第十一話
疲労困憊しているルッツを余所に、俺と奴隷たちは屋台の片付け作業に入った。
たとえば鉄皿を水で洗い流しレモンの皮で磨いて油汚れを落とさないといけない。鉄板の焦げ落としのヘラとゴミ掃除用のヘラも同様にだ。
その後は、鉄板の掃除。焦げ落としのヘラでも落ちなかったものをここで本格的にこすって掃除する。
最後に最も面倒なのは、鉄板の焦げや余分な油を捨てる受け皿、こいつの掃除だ。焦げ汚れがしつこいので金だわしでこする必要があるが、油まみれなので金だわし自体もデロデロになる。なので、受け皿用の金だわしが別途必要になる。
(しかし売れるものだなあ)
終わってみてホッとする自分がいる。
俺の思い付きでしかなかったプランだが、何ともいきなり五〇食完売するとは思ってもいなかった。
(隠し玉を投げるまでもなかったか)
俺はちらっとちびっ子三人組とかを見やった。この子たちはもっぱら今日は、皿洗いのお仕事やパン購入のお使いしかしていない。
本来ならば、歌のパフォーマンスをしてもらうつもりだったのだが、まだそれを披露しなくてもいいようである。
(しかし、明日こそはこの子たちにも歌ってもらおう。リハーサルってやつだ。蚤の市当日までには仕上がりを見ておきたい)
同時に俺はミーナの方も見た。相変わらず沈んだ顔をしている。
(ミーナも心配だ。明日の槍の演舞のリハーサル、どれほどなのかを見ておかないと困る)
そう、俺が持っている隠し玉は二つ。
一つは明日様子を見てみるつもりの、彼女らによる演舞と歌のパフォーマンス。
もう一つが酒の販売だ。
(ちょっとテントを開放してステージに見立て、そこで演舞とかを披露する。それを客が見ながら肉を食べて酒を飲む。……というプランを考えているが、きっと上手く行くはずだ)
杜撰なプランだが、損はしないと踏んだ。
肉がそもそも売れるのだ。
肉を食べながら、無料でパフォーマンスを見れるとあればそこに居着いて人だかりを作ってくれるはずだ。
そして人だかりを見て気付くのだ。
彼らがもし旨そうに肉をつつきながら、酒を飲んで楽しくやっていたらどうだ。
きっと自分も、酒を飲んで肉を食べてパフォーマンスをみてみたいと思うはずだ。
集団心理を利用した宣伝方法。
肉と酒は、その中でも最もわかりやすい欲望につながっている。
(勝負所は、人だかりが出来るまで。そしてこれは、簡単に補える。……サクラだ)
そう。サクラを使って人気を『演出』するのだ。
幸い人手は十分足りている。俺が保有している奴隷は三〇人強いるわけだから、人員として一五人に働いて貰っても一五人は余るのだ。
(もし失敗してもどうだ? 肉は普段通り売れるだろう。酒は保存が利く。パフォーマンスは無料。何も損はしない。強いて言えば酒の在庫を抱える程度だが、酒は肉と一緒にゆっくり売れば問題ない)
そう、この勝負に損はないのだ。
サクラの奴隷に食わせる肉と酒は……まあ本当に僅かな出費なので、宣伝費と見れば格安なのだ。
(あとは、ハワード、カイエン、出来るならアリオシュ翁たちに渡りをつけて、来たら美味しい肉が食べれますとアピールしておこうか)
とりあえず客は呼べるだけ呼んだ方がいい。
実は、今回の肉炒め五〇食は予想より早く売れてしまったのだ。夕方のみの営業だったのと、まだ蚤の市当日じゃないこと、うちの店の知名度が微妙であることから三時間程度で五〇食行けば大勝利と踏んでいたのだが、なんと二時間もかかっていないペースで五〇食売れてしまったのだ。
このペースは蚤の市当日の販売予定十時間、二五〇食と比較して八割のペースだ。
蚤の市には人通りが三倍以上になることから考えても、恐ろしいことになりそうだ。
ならば明日は蚤の市前日、肉は一五〇食を予定し、昼から夕方まで七~八時間の販売を経験しておきたい。
奴隷たちも長時間労働でどれぐらい疲れるのかを経験しておくべき(といっても半分はサクラ役、半分は労働、を交代するつもり)だろうし、俺も長時間売ることでピークタイムがどうなるのかを観察したい。
よって、一五〇食も作るからには客は呼べるだけ呼んでおきたい。
(捕らぬ狸の皮算用だが、もしもあまりにも売れるペースが早かったなら精肉屋で五〇人前追加買い足しをしよう)
本当に欲張り算ではあるのだが、売れすぎた場合の対応も考えている。
俺は明日が楽しみで仕方がない。
「あの」
だから、ルッツの声に俺は意外に思うのだった。
彼は明らかに憔悴していた。
「どうした? 疲れたなら休めよ」
「いえ、休むわけには、いかないです」
