第十二話
翌日の朝、オアシス街に雑用を済ませに方々へと歩き回っていたら、偶然だが衛兵長ハワードと遭遇した。
気難しい顔をしていた彼だが、俺と顔を合わせるなり顔を綻ばせた。
「ああ、君はミツジか」
「トシキと呼んで下さい、ハワードさん」
「そうか、トシキ。こんな所で奇遇だな」
こんな所、というのは冒険者ギルドである。
俺が冒険者ギルドにきたのは、カイエンとアリオシュ翁にあわよくば肉を買って貰おうという売り込みのアポを取るためであって(サンプルを昼休みにもう一回持参する予定である)、大した用事ではない。
しかし衛兵長たるハワードは違うだろう。
(何かあったか)
「今日はどうなさいましたか?」
とりあえず何気ない風を装って聞いてみる。
「いや何、治安維持のために人手がほしいと思ってね。ギルドと相談してたところさ」
嘘ではない。心理グラフの動きをみる限りは事件ではなさそうである。
「ああ、来たる蚤の市ですか」
「そうだ、蚤の市は他の場所から人がたくさん来てくれるイベントであるだけに、治安をより一層守らないといけない。もしもテロでも起こされては、うちのオアシス街に立ち寄ってくれなくなるかもしれないからね」
「気を使いますね」
「ああ、もっともだ」
ちらりとこちらを見やったハワードは、ふと思い出したように「そういえば」と話を切り出した。
「君が捕まえたあの女盗賊プーランだったか。彼女の仲間が君を狙っている可能性がある」
「……本当ですか?」
「ああ。おそらく逆恨みだろうな」
逆恨みって、それは本当にだろうか?
「それってつまり、俺がプーランを捕まえてしまったからでしょうか。それとも『天空の花』マハディの脱獄計画を阻止してしまったからでしょうか」
「両方だろう」
ハワードの声は低くなった。警告の意を込めてというよりは、周りの様子をうかがっての行動のようだ。
「何であれ、世間的には『天空の花』は義賊として讃えられている。あいつが天罰を下すのは貴族ばかりだが、後ろぐらい過去を持つ貴族ばかりがその標的になっていたからだろう」
「でも、今は捕まっている、ですよね」
「そうだ。『天空の花』マハディがもう世に出ることは無いはずだ。奴は終身刑を言い渡されたところだからな。しかしだ」
「しかし?」
「その義賊プアラニ親子に仇なした君たちを悪と見ている人間もいるかもしれない、と言うことだ」
「……肝に銘じます」
「いやまあ、君には優れた奴隷たちがいるからな。下手なボディガードに守って貰うよりは安全かもしれないな」
下らない冗談を飛ばしてはははと快活そうに笑うハワード。俺も愛想笑いを返しておく。
「そういえばハワードさん! 今度、蚤の市の日、凄く美味しい肉料理を作るんで、衛兵たち全員で来て下さいよ」
「衛兵たち全員? 流石にそれは厳しいなあ」
「お酒も飲めますし、踊りや槍演舞のパフォーマンス付きですよ。仕事帰りとかにどうぞどうぞ。ハワードさんたちならお安くしときますんで」
「うーむ、そこまで言われてはな。蚤の市の日だな? カイエンの働きもあったし、君たちには一応借りがある、行こうとも」
「ありがとうございます!」
帰りがけに商談が一つ成立して、俺としては嬉しい話ではある。
◇◇
店に帰ってくるともう中天間際で、今から昼の時間に差し掛かるちょうどその手前という所だった。
肉を焼く準備はすでに整っており、後はルッツと俺が鉄板の前に立って料理を始めるのみだ。
「……いよいよ、演武ですか」
ミーナの顔はいつになく冴えない。緊張の影が少し、しかしそれ以上に彼女の心を占めているのは不安と悲しさであった。
「ああ」
「……少しだけいいですか、主様」
ぽつりと、あるいは確かめるのが怖いけども聞いておきたいことがある、という様子でミーナは尋ねた。
「別に構わないけど」
「……主様、本当に私達を売らないですよね?」
「ああ、あの時のジョークか。俺達には他にも売るものがあるって奴。後で説明したじゃないか、君たちにはここのテントで槍の演舞をしたり歌を披露して貰うってさ」
「……」
彼女のその沈黙には何が込められているのか分からなかったが、俺は真面目に言葉を選んだ。
「……ヘティから聞いたよ。ミーナは冒険者として活動するつもりはなくはないけど、積極的には動かないって話。それって、あまりこの店から離れたくないってことだよな」
「……ヘティ」
ヘティばっかり、という嫉妬だろうか、心理グラフの嫉妬に揺れが現れる。
