閑話 あらすじ 前回までのキャリアプラン 後編
「いらっしゃいませ、トシキ様。本日は良いお日柄ですね」
「おはようございます、ミロワールさん。ええ、本当に良い天気です」
『蚤の市』初日の朝、俺はミロワールの店に足を運んでいた。
本来ならば商人は『蚤の市』で軒並み忙しいはずなのだが、不思議と彼女は忙しそうには見えず、何故かいつも通りのゆっくりとした業務を行っていた。
ミロワール。
奴隷商。刻印師。占い師。その他、調薬師や情報屋などの様々な顔を持つ彼女は、俺の目から見てもかなり奇異な人間であった。
このオアシス街で、かなり風変わりな商人と言ってもいいだろう。
一つ変わっている点を挙げれば、彼女は商売っ気があまりないのだ。
以前、確かこのミロワールの店で、ルッツを購入しようとした時のことだ。俺はルッツを相場よりやや高めの金額で購入しようとしたのだが、その時ミロワールは、相場はもう少し安いですが、と素直にも教えてくれたのだ。
その時は(なるほど、長期的にみれば信用が買えてこちらの方が得なのか)と思ったものだが、今思い返してもオアシス街の商人らしくない。
ある意味では一理ある行動なのだが、落ち着きすぎている。
他にも、その無名さにも随分と疑問が残る。
かつて俺は、音魔法が使える奴隷が必要になったため、イリを購入したのだが、その時俺はアリオシュ翁(ギルド支部長)の紹介でミロワールを知ったのであった。
きっとそういう切っ掛けがなかった場合、俺は彼女の店を見つけられなかっただろう。
それほどまでにミロワールは名前の知られていない存在であった。
いや、もしかしたらミロワールの店は自力で見つけられたかもしれない。店の装飾が丁寧で味があり、何となく興味を掻き立てられる店の佇まいなのだから。
だがそれにしても、『名前の知られた有名なお店』に行くのではなく、ちょっと面白そうだし暇潰しに見てみるか、程度のもので、是非ともこの店に入りたいなと思わせられるほどではない。
何故彼女は、こんなに無名なのか。
オアシス街の中心地近くに位置しながら、そしてアリオシュ翁という知己を得ていながら、これほど有名じゃない店は他に例がないだろう。
謎は深まるばかりであった。俺もまだこの世界に来てから日が浅いが、それでも彼女が得体の知れない人物だということぐらいは分かる。
そんなことを考えながら、俺はミロワールのステータスを鑑定した。
--------------------------------------------------
名前:ミロワール・バーキア
年齢:不明
レベル:57
HP:220 MP:173
筋力:25
俊敏:27
魔力:46
耐久:16
固有加護:導きの巫女
特殊技能:直感Lv.6
特殊技能:鑑定Lv.3
特殊技能:調薬Lv.2
特殊技能:刻印Lv.3
特殊技能:交渉Lv.2
特殊技能:気配察知Lv.2
--------------------------------------------------
鑑定スキルの強みはこれだ。心の中で(ステータスオープン)と一言唱えるだけで、このように相手の情報が詳らかにされてしまうのだ。
例えば相手のステータスにある、『固有加護:導きの巫女』という説明が気になったら。
【固有加護:導きの巫女】
運命神ラケシスの加護。直感に補助が生まれる。
自分の寿命と引き換えに、他人の運命に対して干渉することができる。
このように、その説明の詳細にまで踏み込むことが可能なのである。
とはいえ、この鑑定スキルの能力は俺特有のものらしい。
本来なら、『相手の加護・技能』は見破ることは出来ないらしく、『詳細説明』を調べることも不可能だそうだ。
これらは全て、俺の持つ『財宝神の加護』『鑑定オプション』あってのこと、というわけだ。
目の前のミロワールも同じ鑑定スキルを持っているが、しかし俺が『どんな加護・技能を持っているか』も分からないし、『詳細説明を調べる』ことも出来ないのである。
