第十三話
カイエンは歯噛みしていた。
得物が片手剣から短剣になるだけで勝手が随分と変わる。
体重をまっすぐ前に乗せた刺突。これはリザードマンの得意ではない。体の構造上、手と同じぐらい首が前に出る(脳と頭蓋骨の重さは体重の一割相当)ので、体重を手に乗せて前に、というのは厳しい。腰に体重を溜めるのが苦手になるのだ。
その点カイエンには、横薙やめった打ちといった、体を鞭のようにしならせて遠心力を活かす長剣の方が合っている。あれならば頭を振って、肩から手に体重を引っ張り薙ぐことができる。結果長身のカイエンに見合った破壊力のある剣が出せる。
(……こいつ、戦い慣れている。魔物使いジャジーラとやらは、短剣での格闘なら俺と五分以上に渡り合っている)
今現在、カイエンは一対一を強いられていた。
砂漠虎はギルド専属冒険者が受け持っている。目に大きな傷を負った砂漠虎は、気性を荒げて周囲を見境なく襲っていた。まさしく手負いの獣ほど強く暴れる、という言葉を体現している。
ではミーナたちはどうかというと、子供蜘蛛との戦いで一杯一杯であった。死んだのではないか、と思われた子供蜘蛛が、息を吹き返して襲いかかってきたのだ。さすがに落とし穴で火で焼いた魔物は動かなかったが、刺されただけの魔物はまだ動いている。
(これはネクロマンシーだ。魔物使いジャジーラは、ネクロマンシーでもある)
カイエンは、無念の五年前を思い出す。
そもそも五年前クラッドを失ったあの日、あの魔物による襲撃が魔物使いジャジーラの手口と分かったのは、戦う獣から腐臭を嗅ぎ取ったからだ。
カイエンは予想する。このままではこちらの体力が持たない。
向こうは数で優位を取っている。最後まできっと数で押し切るつもりなのだ。いくら子供蜘蛛といった殺傷力の低い魔物でも、爪は鋭いし体重もそこそこあるので戦っていれば殺されることもあり得る。それが無数にいるのだから、体力が尽きたときこそカイエンら討伐隊の負けである。
では、じり貧か。
否。カイエンには勝ちが見えている。魔物使いを殺せばよい。
そうすれば戦況は一気に変わる。今ここにいる大半が、魔物使いの命令で動いているのだから、彼が討ち取られたとき機能しなくなる。つまり、数の優位は一気に崩れ去るのだ。
(俺の双肩に勝負がかかっているわけか)
カイエンは踏み込んだ。
一撃離脱の短剣で魔物使いジャジーラを追いつめていく。いや追いつめきれない。交差するカイエンとジャジーラの短剣勝負は、体の的の大きさが異なる意味でカイエンに不利である。
結果カイエンの傷の方が魔物使いジャジーラより深い。
カイエンは舌打ちをしたい気分だった。
「そこの冒険者」ふと、魔物使いジャジーラが口を開いた。「カイエンとかいう名前だったな。しぶとく生き残ったと聞いたが、まさかこんな所で戦うとは思わなかったぞ」
「覚えていたか、魔物使い」
「当然だ、仕留め損なった敵は覚えているのだ」
にまりと口角を上げて「プロだからな」と笑ったとき、カイエンは殺気を抱かずにはいられなかった。
誇りを持っていると口にするな、人の誇りを踏みにじり友クラッドをなぶり殺した男のくせに。
憎悪と憤怒で人を殺せるならば、と思う。そのときは間違いなくこの男を殺す。
「カイエン」魔物使いは横柄に口を開く。「第二の戦いに興味はないか」
「何が第二の戦いだ」
「何、砂漠虎と戦うことだ。……カイエンも好きだろう? 獣と戦うのはな」
はっとさせられた。この状況で砂漠虎を投入されてはまずい。蜘蛛で疲弊した討伐隊に一気に虎が襲いかかれば、カイエンたちは死ぬほかない。
状況は予断を許さない。カイエンにはもう道はなくなった。死を覚悟して突撃するしかないのだ。
(いやそれが魔物使いジャジーラの狙い。俺を焦らせて接近戦に持ち込ませて、俺を殺そうとしているのだ。俺を殺せば魔物の操作に集中できるからな)
辛うじてその意識だけが、カイエンの迂闊な行動を押しとどめている。きっと今魔物使いジャジーラは砂漠虎を簡単には操れないのだ。カイエンが目の前で戦っているから魔物使いジャジーラは集中がしづらいのだと予想される。
つまり、この状況は向こうにとっても苦しいはずだ。慎重に、このまま徐々に彼を追い詰めていけばあるいは。
しかし、ジャジーラは愚弄するような口を開く。
「当然だろうな。お前さんの親友は獣だもの、獣と戦うのが好きに違いあるまい」
「……ジャジーラっ!」
カイエンはもう一度踏み込んだ。
出来るならいっそ、これで殺したい。だが頭の片隅で一撃離脱に努めろと声がする。結果カイエンは悔しいながらも一撃離脱を繰り返す。
魔物使いジャジーラは少しだけ傷ついている。カイエンはもっとだ。カイエンは魔物使いジャジーラの倍は傷ついているのだ。
(誰か、俺に剣を)
「何だその情けない表情は。お前の友も情けなく死んだのか」
「誰か」
「どうした」
「誰か、剣を!」
剣さえあれば。友と俺の剣さえあれば。
カイエンは強く願った。
「は、何が剣か」つくづくうるさい口を利くジャジーラだ。「砂漠虎の目を刺し貫いたときは見事かと思ったが、拍子抜けだな」
その時。
「剣です!」
ふと、第三者の声にカイエンとジャジーラは驚いた。
ミーナの声だ。
同時に足下に滑ってくる長剣がそこにあった。
「奴隷のものです! 剣ですカイエン!」
考える暇はなかった。
「させるか!」と飛び込むジャジーラに短剣を投げて牽制を図る。同時に長剣を拾い上げたカイエンは、拾いざまに斜めに切り上げた。
一撃。
カイエンの剣は、ジャジーラのわき腹を叩いた。鎧に引っかかりジャジーラを切りとばせなかったが、しかしわき腹から鈍痛を与えたはずだ。
「ぐっ」
よろめくジャジーラに、カイエンは構えた。
感無量だった。様々な感情がカイエンの胸を駆け上がった。
これは安堵か。これは憎悪か。これは歓喜か。これは勝負の昂りか。
(覚悟の剣か。剣は決着のためにあるのだな)
友はどんな剣を振るったか。
今なら、自分の剣と重ね合わせられるような気がした。
「ぐ、勝負!」
痛みでよろめくも叫ぶジャジーラが、短剣で喉を狙ってきた。
喉に少し突き刺さるその刹那、カイエンはそれを剣の腹で弾いた。
距離はこの上ない、五年の全てにけりをつけるに丁度よい。
(今だ)
カイエンは体にしなりを作って、渾身の力で剣を振り下ろした。
斜め一閃。袈裟切りに剣を走らせ、ついにジャジーラの帷子を肩から胸の心臓まで絶ち裂いた。
ああ、絶ち裂いたのか。
「が、はっ」と声を漏らして、ジャジーラは膝を折り倒れ込んだ。
カイエンはその様子を、目を離さず見ていた。
(……そうか、絶ち裂いたのか)
絶ち裂いた、全て。
咽せそうだ。
カイエンは、喉の傷を自覚した。
(どうやら俺も、やらかしたらしいな、クラッド)
「カイエン!」と叫ぶミーナの声が、遠い気がした。