第十三話
夜のこと。
いつものようにマリエールに稽古を付けていると、突如ミーナがやってきた。「どうしたんだ」と聞いてみるが、ミーナは取り合わず片隅に座って稽古を眺めていた。
「ミーナ?」
「いえ、そのまま続けてください」
「……そうか。じゃあ続けるぞ!」
彼女の様子が気になったが、それよりもマリエールの稽古を優先すべきと思い直し、すぐ稽古を再開した。
正直な所、時間が足りないというのがネックだ。現在は持っている歌唱力を落とさないように基礎訓練をしている、というのが近い。
むしろ、今最も注力しているのはシナリオの表現だ。
(ネルに感謝だな。シンプルなシナリオだが時間的によくまとまっている)
結論から言うと、ネルは俺の期待以上の働きをしたのだ。シナリオを作り上げてしまったのだ。
色々と未熟な面が目立つシナリオだったが、骨子となるストーリーに人を引き込ませる何かがある。
俺は、どうしてもそのシナリオを完成させたくなってしまい、ネルと二人でずっとシナリオ構成に明け暮れたのである。
空想家の彼女は、何となくシナリオを一捻りしたがる節があったが、そこを少し整えると、どうしてなかなか纏まったストーリーになっていた。
(……このシナリオをマリエールに見せたとき、マリエールはやります、と言い切った。こんなシナリオ嫌だと突っぱねることも出来たというのに。彼女の決断に感謝だ)
ストーリーは非常に単純。登場人物ももはや一人しか存在しないようなもの。
それでも、マリエールを体現するのはやはり、このようなストーリーしかないのだ。
マリエールの過去。
それが、俺とネルの考え出したシナリオである。
(考えたら当然だ。短い時間でシナリオを作れと言われたら、何か既存のものをモチーフに作り上げるしかない。それが今回はマリエールの過去だったまでのこと)
全く、こんなものをよくオーケーしたものだ、と俺は思いつつ、マリエールの踊りを眺めた。
ミーナと同じく舞踊Lv.3。ミーナよりもスキル経験値が多いのは、きっとミーナが舞踊Lv.3に成り立てだからというのと、踊りに対して注いだ時間が相当長いということなのだろう。
「マリエールさん、上手ですね」
「ああ、そうだな。……お前も上手だけどな、ミーナ」
「……ありがとうございます、主様」
はにかんだ顔で「でも、あの踊りにはまだ勝てていないと思います」と彼女は呟く。
「あの踊りはどこかひたむきで苛烈です」
「……そうだな」
その言葉の言わんとすることは俺にもよく分かる。本当にひたむきなのだ。
ずっと自分の内側に滞っている何かを表現したいと考えてきたマリエールだからこその、その苛烈さ。
「今日、カイエンが来てもいいか、マリエールに聞いたんだ。だからかも知れない」
「ああ、そうでしたね……」
「マリエールさ、静かに呟いていたよ。ありがとうございますって。……申し訳なさの気持ち半分、やり切れなさの気持ち半分、そして少しばかりの懐かしさ、みたいな感じだった」
「……」
「彼女が了承してくれたことも、カイエンが会おうと決断したことも、俺は、どっちも尊重したいと思う」
「……なるほど」
静かに呟くミーナに、俺もそのまま頷いた。
きっと、複雑なのだ。
マリエールはきっと、力及ばず自分を守りきれずに、結果自分の人生を歪めたカイエンにやりきれない感情を抱いていて、傷だらけの自分を助けてくれたカイエンがそのまま犯罪奴隷として捕らえられたことに負い目を感じているのだ。
カイエンはきっと、力及ばず守りきれなかったマリエールに負い目を抱いていて、同時に自分から全てを奪ったデュローヌの娘マリエールにやりきれない気持ちを抱いていているのだ。
それでも、二人は会いたいと思ったのだろう。
だから俺は、二人を会わせることにした。それだけだ。止める権利はなかった。
「……マリエールさん、凄いですね」
「ああ」
「きっと、オペラ、雇われますよね」
「そりゃな、こんなもの見せつけられたら普通は採用するよな」
眺めながら、確信する。
きっと彼女の本質は踊りにあるのだろう、踊って物語を再現するとなった途端、歌うオペラより遥かに表現の幅が出た。
奥底にある苛烈さを、踊りへの情熱を、虐げられてきた悲痛を、その踊りは素晴らしく表している。
それは思わず見とれてしまうほどであった。
「主様」
「どうした?」
ミーナの問いは、そんな風に油断していた俺には、ある意味純粋すぎた。
それは何でもないことのようでいて。
「……主様は、この世界で、どんなことをしたいのですか?」
そして、何よりも答えにくいことであった。
「……答え辛かったら、別に構いません」
「……。いや」
思考を止めて白湯を飲む。しばらくの間飲むことを忘れたまま手に持っていたこの白湯は、冷めていてぬるくなっていた。喉から染み渡る感触を覚えて、自分は喉が渇いていたのだと再認識する。
ミーナは、何を尋ねたのか。
俺が異世界から来たことを、あの問いは知っていた。それはつまりミーナが、異世界があることを知っているということに他ならなく。
「俺は、きっと、成り上がりたい」
昔の言葉を思い出した。俺はこの世界で成り上がることを決意していた。
