第一話
幼い時の記憶。
かつて彼女がお姫さまになる事を夢見ていた頃、彼女は自分のことを世界の誰よりも美しいのだと思っていた。
それは傲慢な思いなどではなく、純粋に「皆も綺麗だけど、私も綺麗なの!」と自分の可憐さを微塵も疑っていなかったがゆえの思いであった。
「――女の子はいつか、お姫さまになれるわ!」
馬車で足をぱたぱたとさせながら、彼女は目の前の冒険者に語りかけた。
クラッドとカイエンという名の二名は、「だとよ、相棒」「いいじゃねえか、お姫さま」と彼女の話を楽しそうに聞いてくれていた。
「でね、格好良くて素敵な王子さまと出会うの!」
「いいねえ」
笑いながら二人は「男はいつまでたっても王子にはなれないってのによ」「まあ恰幅良くて素敵なおじさまにはなれるぜ」「かーっ! 何が素敵だ、あの熊野郎!」「それだぜ! 俺も恰幅良いおじさまだったらあの娘を」と何やら二人にしか通じない話で盛り上がっていた。
こうなると彼女は蚊帳の外である。
話を聞くに、どうやら二人とも惚れた女をその熊に取られてしまったようであった。
変なの、と思いながら彼女は、その間抜けな二人を他所に、外の景色を窓から眺めて呟いた。
「あー、お姫さまになりたいな……」
それはどちらかというとどうしても叶えたいという願いではなく、早く大人になりたいなという思いに似た、ふわふわとしたものであった。
そして往々にして、そのような実体のない曖昧な願いこそ、叶わなくなったときに人を一番苦しめるものである。
彼女はその日、魔物に襲われて、顔の皮膚を大きく失った。
***
砂漠の王国恵みの国の中継オアシス街(驚くことに、この街は現地の人に「オアシスの街」という意味の言葉で街名を与えられているので、「オアシス街」と呼ばれている)は、ひどく賑わっている。
王国の首都「白い街」、王国の貿易港「船の街」、この二つをつなぐ中継点である「オアシス街」は、自然と人の足が多くなる場所だ。
しかしその賑わいは、ただこの街が中継点であるということだけに起因しない。ことさらこの時期、このオアシス街は普段よりも人で賑わっていた。
理由は蚤の市。
季節ごとに開かれるこの大型市場は、一つの祭典儀礼として、このオアシス街の文化に根付いていた。
蚤の市の一週間は、このオアシス街にとって騒いでもいい一週間なのである。
(……蚤の市の一週間、名作劇団は公演のためにオアシス街を訪れる)
名作劇団とは、恵みの国を歩きわたり、王国各地に素晴らしいオペラを提供する劇団のことである。
時に砂漠へ、時に海辺へと様々な場所を渡る彼らは、ただ一つの信念――名作を王国各地に伝える、という考えの下に劇を披露する。
ゆえに、彼らのオペラに賭ける情熱と磨き上げた技量は、並大抵のものではなかった。
都合よくそこに雇ってもらおう、とまでは考えていない。
だがそれでも、解雇された身の女大道芸人としては、次の寄る辺を探しておきたい、と「傷の踊り子」は考えていた。
(……顔に傷のある女よりも、もっと都合のいい踊り子が見つかると踏んだわけでしょうね、サーカス団の団長は)
オアシス街にたどり着いてすぐ、彼女にとっては不幸なことだったが、サーカス団の団長はこの「傷の踊り子」を解雇した。
理由は、男の不祥事。
正確には「傷の踊り子」には全く非がないのだが、三つ足男のアプローチを断ったことが尾を引いて辞めることになったのだ。
(話がこじれて、どちらかが辞めなければならないとなったのが運の尽き。三つ足男と違って顔に傷があるだけの私には、何もなかった)
今思い返せば、彼女にも少しだけ問題のある行動があったのかもしれない。
三つ足男に気を持たせる言動をした、らしいのだ。
最もそれは価値観の違いだと彼女は思っている。
男の前で酒を飲むこと、服をプレゼントされてそれを着ること。どうやら三つ足男の知っている文化では、どちらも恋人になることを是とする意味合いらしい。
そんな文化を知らなかった彼女としては、全くその意図はなかった。
そんな不幸なすれ違いの末、彼女と彼の喧嘩になり、彼女は手ひどく彼を傷つけてしまった。やりすぎてしまったのだ。
言うならば、彼の身体的特徴を罵ってしまったのだ。
話を聞きつけた団長は、両方に非があるとした。勘違いして暴走した三つ足男にも、それを手ひどく振った傷の踊り子の容赦のなさも、どちらも処罰にふさわしいと。