ミロワールの視点では、目の前の男の名前はトシキ・ミツジ、年齢は15、レベルは8、……などの羅列されるステータス群は見えるが、俺の持つ『鑑定Lv.10』『財宝神の加護』などの技能・加護は見えないので、俺がどんな能力を持っているのかは推測するしかないのである。
相手の加護・技能までも調べることが出来る俺の能力は、はっきりいってチート、というやつなのであろう。
(しかし、いつ見ても良くわからないな。導きの巫女って説明は……)
俺は、俺の視界内に表示されたポップアップ画面を見ながら考えた。
導きの巫女。
俺の店にいる夢見の巫女ミーナと同じ『巫女』の文字である。
鑑定スキルの説明によれば、巫女という存在は、何らかの特殊な能力を持つものを指している。
では、導きとは一体何なのであろうか。
考えても分からない以上、本人に聞くしかないだろう。
「今日はミロワールさんのお店から、人手を借りるために奴隷を買い求めようと思っておりまして……」
本人に聞くしかないのだが、しかしいきなり「導きの巫女って何でしょうか」と聞いたところで教えてくれるはずがない。
むしろ何故それを知っているのだと、かなり警戒されてしまうだろう。
聞き出し方にもやり方というものがある。
だからこそ俺は言葉を慎重に選んだ。
「そう言えばミロワールさんは、占い師でもあるそうですね」
「ええ、占い師も少々嗜んでおります」
「いいですね。今度一つ占って頂きましょうかね。これからの私の人材コンサルティング事業の行く末が気になりますのでね」
あくまで奴隷を見繕う振りをしながら。
「ミロワールさんのことですから、きっと数多くの人を『導いて』こられたのでしょうね」
と、核心に迫る発言をそれとなく混ぜる。
同時に鑑定スキルを発動し、相手が動揺したかどうか、心理グラフを確かめた。
「……ええ、様々な人々を占って参りました」
あくまで向こうは冷静を装って言葉を返していたが、しかし心理グラフは僅かな反応を示している。
これは、もしやともう少し言葉を慎重に選んでみる。
「様々な人々をですか」
「ええ」
「例えば、そうですね、マレビトなどを導いてこられたのでしょうか?」
果たして、手応えはあった。「……マレビトを占ったことは、まだないのですよ」という穏やかな口振りではあったが、どこか俺を試すような含みを言葉に秘めていた。
マレビト。
かつてギルド支部長のアリオシュ翁が、俺に向かって言った言葉である。
『待たせたのう、マレビト殿や。いや、トシキや』
あの時の台詞は確かこうだったはずだ。マレビト、という言葉の意味は何となく察しがついたが、しかし正確な意味を聞くことは未だに出来ていない。
俺の予想だが、マレビトとは転生者のことを指す言葉ではないのだろうか、と思っている。
理由はない。あくまで前後の文脈から、何となくそう思っただけである。
「いやあ、マレビトを占われたことはありませんでしたか」
俺は言葉の上だけ会話を繋いで、もう少し先を探ってみることにした。
「ミロワールさんなら、きっとマレビトと呼ばれる存在に出会ってこられたのではと思ったのですが。実は私、マレビトなる存在に出会したことがなくて、マレビトとは何者なのか知らないのですよ」
「そうでしたか。少々意外でした」
「ミロワールさん。マレビトとは、一体何者なのでしょうか。差し支えなければ教えてくださいませんでしょうか」
ここからは随分ぎりぎりな領域だろう。気軽に尋ねてよい話ではないはずだ。だが、俺が『マレビトという知識について無知な少年商人』という体を装うことで、辛うじてお互い『何もなかったことに出来る』精一杯の部分でもあった。
目の前のミロワールは「そうですね……」と思案するように言葉を選んでいた。
「迷いこんだ人、という表現が正しいでしょうか」
彼女の呟きに、俺は続けざまに「だから導く必要があると?」と言葉を被せた。
返答は沈黙であった。思慮というべきかもしれない。
ならばこのことは聞くべきではなかったのかもしれない、と思い言葉を取り下げる。
「すみません、撤回します。それより別の話をしましょう」
無論、別の話をするつもりはなかったが。
