色気はある体つきだな、と一応反応を返しておいた。凄く微妙な表情をされた。何故。
「ほら、見て下さい! 実は胸って浮かぶんですよ! 水に付ける前はこんな感じなんですけど、ほら一瞬こうやってふわって! どうですか?」
「うーん、見てるだけじゃ良く分からんな。まあ僅かに上下していると言えばしてる」
「ほら、触ったら分かりますよ! 下から手を添えてもらったら、ほら!」
「あ、確かに。浮かんでる。てか柔らかいな」
「……。何なんでしょう、何か期待していた手ごたえを感じません……」
「期待って何だよ……」
会話の内容はというと正直重要じゃない話ばかりではあったが、楽しく過ごせたと思う。「そうじゃないんですよ……」とミーナは湯に口元まで沈んでぶくぶくやっていたが、もしかしたらもっと初々しい反応が欲しかったってことだろうか。
「いや俺実は女と風呂入ったことあるんだよ、悪いな」
「衝撃の事実!? 知りたくなかった! うわー! 何で!? そりゃ喪女の私に見向きもしねえよ畜生!」
「喪女って……」
夢見の巫女、どうやら結構残念な中身らしい。
いや、一応俺も女と風呂に入るのは久しぶりではあるのでちょっとだけ緊張してはいるのだが。
「あ、でも尻尾には凄く興味がある。触ったらどんな感じなんだ?」
「へっへっへ、それは主様の尻尾も触らせてもらわにゃいけませんねぇ」
「ちょっ」
肉球の感触に思わず驚いてしまった。凄い、何とは言わないが大きな可能性を感じる。「こ、こうですか?」と恐る恐るなのがこいつ本当に喪女だったんだなと涙を誘う。というかこいつの肉球こんなに柔らかいのにあの握力何だったんだよ。
ならばお返しに、と取りあえず俺も尻尾を触ってみたが、想像通りの感触だった。尻尾は結構ふかふかしており軟骨が通っている。湯の中でも触り心地がいい。きっと乾いていたらもっとすべすべするのだろう。
触るとミーナは「ぞわぞわしますね」と変な表情をしていたが、根元を触った途端、急にミーナが「……!?」と焦った。
「……」
「あー、悪い、気を付ける」
微妙な沈黙が流れた。
ちょっと顔を赤くして俯いているのが新鮮である。しばらくして、「……変な声出ませんでした?」とかこっそり聞いてくるということは、つまりそういうことらしい。
「大丈夫だったぞ。まああれだ、いい湯加減だな」
「ですね……」
事の真相にはあまり触れないまま、俺とミーナはしばらく湯を堪能した。こいつ黙っていたら可愛いのになあ、まあ喋っていても可愛いけど、と口には絶対にしないような事を考えながら、俺は寛ぐ。
誰かと一緒に入るのも悪くないものだ、と星の綺麗な夜空を眺めながら思った。
「でも、風呂に入るのは夜だけな。昼も入っていたら流石に水の量と焚き火の薪の量が……」
「あはは、水汲み大変でしたものね……」
後日談。結局奴隷たちにも風呂は好評であった。好評なのはいいことなのだが、稽古をした奴隷が汗を流すため昼も風呂に入ろうとしたら、水と薪の消費が結構かさんでしまった。
出費という意味でもちょっとだけ気になったが、それ以上に水汲みと薪の調達が結構大変なのだ。なので、昼は普通に体を拭いてもらうことにした。