新第二話
翌日、俺はいつもの日課どおり、奴隷を数人引き連れて商人ギルドへと向かっていた。
商人ギルド、それはオアシス街の中央に存在する非常に大きな商人組合だ。もしもここ恵みの国の交易都市『オアシス街』で商売をしたいというのならば、必ずこの商人ギルドに登録する必要があり、さもなくば行政処分を受けて廃業、事によってはお縄を頂戴することになる。
つまり、このオアシス街の商人は全て商人ギルドに登録している(ということになっている)訳であり。
商人と交易の街オアシス街における商人ギルドの影響力は、尋常じゃないほどに大きいものであった。
(ここの仕組みを知らないわけにいくまい。今のうちに必要な知識を仕入れる必要がある)
商人ギルドに足を踏み入れながら、俺は周りを見回した。
目指すは商人ギルドの書庫である。人の行き来が激しいここ恵みの国交易都市オアシス街の商人ギルドには、必然、多量の書物が保管される。
その書物を今から、必要最低限、ある程度読もうと思っているのだ。
(税制度、商売法の知識は必須だろう。他にも、商売に関係ありそうな資料は都度都度ここに足を運んで読みたい)
あまり手を広げすぎると何日掛かるか分からないので、あらかじめ読む本を絞って、必要な知識のみを頭に入れるように気をつける。
その意味で、鑑定スキルは非常に役立った。
というのも。
【商法(恵みの国) 第五訂】
恵みの国において一般的に定められている法律の本で、商法を扱っているもの。
第五訂における改訂部分は以下の通り。
・総則 第六章 商業登記
・総則 第八章 雑則
・商行為 第一章 総則
・商行為 第三章 売買
この通り、本の背表紙を見るだけで、概要を大まかにつかめてしまうからだ。
この本はどういう名前なのか。何年に発行されたものなのか(どれだけ情報が古いか)。どういった内容なのか。そして改訂した場合はどこが変化したか。それらをいちいち本を開けて確かめなくてもいいというのは、かなり便利であった。
他にも、鑑定オプションの詳細検索機能が力を発揮した。
【商業登記】
商法などに規定された商業事項について商業登記簿に記載して公示するための登記のこと。
個人商人の登記、商会の登記、の二種類が存在する。
このように、先ほどの【商法(恵みの国) 第五訂】の説明にある『総則 第六章 商業登記』の単語が分からない場合、詳細検索を行えば情報が引き出せるのだ。
本を読まなくても、要点だけを拾い出して、それを詳しく知りたければ詳しく調べられる。
おかげで俺は、かなり効率よく法律の勉強を始めることができていた。
(一日三〇分だけ立ち寄るだけでも、十分に勉強になるな。何せもう四ヶ月だ)
一日三〇分、これが水運びなどの雑用仕事の合間に充てることができる勉強時間の限界である。
それでも十分に俺は学習を進められていた。
そもそも商人ギルドというのは商人の相互扶助のための組織である、そこには当然、商法などを分かりやすく噛み砕いた入門書などが存在するわけである。
それを探し当てて読むことで、効率よく知識を吸収できるわけだ。
(今の俺ならば、もしかしたら、大きな商会の法務担当従業員として働けるかもな)
そんなことを考えながらも、今日の分の学習を終え、商人ギルドを後にする。休憩名目で待たせておいた奴隷達と合流する。
またあの重たい水をしんどい思いをして運ばないといけないかと思うと気持ちが滅入ったが、今に見ていろ、と気合を入れなおして水を背負った。
「……く」
やはり水は重たかった。
そういえば商法によると商業従業員に無賃労働を強いることは違法とされている。従業員じゃなくて奴隷ならば無賃労働は違法じゃないらしいが。
つまりマルクの頭の中では、俺は奴隷だから、無賃労働でも違法じゃない、という理解になっているのだろう。
(奴隷は主人の所有物だから賃金が発生しない、ということか。……この世界の常識は少し厳しいな)
だがそれも、俺が商法や税制度などに詳しくなるまでの話である。その短い間をせいぜい楽しむがいいさ、と俺は思った。
「掃除だと?」
「はい」
マルクは、俺の胸倉を掴んで脅すような口調で罵った。
彼の視線の先には、一旦幕が全て剥がされて骨組みだけになっているテントがある。俺が朝一に奴隷達を起こして、今から清掃しましょうと剥がさせたものだ。
きっとマルクは驚いただろう、朝起きたら突然こんなことになっているのだから。
