第六話
甘味を食べたいというヤコーポが案内した店は、いわゆるケーキ屋であった。
どうやら彼は、このオアシス街に来る度にこの店でケーキを食べているらしく、この店の常連さんなのだとか。威圧感がある外見だというのに、甘味が好きとはちょっと意外である。
三つほど印象に残ったことが立て続けに起こったのを特筆しておこう。
ケーキ屋にあのキャシーちゃんがいたということ。
店でケーキを食べたユフィが小声で「あの豚にケーキ作らせよう」と提案したこと。
俺が劇団関係者でも何でもないのに、「貴方にはいて欲しいのですよ!」とヤコーポが俺を引き留め、「ええ、特に隠し立てするような過去ではございませんし」とマリエールが俺の同席を認め、目の前で過去を語ったこと。
「ふむ! ……マリエールさん、お話はよく分かりましたとも」
口元を拭いながら、ヤコーポは語った。立派なひげを蓄えているので、ケーキを食べるのはさぞ苦労するだろうと思ったのだが、中々どうしてひげを汚さないものだから、結構器用な人だ。
「結論を言うと、実力さえあれば雇いますとも、ええ! それは歌であったり、演技であったり、――あるいは顔ですかな」
きっぱりと言い切るヤコーポは、端的にかいつまんでこう述べた。
顔は実力である、きれいに保つ食生活や、出来物が生まれないよう洗顔などの手入れ、そして化粧をして美しく飾る技術。
それがマリエールの顔の傷に大きく足りないものである、と。
「……マリエールさん。オペラは人に夢を見せるものですとも。ええ! 登場人物はいつだって、主人公で、ヒロインで、悪役で、道化師です。つまりは、活き活きしている役者なのですよ」
「はい」
「人に物語を見せる存在ですから、疑問を持たせてはいけません。厳しい話ですが、顔の傷はその上で大きく響くでしょうな! たおやかなイメージが、顔の傷で台無しになっては、物語を伝えられないことがあるのです。実に皮肉な話だ」
「……はい」
「そこでですよ!」と彼はきっぱりと告げた。
「歌や演技など、あなたが提供できる全てで、夢を伝えられるかをテストさせて下さい。ええ! 完璧でなくていいのです! ただし、将来性を見せて下さい!」
「将来性……」
「はい! このまま劇団で練習を重ねたら、きっとこの人はこういう役者になるだろう、という将来性ですよ! ええ!」
笑顔で告げるヤコーポは、しかしその実残酷なことを暗に喋っている。将来性があるない、という言葉は主観的に判断できるので、要はうちの都合が悪かったら雇いませんという玉虫色の言葉である。
この男は甘くない。テストしてやるから何かしらで価値を示せと中々高いハードルを要求している。
「……分かりました」
それでもなおそれを飲むマリエールは、このテストの意味に気付いているのだろうか。まさか言葉通り、歌と演技を今から頑張りますと捉えているのでは。
(場違いな場に居合わせてしまったな)
やっぱり無理を言ってここから離れるべきだったかもしれない。俺は内心そう考えていたが。
「良いですかな? ここにいるトシキ殿は、『人材コンサルタント・ミツジ』という店のオーナーでしてね。何と、人の職業相談に乗ることを仕事としているそうです! ええ! なんとも僥倖!」
「人材コンサルタント?」
「あの、ヤコーポさん?」
二人の疑問など蚊帳の外と言わんばかりに話を続けるこのオッサンは、中々いい性格をしていると思う。
というか、俺が昨日調子に乗って「キャリコンは人の職業の相談にのる仕事です」とか何とか言ってたことをきっちり覚えているとは。
「つまりですよ! 貴方が歌の練習をしたり演技の練習をするのに際して、このトシキ殿は必ずや貴方の助けになるはずですとも! ええ!」
「ちょ、ちょっとお待ちください」
ここは流石に口を挟まなくてはまずい。
「そうは言いましたが、私は奴隷商です。それに私は別段演技指導とかが上手いわけではないので……」