(二人ともを同じサーカス団においておくのは風紀の問題で難しいとして、どちらか一方を解雇することになって、……私が選ばれた。不公平と感じるけれども、もしもどちらか一方を辞めさせないといけないとしたら私だって同じ選択をするわ。……私、厄介者だったもの)
傷の踊り子は、かくして見捨てられた。
彼女は溜め息を吐きたい気分であった。
正確には、きっと次の雇い入れ先があるであろう大きな街にたどり着くまでは、サーカス団長が何とか面倒を見てくれた、という形ではある。
しかしそれでも、傷の女にしてみればどっちみち同じことであった。
即座に捨てられたか、気を配られながら捨てられたかの違いに過ぎない。
(……このオアシス街で、大道芸人として生きていくのは難しい。ならばいっそ、諦めた夢に向かうのも一興かもしれない。可能ならば、だけど)
ふと頭によぎったのは、名作劇団のことだった。
名作劇団の歌姫として、オペラの役者になれれば、確かに彼女の夢は叶うのかもしれない。
それは、復讐。
彼女は、顔に傷を受ける五年前までは、物語の姫になりたいと思っていた。
例えるならば、英雄譚で語り継がれるヒロイン。オペラで言う歌姫。
貴族の娘である自分ならば、漠然と、誰かの姫になれるのではないか――そう思っていた時期が懐かしい。
(……もう、貴族だったことは昔のこと)
今となっては傷の踊り子。
この女マリエールは、ただの平民の娘であって、もはやデュローヌ家の次女ではない。
***
「ほほう! この肉は旨いのう! 金なら払うから、もう少し寄越してくれんかのう!」
「すみませーん! 順番を守ってお並び下さーい!」
子供のような顔ではしゃぐアリオシュ翁、そしてそれを注意するミーナ、という構図に、俺は少しばかり苦笑した。
恵みの国の中程に位置する貿易都市、『オアシス街』。その冒険者ギルドの支部長を務める老人こそ、この目の前にいるアリオシュ翁である。
若い頃は世界を股にかける冒険者であったらしく、冒険者ランクは『九枚羽』と、いわゆる化け物のような存在だったらしい。
それが今となっては、飄々とした愉快なお爺ちゃんになっていた。俺が『人材コンサルタント・ミツジ』の名義で借りた屋台の目の前で「待ちきれんわい! 目の前で肉が待っておるのじゃ、食べなくてはならん!」とか何とか騒いでいる。面白い御仁だ。
さて。
今現在、オアシス街は『蚤の市』という大事な時期に差し掛かっていた。街を挙げての大市場祭である『蚤の市』は、もはや一種の見世物であった。
シンプルに言うならば、『蚤の市』は『何でも売れ』という祭りだ。
いつもなら商業行為は課税対象なのだが、蚤の市の時期ではそれが全面的に大幅減税となる。
それ故に、商人は皆こぞってこの時期に何でもかんでも売り買いしようとするのだ。
その様子は、確かに祭と言って過言ではないだろう。皆が欲望の限り物を買い漁って、魂の限り物を売りさばくのだから、熱気というものが半端じゃない。
当然、オアシス街の外からも、『蚤の市』を一目見ようとたくさんの人が足を運ぶ。
外部の皆だって、物珍しいものを買いたいし、一緒に騒ぎたいのだろう。
それにもう一つ。
先程の商業行為への減税措置だが、何と外部の人間に対しては全面的に非課税になるというのだから、これが盛り上がらないはずがない。
オアシス街商人たちが命を燃やして外部の人間に物を売り捌こうとするのも納得出来る。
何せ、税金の分が丸ごと儲けに変わるのだ。
少し値引きしようがサービスしようが、元なら取ることが出来る。
やってきた客も、安くものを買い求めることが出来てお得というものだ。
オアシス街にたくさんの観光客が訪れるのも、頷ける話であった。
それを見越して、この度俺の店『人材コンサルタント・ミツジ』は、『肉炒め』の屋台販売に踏み切ったのである。
折角のチャンスだ、どうせなら料理を売って一儲けしてやろう、とまあ言葉にしてみると実に単純な動機である。
予行演習としての販売はかなり好調であった。よほど肉が旨かったらしく、毎日のように品切れが続き、リピーターの客も現れる始末。
となれば、今日から始まる『蚤の市』本番の売り上げは、更に大きくなるだろうと思っていた。
しかし屋台の売上は、俺の予想を裏切って、別段昨日と比べて大きく増えたわけではなく、まあ微増という程度に収まった。
考えてみれば、それもそうかもしれない。蚤の市で活気立つ人々は、昼は外部からきた人たちと相場が決まっている。外部から来た人はこんなスラム街とオアシス街のぎりぎりのところまでは中々足を運ばないだろう。
