第十五話
店に戻って営業を再開すると、それから夕方に差し掛かるまではあっという間だった。
(人の途切れる様子が、ない)
気が付けば自分の料理スキルはLv.2にまで上達しており、あまりの上達の早さに自分で笑ってしまった程だ。
鑑定スキルにより毎回肉をベストなタイミングで焼き終えるからだろうか、それとも絡めるたれの量を程よく調整するからだろうか。どちらにせよ、鑑定スキルが毎回「正しい」料理をガイドしてくれることもあって、上達が早くなっていることだけは確実である。
(もしかしたら異世界人はスキルの上達が早いのかもな)
ふと思った仮説。それはもしかしたら間違っていないのかも知れない。
今まで何故か分からないが、スキルを会得するペースがそこそこ早い。
昔は勝手な推測で、「正しい動作」を体が徐々に覚えていけばそれでレベルが上達するのだ、と思っていた。だからこそ正しい動作を毎回鑑定スキルで確認できる自分は、他の人が感覚で闇雲に体得していくそれをコツコツ伸ばしていける、その早さだと思っていた。
しかし今になって思うと、それにしても早い。料理スキルに関して言うならば、もはや作業に等しい。
確かに料理はベストな味加減にするコツと、ベストな焼き加減にするコツが肝要であるとは言うものの、この肉炒めがそれら全てをカバーしてるかと言われるとかなり疑問だ。
(いや、Lv.2になってからぐんと必要習熟度が高くなるパターンかもこれ。料理のセンスは煮る焼く炒める蒸すなど数ある内、俺は炒めるを極めつつあるだけで、他が育ってないから、全体でみるとLv.2で打ち止めになる、みたいな)
とりあえずどっちに分類されるのかは分からない。後で実証できるならば試してみるべきか。
夕方、ようやく涼しさも出てきたころ、そんなことを一人考え込む。
(そろそろ一〇〇食完売なんだよな……、もうじき夕方のピークタイムになるだろうし、追加で五〇食の肉を持ってこよう)
そのタイミングで後ろから「ご主人様」と声がかけられた。
この声は間違いない。
「ルッツか?」
「はい、お待たせしました」
丁寧に頭を下げるルッツ。
ルッツの顔は、随分穏やかであった。あの時テントで見かけたルッツは死にそうな顔で憔悴してたので、随分と立ち直ったものだ。
(ナイフの傷は……大丈夫そうだが)
様子を見て問題があれば交代しよう、と思う。
ただ、今のところしっかりしているルッツをみると、あの憔悴ぶりからは完全に復活したように見えた。
「なあ、無理はするなよ」
「ええ、承知しました」
答えるルッツだったが、その顔にはどことなく覚悟のようなものが伺われる。
覚悟。
そう、彼にはきっと必要になるものだ。
皮肉なことにルッツには才能があって、神に見込まれてスキルを授かっている。そしてそれに見合う、難行辛苦がこの先を待ち受けている。
(……何で、ルッツは普人族とかじゃないんだろうな。きっと意味がある、のだろうか)
ギフト、という奴なのかもしれない。海外では難聴などやそう言う身体的困難を抱えて生まれることを神からのギフト、と捉える文化がある。そう生まれてきたことは、そうあるべくして生まれたのだ、そう生まれた意味を神から授かったのだ、というアイデアだ。
ルッツが魔族として生まれ、肉体能力や知的活動ではなく料理に才を開いたのも、きっと同じくして意味があるのだ。
(別に俺は有神論者でも無神論者でもないが)
ふ、と俺は頬がゆるむのを感じた。
何一つ問題は解決していない、目の前で魔族であることを扱き下ろされて、襲撃まで受けて、ルッツはこの上なく疲れたはずだ。
それでもルッツが泥を飲んでやりたいことを続ける覚悟を決めたことを、俺は応援したいと思う。
(料理って何ですか、か。俺は多分分からないよ、ルッツ)
