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奴隷キャリアプランナーは成功できる職業  作者: Richard Roe
1 独立までのキャリアプラン
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新第三話

「は! こいつは最高だ!」


 そんなある日、突然マルクは立ち上がって顔を綻ばせていた。隠し切れんばかりの上機嫌さがやけに不自然で、この癇癪持ちの大男でもこんな喜び方をするのだな、と思うほどである。

 なるべく関わりたくない。

 そう思いながら少しだけ距離をおいて仕事を続けていると、「おい!」と怒声が飛んできた。

 結局怒るのか、忙しい御仁だ、と思いながら振り返る。


「どうされましたか?」


「あのワーキャット、ミーナが巫女だと確定した」


 何を言っているのか一瞬理解が出来ず、「はあ」と生返事になってしまう――正確には『そう見えるような態度を』振舞った。

 本当のところ、図星を言い当てられてしまったため、俺はかなり動揺していたのだった。


「こいつは高く売れるぞ、何せ巫女だ、金貨一〇〇枚を積んでも足りないだろう……」


 ちらほら聞こえてくる独り言からは不穏な単語が出てきており、どうにもマルクの考えていることが穏やかでないことが窺い知れた。


 巫女。

 奴隷商にとって巫女の奴隷というのは、かなりの希少商品である。

 何せ、需要は引く手数多で、どこもかしこも巫女の持つ特殊能力を欲しがっている。なのに巫女の固有加護をもっている者はかなり少ない。その上、巫女の人身売買は『表向きは』禁止されているため、かなり希少価値が増えているのだ。

 金貨一〇〇枚程度では足りない、というが、それは実際事実である。分かりやすく価値を説明すると、パン一つ銅貨十枚、金貨でパンを千個買えるものだとして、おおよそ金貨は十万円程度の価値があると見てよい。

 安い奴隷が金貨二枚程度で取引されていることを考えると、巫女であるミーナはその五〇倍以上の価値があるという訳である。


「しかも取引先も決まった。今日の夜だ。こいつは大仕事になるだろう」


「そうですか、早いですね」


「相手はかなりの権力者だ。この取引に成功した暁には、俺はオアシス街に店を移転できるという話になっている」


 早口でまくし立てるマルクからは、興奮が隠し切れない様子が伺えた。「ああ、ミーナが巫女だって話を偶然耳にしたからミロワールの奴に見てもらった結果、ビンゴだったって訳だ」とほくそ笑んでいる。

 というか、ミーナが巫女という話を耳にした、という言葉が聞こえた瞬間、俺は思わず身構えた。


「そうじゃねえ分かるか、巫女だ。お前の好きなミーナという獣人族の娘は、実は巫女だったって訳だ」


「そうでしたか……」


「あ? 白々しい演技をするんじゃねえ」


「っ……」


 急に髪を鷲掴みにされ、マルクの目の前まで引っ張られる。身長差がある分持ち上げられる形になるので、なまじ痛い。


「お前、好きな娘が実は高く売れる奴隷だと知ってどういう気分だ? 言ってみろよ」


「……主人であるマルク様の商機につながるお話ですから、喜ばしいことだと」


「は、そんなおべっかじゃなくて、本音を言ってみろって言ってるんだよ。……なあ、ご主人様の俺の言いつけを破ってまで、お前が隠したかったことだものなあ。さぞ悔しい思いをしているだろう?」