つまり、まだ新規の顧客を開拓するには至っていないのであった。
(俺の予想では夜にこそ人が増加する、と見ているが)
蚤の市の活気は夜にも続く。夜は地元の人たちの活気も盛んになる。昼は仕事で精を出して、夜は折角の蚤の市だしパーッと明るく、という地元民たちが増えるのだ。
その様子を指して、蚤の市は飲みの市、という謳い文句まであるほどだ。
そして、ちょっとお金を使ってパーッと明るくやりたいな、と思う彼らこそが俺のターゲットでもある。
俺の店が提供している、演舞や歌のパフォーマンス、酒、そして肉料理のそれぞれは、ちょっと美味しいものを食べてお酒を飲んで何かのパフォーマンスを見て楽しみたい、というお客のニーズ全てを内包している。
口コミの話題にも上っているそうだ。客が殺到するのも時間の問題だろう、と俺は踏んでいた
「おい! そこでぼーっと立っとるトシキ! お前さんも肉を焼けるのじゃろ!? 早よう肉を焼いてワシに回さんか!」
「お客様、少々お待ち下さい。主様は今、肉やたれなどの在庫数の点検をしておりますので」
因みに、昼のピークタイム、夜のピークタイムがある程度分かったので、営業時間を絞ることにも成功した。
昼の一一時~一四時、夕方一八時~二二時、とまあ、あまり絞れてない気もするが、合計で七時間、連続なら四時間程度、間に休憩も挟むようにして対処している。
夜の方の営業時間が長めに取ってあるのは、きっとピークタイムが長くなりそうだという予感からである。
そして、営業時間を絞った分、俺には時間的な余裕ができた。
その時間は外に練りだして、色んな埋蔵品を買い上げたり、鑑定によりお宝を探し出したり、あるいは奴隷商隊の奴隷たちを見定めたり、色々とすることができるわけだ。
(あぁ、蚤の市はやることが本当に増えるなあ!)
「おい、早よう早よう! 肉肉!」
「あの、お客様……」
(そういえば、だからこそルッツの安全に気をつけないとダメなんだよな……)
等と浮かれる前に、俺はふと、昨日ルッツにあった襲撃のことを思い返した。
屋台での肉炒めの販売時に、屋台で肉炒めを作っていた奴隷ルッツが、何者か刺されるという事件があったのだ。
幸いルッツはそれほど深い傷を負ったわけではなく無事だったのだが、かといって安心できるわけではない。今後しっかり注意を徹底しなくてはならないだろう。
これに対し、副店長ヘティはサクラを使って守ることを考案した。
例えば厄介な客がやってきたとしても、「おい食べたくないなら来るんじゃねえ!」と客に扮したサクラを使って、少々手荒な方法で退場願うのだ。
前世の常識に囚われていた俺からすると、まずもって思い付かないような常識外れた奇策ではあったが、提案してくれたヘティのアイデアに俺は納得した。
なるほど、誰かが揉め事を起こしても、行列にいるサクラや演舞、歌を見ているサクラが集めて「ああ? 店の前で問題を起こして肉が食えなくなったらどうするんだ、てめえ」と数に任せて凄めば相手を抑えることができる、というわけだ。
それに、サクラが七~八人程で群れてクレーム客に注意すれば、それに同調してくれる普通の客もいるはずだ。集団心理って奴だ。
安全対策も兼ねつつ、クレーマーに対する対処としては効率的な手段なのだろう。
これによって奴隷たちの安全が保証されたらいいのだが、とあれこれ思いを馳せていると。
「なあお主! トシキ! 絶対聞こえてるが無視してるじゃろ!」
――ばれていたらしい。
流石にそろそろ応対しないとまずいか、と思いつつ話しかける。
「お待たせしましたアリオシュ翁。ですが、個人的な繋がりがあるとはいえ、お客様は平等公平にもてなしたいというのが我々のポリシーですので、どうか列に並んでお待ち下さい。ご了承下さい」
「そんな!」
なんと残酷な、という顔でアリオシュ翁が飛びかかってきた。
と思ったのだが、小声で何やら全然違うことをこの翁は言い出した。
「……面会、許可が出たそうじゃ」
「……ありがとうございます」
面会の許可、とはつまり、俺があの女盗賊プーランと面会できる許可が下りたということだ。蚤の市の時期、本来ならば禁止されているそれを、衛兵長ハワードが無理を利かせてくれたのだという。
うちのルッツを襲った奴は、義賊『天空の花』の賛同者、もしくはテロリスト『狂信者』の賛同者である可能性が高い。
それを確かめるべく俺は面会に臨む予定なのであった。
(……本当に蚤の市はやることが多い)