新第一話
比較的空いている電車の車両に乗って座席につき、取引相手との待ち合わせの時間までの数十分、軽く睡眠を取ることに決める。
目をつぶってしばらく、意識が遠くなっていく。
それが俺、三辻 俊樹の異世界転生の事の発端だった。
(何だ、何が起こっているんだ? ここはどこだ?)
気が付くと、目の前の光景が全く異なっていた。先ほどまで自分が座っていた電車内部ではなく、もっと薄暗い場所に変わっている。
見る限りどうやらテントの中らしい。砂漠の遊牧民が使っていそうな造りのテントで、材質の皮が劣化しているのか所々破れている。大きさとしては天蓋が広く出来ており、中に三〇人から四〇人ぐらいは収容出来そうであった。
(いや、この格好もだ。一体どういうことだ?)
場所だけではない。自分もまた服装が変わっていた。
自分がさっきまで着ていた質のいいスーツは、いつの間にか茶色の薄汚れたローブになっている。例えるならば異世界ファンタジーの物乞い、あるいは下流労働層の身格好だ。
もちろんさっきまで身につけていた腕時計はない。携帯電話もない。名刺入れもなければ、ビジネスバッグもない。
それどころか、自分の体が一回りほど小さくなっているように思われた。口元を触っても剃った髭の感触がしない。肌の感触自体も、若い頃の硬くなっていない肌のそれだった。
若返ったのだろうか、と確かめようと思ったが周囲に鏡らしきものは見当たらなかった。
(……そして、この光景は何だ?)
場所が突然変わったこと、自分の姿形が変化したこと、どちらも俺にとってみれば大きな変化ではあったが、それよりも気にするべき点があった。
それは周囲の光景の異常さである。
裸の人がずらりと立ち並んでいる。
数えると合計で三十人ほどで、見た目もばらばら。体格が大きいもの、栄養状態が悪いもの、獣毛で体が覆われたもの、ひどく長身なもの、それぞれ特徴的な外見の人間がそこにいた。
いや、人間……正確には魔族というべきなのだろうか、亜人というべきなのだろうか、正確な言葉は知らないが、とにかく明らかに現代社会では見かけない、ホモサピエンスと異なる人間がそこに存在している。
共通していることは、全員が衣類を着せられていないという点のみ。
裸の格好のまま、人としての尊厳を奪われている。
(一体どういうことだ)
全く状況がつかめない。
いや、状況ならば理解は出来る。目の前にワーキャットの獣人の女の子がいて、彼女は飢餓状態で栄養状態が悪い、というように。
しかし分からないのは、『何故そんなことになっているのか』、だ。
何故そんな女の子が目の前にいる。裸で、飢えた状態で。
これではまるで。
(奴隷じゃないか)
その発想に至った瞬間、俺は一歩後ずさった。
「……良かった……」
ワーキャットの囁くような声。
俺は思わず彼女の顔をまじまじと見た。こちらを見つめ返すその瞳には、縋るような何かがあった。
彼女は誰か。何が良かったのか。その格好は何なのか。
様々な疑問が脳裏を過ぎったが、答えは出ない。
幸い言葉は通じるので、彼女に色々尋ねてみようかと思ったが、しかしそれは後ろから聞こえてくる声によって遮られた。
「おいトシキ! 貴様いつまでかかってやがる!」
「はい! え、あの」
振り返れば、不機嫌そうな大男が肩を怒らせてそこにいる。
トシキ。俺の名前を知っている奴らしい。だが記憶を辿ってもその声の主に心当たりはない。
一体誰だ、と思いながらも、不自然にならないように会話を繋ごうと知恵を絞る。
「申し訳ございません、よく分かりませんでした」
「あ? てめえ奴隷の選別すら出来ねえのかよ!」
突如、大男は使えねえ、と俺の顔に拳を入れた。
一撃。鼻が熱くなり涙に目が滲む。
衝撃によろめき、後頭部を強かに打ちつける。頭がくらくらしてすぐには立ち上がれない。
座り込んだまま、俺は大男を見上げて呆けてしまった。
大男はこっちを見下ろしていた。
不機嫌そうに歪んだ表情は、まるで嫌な臭いに顔をしかめている時のような顔であった。酒に赤らんだような鼻の色と、欲深そうな目の細さがやけに特徴的だ。
砂漠の商人、なのだろう。やや質の良い刺繍入りローブが様になっている。だが、彼は人好きのするような容姿ではなく、寧ろ獰猛な生き物を連想させた。
