第七話
ひとたびオアシス街に繰り出せば、否応なしに分かる空気の違い。
人の活気が一〇倍は異なり、歩く人達の音でうるさい。スラム街ではあり得ない喧噪だ。
そんな中で俺は、精肉屋のオヤジと交渉に当たっていた。肉を大量に買うことと引き換えに当日まで保存庫に保管しておいて欲しいという旨の交渉だ。
彼は「まあ、構わねえけど、そのかわり余ったからやっぱり返すとかはやめてくれよ」と念押しをするだけであった。
それ以外は特に何もない。思った以上に商談が上手くまとまって、全く問題はなさそうだ。それもこれも交渉Lv.1(Lv.0から成長した)のおかげなのかもしれない。
「ありがとうございます! また後ほど引き取りにお伺いしますね」
「いいけどよ……別に明日、蚤の市でも何でもないのにこれだけ買っても大丈夫なのかよ?」
「大丈夫ですよ、明日試しに五〇食売り上げようと狙っているので」
精肉屋のオヤジは怪訝そうな表情を作りながらも「そうかよ、じゃあ買ってくれ」と承諾した。オヤジにしてみたら変な話だろう、蚤の市に向けて屋台を出すからその料理の練習に五〇食もの数を売り出してみます、だなんて。
せめてオアシス街ならば分かるかもしれないが、スラム街で五〇食売るという。正気の沙汰ではない。
「ありがとよ。約束通り、ここで保管しとくから適宜取りに来てくれや」
「ええ、では後ほど」
店先で深々と頭を下げてから、俺は次の調味料を買う仕事に当たろうとした。
調味料を扱う露店に向かう途中で「あの、いいですか?」と不思議そうな顔で聞いてきたのは、まさにそのタイミングであった。
「どうしたルッツ?」
「いえ、ご主人様は素晴らしい鼻か目をお持ちのようでと思いまして」
「ああ、肉の善し悪しが分かった理由か?」
隣で「はい」と頷くルッツ。
実は精肉屋で肉を選別する際、彼の料理スキルを鍛える名目で「ルッツ、こっちに置いていく肉の方がいい肉だ、自力で見分けれるように目を鍛えろ」と俺の鑑定スキル捌きを見せたのだ。
その際、ルッツの料理スキルに経験値が少しだけ入っていたので、これは無駄ではなかったはず。
「これはまあ、見極めるコツみたいなのがあってだな」
「そうなんですか?」
「ああ」
と俺は鑑定スキルに書いてあった肉の説明を思い返した。鑑定スキルで詳細検索をすると、蘊蓄が書かれていることがしばしばあり、「これは葉っぱ越しに指で押した触感が筋張っているため悪い肉」とかを教えてくれる。
これらの蘊蓄をいくつか披露する。
きっとルッツにとって貴重な情報になったはずだ。
「ご主人様って」
「ん?」
「……いえ、何でもないです、はい」
萎縮させるつもりはなかったのだが。
とやかくしているうちに調味料の露店へとたどり着いてしまった。
気の良さそうな兄さんが俺に気付いて挨拶をする。
「へいいらっしゃい!」
「すみません、肉を炒めるのに適切な調味料が欲しいんです」
「お、それじゃあこの辺の黒胡椒とかどうだ?」
店主はそう言って様々な調味料、香辛料を見せてくれた。
取り扱っている種類が結構幅広い。反面値段は少し張っているが、今からやろうとしていることを考えると、俺としてはたくさんの種類を吟味できるだけでなかなか助かる。
「ルッツ」
俺は小声でルッツに呼びかける。
「今から香辛料を選別していくから、それも鼻なり目なりで自力で見極められるように努力すること」
「え、はい」
よし。
ルッツが俺の手元に注目しているのを感じ取りながら、俺は調味料、香辛料を一つ一つ冷静に見て思案する。
(……ん?)
その時、俺が思わず目を止めた調味料がそこに存在した。
【名前:醤油】とあったそれは、瓶詰めの黒い液体であり、そしておそらく間違いなく俺の知っているあの醤油であった。
俺はきっと絶句して凍っていたのだろう。
しばらくして「ご主人様?」とルッツが呼びかけるまで放心していたのだから。
(……予想外だ! にんにくと塩と黒胡椒とバジル系統の香辛料、あるいはカレーパウダー系統の香辛料で勝負するつもりだったのに……醤油か! 醤油があれば!)
俺は喉が鳴るのを止められなかった。
(醤油があるということは!)
大豆がある。大豆を醗酵させた調味料ならば、味噌がある。
そして実際に、味噌があった。
(醤油と味噌! 奇跡だ! 奇跡としか言いようがない!)
俺ははやる気持ちを抑え、いや抑えられずにそのままルッツに言いつけた。
「……ルッツ、決まったぞ」
「え、何でしょう?」
「あの異国の珍味、醤油と味噌を使う」
瞬間、ルッツが驚いて、俺の顔と値札を交互に見比べた。
「え! でも値段が高いじゃないですか! 元の調味料も馬鹿にならない値段なのに、これを買ったら、ええと……」
「ああ、所詮銀貨三〇枚出費が増えるだけだろ? 一枚あたりの利益が銅貨四〇枚から三〇枚に、ノルマが二五〇食から三三〇食になっただけ。余裕じゃないか」
「銀貨三〇枚って相当ですよ!? え、というか三〇枚ってこれ買い占める積もりですか!?」
いつももごもご分かりにくいしゃべり方をするくせに、こう言うときだけは大声を出すのだな、と俺は思った。
「もちろん秘策がある。焼き肉と言えば焼き肉のたれ、だ。醤油、料理酒、味噌、にんにく、ごま油、この辺の味を合成することで焼き肉のたれを目指す」
「やきにくのたれって何ですか! あの、最初と全然計画も出費も違うんですけど!?」
「すみません兄さん! こいつとこいつ下さい! あとはこれとこれ、そして……」
「ああ僕の声を聞いちゃいない! ていうか銀貨三〇枚分じゃなくてさらに追加してませんか!?」
兵は拙速を尊ぶ。遅巧に堕すのは最も賢くない。ルッツが心配することは分かっていたが、まあどうとでもなるという物だ。
何がともあれ俺は強引に、醤油と味噌を買うことに成功したのだ。
◇◇
「ねえ、ご主人様」
「どうしたヘティ。そう怒っては美人の顔が腐る。笑うといい」
「何で、出費の予算案が金貨一枚から金貨一枚半に増えてるのかしら……?」
「ああ、今日買った香辛料で面白い物を見つけてな」
「ねえ、ご主人様……? お金が足りないから新しく露店を開いて料理を売るのではなくて……? 無駄遣いをする余裕はあまりないのよ……?」
「もっと売れるようになるんだって! いやマジで! お前も絶対夢中になる! 何なら儲かった金でお前にストールを買ってやるよ!」
「……ストールを買うぐらいなら、もっと商売っ気を出したらどうかしら……? いい加減、私のことを簡単な女だと勘違いしてないかしら……?」
テントに帰ってきてからというものの、俺とヘティの間に二回ほどバトルがあったことを申し添えておく。
この会話のやり取りを聞いていると俺が適当なことをしているように思われてしまうかもしれないが、適当なことをしているつもりは一切ない。……まあ、カレーパウダーで良かったのではという質問についてはあまり強く返せないのだが。
この世界には存在しないはずの『秘伝のたれ』があると、後追いするような屋台が現れにくくなるので利益独占が見込めると思うのだが。それに物珍しさによるリピーター客まで見込めるわけで。都合よく考えすぎだろうか?