「何のことで……」


「しらばっくれるな。ミーナが巫女だってことを知ってた癖にそれを隠してたって事、ばれてるんだぜ。――このドブネズミが!」


「っ」


 顔を叩きながら語るマルクは、実に楽しそうで、そして実に腹立たしげな様子でもあった。


「てめえ、それで隠し通せるとでも思ってたのか? 俺は聞いたぞ、この前のお前達の会話をな。――ミーナが巫女だって話を」


「……」


「そして、お前達が俺への叛意を抱いていることも、しかと耳にさせてもらった」


 にじり寄るマルクの顔が、俺の顔とあと僅かの距離しかない。大人気ない奴だ、と俺は思った。

 ミーナとのやり取り。きっとマルクが聞いたのは、俺とミーナがマルクからいかにして独立するかという相談をしていたあの会話だろう。

 だが、あのときの夜の会話を聞かれていたはずがない。あの時は周囲に人がいないかどうかを念入りに確かめ、誰もいないことを確認したのだから。

 きっとマルクが聞いたのは、あのときの(・・・・・)夜の会話ではなく、別の会話(・・・・)なのだ。


「お前への処罰、実に楽しみだ。主人へ叛意を抱くことは、ことによっては死罪だったな? 分かるか?」


「……」


「奴隷の一人が巫女であるという重要な情報の隠匿。主人への叛意。……お前を懲罰する理由には余りある」


「……」


 だがここで突然マルクは、にたりと笑い「だが俺も鬼ではない」と俺を解放した。身が自由になった俺はすぐに距離を取って警戒を募らせた。


「俺はお前にチャンスをやろうと思っているんだ」


「チャンス?」


「そうだ。お前がもし今回の件について俺に誠意を見せてくれるっていうのならば許してやらんこともない」


「誠意、ですか」


「要は金だ」


 瞬間、俺はこいつに殺意が沸いた。

 無賃労働を強いられているにも関わらず、俺がどこかに金貨三枚ほどの資金を蓄えていることを、マルクは知っているらしい。

 恐らくどこに隠しているのか場所までは知らないのだろう。

 だから、こうやって俺から手に入れようとしているのだ。


 この金貨三枚を稼ぐためにどれほどの努力があっただろうか、と俺は苦労を思い返した。たくさん歩き回ったし、たくさん汗を掻いた。そうやって手に入れたやっとの金貨三枚なのだ。

 それをいとも簡単に奪おうとするマルクは、何が鬼ではない、なのだろうか。


「いいか、少なくともミーナには金貨にして一〇〇枚程度の価値がある。つまり、引き換えに金貨一〇〇枚ほどの価値のあるものを用意できたら、そのときは考えてやらなくもない」


「金貨一〇〇枚……」


「気落ちするなよ、一日ある。ミーナの引き取り手は夜にやってくるから、それまでに用意すればいいだけの話だ。分かるな?」


 愉快そうに笑ったあと、「邪魔だ」と俺を押しのけて自分のテントへと帰っていくマルクを、俺はただただ見送ることしか出来なかった。

 今日一日、正確には半日程度で何とかしろ、という無茶な言葉だけがやけに耳に残っていた。


「……主様」


 背中から声が聞こえてきて、俺はその声の主が先のやり取りの全てを耳をそばだてて聞いていたのだろう事を理解した。少しだけばつが悪いな、と思った。


「聞いていたのか、ミーナ」


「はい、全て。……私、売られるんですね」


 ミーナの表情はちょうど影になっていて、一体何を考えているのか読み取ることができなかった。






 とりあえず、俺は残された一日を駆けずり回って消費するしかなかった。

 一日で金貨一〇〇枚を稼ぐ方法などあるはずがない。だが一〇〇枚に少しでも近づけようと努力することはできるはずだった。


 そもそも、安く買って高く売る競取り(せどり)行為は元手の資金が多ければ多いほど高級品を扱うことができるため利益も多くなるわけで、昔と比べると金貨三枚も動かせる今の方が稼ぎは大きくなっている。

 それに、いつもは利益重視ではなく安全重視で競取りを行っていたため、本気を出せばもっと利益率を出すことは可能である。


 例えば利益率が大きい商品は酒だ。

 アルコールの質のよしあしは目だけではわかりにくいし、それに面白いことに口にしても中々分からない奴が多い。つまり「良い酒」というのが分かるだけの肥えた舌を人はなかなか持っていないものなのだ。


 鑑定スキルは、そのほとんど誰も正しい価値を付けることのできない世界に最適な解を与える。

 質の悪い酒を掴まされることはまずありえない。問題はその手に入れた酒をどうやって売るかだが、それは人頭奴隷を何人か脇に控えておいて「ご主人様の言いつけで、この酒を鑑定してもらうようにお達しを頂きました」とでも一芝居打って、金持ちの貴族の小間使いの振りをすればいい。