「ほう、嫌でしたか! しかし貴方はこう言いませんでしたか? この三人の奴隷を貸し出す代わりに、誰か劇団の人に歌って欲しい、と! それがこのマリエールさんになっただけですとも、ええ!」
「確かに言いましたが……」
このヤコーポとやら、中々に食わせ物らしい。確かに俺は三人の奴隷を彼に貸し出した時、誰か劇団の人に歌って欲しいとは言った。オペラの宣伝にもなるし、俺の店の宣伝にもなるしでwinwinであると思っていた。
「話を聞いた所! このマリエールさんは踊りでサーカス団を勤めたこともある手練れ! きっとトシキ殿の店の客への見せ物としても、絶対によい働きをすることでしょうな!」
「……しかし、私は指導が上手くないので、マリエールさんが貴方の劇団のテストに合格する保証はないですよ」
「おお! それは自己責任です!」
きっぱり言うものだな、このオッサン。
「ではトシキ殿、これならいかがです? 貴方の店の肉炒め! あれを今度、劇団の皆で買いに行きますとも! 売り上げも伸びるでしょう! さあ! どうでしょう?」
「……ですが」
俺は鼻白んだ。
冷静に考えると損はない話なのだ。見込める利益は、肉炒めの売り上げと「傷の踊り子」とまで呼ばれたマリエールの踊りによる宣伝効果。
実際、冷静に鑑定スキルでマリエールを見れば「舞踊Lv.3、歌唱Lv.1」を併せ持っている。パフォーマンスの期待は出来そうなのだ。
元々これで銀貨二〇枚を頂いているのだ。元々ヤコーポと出会わなかった場合どうなっていたか、というゼロベース水平思考で考えたとき、損はしていない。
元々得だった話が少し得に成り下がった程度である。
しかし。
「マリエールさんはいかがでしょうかな! このトシキ殿、実は歌の指導も大変上手で、この三人のお姫様はトシキ殿に歌を習ったそうです! ええ!」
「……なるほど、トシキ殿は素晴らしい指導者なのですね」
実に勝手に話が進むものだ。マリエールは俺のことを見て「だから、今回のお話に無関係だと思われたトシキ殿も、この話し合いに立ち会わせたのですね」とひとりでに納得しているし。
(……なるほど、読めた。ヤコーポの狙いが。……色々と試しているようだ)
俺はここで、彼の意図に気付いた。
突然の契約変更は、俺の交渉の腕前を見るためのもの。商人としての俺がどういうものなのかを試しているのだ。
そしてもう一つ、彼は何とかしてマリエールを教えてもらいたいと考えている。それはちび三人を育て上げた俺の指導能力を探るためなのかもしれないし、あるいは天空の花を知っている俺の正体を探るためなのかも知れない。
よろしい。ならば、話の主導権を握られたままでは少々まずい。
「失礼しますが」
と俺は線引きをはっきりさせることにした。
「私は商人です。この蚤の市はやることが多く大変忙しい。よって私自身がマリエールさんを指導できる時間はそう多くないのです。うちの奴隷と一緒に歌を一人で練習すること。その程度でしたら別に構いませんが、それ以上は手伝いかねます」
「ええ! 構いませんとも!」
即答されてしまった。いやヤコーポさんあんたが良くてもマリエールが良いとは限らないだろう、と俺は思ったが。
「……なるほど、悩みますが……、どうせ一人で練習するよりも、トシキ殿の下で一人で練習したほうが良いと思います」
まさかマリエールまでこの条件で良いと言い出すとは思わなかった。
狙いではマリエールが「それは……」と言葉を濁し、それを俺は一つの「合意のない以上この話は見送りということで」と切り出すための交渉のカードとしようと思ってたのだが。
ならば迂遠だが直接交渉するしかないようだ。
「少々厳しいお話ですね。私の見解では、マリエールさんの教育を無料で請け負ってくれ、という契約にしか見えません」
「ほう、無料で請負ってほしいなど! そのつもりはございませんとも!」
