第十話
蚤の市三日目の昼。
「なるほど! お返しにオペラを見て欲しいと! そうすれば歌も演技も余すところなく彼女を見れる、なるほど!」
「ええ、まあそういうことです」
今度は例のケーキ屋……じゃなく、自分の店の前で、肉炒めを食べながら俺はヤコーポと交渉していた。交渉ごとの連続で、自分でも交渉技術が成長したような実感が湧いていたが、実際交渉スキルはLv.2に成長していた。
肉を頬張りながら、立派な髭を全く汚すことなく食べるヤコーポは、やはり油断ならない人間であった。いや食べ方が綺麗だからという意味ではなく、呑気に食べながら周囲への警戒が徹底しているのだ。
先程も立派なオーガー女がぶつかりそうになったときに、すっと避けて「大丈夫ですかなレディ」と気障ったらしいことをしていた。身のこなしまで含めて素晴らしい。
「つまり! それは貴方の策だ! ええ! 素晴らしい!」
「……そう訝らないで下さい、私はあくまで提案しただけですよ」
肉を食べきって「いえ! 私には分かりますとも!」と詰め寄るこのヤコーポは、なるほど堂々としており、リアクションが大きい御仁だ。音の王と言われるのも納得の声の大きさだ。
「貴方はこう考えた! あのマリエールを普通に売り込んだところで、きっとメッゾ・ソプラーノ・ドラマーティコの女傑になるに違いないと!」
「……ええ」メッゾ・ソプラーノ・ドラマーティコって。そんな凄くいい声で喋られましても。
「だからこそ! 彼女が歌姫になるための価値をあえて創出した! そう、オペラに由来するクラシックバレエを、再び劇に復権させる! これは、ふむ、名付けるならミュージカルとでもいう奴ですな!」
「……」
「どうなさいましたかな?」
ヤコーポがあっけらかんと言うが、俺は益々の警戒心を募らせていた。こいつもう、ミュージカルとかナチュラルに言いやがって……。
「いえ、なんでもありません」
言葉の上ではそう取り繕いながら、ヤコーポに詳細検索を加えて名前を調べる。
ジェストーナの名前が多分あるはずだと調べると、すぐ見つかった、ヤコーポの妹がジェストーナらしい。
全てに納得がいく。
ジェストーナ・ルルー。「fantasy tale」のイベント、「オペラ座にワルツを」の依頼人でもあり、そして何と、新しい形式のオペラ、「ミュージカル」を考えつく人である。
彼女にはオペラに詳しい家族がいるらしく、その人物が一度だけオペラに踊りを導入して、彼女に披露してみせたらしい。
あまりにも感動したジェストーナは、それを再び再現しようと……、というイベントだ。
(……こういう風につながっているんだよな)
勝手に俺が感心していると、「ところでよろしいですかな?」とヤコーポが尋ねた。
何を聞かれるのだろう、と身構えるが、質問内容は大したことではなかった。
「何故このセイレーンのお姫様がここにいるのですかな?」
俺の腰にしがみついてもじもじしているネルのことであった。
そんなに緊張するなら向こうで歌の出番の待機をしてても良かったのではと思わなくもない。
「ああ、これは……」と事情を説明すると、ヤコーポは機嫌を良くして鷹揚に頷いてくれた。
「――ふむ! オペラが気に入ったと!」
「あの、はい! 私、オペラが好きになりました!」
「それはそれは! 嬉しいことですな! ええ! 今度オペラに出られますかな?」
「出演してもよろしいのですか!? え、でも衣装はどうしましょう……、きっと凄くお高いはずです……」
何故衣装を買う前提なのだろうか。「はっは、衣装ですか、これは失念していた、ではまたの機会に誘いましょうかね!」と笑い飛ばすヤコーポを見るに、多分社交辞令的にネルを誘ったんだと俺は思ったが、ネルはいたく本気にしていて「うう、今度までにきれいな衣装売り切れませんように……」と斜め上な心配をしている。衣装の心配かよ、しかも今度誘われるまでずっと衣装買うことも予約もしないのかよ。
「そうじゃなくて! あの、私、作品を作るためのコツというか、心構えが聞きたいんです! ええ!」
何かヤコーポの口調が移ってる彼女が、俺の腰にしがみついたまま熱烈に語っている。だから何故俺の腰にしがみついたままだし。
「作品を作る心構え、ふむ」
「はい、例えばお風呂入る頻度とか! 何を普段妄想してますか! 笑われないですか!」
色々支離滅裂じゃないか、お風呂関係なくないか。そう思ったが「人はお風呂で色々妄想するらしいですので」と、ネルなりに考えていることが分かる回答が返ってきた。
「ふむ、私はですな、普段から人に感動して欲しいと思っておりますな」
「感動……。ふわあ、感動です」
「今感動されても困りますな! はっは!」
「ひ! その、ごめんなさい!」
何か色々と噛み合ってないし。
「いえ! 私はこう信じているのです。人の感動は素晴らしい!」
ダイナミックに手を広げるヤコーポは、そのまま笑顔で言い切ってみせた。心の底からそう信じているように。
「死にそうな時だってそうですとも、感動するのです、感動すれば、死にそうな時でも生きようと思うのです! 怒ったときでも感動するのです、感動すれば人を許そうと思うのです!」
「感動……」
「感動です! 思いっきりの、ありったけの、感動です! 何て素晴らしいんだ、と雷に打たれたように魂がふるえる、あの、とびきりの感動です!」
そのまま「いかがですかな?」とネルの下へ跪くヤコーポは、どこからどう見ても優しいおじさまに見えた。
「……ヤコーポさん、私」
「おやおや?」
「今、雷に打たれました……」
途端に、俺の腰元でネルが泣き出してしまった。「感動、したいです」と目元をぐしぐしやっている。
「はっは! 嬉しいですな! ……忘れないでくださいよ? 感動は、素晴らしい!」
「はい、ぅぅ」
豪快に「はっは!」と笑うヤコーポと、人の腰で泣くネル、この二人はどこかで通じ合ったらしい。
俺は全く蚊帳の外であった。
「――私も、感動は素晴らしいと思いますよ、ヤコーポさん」
だが、職務は全うさせてもらおう。口を挟んだのは一種の宣戦布告でもある。
「ええ! ええ! 感動は素晴らしい!」
「ですから我々は、マリエールの演技で感動をお伝えできたらと考えてます。ご期待ください」
「おや、それはそれは! 期待してお待ちしておりますぞ!」
ヤコーポの笑顔が俺に向けられた。相変わらず油断のない、読めない顔がそこにあった。ある意味ヘティよりも読ませないポーカーフェイスっぷりだった。
鑑定スキルがなければ、それこそ少しも腹芸で勝てないような胡散臭さ。
改めて俺はヤコーポのことを油断ならないやつだ、と思うのであった。