 こうして売り買いすれば、順当に利益を生み出すことが出来る、というわけだ。


 結果、今の俺の手元には金貨が三枚半ある。

 正しくは、金貨二枚分の奴隷を一人購入したので、金貨一枚半と奴隷一人である。

 金貨一〇〇枚まであと優に金貨九六枚半足りない。全然足りなかった。


「あの、ご主人様」


「ご主人様じゃないよ、イリ。君のご主人様は最初の一日だけマルクっていう大男なんだ」


「そう、ですか」


 だが、『怪しまれないように』最大の努力を尽くしている振りをしないといけない。俺にとってはそれが、このイーリス・ハルピュイアの購入であった。

 ハーピィの少女にして、見た目も端麗で可愛らしさがある。それこそ物好きの貴族が、ミーナと同じぐらいの可愛らしさだと思うぐらいには。


「すぐにご主人様が変わっちゃうけどね」


 そう付け足すと、イリはよく分からないような顔をして俺を見ていた。






「失礼します」と声をかけ、高級奴隷用テントに足を踏み入れる。


「お帰りなさい。……あら、その後ろに引き連れている子は誰かしら?」


 帰って早々、俺の後ろにいつの間にか見慣れないハーピィの娘がいるのを見つけたヘタイラは目を丸くしていた。

 そうかラミアーはこのように歩くのだな、と下半身で蛇行してみせた彼女に俺のほうが目を丸くして驚いてしまいそうだったが。


「ああ。この子ですか。イーリス・ハルピュイア、イリです。ヘタイラさんと一緒で魔族の子です。可愛らしいのに金貨二枚程度で売られていて、だから購入しました。……ほら、イリ」


「イリです」


「まあ、そうなの」


 言いながらヘタイラは「イリちゃん、よろしくね」「はい」とイリと簡潔に挨拶を済ませていた。


「でも金貨二枚なんて、随分安いわね」


「――そりゃそうでしょ。その手じゃそうなるわ。働けないもの」


 妙な話ねと不思議がっているヘタイラの背中から、新しい声が遮ってきた。

 ユーフェミア・スコヴフォルク。愛称はユフィ。

 利発そうでいて、どことなく尖っているその声の主は、気の強そうな銀髪のエルフであった。

 彼女はヘタイラと同じく高級奴隷であり、そして十五歳の自分よりやや年の幼い程度の少女だ。


 ユーフェミアの発言によって、この場にいる四人(正確にはあと一人、ネリーネという高級奴隷がいる)に微妙な空気が生まれた。

 その手じゃ働けない、という彼女の発言通り、ハーピィ族のイリの手は翼である。つまり器用な手作業も出来ないし、物の持ち運びもかなり難しい。よってイリに出来る仕事というのが殆どないため、奴隷としては安くなりがちなのであった。

 そんなユフィに対して、ヘタイラは窘めるように優しく言葉を続けた。


「ユフィ。貴方も高級奴隷の一人なのよ。発言には気をつけなさい」


「でもヘタイラ。あまりこの子気にしてなさそうよ」


 実際イリは気にしてなさそうで、「ん」としか反応してなかったが、ヘタイラに言わせるとそういう問題ではなさそうであった。


「気にしてなさそうな態度を取ってくれるからといって気にしていないとは限らないの。言葉の怖さってそういう所なのよ。気をつけたほうがいいわ」


「ネルはどう思う?」


 突如ユフィによって水を向けられたもう一人の奴隷――テントの端で所在無さげにしていたネリーネというセイレーンの少女は、「え、あの」と戸惑っていた。

 ネリーネ・スィレネ。愛称はネル。

 あまり会話したことがないので分からないが、確かネルはあまり会話が得意じゃない子だったはずだ。

 いつもおどおどしていて、そして会話もよく話が飛んで脈絡がないことを口走ったりする。

 だからだろうか、彼女もまた高級奴隷の一人なのだが、一人でいる姿を見かけることはあまりなく、いつもユフィのそばにいて会話から一歩身を引いている印象だ。


「えっと、私は、可愛いなって思います」


「いやネル、そうじゃなくて……まあいいわ」


 ユフィはやや呆れており、どうも話を続ける気勢が削げたようであった。エルフ宜しい銀髪を手慰みに弄って遊んでいる。

 代わりに矛先を変えて、「そうじゃなくて、私はそこの小間使いに話があるの」と俺に話を振ってきた。


「アンタ、のんきに奴隷なんか買って金貨一〇〇枚はどうやって稼ぐつもりなのよ」


 もっともな疑問である。というか俺がマルクに金貨一〇〇枚を稼いでこいと言われたのを何故知っているのだろうか、もしかして柄になく心配しているのだろうか。

 そう思ったが一応答えておく。


「金貨一〇〇枚は無理だった」


「え……」


「だけど、その代わりに誠意を見せようと思ってさ」


「誠意って……」


 一瞬だけユフィの表情に戸惑いと嫌悪を足して二で割ったような表情が現れた。「つまりその子を身代わりにするってこと?」と呟きが漏れる。

 俺は敢えて答えずに「さあ。金貨一〇〇枚に相当する誠意を見せるしかない」とはぐらかした。

 当のイリはやはり「ん」としか反応してなかったが。


「でもそれしか考えられないじゃない。このタイミングで奴隷を買うだなんて。しかも可愛らしくて、それこそ獣人好きの貴族とかにとって見れば十分ミーナの身代わりになりそうな……」