大男は、その野太い声で吼えた。
「……おい、生意気な顔しやがって。誰が俺にガンを飛ばしていいと言った!」
今度は蹴り。
太ももの同じ場所を執拗に蹴ってくる。「返事はどうした!」と怒声が飛んで来た。
痛みに耐えかねた俺は「も、申し訳ありません」と身を屈めて謝った。
やがて飽きたのか、「……まあいい」と不機嫌な声とともに、大男は蹴る足を止めた。
「暇じゃねえんだ。後で締めてやるから、今は退いてろ」
「……承知しました」
頭を下げて距離をおく。
突然のことで、最初こそ怒りが湧く暇もなかったが、今になって理不尽な仕打ちに腹が立つ。
いや、腹が立ったが太刀打ちできないと思った。
きっと刃向かってはいけない。力の差で負ける。見るからに体格の差が大きいので、もし争ったとしても負けることが明白であった。
まだ若干困惑しつつも、俺は内心で嘆息した。
こんなことを考えていても埒はあかない。別のことを考えて気を紛らわせることにする。
(……この状況は一体何なんだ)
まずもっとも大きな疑問はそれであった。
この状況はどういうことなのか。これは夢なのか。いろいろ考えてみるが答えは出そうもない。
強いて言うならば、夢の中でもしやこれは夢なのではと気付いたことは今までなかった。決まって夢だと気付くのは目が覚めた後であって、今まで俺は夢の最中は何も疑問を感じなかった。
夢ではないのかも知れない。ならば何なのだろうか。
異世界、という単語が脳裏をよぎった。だが、俺には今の段階では判断が付かなかった。
(そして、奴隷の選別?)
次に気になったことといえば、この大男の言葉に出てきた奴隷の選別という単語だ。
奴隷。
つまりこの世界では奴隷が普通に存在するものだとして受け止められているのだろう。
それはつまり、地球という現実世界ではないことを意味しているわけで。
(……。夢なのかも、異世界なのかも、見当がさっぱりつかないな)
俺は痛む鼻をさすりながら考えた。
人間の向き不向きの観察は、まあ出来なくはない。
それは俺が現在就いている職業、キャリアコンサルタントとしての経験があるからだ。
キャリアコンサルタントというのは職業相談みたいなものだ。
資格適性、能力適性、心理学的なアプローチなど、さまざまなデータを活用して、本人の適性と希望を基に相談に乗る、カウンセリングに近しい仕事。
国の技能検定制度にもなっているほどで、俺はちょうどキャリア・コンサルティング技能士の資格を持っている。
なので、やろうと思えば人間の向き不向きを観察することぐらいは出来なくはないのだろう。だが。
(異世界の奴隷となると厄介だぞ。この世界の仕組みを全く知らない)
俺は参ってしまった。
せっかく前世で人物観察のスキルを磨いてきたというのに、この世界の仕組みが分からなければ全く意味がない。
例えば、もしこの世界が異世界であると仮定して、魔法があるような世界だったとしよう。筋骨隆々の人間に「君は建築に向いているよ!」と判断したとしても、もしこの世界の土木建築が魔法で全て賄えるのならば、全く意味はないのだ。
このようなことにならないように、まずはこの世界の常識を早く身につける必要がある。
しかし、奴隷の選別だなんて、それこそどうすればよいのだろうか。夢ならば早く覚めろ、と俺は思った。
「ったく、鑑定スキルもってるガキだから見習いとして雇ってやってるっていうのに、全然使えねえな」
「すみません。……?」
「何でこんな奴に財宝神クーベラ様が鑑定スキルを与えたんだか。俺の魔力をつまらねえことに使わせるんじゃねえよ。――『ステータスオープン』」
財宝神クーベラ。
その言葉を聞いた時、俺はもしかして、と思ってしまった。
財宝神クーベラというのは、とあるゲームの神様の一柱なのである。
『fantasy tale』。俺がちょっとはまっていたファンタジーRPGで、ソーシャルゲームの携帯アプリとして世界規模の売り上げを誇ったもの。
俺もそこそこやり込んだほうで、そのゲームならば世界観は大体分かる。
もしもこの世界が『fantasy tale』と一緒ならば。