でも、料理には美味しくあって欲しいと思う。
ルッツは、俺よりももっと料理とは何かについて考えているだろうか。その時考えた答えを、俺は彼から聞かせてもらうことはあるだろうか。
「ご主人様」
考えている途中、ルッツが声をかけてきた。
きっとルッツも、先ほどの沈黙の時間を、俺と同じように考えていたのだ。
「夢について、聞いて良いですか」
そう言えば、彼は最初どんな声だったか。もう少し狼狽えたように話す少年だったような気がする。自分の価値に自信がなく、周りの迷惑にならないように怯えて暮らす、そんな少年。
それが、今のルッツにはあまり感じられない。いやきっと内心では年相応にデリケートな悩みを抱えているのだろうが、この屋台の経験を受けて、程度と温度を知ったというか、今から立ち向かう何かを知ったというか、そういう強さが伝わってくる。
「夢? ああ、どうしたんだ」
「はい。夢です。……僕の独り言ですけど」
「ああ」
「夢って、辛いですね」
「……そうだな、辛いな」
何を知った口で、という奴だ。だが、きっとそうなのだ。
ルッツは辛さを噛みしめたのだ。それだけで褒めてやりたい、と俺は思っている。
「何だか、僕、最後のほう麻痺しちゃいました」
「麻痺?」
「襲われたのに、何だか、そっか、って感じなんです」
「いやいやいや、襲われたのはもうちょっと怒っていい、これは本当だぞ」
実は俺の方こそちょっと憤っている。今度、真っ先に女盗賊のアイツに話を聞き出そうと思うほどには。
でもルッツはそうでもないようで「そうですけど」と穏やかにつぶやくのみ。
「何だか、僕、料理を否定されたわけじゃないからいいかな、と思ったというか。その、僕にとって料理と、料理を美味しいと言ってくれる人が大丈夫なら、なんか良いかなあなんて思えて」
「いやいやいや、お前凄いな、凄いけど悟りすぎ」
「悟りじゃないですよ」
静かに苦笑するルッツ。
「むしろ、悟っているなら、こんなに苦しくないです。こうして料理作る度に何だか今は辛いです」
「……おいおい」
「あ、いや、自己解決しましたから大丈夫です。その、何というか」
何というか、と言葉を切ってから、次の言葉を探し求めて彼の言葉は泳いだ。とても大事な言葉のようだったから、やがて言葉が見つかるまで俺は待った。
「……夢って、凄いですね。ずっと楽しいものだと思ってました。そして多分楽しいものだと思います。だけど、それに立ち向かうまでの悩みは、本当、楽しさ辛さを平均すると辛いことばっかりで、何か、僕は、どうしてこんなことしてるんだろうなって」
「……ああ」
「だけど、願うのって、何だか、そうせずにはいられない。本当、綺麗な未来が待っているんだというんでしょうか、僕が料理を皆に作って皆がそれを美味しく食べているという景色を、夢見ずにはいられなくて」
「……お前、凄いよ」
今度は俺の方こそ、言葉が迷子になってしまった。
隣にやってくるルッツ。
お互いに今はしばらく無言のままだった。
客も今は来ない時間帯で、演舞や歌の公演も今は休憩中である。
(……知ってるか、俺、実はルッツの隣に立てて光栄だと思っているんだぜ)
多分この言葉はまだルッツには言わない。いつか時が来たら教えようと思う。
「ルッツ、今度お前の飯を食べていいか」
「……ええ」
約束を取り付ける。
理由のない確信だが、俺は、この蚤の市の一週間をルッツに任せて間違いなかったと思っている。
(さあ、これからがきっと夕方のピークタイムだろう。もう一頑張りだ)
拭きぬける風の方向を眺めると、これからの喧噪の予感が待ち受けている気がした。不思議と期待を感じるのは、俺が楽観すぎるからだろうか。
隣のルッツが、俺と同じような期待を感じていてくれたならば嬉しいと、ふと俺は思った。