「どうだろうね。とりあえずマルクにミーナを売らないでほしいって頑張って掛け合ってみる他ない」


「……」


 沈黙を返すユフィの顔には、ありありと嫌悪感が浮かんでいた。それは俺の、ミーナを守るためなら他の奴隷を身代わりにして差し出しても構わない、というドライな判断に対して抱いている嫌悪感なのだろう。

 あるいは、イリを身代わりに差し出しといて、それを堂々と誠意(・・)と言い切ってしまうところに対しての嫌悪なのかもしれない。

 本当は(・・・)、別に俺はそんなことをするつもりはないのだが。

 それにしてもイリが徹底して無反応なのが若干気になったが。この子もしかして無表情を通り越してもはや何も考えてないのでは、などとどうでもいいことをふと思う。

 いずれにせよ時間がない。「じゃあ、そろそろ行くよ」と告げて、俺はその場――高級奴隷用テントを後にしようとした。


「あ、ちょ、待ちなさいよ」


 強引に話を切り上げ、「じゃあヘタイラさん、話して来ます。行こう、イリ」とその場を立ち去る。

 背中からユフィの「アイツ、何のために高級奴隷用テントにまでやってきたっていうのよ……」という言葉が耳に入ってきた気がするが無視。

 何のために高級奴隷用テントにまでやってきたのかというとミーナに会うためだ。

 明日売られる前準備ということで、てっきり高級奴隷用テントにいると思っていたのだが。






 高級奴隷を売る前には、少し準備が要される。

 例えば身だしなみを整えること。もしも体が不潔なままではいくら元の素材が良くても、その美しさが台無しであるというものだ。特に獣人族のミーナなんかは体の毛を念入りに洗って、長さもある程度トリミングで整えておく必要がある。

 その作業は非常に手間が掛かるので、多分俺に回ってくるだろうと予想していた。何せ体中に毛があるものだから結構時間がかかるし、毛の質も人間のそれとは違って硬めで、切るのも一苦労なのだ。


 大体こういう作業は俺のような小間使いがやるような仕事である。だから今回もそうなのだろうと思っていたが。

 店主用テントに「ただいま帰りました」と報告する。

 出てくるなり早々「遅かったじゃあねえか」というマルクのにやついた声で、何となくだが事情を察してしまった。


「……遅くなってしまい申し訳ございませんでした」


「構わねえよ。俺はその間、獣人族の巫女とお楽しみだったからよ。なあ?」


 マルクの後ろから、続けて裸のまま俯いているミーナが出てくるのを目の当たりにしてしまい、何となく不快感が募る。

 まるで事後のような雰囲気をかもしているが、どうせ言葉の綾だろう。巫女の奴隷だったら処女のほうが価値が高いので、手は掛けていないはずだ――。

 そう思っていたが。


「どうせお前には金貨一〇〇枚は無理だろうから、価値を下げておいてやったぜ」


「……それはそれは」


「は、何も言葉がねえのか。度胸のない奴だ。てっきり怒り出すものと思ったが」


 なおも煽ってくるが無視する。無駄に殴られるのが嫌なだけだ、と俺は胸中で言い返しておく。

 それに実際の所、俺をからかうだけの冗談なのだろう。今獣人族の巫女(ミーナ)を傷物にするメリットは全くないのだから。

 逆に、多分これで激昂してマルクに飛び掛かったりしたら、それを理由に揚げ足を取られてしまうだろう、俺を攻撃するとは何事だ貴様、罰としてお前の用意してきた『誠意』を没収する、というように。

 ここはクールに振舞うべきなのだ。


「マルク様。申し訳ございません。このトシキ、努力して参りましたが金貨一〇〇枚に及ばず、このように心ばかりのものしか用意できませんでした。……ご覧ください、こちらです」


「ふん。お前の背中にいるハーピィがそれか。確かに上玉だが、金貨一〇〇枚には足りねえ」


 後ろのイリを手で示すが、即座に一刀両断される。「探すところで探せば金貨数枚で買えそうな奴だ。大方、金貨数枚しかなかったからそれを探すので精一杯だったってところだろうな」と、マルクの鑑識眼の確かさに俺は舌打ちしたい気分だった。