そうだと分かった瞬間、俺は色々なピースが頭の中に嵌っていくのを感じた。
魔族の奴隷、獣人族の娘、『ステータスオープン』の呪文。それらは全て、『fantasy tale』の世界に一致する。
俺はもしかして『fantasy tale』の中に飛ばされたのではないか。
(ああ、なるほど。……つまり俺は、夢だか何だかわからないが、『fantasy tale』の中にいるってわけだ)
確信する。そういえば『fantasy tale』にはワーキャットという種族も存在した、つまりあの女の子の獣人の存在にも説明がつくのだ。
その仮説に気付いた瞬間、俺の中に希望が一つ芽生えた。
どうせ夢なら夢でいい。だがもしも全く異なる世界に生まれ変わってしまっているのならば、それはこの上ない機会であった。
人生をやり直せるのだ。
そして、やり直して俺は、と息を飲んだ。
(――どうせ夢なら夢でいいんだ。でも、やり直せるのなら俺は、この世界で立身出世を果たしたい)
そんな言葉が自然と、自分の中に浮かび上がっていた。
「は、こいつは使えそうだ。こいつは……無理だな、よし、こっちは」
大男がそうやって選別している間、俺はこっそり決意した。
まずはこの大男を何とかしよう、と。
(中々こき使ってくれるじゃないか、マルクの奴)
うだるような炎天下の中、水を運びながら、俺は内心で悪態を吐いた。
砂漠の日照りは焦がすように強い。それなのに人混みは途切れることなく続いているので、暑苦しいことこの上ない。
流石は恵みの国、『fantasy tale』において人口の最も多い国だけはある。
その交易中心地である交易都市『オアシス街』(都市の名前が本当にオアシス街という名前なのである)は、人混みが雑多で通り過ぎる人種も人間、亜人、魔族と様々である。
獣人が肉を売りさばいている。竜族がそれを買う。やり取りされる金貨はもちろん見慣れない通貨で、それを笑顔で受け取るのは小間使いのゴブリンだ。
嫌でもファンタジー世界であることを見せつけられる光景だ。
その街中を、重たい水を背負いながらふらふらと歩いているのが、俺であった。
(そりゃ勿論オアシスから水を汲んでこないと、飲み水もままならないことは確かだ。だが、オアシス街からスラム街までどれほどあると思っているんだ……っ)
俺が先ほどから荒んでいるのは、他でもない、あの大男マルクの仕打ちの酷さに対してである。
単純に、運ぶ水の量が尋常じゃないのだ。マルクの店は奴隷を三十人近く抱えているので、一日二リットル消費するとしても六〇リットルだ。
今現在、俺のほかに三人の人頭奴隷を駆り出してその水を運んでいるのだが、つまり一人頭で一五リットル近く、それをオアシス街からスラム街まで運ぶのだ。
これが相当堪える。
普通、水汲みは肉体労働に長けた奴隷に行わせるもので、俺のような十五歳の線の細いガキにさせるような仕事ではない(実は自分に鑑定スキルを掛けたところ十五歳だった)。
それをマルクは敢えて俺にもやらせている。「お前の生意気を矯正するため」という理由らしい。
実に馬鹿馬鹿しい。
(くそ、オアシス街に店を構えられないからってスラム街との境目に店を構えているような奴隷商の癖に)
オアシス街に店を構えたら、水を運ぶ距離も遠くないというのに、と俺は思った。
スラム街を一言で言うならば、元気がない、という表現が正しい。
オアシス街では盛んに人々が行き交っていたが、対照的にスラム街はというと人影が随分と疎らである。
路地の隅で寝転がる人や、怪しげな食べ物を売っている店などが存在し、独特の空気が漂っていて、街が鬱々としているという表現が近い。
オアシス街の淀んでいる側面。それがスラム街であった。
奴隷商マルクの居住地は、オアシス街とスラム街の中間にある(正確には、『オアシス街』という一つの大きな町の中に「オアシス街と呼ばれるエリア」と「スラム街と呼ばれるエリア」があって、その中間に存在する)。
オアシス街の中心から少し離れ、スラム街までの道のりを行くと、そのややスラム街よりの中間に、スラムの廃退的な雰囲気とは少しばかり色合いの違う店があるのだ。
上品だが後ろ暗い欲望を持った人間が好みそうな、そんな絶妙な位置取りをしている、と俺は思う。
