第三話
「普通なら、このまま見逃せない状況ですね、お互いに」
「あれあれ、そうでありんすね」
お互いに軽口を叩き合う感じで会話が進む。このような目に遭った経験があまりないので、どうしても俺の応対が適当になりがちだった。それは良くないので「ですが、お互いに見逃すという選択肢はあり得ます」と会話の主導権をキープする。
勝手な予想だが、きっとマハディ・プアラニはこの塔の監獄全てを掌握できている訳ではないのだろう。
記憶魔法は、鑑定スキルによると人の記憶を操作する魔法である。しかし使用条件として、長時間目を見るか、会話を重ねるか、直接触れるかなどして徐々に潜在意識に刷り込みを行う必要がある魔法らしい。
要求される魔力は相当なもので、一日一人を記憶魔法に掛けられるかどうか、という程度。
記憶魔法を維持するためにも魔力が必要になるため、記憶魔法で操れる人の数には限界があるようだ。
(だから、きっと塔の監獄全てを掌握できてはいない『天空の花』マハディ・プアラニにとっても、俺に騒がれるとまずいはず。そして俺としてもここで騒がれたらまずい)
お互いの利害は、図らずも一致している。
「私は騒ぎたくありません。貴方のような雅な人との逢瀬を、騒ぎで汚されるのは辛いので」
「もう、口の上手い人でありんす。……わちきも騒ぎたてるんは好かやでね」
「出来れば一時のうたかたの夢として、そっとしておきたいのですが、可能でしょうか?」
「あれあれ、いいむしでしゃんすね。おんしは、ほんに罪なお人でありんす」
会話を楽しんでいるかのように返してくれる彼女。
これはもしかして、もしかするとこれは上手く行くのでは、と少しだけ希望が見えた気がした。
更にだめ押しとして、俺は一つ切り札を使うことにした。
「もし私を見逃してくださるなら、貴方に教えたいことがあります」
それはゲームの時の知識。恐らくは、それを教えたら彼女は俺を見逃してくれるだろうという自信が俺にはある。
何故なら、この女盗賊『天空の花』は、ゲーム『fantasy tale』で仲間になるユニットであり、その時のイベント『指輪の在処』は俺もよく知るイベントなのだから。
「貴方が大切にしていた指輪、それがどこにあるか。それは……」
「止しなんし、こそつばいでありんす」
しかし、相手の反応は意外なものであった。
それこそ、命を擲ってでも知りたかったはずの指輪の在処。
それを、目の前の女頭領『天空の花』はきっぱりと、凛とした声で断ったのだ。
「それは、喋らなんでくんなんし。それは、わちきの思い出にありんす」
「……そうでしたか。出過ぎた真似をしてしまいました」
しくじったか。イベントでは確か、この街の賭博王から指輪を奪還して渡せば味方ユニットになったのに、と焦る俺だったが。
「……やけど、わっちゃあ気まぐれでありんすにえ」
ふ、と頬をゆるめる彼女。
「ようござんす、そう拝みいされりゃ頼みも聞くものだんす。娘のおいたを引き留めてくれたご恩もありんす。見逃しましょ、ね?」
何と、どうやら俺を見逃してくれるらしい。
この女頭領、何とも度量の広いお方であることだ。
「本当ですか、ありがとうございます!」と俺は思わず頭を下げた。
彼女は「ふふふ、年の一五にゃ見えんせんね」と不思議な眼差しでずっと、こちらを見やるばかり。
その瞳は、まるで娘にいたずらをした男を値踏みするようであり、そして|娘の過ぎた行為《サバクダイオウグモ事件》を引き留めてくれた人物が何者なのかを見定めようとしているようでもあった。
「は、母上……」
ここで、ようやく展開を飲み込むことができたのか、娘プーランは会話に割り込んできた。
言葉が震えて「その、本当に」としどろもどろになっている。
「母上なのですか……?」
「あれ、そうよ? わっちゃあ、おんしの母よ。隠し立ててご免よぅ」
軽く小首を傾げるマハディ。彼女の方が、むしろ幼く見えるぐらいなのだから、この親子は不思議なものだ。
さて。
これ以上は聞き出すこともない。それに、これ以上失礼するのは親子の再会に水を挿すというものだ。
「では、私はこれにて失礼しましょう。積もる話もあることでしょう、どうぞ親子仲良く。それと、もしよろしければ、私のお店のことも何卒よろしくお願いいたします」
「もう、業突く張りさんだんすね。……同じ穴の狢でありんすにえ、また来なんし」
咎めつつも微笑んでいる女頭領と、泣きそうな顔の女盗賊を背に、俺は面会部屋を後にする。
親子の感動の再会に、俺は不要だ。
女頭領『天空の花』と見逃してもらえただけでも俺としては儲けもの、である。
同じ穴の狢、という言葉がやけに耳に残ったが。
というか、また来なんし、って何だろう。犯罪でもしろっていうのだろうか……?