どこか申し訳なさそうな雰囲気で頭を下げるルッツは、「いえそうではなくて」と切り出した。
「聞いてもいいですか」
「ん、作業しながらでいいか?」
「はい」
聞いてもいいですか、って何を聞くつもりなんだ、と俺は身構える。
「どうして料理がそんなに上手なんですか」
ぽつりと。
普段の俺なら笑い飛ばしそうなことを聞くルッツ。
しかし鑑定スキルの心理グラフがこの上なく真剣な動きを示していて、俺は言葉を一瞬飲んだ。
「……ルッツも上手いぞ」
俺には鑑定スキルがあるから、料理スキルもLv.1までは簡単に上がったけれども、ルッツだってLv.1でそれに追い付いている。
他にもし俺が上手く見える原因があるとすれば、それはレシピ通り作ってる俺とそれを真似してるルッツ、という違いだ。
「上手くないですよ」
自嘲が込められた言葉に、いよいよ心理グラフの動向が怪しくなった。
一瞬生まれる沈黙の時間。何かを言い繕うべきか、と考えるが、ルッツが何かを言い出しそうだったので、俺からはあえて黙っておく。
そしてぽつりと。本当に小さな声で、とても大事なことを、彼は尋ねる。
「料理って何なんですか」
その漠然とした質問の仕方が、すでにルッツの内心の葛藤を物語っていた。
とても真剣な問いであった。
「……すまない、その質問に真剣に答えられる資格を俺はもっていない」
「……でも、御主人様は料理が上手いです」
「そんなの、世の中ざらにあるぞ。自分よりも上手い奴がそれについて明確な答えを持っていないことなんて普通にある」
俺は、言葉を慎重に選んだ。
「例えば本気で芸術に打ち込んでいる人間よりも、適当に絵を描いたぜ、って気持ちで描く奴の方が色彩センスに優れていて人を感動させることなんてざらにあるし、そんな適当なやつが何も考えてないことに才能ない奴は気付かされて、葛藤することなんて普通にあるんだ」
「……そうですか」
「何かに向き合うことは、基本的に辛いことだ」
「……」
俺はそこで「でも」と話題を転換させた。
「でもだ、俺、ルッツが料理するのを見てると嬉しいよ。何か、料理したいって言ってた奴が料理するのとか、応援したくなるんだ。お節介だろうけどさ」
「……言いましたっけ」
「……ああ、君の料理に向き合うその態度を見たら、絶対そうだって分かったのさ」
墓穴を掘ったかも。
「とにかくルッツ。料理もきっと、やりたいことに根付いていると思う。お前からみて俺は料理が上手いのかもしれないが、俺に料理は何なのか分からない。むしろルッツのほうが料理は何なのか分かると思うんだ」
「……」
彼の顔は夜の影になっていて、ひどく見辛かった。
「あれ違ったかも? ごめん説教臭い話をして。話題ミスったかなあ」
「……いえ、何となく分かりました」
「いや分かっていないと思うぞ」
俺は食い下がった。
言葉をこれ以上失敗できない。だから俺はより慎重にルッツの声を聞かないといけない。
「上手く言えないけど、俺、夢は呪いのようなものだと思っている」
「……呪い」
「夢は、綺麗なものだし、いつまでも見ていたいものだけど、きっと夢は時々、人にとって嫌なものを見せつけてきて心を刺し過ぎる。だから、夢に向き合うことも辛いけど、夢を思わないことも辛いんだ」
「……」
「そういう弱い人にとって夢は、自分の心をすり減らして諦める折り合いをつけるのか、叶えるために泥を飲む気持ちで立ち向かわないといけない呪いだと思う」
「……呪い」
「……説教が過ぎた。悪い」
説教に過ぎる発言だ、自分がそれほど偉いわけでも何でもないというのに。それでも俺は、この言葉をルッツに伝えたかったのかもしれない。
ただ、どう受け止めるのかを決めるのはルッツだ。
だから、俺はあくまでドライに、俺の利益のために命じるのみなのである。
彼ももう、自分で折り合いをつけられるはずなのだ。
「ルッツ、蚤の市が一週間あることは知っているな」
「はい」
「一週間、お前はこの店で肉を売れ」
「……はい」
「そのあとはお前が決めるんだ、自分のこれからを」
俺はそうルッツへと語った。
全く、慣れない説教をしてしまう自分は、とてもじゃないけど青すぎる。俺はあまり頭が良くないたちなので、ウジウジしてる奴には「頑張れや!」と活を入れるほうが楽だし好きだ。
ただ、分かりすぎてしまう。弱い人間の葛藤は、時々俺の心の方を刺すことがある。
そんなときに俺が強くあれないからこそ、俺はキャリアコンサルタントになろうと思ったのだ。
ルッツには立ち向かってほしい。それは俺のエゴである。でもエゴ抜きにしても立ち向かってほしいと思う気持ちも、多分あると思う。