(……やっと、マルクの店が見えてきたか……)
足を止めて、ほっと一息。
ようやく重たい水を下ろした俺は、店の中に入って、マルクに「終わりました」と声をかけた。
マルクはそこに岩のように鎮座していた。
俺に対する返事として、大きな瞳がぎろりと俺を睨んでいる。「はん」と鼻を鳴らすのが聞こえ、俺は早速殴られることを覚悟した。
いつもこうなのだ。こういう機嫌の悪さの時は、決まって俺を殴る。
「水汲みが終わったら何をするか、知ってるだろうが!」
「っ……」
殴るのではなく、蹴りであった。鳩尾よりやや下に逸れていたのが不幸中の幸いで、呼吸が止まったりすることはなかった。代わりに腹部の内臓が傷付いたのではないかと思うようなきりっとした痛みが走った。
う、という呻き声が思わず漏れた。
「一々口にしないと分からないか! 俺を煩わすな!」
唾を散らして吠えるマルクだったが、ならば一々煩わせないように報告の数を減らしたら減らしたで、こいつは「報告をしないとは何事だ!」と同じ事をする。
要は俺を怒鳴りたいだけなのだ。
どっちみち殴られるのならば少ない回数のほうがいい、ということで俺は、自分で判断できる部分は自分でこなして、報告は簡潔に纏めるのみにしている。マルクも一々煩うことが少なくなりプラスだろう。
と思ったら、そうしたらそうしたで、今度は「生意気な態度を取りやがって」と言う次第である。
(……下らない)
「分かったか? あ?」と髪を掴んで俺を起き上がらせるマルクは、もはや暴力を振るいたいという欲望を隠し切れていなかった。
俺はこの状況から脱出しなければ不味い、と確信した。
痛む体に鞭を打って働く。
水汲みの後は、高級奴隷・下級奴隷たちの世話である。
テント内部を軽く清掃し、奴隷たちの食事を作り、そして足りない備品があれば買い足しにいくのだ。
(……奴隷の奴隷、みたいなことをしているな、俺は)
雑巾を片手にテントを清掃していると、そんな自嘲めいた言葉がふと頭に浮かんだが、あながち間違いではない。
俺は小間使いなのだ。マルクに体よく利用されているだけの、何の力も持たない小間使いの子供なのだ。
逃げ出せるのならば逃げ出していたかもしれない、何せ賃金は「商人として教育を施しているし、食事や寝床まで提供している」という謎の理論で支払われず、その上理不尽な理由で暴力を振るわれるのだから。
無賃労働、体罰。
それでも逃げ出さない理由は、ひとえに逃げ出したところでどう生きていけばいいのか分からないからという理由に過ぎない。
身元も分からないスラム街出身の子供を、一体誰が面倒を見てくれるというのだろうか。例え人手の足りない店がどこかにあったとして、小間使いを雇いたいと思ったにしても、俺のような身元も知れない奴ではなく、奴隷を買って雇うだろう。
つまり、逃げたところで安寧が約束されているわけではないのだ。
(逃げ出すにしても、何をするにしても、まずは知識と手段が必要だ……)
幸い、俺は奴隷ではない。いざとなればマルクに刃向かうことが可能ではあった。
それはつまり、今俺の背中に彫られている奴隷紋の制限を受けない、主人の命令に反しても気が狂うほどの激痛を受けたり死に至ったりすることはない、という意味である。
マルクは俺が奴隷ではないことに気付いておらず、いざとなれば俺の背中の奴隷紋が、俺を押さえつけてくれると信じているらしい。
奴隷紋、非常に便利な魔術だと俺は思う。
マルクのような暴力的な奴隷商人であっても、奴隷達がどうして逃げ出さないのかというと奴隷印があるから、という理由が最も大きい。
奴隷紋は一種の契約魔法で、奴隷紋を体に彫られた存在は、その契約の主人に行動を制限されるのである。命令には絶対服従、命令に反すれば奴隷紋が熱を持ったように痛くなり、奴隷を苦しめる。
その苦痛たるや、人の気を狂わせるほどで、最悪の場合ショック死すらありえるのだ。
(でも、俺には奴隷紋が効かない。奴隷契約が知らぬ間に途切れているらしい。……これは、俺がマルクから独立する上で、かなり重要な事実だ)
俺はこれを有効活用する機会を窺っていた。いざとなれば牙を剥くことができる。