◇◇
「……そして、これは一体何だ?」
「お客様よ。その、ちょっとテンションの高い人だけども、ね」
店に帰って、肉炒め販売のため、そろそろ夕方の仕込みに入ろうかなと思っていたら、そのタイミングでまた一つ仕事が待ち受けていた。
どうやらお客様がやってきたらしい。
奴隷商のテントにお客様が待っている、とヘティから話を聞いたので入ってみると、何と、客は劇団関係者であった。
「ええ! ええ! 私、この子たちの声と美しさに惚れてしまいましてね!」
この劇団関係者の男、名前をヤコーポという。
風来坊の変人、と自分を語る男であったが、自分で変人とか言い切ってしまう辺り、間違いなく変人ではある。
「ふらりと街中を歩けば、何とも美味しそうな肉の匂いが漂ってきたのです。私こうみえて健啖家でしてね! ええ、ええ! 勿論食べましたとも、肉を! 魔族の少年が焼いてましたが、いやあ美味しかった! ……そうじゃない! 肉には誘われましたが!」
ヤコーポが息巻いて語るには。
「肉を食べながら歌を聞いて演舞を見れるというアイデアも素晴らしい! いや、違う! そうではなく、歌です! 何とも甘美な歌声がすると思ったら、この三人のお姫様が歌っていたのですよ! ええ! ええ!」
三人のお姫様というのはつまり、うちのちび三人のことらしい。
しかし、お姫様という表現はどうなのだろうか、と思ってしまう。
イリはさっきから落ち着かない様子だし、ユフィはヤコーポに気付かれないように顔をしかめており、ネルは「こ、困ります……お姫様になるなんて、こ、心の準備が」と相変わらずちょっとずれていた。
なるほど、個性的なお姫様だことだ。
「お前ら、お姫様らしいぜ」
「……姫」
イリはそう呟いていたが、あまり嬉しそうではなかった。何やら思うところがあるらしい。ユフィが歯の浮くようなお世辞に顔をしかめたり、ネルが「でも、お姫様のような気がしてきました……」と浮かれていたりしているのと対照的で、イリには感情らしい感情の発露はなく、何らかの物思いに沈んでいるだけであった。
「ええ! ええ! お姫様ですとも!」
しかしヤコーポはさっきからずっとこの調子である。疲れないのか心配になるテンションだ。
「分かりました」
俺は取りあえず会話に一区切り入れることにした。
「では、商談に入りましょうか。希望の金額をお伺いしたいと思いますが」
「ふむ! 全員金貨一〇〇枚は下らないでしょうな! そんな金を私は持ち合わせておりません!」
「おや?」
ちょっとした肩透かしだ。
いや、実は内心ではこの子たちをまだ手放したくなかったので、安心したと言えば安心したのだが、それなら何でヤコーポは俺に話を持ちかけたんだ、と思わなくもない。
「実は」
とヤコーポが切り出すには。
「蚤の市の偶数日は、我々のステージがあるのです。そのオペラは長いため休憩時間を間に挟んでいる二部構成なのですが、その休憩時間に是非とも歌っていただきたくて! ええ! 間違いなく盛り上がるでしょう!」
「ああ、少しの間貸し出して欲しい、ということですね」
「ええ! そういうことです! これでしたらそこまでお金が掛からないと思うのですが、いかがですかね!」
予想以上に話が纏まっている。
ちらりとヘティを見ると、彼女は小声で「大まかにお話は纏めておいて、細かい商談はご主人様と決めてもらうようにしたの。勝手にごめんなさいね」と囁いていた。
(ということは、あの三人はその話に異論はないのだろうか)
ヘティがある程度まとめた、というのならば三人にも話は渡っているということだ。一応確認してみると、三人ともその条件でかまわないと思っているみたいだ。
ならば、俺からも特に申し立てることはない。
「値段と内容次第ですが、昼の間、銀貨二〇枚で三人をお貸しするのではいかがでしょう」
と提案から入ってみる。
「ふむ、それは偶数日の三日間で銀貨二〇枚という意味ですかね」
「はい。そしてその間、出来れば劇団の人に僕の店で軽く歌って欲しいなと思ってます。三人が抜けた分を穴埋めしたいですから。そちらの劇団の宣伝にも活用していただければ、私も嬉しいのですが、いかがでしょう?」
「ふむ! なるほど!」
目を見開くヤコーポ。そのまま立ち上がって俺の手を握ってくる。
「つまりこうですか! この歌姫を三人ともお借りする間、我々も誰かをこちらに貸し出すと! ふむ、我々もオペラの宣伝ができますし、面白いお話ですな!」
「はい。こちらの計算ではそれで得しております」
「ではお願いします! いやはや! 良いビジネスですな!」
喜ぶ彼を尻目に、俺は少し罪悪感が湧いている。スラム街とオアシス街の境目のこの場所では、オペラの宣伝効果とはいうものの、さほどは高くはないだろう。
しかしまあ向こう方もそれで宣伝になる、と踏んだのならばそれで良いのだ。
そう思っていたが。
「いやはや慧眼であられる! これがもし普通の劇団ならば宣伝にならないところを、我々がどういう劇団なのか知った上でこう交渉するものですから、なるほど流石にオアシス街の商人は油断なりませんな!」
ヤコーポがなかなか聞き捨てならないことを言うではないか。
「恐縮です」
そう答えながらもヤコーポに鑑定スキルを使い、彼を詳細検索して理由を探る。そして引っかかる名作劇団という名前。
(ああ、名作劇団って一般人向けのオペラなのか)
どうやらヤコーポの言う意味はこうらしい。一般大衆向けのオペラを提供する私たちだからこそ、例えあまり裕福じゃない人が集まるここで宣伝したとしても効果はあるだろう、と。
「ふむ! しかしお聞かせ願いますかな! 確かに私は劇団関係者だと申しましたし、このヘティという女従業員には名作劇団であると明かしましたが、あなたは推理した! ……それともこっそり先にヘティさんから聞いていたのですかな?」
「ええ、先に聞いていただけですよ。私は慧眼ではないですよ」
一応謙遜しておくが、ちょっと腑に落ちなかったりする。
そう、この男ヤコーポは油断ならない男なのではないか、という漠然とした予感がしたのである。