「素材もいい、健康状態も良い、そんな奴隷の価値を手っ取り早く上げるには、身だしなみを整えて香水などをふりかけちょっと上質な服を着せること。ものによっちゃ金貨十枚程度は値上がりする。……奴隷商の基本だが、それを実践したと見える」


「はい」


「それに、ハーピィが抱えているのは酒か。ワインか? ――なるほど、どこぞの農奴か辺りが『曽祖父の形見ですがお金が足りないので』と手放したりするような値崩れ品のようなものを見つけてきたわけだな」


「私の誠意の一つです」


「はん。合計して金貨で二〇と数枚程度、だな」


 市場価格は金貨二五枚程度、という俺の見解よりやや辛めの評価だったが、結構な精度で俺は驚いた。

 マルクがこれで間抜けであれば、金貨一〇〇枚近くの価値があると丸め込むことも可能だったかも知れないが。やはりこいつは油断がならない――。


「溜め込んでやがったな。没収(・・)だ」


「……え、その」


 そんなことを考えていたからかも知れないが、マルクの発言が一瞬理解できず、思わず聞き返してしまった。


「没収だって言ってるんだよ、間抜け」


「ですが」


「ですがも何もあるかよ!」


 一撃。巨体から繰り出される拳に、俺の足は一瞬だけ宙に浮き、体はくの字に折れ曲がった。呼吸が一瞬止まる。

 後一歩反応が遅かったら骨が折れていたかも知れない。うめき声が口から漏れそうになるが辛うじて堪える。


「俺は元々、叛意を抱いた罪でお前を殺そうと思っていたのさ、この間抜けがっ!」


「っ……」


「当然だろう? 奴隷が主人に叛意を抱いたら、死を以って処罰されても仕方がないというのはな。……もっとも、奴隷紋が正常に作動していたら、主人に対する叛意を抱いた時点で死ぬより辛い激痛に襲われるはずだが、なっ!」


「っ」


 喋りながらもその暴行の手を止めないマルクに、俺は必死で耐えた。


「だが、ただ殺すのは面白くない。ただ殺すだけなら、お前が隠している金を回収できないし、それに折角ならばただ死ぬだけでなく俺のために役立って死んでもらう必要がある」


「な、にを」


どこぞの阿呆(・・・・・・)が俺に脱税疑惑をかけたらしく、俺は今商人ギルドに脱税の嫌疑を掛けられている」


『どこぞの阿呆』を殊更強調し、俺を叩くマルク。

 そう、俺だ。俺が商人ギルドにマルクの脱税疑惑を密告した。そして現在商人ギルドはマルクの脱税容疑を確かめるために動き出しているところだ。


「だから、その使途不明金を誰かが使ったことにすれば、問題ないわけだ。……分かるな? 主人に叛意を抱いたばかりでなく、横領まで(・・・・)手を染めた小間使いボウヤ?」


「!?」


「今回の金貨二〇枚分の買い物は、横領の動かぬ証拠だ。……お前は皮肉にも、自分で自分の罪の証拠を作ったってことだ。ざまあねえ」


 マルクはつまり、俺に罪を被せて逃れようとしている、というわけだ。マルクが脱税をしようとしたわけではなく、会計簿に書かれている資金の不明な流れは、全てこの小間使いが行った横領などのせいですよ、ということにしたいらしい。

 皮肉なことに、今回の金貨二〇枚近くまで価値を高めた俺の誠意は、横領の動かぬ証拠ということにされそうであった。ほらこの通り、一介の小間使いがこんなものを購入できる訳がありませんよ、という具合にだ。腹立たしい話だ。


 ちなみに、オアシス街の商人の義務の一つに『商人ギルドを通じて領主に納税すること』があり、それを怠った商人は最悪死罪が待っている。しかしこのように小間使いの横領などで意図せずそうなった場合はその限りではなく、小間使いの責任になる。

 つまり、俺は最悪法によって裁かれて死ぬ。

 いや、確実に殺されるだろう。何故なら今回の金貨二〇枚分だけじゃなく、きっと今までやってきた脱税全てを俺に被せるつもりだろうから、恐らく累計で金貨数百程度になるだろう。それほどまでに大きな金額であれば、俺の首が飛ぶのは想像に難くない。


