第十五話
さて、ついにヤコーポに劇を見せる日になった。
というよりも、正確には俺の方から「一度お見せしたいとおもうのですが」と持ちかけ「一度お見せしたいと? ふむ、いつでも構わないと。では今からでいかがですかな?」と話がとんとん拍子に進んだ訳である。
まだ今は蚤の市五日目、終わりではない。
「しかし、裏を突かれましたな。まさか堂々と『別に入団テストは一度きりとは申しませんでしたよね』と仰るとは! ええ、もちろん一度きりではございませんとも!」
「はい、もしも今日ダメでしたらまだ残っている二日ほど頑張って出直そうと考えてましたので」
「ふむ、なるほど。……素晴らしいハングリー精神です。劇団は強い意志を持つメンバーを欲していましたので、ちょうど良かったですとも!」
「……ですが、失礼を承知で申し上げますが、私は今日で決着が付くことも十分にあると思っております」
俺の大見得切りに目を丸くして反応するヤコーポは、髭を触りながら「ふむ、なるほど!」とどことなく楽しんでいるような余裕をもって、俺を見据えていた。
「聞いたところ、自前の脚本で一人オペラを演劇するとか。楽しみですな! 何せトシキ殿の脚本だと伺いましたのでね! ええ!」
「いえ、俺一人ではありません。ネルといううちの奴隷が脚本に協力してくれました。向こうにいます」
「おお、もしや泣き虫のお姫様ですかな? この前泣かせてしまったことをお詫びせねば」
「ええ、そうです」
ヤコーポが言っているのは、前に感動は素晴らしいと力説したときネルが泣くほど感動した、あのことだ。
きっと印象深いのだろう、ヤコーポは視線の先にいるネルを見て「覚えていますとも、ええ」と笑っていた。
「今はステージの方で、何やらマリエールさんに指示を出しているようですが、これは?」
「ああ、きっと最終調整でしょう。指示を出している訳ではなく、ネルは、聞いているんですよ」
「聞いている? ほう、それはどういう意味ですかな?」
「そうですね……」
何と言葉にすればいいのか正しい表現を探してみたが、少し言葉に困った。言うなれば『聞いている』なのだ。
「ネルは、何だか人の心を知りたがっているみたいなんですよ」
「ほう、人の心とな?」
「そのまんまです。何か突き動かされるようなきっかけがあったのだと思いますけどね。……そして、それが最終調整にもなっているのですよ」
「というと?」
「ネルが質問することで、マリエールが演劇を始める前に、気持ちを自分自身で言葉にして確かめ直してますから。それがまさに、演劇においてどんな気持ちを表現したいのか、の確認につながるのです。……俺がそう信じているだけですがね」
「……なるほど」
髭をさわりながら得心いったと頷くヤコーポをよそに、俺は続けた。
「もう一つ。この脚本は俺の脚本ではなく、マリエールの脚本です。オペラのストーリーは俺のものではありません」
「ほう? どういうことですかな?」
「……ストーリーは、脚本家の意図したように動くのではなく、演劇するものの表現によって紡がれるものです」
ですから、と言葉を続けようとした瞬間、いきなりヤコーポが立ち上がった。
あまりに突然だったので、俺はとっさに反応できなかった。もしもこれが攻撃だったなら死んでいたかも知れない。
「ふむ! 気付いておられましたか!」
「……どうでしょうね?」
何を、と聞きたかったがそのような空気ではなかった。
「……流石です。お見事。私は、もう、これだから貴方を見込んだのですよ! ええ! そうなのですよ!」
「お褒めに与り恐縮です」
「貴方は素晴らしい人です。ええ! 私の目に狂いはなかった!」
大きく頷き彼は言い放った。
「人は! 脚本により動くのではないのです! 脚本はあくまでも流れです! オペラは技巧的です、細かい部分の調和に意味があります。ですが、いえ、ですからこそ! あえて言いましょう! 演劇は常に流れに生きる『舞台の人』で動くものなのです!」
「どうやら貴方も同じ見解であられる様子。光栄ですな」とヤコーポは言う。だが、俺本人はそこまで深い意図を持っていたわけではない。
ストーリーは脚本によってではなく演劇する人の表現で紡がれる、という言い回しをしたのは、だからマリエールを評価して下さい、という台詞に持って行きたかったからなのである。
しかし、ヤコーポの言葉からは何か、仕事に誇りを持つ男の矜持を感じ取った。
感動は素晴らしい、か。
なるほど、この男が賭ける情熱は並ならないものなのだろう。
俺は少しだけ、目の前の男のことが分かったような気がした。
「さて、そろそろ調整も終わったようです」
ネルがこちらに「ご主人様、終わりました」と駆け寄ってきたので、隣に座らせて、俺とヤコーポは改めて舞台を見た。
「……では、よろしくお願いします」
綺麗な一礼をするマリエール。少しの緊張も、そこにはない。
今日はオペラの公演とは被ってないので、彼らの使っている劇場を借りることに成功した。
とは言え、劇場のホールをそのまま借りているわけではなく、借りているのは二階の多目的ホールである。
そこに集まったのは、ヤコーポと俺、そしてイリ、ユフィ、ネルたち三人の小さな歌姫たちだ。
入団テストはヤコーポが取り仕切っているので、本来は指導者の俺、強いて言えば脚本を手伝ったネルまでしか覗くことは出来なかったのだが、「この二人にも是非見て欲しいですな!」と言ったので、こうして三人組は無事そろっているわけだ。
(相変わらずユフィは俺から最も遠くに座っているな。……流石にお客様のヤコーポの前では礼儀正しく振る舞っているけども)
厳しく躾をしているため、多分大丈夫だとは思うが。
イリは三人の真ん中に座っている。
逆に一番俺の側に座っているのはネルで「楽しみですね! どんなお話になるんでしょう!」とにこにこしている。
どんなお話って、君、俺と一緒に脚本書いたじゃん。
が、まあ多分言葉足らずな彼女の意図を汲み取るとすると「ああ、きっと前より上手に表現されるんだと思うよ」と返すのが正しいのだろう。
実際、正解だったようで「はい」と彼女は微笑んでいた。
「はじまるぞ」
「はい」
俺がそう言うと同時に、舞台の上のマリエールは独白を始めた。
「……昔、あるところに物語の好きな女がおりました。名をマリア。彼女は無邪気な少女で、いつの日にかきっとお姫様になることを疑っておりませんでした」
少女の頃。
物語の姫にあこがれていた昔の話。語り上げる彼女の姿はとても様になっていた。
(可憐なステップ、柔らかな歌い方、どれをとっても文句なしだ。鑑定スキルだって踊りと歌唱にそれぞれ高い評価を下しているし、問題はない)
「私にも なれるかしら 物語の お姫様……」
舞台の上のマリエールの劇は始まったばかりであった。
***
(……これが、舞台で踊るということなのね)
踊りながら、マリエールは一人、そんなことを考えていた。