「別の話を、ですか」
「はい。占いですよ、ミロワールさん。私は気になっていることがあるのです」
「占いについて気になっていることでしょうか?」
「いえ。哲学的な話です。ちょっとつまらない話なのかもしれませんが」
「哲学ですか。お伺いしましょう」
「何故私はここにいるのか」
俺の言葉に、ミロワールの雰囲気が少し変わったことが分かった。
「……どうですか、何故自分は今ここにいてこうやって生きているんだろう、と気になったことはありませんか」
「……なるほど」
俺は、比喩的に尋ねたのだ。『何故、三辻俊樹はこの世界にやってきたのだろうか』と。どうして俺は異世界転生を果たしたのだろうか。このことは俺にとって大きな疑問であった。
そして恐らくミロワールは、このことに気付くぐらいには賢い人であるはずだ。
俺、こと三辻俊樹は異世界転生者である。
取引先との挨拶に向かう途中、電車で一眠りしていたら、いつのまにかソーシャルゲーム『Fantasy Tale』の世界に移っていたのだ。
俺はこの世界では、トシキ・ミツジという15歳の少年になっていた。俺を少し若返らせたらこんな顔だったな、という顔付きの、ごく普通の普人族の少年。だが、『財宝神の加護』と『鑑定オプション・鑑定スキル』を持つ、ちょっとした特殊な能力者。
そして、その少年は今や『人材コンサルタント・ミツジ』という奴隷商店の支配人として働く身分になっている。
そう、俺は今や、オアシス街の立派な一商人なのであった。
「……どうして私はここにいるか、ですか」
ミロワールの確かめるような言葉に、俺は「はい」と答えを返した。
「それについて、ちょっと面白い伝承民話を耳にしたことがございます」
「面白い伝承民話、ですか? 一体それは何でしょうか」
「名前です」
「名前?」と一瞬虚を突かれた俺に対して、ミロワールは実に端的な表現で説明をしてくれた。
曰く、「名前には人の命を呼び寄せる効果がある」とのこと。
各魂にはそのそれぞれに対応する名前が存在する。そしてその名前と魂は繋がっているとのこと。
だから、例えば奴隷契約書には名前を記して魂の契約を結ぶのだ、と。たとえ契約を破ろうとしたとしても、名前を通じて魂を縛ってしまえば、人は契約に逆らうことは不可能なのだという。
奴隷契約に無理やり抵抗すると、激痛が走るのもそれが理由だという。魂が痛め付けられるのだ。正確には、激痛の理由は体に掘られた奴隷刻印が痛覚を刺激するからなのだが、契約の繋がりには魂と名前の繋がりを用いている。魂も同様に激痛が走るのだという。
「人の命も、また名前です」と彼女は続けた。
貴方が生まれたのは、誰かに名前を呼ばれて祝福されたからです。
名前には力があります。
名前がなければこの世の存在ではありません。名前が生まれて初めてこの世の存在になります。名前がなくては、他人はどうやって貴方のことを認識し、識別することが出来るのでしょうか。
名前は命を吹き込むことが出来ます。名前があって、ようやく繋がりと絆が生まれるのです。
だから、貴方という命が生まれたその始まりの瞬間には、誰かが貴方に愛を込めて名前を授け、貴方のことを心から祝福していたはずなのです。
「……と、このような伝承になっております」
「誰かに、名前を……?」
「ええ、名前です」
彼女の説明に俺は、言葉を一瞬だけ失った。
誰かに名前を呼ばれた?
それはつまり、俺の本名を誰かが知っていた、ということではないだろうか。
でも、誰が、どうして、俺の本名を知っていたのだろうか。
「そういえば、貴方の名前はトシキ・ミツジでしたね」
「……ええ、そうです」
考え事に気をとられていたためか、会話に一拍ほど間が入った。
この間から何かを勘付かれてしまったかもしれないな、と思いつつミロワールの次の言葉を待つ。
彼女は「良い名です」とにこりと笑って、こう述べた。
「――貴方の人生に、幸の多くあらんことを」
そんなのまるで女神のような言い草じゃないか、という言葉がそのまま脳裏によぎったが、俺は曖昧な微笑みをミロワールに返すに留めた。