「そろそろ客がくるな。……時間切れだ、トシキ」


「ま、待って下さい!」


「はん、罪をどうすれば軽く出来るか考えておくことだな。……おいそこの緑のハーピィ! そいつを縛って動けないようにしておけ!」


 立ち上がれない俺にそう吐き捨てつつ「おい、行くぞミーナ」と商取引用テントに連れられるミーナを、俺は見送るしかなかった。せめて服を着せてやれよ、ふざけるな、そんな下卑た顔で彼女に触るんじゃない、と俺は思いながら、それでも何も出来なかった。

 ミーナが一瞬だけ振り返り、後ろ髪を引かれたかのような顔になったのが俺にも分かった。

 大丈夫ですから。

 不安そうな表情を浮かべているくせに、目は雄弁にそう主張していた。


「……あの」


 そんな俺を気遣うように、一緒に取り残されたイリが覗き込んできた。今どういう事態なのか、そして自分が何をすればいいのか、などの話の展開についていけず落ち着きがない様子で、自分のせいでこの人が殴られたのではないのだろうかと俺を恐る恐る眺めている。

「ああ、大丈夫、大丈夫」と言いながら立ち上がる。しかし途中で倒れそうになり、イリに支えられる。


「……まだ、休むべき」


「いや、大丈夫さ。支えてくれてありがとう。それよりイリ」


「?」


「そっちは大丈夫なのか? しっかり手筈通り(・・・・)いけたか?」


「……ん。大丈夫」


「そうか」


 この購入して短い時間だが、そろそろイリの若干ぶっきらぼうな口調に区別がつくようになってきた。これは任せて、という意味の肯定だ。

 後はミーナの言葉を信じるのみである。






「いらっしゃいませ、アリオシュ翁。どうぞ、こちら商取引用テントにてお話しましょう」


「うむ、よろしく頼もう、マルクとやらや」


 こんなに愛想よく振舞えたのかと思うような笑顔を振りまくマルクの目の前には、一人の年老いた男性が立っていた。

 アリオシュ翁。鑑定スキルの情報によると、このオアシス街の冒険者ギルド支部長を七〇年(・・・)近く務めるという脅威の老人であった。

 小柄な体は、なるほど良く見れば昔は長身痩躯であったものが徐々に衰えていったものなのだろうと名残を窺う事が出来る。鋭い目つきを宿すその表情には油断がどこにもなく、老いてなおアリオシュ翁は健在であることが誰にでも分かった。

 そのアリオシュ翁は現在、護衛の者を二人ほど従えてこの奴隷商店にやって来ていた。

 恐らくこの老人が、今回の取引相手なのだろう。


「ふむ。彼女が件のミーナ・セリアンスロープかの」


 アリオシュ翁は髭をさすりながら確認した。


「ええ、さる筋から聞いた話によると、獣人族の巫女ではないかと」


 商品の説明のためにアリオシュ翁の目の前にミーナを呼んで、得意そうに「彼女は踊りが上手なのです」などと語るマルク。

 それを興味深げに話を聞くアリオシュ翁。

 俺は、それを影に隠れながら見守っていた。今はまだ時ではない。

 目の前で行われているやり取りを、ただ指をくわえて見守るのみというわけだ。


「ふむ、なるほどのう。……しかし、本物の巫女じゃという確証がないのう。それこそ可愛い娘の獣人族を見繕って、こやつは巫女であると騙っておる可能性もある」


「そちらについては信じていただくほかございません。何せ、オアシス法には巫女を故意に(・・・)人身売買してはいけないという法律がございますので、私どもには提出できる確証がございません」


「ふむ」


「ですから、出来ればアリオシュ翁には、私の店で買った奴隷が偶然(・・)巫女だった、ということにして頂けましたら」


「しかし確証がないからには、おいそれと金を払うことが出来んのう」


 頭を振って渋るアリオシュ翁は、お前にはこの奴隷が本物の巫女だと証明できるのかと言わんばかりに試すような目でマルクを見ていた。しかしマルクもそれを受けて冷静に対処していた。

 いつの間にか「それでしたら少々お待ちください。――おい、ヘタイラ。トシキと適当な奴隷を一人連れて来い。あとそいつらの奴隷契約書もだ」と、そばにいたヘタイラに命令を下していた。


「この巫女ミーナは、どうやら奴隷紋の制約を限定的に無効にすることができる能力を持っているようです。といっても彼女本人は自身の奴隷紋を無効にすることはできないようですがね」


