第十話
明らかな侮蔑の視線。分かりやすいほどの攻撃的な言葉を投げかける蛇人の男。
身なりはそれなりに悪くないが、スラム出身であることはその匂いから何となく分かる。服装から察するに、どうやら土木建設などに携わる男らしい。
「何が入ってるか分かったものじゃねえ! 体の体調でも崩してみろ! 誰がどう責任をとるって言うんだ! ええ!?」
凄む蛇人の男は、屋台の鉄板越しにルッツを威嚇してくる。
その瞳は明らかに怒っている。自分を侮辱するな、というような類の怒りであった。
「お客様、他の方々の迷惑となりますので静かにお待ち下さい」
声が横入りする。主人のトシキだ。
「宜しければあちらのテントでご意見賜りたく思います」
トシキが取りなすのを、蛇人の彼はますますの侮辱と受け取ったようだ。
「てめえ! 客に何て物を売りつけようと思ってんだ!」
「申し訳ございません。気を害するようでしたら、まだ料理をお渡ししておりませんので、注文した品の代金を払わずこのままお帰りになられても構いません」
「そうじゃねえ! 普人族のお前が作れってことだよ!」
蛇人の男はそう言ってトシキを睨んでいた。どうやら肉は旨そうだが、魔族の自分が作ることを良しとしないらしい。
(……そういうことか)
ルッツはその瞬間、いよいよ悔しくなった。全てを否定されたような感覚が心に苦味を与えた。
「分かりました」
短い返事を返すトシキ。
「では、作らせていただきましょう」
そう淡々と受け答える主人トシキは小声で「ルッツ、俺と同じように肉を焼いて作れ」と囁いた。
ルッツは当惑したまま「は、はい」と答えた。
「お客様、では今から焼き上げさせていただきますのでお待ち下さい」
と答えるトシキは、特に動作に滞りなく油を引き直し、肉を鉄板の上に乗せて処理していった。
慣れた動作だ。ルッツもこの動作は何度も行った。
ルッツもやや遅れて、同じく肉を鉄板の上に並べた。
それを確認したタイミングで、トシキは顔を上げていた。
「お客様、当店では肉はオアシス街の精肉屋、『精肉屋バリー』で仕入れた新鮮な物を扱っております」
突如喋りだしたトシキを、しかしこの蛇人は料理に唾が入ったらどうする、などと咎めはしなかった。暇つぶしには良いと思ったのだろうか。
既にある程度たれにつけ込んで下味がついている肉は、この段階で小気味よい音を立てて鉄板の上で焼かれていく。
立ち上る匂いが食欲をそそり、酷く旨そうである。
「そしてたれは異国の調味料、味噌と醤油を用いており、当店自慢の秘伝のたれになっております」
そしてその肉の上をなぞるように、軽くたれがかけられる。
途端に立ち上る白煙。その香りはひどく芳醇。
トシキの動きに続けざまにして、ルッツの手元の肉にもたれがかけられていく。
「ただし、このたれは二種類ほどございまして」
「……何だそれは?」
このタイミングになって初めて蛇人の男は口を挟んだ。
「実は、私は甘口のたれしか焼き上げることが出来ないのです。そしてこの隣の料理人ルッツは、辛口のたれでも焼き上げることが可能なのです」
この瞬間ルッツは、トシキの思惑を正しく理解した。
辛口の肉炒めを作れ、と暗に示しているのだ。
ルッツは当然逆らうこともならないので、その思惑通り、屋台の下から取り出した辛口の方のたれを肉の上にかける。
そう、甘口で軽く味付けをした肉の上に辛口たれをかけることで、奥味がしっかり付くのだ。
「……どういうことだ」
「先程売り子の娘が言っていた通りです。二種類の肉があるというだけです」
「そうじゃなくて、何故お前は辛口が作れないんだ」
「申し訳ございません。私の技量不足でして」
その瞬間こそ危なかった。蛇人の男は飛びかかりそうになり、それを護衛の戦闘奴隷が、槍で鋭く牽制したのだった。
これ以上騒ぐと危ない、と察した蛇人の男は、ちっ、と舌を打つ。
「……炒めるだけだろうが」
「いえ、たれを絡めて正しく焼き上げるのはコツがありまして。あの辛口のたれを炒めすぎると苦味が生じて変に生臭くなり、とても食べられる物ではなくなります。ですが、あのルッツは上手に炒めるのです」
これは嘘だ。嘘も方便とはよく言うが、あんな出任せよく口に出てくるものだとルッツは思う。
「お前も、出来るだろ」
「いえ。我々はプロとして、万全の物をお客様に提供したいと思っております。お客様の満足のため、食の品質や味に関して、一切の妥協は出来ません。ご了承下さい」
そこまで言い含めてから主人トシキは、神妙な面持ちで言葉を発した。
「お客様、我々はお客様の注文がない場合甘口辛口両方を提供する手筈となっております。甘口のみ、あるいは辛口のみ、などございましたら仰せつけ下さい」
「……こいつ」
蛇人の男は嵌められた、という表情を浮かべていた。
しばらく視線をトシキとルッツに泳がせて、鉄板の上の動きが特に変な物がなかったことを確認して、押し殺すような声で「……両方だ」と呟く。
「かしこまりました」
終始平静に応対するトシキ。
そのまま両方の肉を鉄皿に載せる様は、全く動じたものではなかった。肝が据わっているとも言える。
「……旨くなかったら覚えておけ」
吐き捨てるように蛇人の男が立ち去る。
「……ほらルッツ、まだまだ焼くぞ」
隣でトシキが注意した。その言葉で気付く、ルッツはまたもや手を止めていたのだと。
◇◇
ルッツは、五〇食を全て売上げた。
売り上げてなお、ルッツには決断が下せなかった。
(ああそうか、僕が料理を作るのってこういうことなのか)
今更、自分の言葉の意味を知った気がする。
五〇食を売り上げたんだ、という達成感と、今日のあの騒動が、ルッツの頭をますます白くさせていた。