ただ、自分の話したいことはそれではないので、そのまま話を続ける。
「別に否定はしないけど、一つだけ教えておきたくてさ。皆は奴隷になっているんだ、今は。……つまり、お別れの日もいつかくるはずなんだよ」
「……」
「イリたち三人とか、ミーナが奴隷としていつか売られる日はあるんだよ。俺と君たちの関係は、本当はそういう関係になっているんだ。……いやまあミーナの場合冒険者となっているから、俺がミーナを売る前に金貨八枚稼いで契約書を俺から買い取れば、売られないんだけどさ」
「な、なら稼ぎます!」
「ああ、それも嬉しいんだけど」
また少し本題からそれているような気がしなくもない。
「いつか手放さなくちゃいけなくなる時だってあるさ。その時がいつか来るはずだ、それは当然のことのはずだ。……俺が君たち奴隷に身につけて欲しかったのは、俺のところにいたら安心だという気持ちじゃなくて、俺のところにいるうちに技術を磨いて、外に出されても一人で生きていける、という覚悟の方なんだ」
「……そんな正論、嫌です」
「嫌か?」
どことなく感じる甘えの音色に、俺は少しだけ語調を強くする必要があるか、と思ったが止めた。
彼女の顔が真剣だったからだ。
「買って下さい。主様。私は、主様と共にありたいです。売られるだなんて、嫌です」
「……それなら、冒険者となって稼いで、自分を買い取るといい。そうすればお前は奴隷から解放されるから、誰もお前を止めるものはない」
「……私はヘティになりたかったです」
どういう意味だか、かなり意味深な言葉を呟いたものだ。
「ヘティは、会計技術と接客技術があるから、俺の店の従業員という立場に近いな。彼女への給金も書類上は会計していて、ヘティの値段金貨一〇〇枚を超えたとき彼女は一奴隷を卒業する。ミーナたちと違って宣伝効果が見込めないため値引きは少なめ、奴隷卒業後も俺の店で働くことを条件の値引きを入れての金貨一〇〇枚だ」
「……そうなりたかったです。そうやって、正当な立場で傍にいられる人になりたかった」
ミーナが追いつめられた顔だったので、俺は真剣そのもので臨んだ。
「ミーナ、その、あれだ、ヘティが従業員として傍にいるのが羨ましいというなら、別にミーナにも同じようにする権利はあるんだ。ただまあ、奴隷契約書を自分で買い取り終えてからだが」
「……私、何を間違えたんでしょうか」
「何も間違えてないと思うが。……夢見の巫女っていうのも難儀だな、間違いとかいろいろ考えなきゃいけないみたいだし」
「……今からやり直せますか?」
「ん、ああ、できるんじゃないか? 良く分からないけど」
「キスです」
一瞬はっとした。
「キスしただけなのに、いや、ファーストキスだったのに、そのあと黙れとか言われたのは、凄く辛かったです」
心臓を掴まれたかのような罪悪感が湧いた。そういうことか、と今更になって後悔する。
あの時のキス、あまりにもミーナにとって適当で残酷だったかもしれない。
「……ごめん」
「……」
だがここで口付けを重ねるのは誠意なのだろうか、と俺にはどうしても躊躇いが生まれてしまう。こいつも大概、何かと意味深な台詞を呟いて影を匂わせてくる娘だ。
ずっとこのまま、だとか。本当の私を見つけて、だとか。
いや、だって商人と商品だ。結局いつかはお別れする関係なんじゃないだろうか。どうしてもそう思えてならない。
「ミーナ」
「……はい」
「俺は商人で、お前は奴隷で、結局はそういう関係なんだ」
「……ぁぃ」
涙を浮かべるミーナに葛藤する。やばい、これで正しいのか。何が正しいんだ。
「だけど、ミーナ。その、そういう関係だからってさ、全部が全部無理って訳じゃなくて」
「……え」
何を口走っているんだ俺は。一時の甘い感情でずるずる行くとより傷付けてしまうのでは。
「……その、どうなんだろうな?」
どうなんだろうな、は向こうのセリフだ。駄目だ俺の方がしどろもどろじゃないか。
「……どうなんですか」
「こう、か?」
俺は彼女の顎を手で少し上げた。少しだけ近付く距離に、多分今度は適当ではなく丁寧なはずだと自分に言い聞かせる。
「……そうです」
何だこれ、終始指示語だけじゃないか。
◇◇
「肉焼くぞルッツ」
「……キスしてましたよね」
「……誰がそれを」
「えっと、その、小さい子たちが」
「……ああ」
しくじった。多分あの間抜けなやりとりまで含めて見られていることだろう。