例えば俺は、無賃労働にも関わらず金貨三枚程度の資金の蓄えがある。
これは、マルクにお使いを頼まれたときに普段より安いものを購入して差額のうち数割を貯金したものや、あるいはオアシス街の商品を安く買って他の所で高く売って得たもの、空いた暇にくず鉄拾いの少年から質の良いものだけを買って儲けを得たもの、そういったものの積み重ねである。
この四ヶ月で何とかして得た金貨三枚。
いざというときに何かは出来るだろう。
問題は、いつ牙を剥くのか、だ。
(……俺には、鑑定スキルと財宝神クーベラの加護がある。逆に言えば、それしか今の俺にはない)
ステータスオープン、と念じてステータス画面を開く。声に出さなくても念じるだけで表示できるというのは、非常に便利だ。
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名前:トシキ・ミツジ
年齢:15歳
レベル:6
HP:20 MP:7
筋力:5
俊敏:7
魔力:4
耐久:6
固有加護:財宝神の加護
固有技能:鑑定オプション
特殊技能:鑑定Lv.10
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重ね重ね確認するが、このステータス画面が示す通り、俺は奴隷ではないのだ。奴隷ならば名前欄の横に(奴隷)と表示されるはずだからだ。
何故俺が奴隷状態じゃないのか、というと、それは財宝神の加護のおかげに他ならない。ステータス画面の財宝神の加護、という部分に向けて『検索オプション:詳細検索』を行い、より詳しい説明をポップアップさせると以下のように書かれていた。
【固有加護:財宝神の加護】
財宝神クーベラの加護。商業の才能に補助が生まれる。
交渉術成長+
合意のない契約の無効
(どうやらいつの間にか合意のない契約ということで、奴隷契約を無効にしていたらしい)
こればかりは幸運に感謝せざるを得ないだろう。もしも奴隷契約を結ばれたままだったら、俺は何も出来なかったのだから。
他の奴隷たちを見る。ステータス画面には「名前:ミーナ・セリアンスロープ(奴隷)」「名前:カイエン・レプティリアン(奴隷)」というように奴隷であることが明記されている。
もしも俺の鑑定スキルの表示を信じるのであれば、俺はどうやら彼らとは違い奴隷ではない、ということらしい。
奴隷紋が背中に彫られているのに奴隷ではない、という事実に自分のことながら違和感を覚える。
(問題は、マルクが俺に鑑定スキルを使えば、俺が奴隷じゃないことがばれてしまうのではないか、ということだったが……)
それが最大の懸念事項だったが、どうやら、マルクの鑑定スキルと俺の鑑定スキルとでは『見え方が違う』らしい。
俺には見えているはずの様々な情報が、マルクには見えていないらしかった。
例えばスキル。「特殊技能:鑑定Lv.10」と表記されている特殊技能は、『fantasy tale』の世界でいうスキルと呼ばれるものである。
このスキル、スキルレベルというものはその人の特技や得意分野の情報である。
しかしマルクには、俺とは違いその人がどんなスキルを持っているのか、スキルレベルがどれだけ高いのか、などは見えないようである。
(それもこれも鑑定オプションのおかげだ。これが操作できるかどうかはかなり大きく違うだろう)
【固有技能:鑑定オプション】
鑑定スキル使用時のオプション設定が可能になる。
名前表示:ON
年齢表示:ON
Lv.表示:ON
ステータス数値表示:ON
加護/スキル表示:ON
信頼度表示:ON
心理グラフ表示:ON
詳細検索:ON
鑑定オプションという加護は、どうやら所謂コンフィグ画面のようだ。
ON/OFFにより使うオプションを設定できるらしく、これで鑑定スキルをカスタムできるようだ。
自作オプションというのが一体何なのかは未だに分かっていないが、ともかく「名前」「年齢」「Lv.」「ステータス数値(筋力、耐久など)」「加護/スキル」「信頼度」「心理グラフ」などの情報が分かるのはかなり大きなアドバンテージであった。
一方。
マルクが分かる情報はどうやら「名前」「ステータス数値」のみらしい。