「何を勝手なことをしてやがる! てめえ、もし何かあったら責任を取れるのか? あ?」
「申し訳ございません。ですが、お言葉を返すようですがこのことは既に、貴方から許可を頂いておりまして」
「嘘を吐きやがって! 証拠でもあるのか! あ?」
「証拠と仰いましても……」
マルクの怒声は、早朝の澄み切った空気のスラム街によく響いた。
(でも昨日の段階で、一応俺は許可を取ったはずなんだがな。……こいつ、そのことを忘れているのか、それとも覚えているけども単に俺を怒鳴りたいだけなのか)
そんなことを考えながら、俺は骨組みだけになったテントを横目で見ていた。
もちろん、突然こんなことをしたのには理由がある。
まず、こうやって骨組みだけに分解して風通しを良くすることで、テント内部が綺麗に換気されるのだ。
実は今まで、下級奴隷のテント(三〇人近く収容している大テント)はあまり換気をしていなかったため、衛生的にもかなり問題があった。
ずっと換気をしないことで湿気などが生じ、病原菌などが繁殖しやすい環境になっていたことが一つ。他にも、下級奴隷はトイレをテント内部の適当に掘った穴で済ませていたためか、空気はかなり劣悪だった。
鑑定スキルによっていかに空気が汚染されているのかが分かってしまったときは、思わず顔を引きつらせそうになったほどである。
他にも、こうやってテントの幕を外してしまうことで、幕自体の掃除が随分楽になった。
テントは動物の皮でできているのだが、蚤が住み着いていて、掃除が大変だった。一旦こうやってテントの幕をはずして徹底的に蚤を殺虫するなりしない限りは、根絶は出来ない段階だったのだ。
換気もできてテントの幕も一気に綺麗になった。
心なしか奴隷達も、新鮮な空気に触れることが出来て、少しばかり顔色もよくなっている気がする。まあそれは「これからは蚤に悩まされることはないだろう」と告げたからかも知れないが。
等といいところ尽くしのこの清掃に、怒髪天を衝くとはかくことぞ、と言わんばかりにマルクは憤慨していた。
気に食わなかったらしい。
ただ単に気にくわなかっただけ、としか推察できなかった。
「お前、もしもお前が掃除をしている時間に客が来たとしてだ、その客が掃除の様子を見咎めて商品を買わなかったとしたら、どう責任を取るってえんだ?」
「失念しておりました。誠に申し訳ございません」
言いつつも内心で俺は、昨日許可を出していたじゃないか、では客の少ない朝に行いますのでと念押ししたじゃないか、と考えていた。
しかも、この時間帯に客なんてくるはずがない。
現に今周辺を見回しても人影もなければ気配すら感じ取れないのだから。
だからマルクのいちゃもんはただの杞憂にしかなっていない筈なのだが。
「ふざけるんじゃねえ!」
まずは一発。予想通りマルクが殴ってきたので、俺はそれを甘んじて受け入れた。
「……っ」
「生意気なことしやがって! 勝手に! 俺に! 迷惑をかけるんじゃない!」
「っ、っ……、申し訳、ありません」
言葉の切れ目ごとに一発一発攻撃してくるマルクに、俺は歯を食いしばって耐えた。
耐えることは苦手ではない。むしろこの四ヶ月で耐えるための精神を大分鍛えられたとすら思う。
もはや仕方がないことなのだ。こいつに腹を立てたところで仕方がないのだ、だから諦めるほうがいい。
諦めると言っても、それはマルクはこういう奴だから、と諦めると言う意味である。
抵抗を諦めるという意味ではない。
(……は、奴隷たちも俺を見てやがる。この視線は恐らく、俺を馬鹿なことをした奴だと哀れんでいるな)
殴られながら、俺は多数の視線を感じとっていた。
奴隷たちだ。
大型テントの幕を取り外しているため一旦大型テントの外に出てきている下級奴隷たちはもちろんのこと、他にも、外の騒ぎを聞きつけてか高級奴隷用テントから高級奴隷たち(高級な奴隷たちは、安価で消耗品扱いの下級奴隷とは違って大型テントに押し込められる訳ではなく、高級テントで丁重に扱われているのである)もやってくる始末。
いつの間にか、全員が殴られる俺と殴るマルクを見ていた。
痛ましそうな顔をしているのは下級奴隷たちだ。
彼らからすると、毎日食事やテント清掃など世話をしてくれる俺が、彼らのためにテントの幕を外して大掃除してくれたというのに、そのせいで俺が責められている訳である。