それは今も変わらない。このままずっとこうして人の夢を叶えるのも悪くはないと思ってはいるが、きっと、本当の俺は栄達を望むあの本性の俺なのだ。
俺は、きっと成り上がりたいのだろう。きっと、という言葉を使うのは、自分に対する自信のなさがあるからだ。自分の能力に対する自信のなさもあるが、むしろ俺は、自分の心に自信がない。
俺は何をしたいのか。
人の夢を叶えることを、自分の代替行為にしているだけに過ぎないのではないか。
「『名前を残してみたくはないか』って言うあの式辞は、俺への言葉なんだ」
自白する。
俺は正直、立派な人間ではない。綺麗な人間でもない。綺麗な心をもつ人間ならば葛藤するか、もしくは思い悩むそれを、俺はあまり持ち合わせていない。
自分を正当化すること、自分の過去に仕方ないだろうと割り切ること、それらがなくては余りにも人生は疲れてしまう、ということを俺は知っている。
しかし、それら抜きに、俺が本当にしたいことは何なのか、と神にでも問われたとしよう。
俺はそのとき、これがしたいと何かを答えることができるのだろうか。
多分出来るのだろう。人が夢を叶える姿を鑑賞するのが楽しみ、その感情は俺の中にある一種の自己満足的な悪徳だ。
「ミーナ。俺は、きっと成り上がりたいんだ。もうちょっとシンプルな言葉で言うと、幸せになりたい」
「……主様らしいですね」
「そうでないと、俺が惨めだ」
「?」
「……言葉通りの意味さ」
申し訳ないが、俺はあまり自分の内心に踏み込みたくはない。
だからここら辺でこの話題を打ち切ろうと思う。
「それより、マリエールの踊り、凄いよな」
露骨なまでの会話の切り替えに、ミーナは一瞬だけ勘付いたように呆け、その後微笑んで「ですね」と合わせてくれた。
それでいい。ミーナはこういう気配りの出来る大人なのだ。
しばらく無言が続いた。その間、夜の空は俺とマリエールとミーナだけのものであった。
踊りが焚き火の揺れる灯りに照らされて、幻想的だった。
ミーナは「あら、カイエンが来たみたいですね」と呟いた。
「それじゃ、呼んできますね」
「ありがとう」
「私、もういいタイミングなので、呼んだら寝ることにします。お話しできて嬉しかったです」
「俺も嬉しかった」
「主様」
ふとミーナのほうを見ると、やや涙ぐんでいた。何でお前が泣くんだよ、と俺は思っていた。
「……になって下さい」
おう、なるよ。
いや、なっちゃだめだろ。
喉から出た言葉は、どっちの言葉になったのか、自分でも分からなかった。ただ「おやすみ」という言葉にしかならなかった気がする。
***
「旦那?」
「……ああ、カイエンか」
「……なんで思いつめた顔してるんだよ」
遅れてやってきた癖に妙に察しがいいこの男、カイエンは、この瞬間においては俺の会いたくない人間だったかもしれない。俺の表情から何かを察したらしい。八つ当たり気味に「疲れたんだよ、待ちくたびれってやつ」と大げさに溜め息をついて誤魔化すことにする。
「ほら、マリエール、客だ」
「……」
ぴたりと踊りと歌を止めるマリエール。振り向いた顔は、ちょうど焚き火の影になってよく見えない。
見えないほうがいい、と思った。
「……。こんばんは、カイエン」
「……。おう、こんばんはだな! 遅れちまったわ、すまんな!」
穏やかに頭を下げるマリエールと、快活そうに笑って見せるカイエン。
会話の切り口は至ってシンプルで、「じゃあ、自己紹介からいくか」「ふふ、ええ、久しくお会いしませんでしたものね」「……ああ、随分経ったよなぁ」と普通の話題を並べている。
「しかし、すっかり別嬪さんになりやがってよ」
「……」
ごう、と風が吹いた。焚き火の炎が揺れて、マリエールの表情が一瞬照らされた。
哀しい顔をしていた。
「……嘘です。私は醜くなりました」
穏やかな笑顔と言葉で、何の嘘偽りもなく、ただそう呟く彼女。
自然にこぼれ出た言葉なのだろう、特別な感慨は言葉のどこにも込められていない。
その穏やかな笑顔が、哀しい顔に見える。ただそれだけ。
「……そうか」
カイエンは一方で、肯定も否定もしなかった。
そのまま感じ入ったように呟くだけ。
焚き火が揺らめくだけの、静かな時間が続いた。
と思えば。
「……実はよお、俺も年を取って醜くなっちまってなあ、頭は禿げるし舌なんかこんなにべろべろ長くなっちまった!」
けろりと。
噴きそうになった。
いやお前元から髪ねえし舌もべろべろ長いだろ笑わすんじゃねえしばいてやろうか、と思ったら「ふごっ」と変な音が聞こえた。
「……っ」
マリエールだった。半端なくツボに入っていた。
もの凄い勢いで両手で口を押さえていて頑張って堪えていて、カイエンが「ほれべろべろ」と舌をああもうお前喋んな「むふっ ふ」と咳き込むように体を震わせるマリエールがいて。
「ふぁ、は、っ……あー……はあ」
肩で深呼吸をすることで、笑いの回避に成功したらしい。
こっちを見据える瞳には、先ほどの哀しさがどこにもなかった。
「もう、カイエン、貴方は」
「おう、俺はカイエンだ」
カイエンの表情も穏やかな笑みで、しかしどこにも影はなく。
「……。私はマリエールよ」
ようやくマリエールも、影のない普通の笑みで返すのだった。




