第七話
「ヘティは、主様が好きなんですか? それともマルクから解放してくれた人が好きなんですか? 何でも主体的に行動していく決断力のある人が好きなんですか?」
「……あら、ミーナはどうなのかしら。死にかかった彼のこと、大層心配してたそうじゃない」
「今なら何となく分かる気がするんです。……ヘティは、何でも自分で新しく道を開く主様に憧れたのだと。奴隷の奴隷という扱いだったのに、マルクを上手く嵌めて店長の座を奪い取り、経営も独自の方法で成功を収め、そうやって自分の運命を切り開いていくところに、自分にないものを感じたのだと、……そう思います」
「うふふ、そう見えるかしら?」
「……。自分には出来なかったことをそうやって次々出来る力に憧れたんですか? それともそうやって挑もうとする心に憧れたんですか?」
「さあ? 貴方と同じじゃないかしら」
「違いますよ。私は、楽しくない日々を楽しくしてくれた人が好きになっただけです」
「夢の中でも、かしら?」
「ええ」
***
我が店『人材コンサルタント・ミツジ』のテントへ帰りながら、俺はちび三人とマリエールの四名で、お互いの自己紹介のような簡単な会話を済ませていた。
俺は一体どういう人間なのか。
今までどんな仕事を成功させてきたのか。
そんな差し当たりのないこと――しかし、仕事を引き受ける以上はクライアントとコンサルタントとして必ずなされなくてはならないだろう話題を、今更ながら消化したのである。
「――なるほど、ということはやり手の方なのですね。若くしてお店を任されるだなんて、大変優秀なのでしょう」
「まさか」
マリエールはそう言って俺のことを口では高く評価していたが、何のことはない、社交辞令である。内心では俺のことをどのような人物なのか見定めようとしている、ということが鑑定スキルを通じて伝わった。
まあ、当然の反応だろう。
彼女としては、名作劇団の入団試験を受けるために話の流れ上ヤコーポの提案に乗った、という認識なのだから。
会話しつつ(となると今夜にでも俺のことを信用してもらわねば)と意を決する。信頼関係を築くならばなるべく早いほうがいいだろう。
「そういえばお前たち、オペラはどうだった?」
「……面白かった」
そういえばこの子たち、休憩の間の余興に歌ってはいたものの、それ以外の時間はヤコーポの厚意で空いている席(それも良い席)に座らせてもらって、オペラを見せてもらってたんだよな。
それを思うと、オペラの分も儲けたといえるのかもしれない。
「でも、ネルが一番楽しんでた」
「? そうなのか、ネル」
「ふぇ! えっと」
頬を少し桜色に染めて「……はい」と答えるネル。表情がうっとりしているそれだったので、ちょっと意外で、思わず見入ってしまった。
この子でもこんな表情をするのか。
「物語って、素敵ですね……」
ぽつりと漏らす彼女に、俺は微笑ましいなと思った。
(思えば、空想家の彼女にとって、物語を考えることってとても合っているのかもな)
物語の面白さに気が付いた彼女が、これからどう変わるのかはちょっと見物である。
「物語、素敵よね」
そんなネルに乗るようにマリエールが同意した。
その表情は傷だらけなのに、優しげであった。
「ひぇ! あ、はい! マリエールさん!」
「怖がらなくていいわ。それと、どうせならマリーって呼んで頂戴」
「え、あの、はい、マリーさん」
マリエールはにこりと笑って「良い子ね」とネルの頭をなでていた。
「貴方たち、イリちゃん、ユフィちゃんって言うんだっけ?」
「はい」
「何か?」
何かって。
こら、とユフィの不遜さを注意しておくが、マリエールは「いいんですよ」と笑って受け流していた。
「今日から傷のおばちゃんが一緒だけど大丈夫かな? 怖いかなー?」
そうやっておどけるマリエール。その光景を見て、少しだけ痛ましさを感じたのは秘密である。
何せ、十八歳の娘が、傷のおばちゃん、怖い、だなんて言葉で笑顔で卑下しているのは、何かやるせないものがある。努めて明るく振る舞い、それが本当に自然な動作に見えるのが、なお痛ましく感じられる。
そうなるまでに、一体どれほど自分をおどけて見せ物にしてきたのだろうか。
「……怖くないですね」
意外にも、最も早く返したのはユフィであった。
「顔なんてどうでもいい、人の悪意の方が怖いです。その意味ではまだ、私は貴方のことが怖くはありません。……自分を卑下するのは宜しくないかと」
至極真面目な口調だ。実にユフィらしい。だが、踏み込みすぎていることを平然と口にしている。中々生意気な口を聞くものだ、と思ったが注意するタイミングを逃した。
「あら、嬉しいわ」
それよりも先にマリエールが、にこりといなしたからだ。そう、このいなしこそ俺が口を挟むのを躊躇った理由である。どことなく触れるのをはばかられる非人間味がそこにある。
「でもね、私も悪意、たまーに有るのよー? うふふ、傷女なのにね。気をつけないと怖いぞー?」
もはや独り言だ。流石に軌道修正しないとまずいかもと思い、俺は「そうだ」と呟いた。
「オペラをやりたい理由って何でしたっけ?」
「ああ、オペラをしたい理由ですか」
マリエールは笑顔で「私、表現がしたいと思いましたの」と当たり障りない答えを返してくれる。
これでいい。
そう思ったタイミングで。
「あの」
ネルがおずおずと質問をした。
「マリーさん。先ほど、えっと、物語が好きって、言いましたよね」
「うふふ、そうよー。私、物語をこの身で表現できたらな、って思ってるのよ」
「じゃあ、作家はダメですか」
一瞬マリエールの顔が笑顔で止まった。俺はその瞬間、不気味だと思ってしまった。
「作家」
「いえ、あの、役者をやめろ、って言ってる訳じゃなくて、その、私、作家も、好きで、えっと」
「……ダメかも。私ね、この身で物語を表現したいの」
「この身、ですか?」
静かに頷くマリエール。
「そう。醜い女の身で表現したいの。醜い女が物語の主役になれないだなんておかしいもの。これは、私なりの、復讐」
言葉には熱。
場が凍る。
その瞬間、俺は、マリエールの最も奥底に秘めた想いに触れたような気がしたのであった。
(復讐……)
「……マリエールさん」
流石にこれ以上は看過できない。俺は「テントに入りましょう」と話を強引に打ち切って、そのまま会話をなかったことにすることにした。
「そうですね、ありがとうございます」
そう頭を下げるマリエールをよそに、俺は、今回のクライアントの抱えた心の闇に少しだけ思いを馳せていた。