僅かな同情がそこにあった。
ありがたいと言えばありがたいことだが、何でそんな勝手なことをしたんだ、という類の同情だ。
そんなことをしなければ今殴られなくて済むというのに、という哀れみなのだ。
お人好しのガキを見るような、でも自分たちのために何かしてくれたのにそのせいで自分よりも年下の子供が理不尽な目に遭っているのを不条理感の残る気持ちで見るような、そんな表情を浮かべている。
(同情なんかしなくてもいいというのに。鑑定スキルで致命的な一撃は辛うじて和らげることが出来ているのだから。――それより)
ほどほどに殴られつつ、俺はマルクを見ていた。
腕を振るうこと数十回、そろそろ殴り疲れたらしいマルクは、少しだけ息を切らしており、「チッ」と舌打ちをしていた。
思ったより俺を殴っても手応えがなかった、というような物足りない表情を一瞬だけ浮かべていたが、すぐに真顔に変化する。
「さっさと片付けておけ!」
言い捨ててマルクは立ち去った。
その場に取り残されて、ようやく一息つくことができた俺は、取り敢えず休憩しようとそのまま地面にへたりこんだ。
辛かった。いくらいなしているとはいえど、痛いものは痛いのだ。
しばらく奴隷たちも、俺のことを何とも言えない表情で眺めていたが、やがて自分たちの職務を思い出したかのように徐々に離れていった。
「……ねえ」
「ん?」
そんな中、俺に声をかける一人の奴隷がいた。
ヘタイラ・ラミアー。魔族の高級奴隷で、この奴隷商店の奴隷頭を担当している女ラミアーだ。
自己主張をあまりせず落ち着いた雰囲気のヘタイラは、奴隷たち皆にとって頼れる女性で、そしていまいち本音の分からない人でもある。
彼女は殴られてぼうっとしている俺のことを心配しているようであった。
「君、大丈夫? ぼうっとしてるけど、意識が朦朧としてないかしら?」
「ああ、ヘタイラさん、これは大丈夫です……痛」
「無理しちゃダメよ。下級奴隷用テントに幕を張り直すのは、まだもう少しゆっくりしててもいいから、ね」
「いやいや、お構いなく」
気遣わしげなヘタイラだったが、鑑定スキルの心理グラフによると、俺に声をかけてきた理由は「心配」ではなくむしろ別の所にあるらしい。
「ねえ、何でこんなことしたのかしら」
それは「疑問」だ。
「こんなことしなくても、君は損をしないのよ。ただ下級奴隷たちがちょっと嫌な思いをし続けるだけ。お人好し過ぎるわ」
「ああ、それは違いますよ」
「違うのかしら?」
「はい。――お金じゃ買えないものを買いつつあるんですよ、僕は」
俺の答えにヘタイラは怪訝な表情を浮かべていた。
信頼を勝ち取るための行動。
突然いちゃもんを付けて暴力を振るうような主人と、自分たちのために何かをしてくれるお人好しの小間使い、という構図を奴隷達に見せつけておくのだ。
そうすれば、俺が何か影でこそこそ動いてたとしても、それは多分皆のための行動やマルクに許可を取った行動なのだろう、無理に暴きたててマルクに報告する必要はない、むしろそんなことをすればまたこの小間使いがいちゃもんによって虐められるだろう、だから黙っておこう――と勘違いしてくれるわけである。
(勿論、テント内を換気して蚤の駆逐をすればミーナも下級奴隷の皆もきっと喜ぶだろう、というのもあるけども)
痛む体を起こしながら俺は、さて今日もいつもの水汲みから今度はギルドに向かって『一仕事』やらなくてはならない、と思いつつ立ち上がった。
◇◇
「それは真かのう?」
「はい。実際に確かめましたところ、彼女は通常の獣人族よりも強い加護を持っていることが一目瞭然でした。恐らくは巫女でしょう」
「ふむ、お主がそういうのならば本当なのじゃろう。……となるとますます、この話を受けるほうか良かろう。得体も知れぬ者からの話じゃとはいえ、見逃せるものではあるまいて」
「……」
「何じゃミロワール、気乗りせんのか? 利用されているように思うたかの?」
「いえ。ですが、このようなこと、アリオシュ翁ともあろう方が手ずから行わなくてもいいのではないかと思いまして」
「違うのう。ワシは冒険者ギルドオアシス支部長アリオシュじゃ。であるからには当然、ワシが手ずから動くべきなのじゃ。……それにのう」
「それに?」
「ワシは新しい出会いを大事にするのじゃ。ワシが直接動けばきっと、良い縁を結べる。そういう予感がするのじゃよ」