「私の提示する条件は以下の通りです。三人歌い手を貸し出しすること、そして我々の店先のテントの余興公演を利用しての貴方たちのオペラの宣伝、この二つ。それと引き替えの、銀貨二〇枚と、オペラ団員が我々の店先で余興公演をして頂くことによる我々への宣伝効果なのです」
宣伝効果、をあえて店の泊付けと言わなかったのは、それではまるで我々の店が格下であることを言及しているように見えるからだ。
あくまで交渉は強かに行くべきだ。
「ほう。宣伝効果! ではマリエールさんの踊りでは不足ですかな?」
「二つ不足するものがあります。一つにマリエールさんが踊りの余興公演をしたときの客の満足度が、オペラ団員の方々に歌ってもらう満足度よりも高い保証がない。商人にとって保証がないとは、足りないを意味します」
「手厳しい話ですな」
「もう一つ、それは団体のネームバリュー」
「ネームバリュー、ほう」
髭をさわりながらもこちらを窺う視線を這わせるヤコーポに、俺は「ええ」と短く答える。
「オペラ団員が店先の余興公演にやって来た、ということが重要なのです。ただの個人の大道芸人が来たという物珍しさは、オペラ団員が来たという物珍しさとは違います」
「ふむ」
「その物珍しさによる利益を見込んで、私はあの契約だったのです。その物珍しさを勝手に値切られた上、保証もない人材での妥協、さらに教育を押し付けられたような話では到底飲めない」
「言いますな。なるほど、オアシス街の商人は百戦錬磨ですな!」
正確にはオアシス街ではなくそのはずれのスラム街寄りのあの境界なのだが。まあ余所から来た人が見たら、同じくオアシス街、なのだろう。
視界の端で、マリエールが申しわけなさそうに「……すみません」と頭を下げているのが分かった。
このままではマリエールが自ら身を引くかも知れない。少し急がなくては。
「ですので」
俺はここで笑いながら前置いた。
「今回は『ペーリ家のヤコーポさんのお願い』ということで一つお勉強したいと思います」
要は『貴方という人脈を得られて光栄です』という形にまとめたかったのだ。
結局は、ここなのだ。
大きなものがどこにあるかと言えば、俺は彼との繋がりにあると思う。
名のある貴族に恩を売る。それは計り知れない価値があることだと、俺には思うのだ。
「……ほう!」
面白そうに目を見開くヤコーポ。
マリエールもまた少し驚いている。話の方向が急に変わったからだろう。
「本来ならば言葉にしないでやりとりをするべきなのですが、オアシス商人の流儀では言葉にするのです。不躾で申し訳ありません」
「いえ! まさか! ……実に素晴らしい」
感嘆しているヤコーポは、きっと別のところで感心しているのだろうと思う。
いやもちろん、貴方との人脈を得られて光栄だと話を飲む俺の殊勝な態度にも感心しているのだろうけれども、それよりも対等の立場で交渉した、という姿勢を評価するように見えたのだ。
(事実、ヤコーポが知りたいのは、三人の姫を育て上げた俺がどんな指導能力を持ち合わせているかという点。あるいは天空の花を知っているという俺の正体。……どちらにせよ、この話を飲むのは俺にとっても、ヤコーポという繋がりを得た意味ではプラスになっていると考えられる)
脳裏でそんなことを考えつつ、ヤコーポを見た。
彼と目が合う。
お互いに腹は割れている――そう言わんばかりの笑みがあった。
「取引成立ということで、よろしくお願いします」
「いえ! こちらこそありがとうございます! いやはや! 無茶を申し付けて申し訳ない!」
「いえいえ、今後とも末永くよろしくお願いします」
上手く乗せられているような違和感を覚えつつも、俺は彼と握手をした。視界の隅で、マリエールが「本当に、本当にありがとうございます……」と深く頭を下げてきたのを確認しながらも、俺は気を抜くことはなかった。