「ほう? 奴隷紋の無効とな?」


 ええその通りです、とマルクは言葉を続けた。

 もちろん嘘だ。ミーナにそんな能力はない。そんな能力はないが、ミーナが巫女であることは事実だ。


「普通奴隷紋が刻まれている奴隷は、契約書の魔力が有効である限り――つまり物的損傷がない限り半永久的に、ずっと奴隷です。主人の命令には従わなくてはならない。主人が禁じていることは実行できない。もしそれを破った場合は、気が狂うほどの激痛に苛まれる。――しかし彼女は、その奴隷紋の与える激痛を和らげる能力を持っているようです」


「ふむ、続けよ」


「今から、二人の奴隷を目の前に連れてきます。両方とも契約書は活きており、奴隷紋もそのままそっくり体に彫ってあります。しかし片方は巫女の加護がかかっており、もう片方には加護がかかっておりません。――試しに、アリオシュ翁に二人の奴隷と主従契約を結んでもらい、実際に片方にだけ処罰魔法が通らないことを実感していただこうと思っております」


 にたりと笑って提案するマルクだが、内容はとんでもない。つまり俺はともかく、もう一人適当に選ばれた奴隷は無意味に苦しまなくてはならないではないか。

 それも奴隷紋の痛みは、想像を絶するような激痛だと俺は聞いている。

 恐らくそんなに長い間処罰魔法を下すわけではないのだろうが、それにしても『皮膚から血が吹き出るような痛み』等に例えられる痛みを受ける側からすればたまった物ではない。


「ふむ、そうしようかのう」


 しかし、アリオシュ翁が事もなげに同意することで、話は概ね纏まった。

 これで、可哀想なことに奴隷の中から一人、痛みに苦しむ生贄が選ばれてしまうのだろう。

 実にあっけなく決まったので、俺は意外に思って、一瞬だけ呆けてしまっていた。


 そして図ってか図らずか、丁度そのタイミングでヘタイラから「出てきなさい」と隠れている俺に声が掛かった。どうやら隠れていることがばれてしまったらしい。

 しぶしぶ姿を表すと、マルクから、こそこそ隠れて盗み聞きかと言わんばかりの侮蔑の視線が投げかけられた。

 まあ、今の俺の姿は客観的に見て見てくれのいいものではない。縄で縛られているのだから。それも物影に潜んで盗み聞きしているだなんて行儀の悪いことこの上ない。

 見ると、アリオシュ翁もまた俺のことを見て苦笑していた。


「どうぞ、マルク様。奴隷のカイエンとトシキを連れてきたわ。二人の契約書もしっかりここに」


「ああ、よくやったヘタイラ。これで実証することが出来る。――カイエン、トシキ、上半身裸になってここに並んで座れ」


 呼び出された二人――俺ともう一人、俺の比較対象にさせられた生贄の奴隷カイエンは、上半身裸になって、丁度アリオシュ翁とマルクの間に正座して座ることになった。

 今から二人に処罰魔法が下されることになっているのだろう。

 特に隣にいるリザードマンの奴隷、カイエンは覚悟を決めなくてはならない。彼は確定で奴隷紋による苦痛を受けなくてはならないのだから。

 アリオシュ翁とマルクは、目の前で契約書に何度かサインを取り交わしていた。おそらくこれが支配権の譲渡だ。


「これで現在、この二人の奴隷の主人は私からアリオシュ翁になっております。どうぞ、契約書と、この奴隷達の体に彫られた奴隷紋が本物であることをお確かめください」


「ふむ。契約書のほうは本物のようじゃな。それに奴隷紋も、一見すると本物のように見えるがのう」


「はい、どうでしょうか」


「残る懸念じゃが、名前が一致しておるかどうかは……そうか、一致しておるか。つまりこの契約書はその二人の正当な契約書ということじゃな」


 名前が一致しているかアリオシュ翁が訝った瞬間、そばにいた一人の護衛が耳打ちをした。おそらく鑑定スキル持ちで、本当に名前が一致しているか確認していたのだろう(というか実際俺のほうから護衛二人に鑑定スキルを使ったら、片方は鑑定スキル持ちであった)。

 護衛からの報告を聞いて鷹揚に頷いたアリオシュ翁は、「これで確認が取れたわい」と顔を綻ばせた。


「では、処罰魔法を下してください。片方しか反応しないはずです」


「……のう、マルクや」


「何でしょうか?」


「今ならまだ間に合うとしたら、お主はどうするのじゃ?」


「間に合う? 果たして、どういう意味なのでしょうか。――ああ、お気になさらず。この二人は元より態度が良くなく処罰が必要だった奴隷共ですので、情けは不要です」


「……まあ、ええ。ならばそこの二人。カイエンとトシキじゃったか。一瞬だけじゃが苦しんでもらおうぞ。『苦しめ』」


 瞬間、隣にいたリザードマン(カイエン)が奴隷紋を光らせ、地面にのた打ち回った。「っは」と肺の息を絞りきるような声を出したかと思うと、思いっきり仰け反り胸を掻き毟っている。

 すぐに奴隷紋の発動は止まっていたが、カイエンは苦しむのをやめなかった。

 胸を引っかきすぎてかうろこが剥がれ血が出てから、ようやくカイエンは暴れるのをやめた。「かっ、かっ」と咽るような、咽の奥で呼吸するような、そんな音を立てて呼吸しなくてはならないほどに苦しかったらしい。


 一方俺は、何もなかった。

 当然だろう、俺はそもそもマルクの奴隷ではないのだから。


「なるほどのう、トシキの奴隷紋が光らんかった。しかしこやつの奴隷紋と契約書はまごう事なき本物、そして名前も契約書の表記と一致しておるのに、しかし苦しんでおらぬ」


 なるほど、なるほど、と得心がいったように一人頷いているアリオシュ翁は、そのまま静かに考え込んでいた。一方のマルクは気が逸っているようで、アリオシュ翁の返事を今か今かと促していた。


「いかがでしょう?」


「確かに、契約書も奴隷紋もこれほどの精度で複製することなど不可能。それに、ワシの御付の者も『この者の名前はミツジ・トシキ、契約書と一致します』と報告しておる。――奴隷紋の効果を無効化する何かがなくては出来ぬ芸当じゃな」


「は。その通りです。恐らくは巫女の能力かと」


「ふむ。なるほどのう」


 そこまで言ってからアリオシュ翁は「ようやく繋がったわい」と、誰に聞かせるでもないただの独り言を口にして、一人どうしたものかという表情で苦笑していた。


「これでお主の話が分かったわい、マルクや。お主が巫女を売る代わりにワシに出した条件は、オアシス街への出店許可証と、脱税疑惑についての口添えじゃったの? 二つ目についてはどういう絵を描いておるのか分からなんだが……」


「はい。この獣人族の巫女ミーナをお買い求めになるのでしたら、出来ればそのように便宜を図っていただきたく思います」


「ふむ。巫女を売り、脱税の罪を小間使いに着せ、お主本人はワシに賄賂を贈ってオアシス街に出店する許可証を得る。……(さか)しらな商人じゃわい」


「ご冗談を。私が売ろうとしている奴隷がたまたま(・・・・)獣人族の巫女であって、そして、私に掛かっている脱税疑惑はこの小間使いトシキ(・・・・・・・)が勝手に店のお金を使い込んでいたせいなのです。そして、私が貴方にしているのは贈賄ではなく商売(・・)ですとも。私の商売の実績がどなたか(・・・・)の口添えで偶然(・・)評価されて、私がオアシス街に出店することになったとしても、ね」


 厚かましいことを平然と言いのけて歌うように結ぶご機嫌なマルクは、正直俺にとってかなり不快であった。

 このままでは、ミーナがアリオシュ翁に売り飛ばされてしまうだろう。そしてその対価として、マルクはオアシス街に出店する権利を獲得し、俺はこの奴隷商店の資金を横領して使いこんだ罪を被せられて死罪となる。

 口添えをしてくれるのは権力者アリオシュ翁。例え俺が身の潔白を周りに訴えたとしても、誰もが俺じゃなくアリオシュ翁を信じるだろう。

 つまりマルクの独り勝ちとなる。


「何卒よろしくお願いします」


 喜色満面の笑みを浮かべて、マルクは恭しく頭を下げていた。




「――捕らえよッ!」




 突如、アリオシュ翁は吼えた。同時に護衛二人がマルクを押さえつけ、地面へと転がした。


「んなっ!?」


 あまりに突然のことで、マルクは抵抗する間もなく、地面に転がされて、瞬く間に腕を拘束されていた。

 何が何だか分からない、という表情をしている。

 だが俺は逆に、何から何まで『分かっていた』。


「待たせたのう、マレビト殿や。いや、トシキや」


 俺の体に結び付けられている縄を解きながらアリオシュ翁は、茶目っ気のある笑みでこちらを見ていた。

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[気になる点] わざと読者にハラハラさせるように書くのはわかるけど、くどすぎてウザく感じるなもうちょっとさっぱり書けないものか
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