スキルありの奴隷とスキルなしの奴隷を、ステータスが同じだからと同じ値段で売ったりしていることからもそれが窺われた。
(つまり俺は、マルクよりも得られる情報量が遥かに多い訳だ)
マルクの鑑定スキルはLv.2、俺の鑑定スキルLv.10と比べると随分と低い。
このことから考えるに、マルクの鑑定スキルは俺よりも性能が随分劣っているらしく、俺が奴隷なのかどうなのか、俺がどんなスキルや加護を持っているのか、などの情報が分からないのだと予想できる。
もちろん何故マルクが『俺が鑑定スキルを持っている』ということを知っているのかは分からない(もしかしたら昔の俺がうっかり言葉を漏らしてしまったのかもしれない)。だが、もしも俺と同じようにそのような情報が見えているのだと仮定すれば、俺が奴隷じゃないことに気付くはずなのだ。
(……俺が奴隷であると油断しているところを突いて、奴を罠に嵌めるとするか)
未だに痛む腹をさすりながら、テントの掃除を続ける。
頭の中でどのようにマルクを嵌めるのかという構想を練り、俺は薄く笑みを浮かべた。
(ああ、今日は疲れた……)
夜。
夜警のために点火した焚き火に身を暖めながら、俺は周りを見渡した。
スラム街は治安が悪い。それこそ、いつの間にか誰かが殺されたとして、明らかに人の手による殺人であったとしても、『不慮の事故』という形で処理される程度には異常である。
必然、スラム街とオアシス街の中間に位置するこのマルクの店も、襲撃などを警戒する必要がある。
だからマルクは、奴隷に周囲を見張らせて警戒させているのだ。
昼夜問わず、時間交代制、二人一組、武器所持。
基本的には体格の良い奴隷がこういったことを担当するのだが、何故か俺も夜警を任されている。
見せしめだろうか、それとも腹いせだろうか。どっちにせよ「教育のため」とマルクは嘯くだろう。
(夜、こうやって見張りをすること自体は嫌いじゃない)
睡眠時間が削られるのは嫌ではあったが、俺は夜警をすることが嫌ではなかった。
むしろありがたかったとも言える。
というのも、夜警という名目で焚き火に当たって体を暖めることが出来るからだ。
俺の寝床は、奴隷たちとは違って狭い倉庫テントであった。夜はひどく冷え込み、体も満足に伸ばせず節々が痛む。
だから途中でどうにも満足に睡眠できず、目が覚めてしまうのだった。
だから、一端焚き火で体を暖めたほうがまだ質のよい睡眠を取ることができる。その意味で夜警は俺にとっては数少ないやりたい仕事だった。
元々、俺は転生する前は夜型人間だったので、睡眠時間が足りなくなったところであまり堪えない。
焚き火で暖まりながら、水を沸かして白湯を飲み、ぼんやり星を眺めて(もちろん周囲の警戒はするが)過ごすこの時間は、ある意味癒しであった。
(……さて、差し当たって考えるべきは、どうやって今の状況を打破するかだが……)
ふと、マルクが今眠っている店主用テントに目をやった。あのテントの中に踏み入ったことはないが、あの中にはたくさんの貴重品があることは知っている。
例えば、商人ギルドの経営許可証であったり、顧客との契約書であったり、そして、数々の奴隷契約書であったり。
(実力行使か?)
例えばマルクを身動きできないよう拘束したとしよう。
そして、経営許可証を俺名義で再発行してもらい、契約書の数々を俺の名義に書き換える。そうしたら俺は、この店を乗っ取れるだろうか。
答えは、ノー。
マルクが正式に経営権を放棄する、あるいは正式な手続きで経営権を剥奪される必要がある。
無理矢理名義を書き換えたからといって、それはただの強奪にすぎない。
マルクが俺を摘発した場合、俺はめでたく捕まることになる。
では、マルクが経営権を放棄することなどあるだろうか。
断じてないだろう。
あいつの性格から言うと、あいつは出世欲が強く、儲けに目のない人間だ。奴が経営権を諦めるだなんて、天地がひっくり返っても有り得ない。
(となると、いかにして経営権を剥奪させるかだが……)
焚き火が乾いた音を立てて揺らめく。
経営権をどう剥奪するかだなんて、それこそそんなの無理難題に思えて、マルクから一人宛もなく逃げ出すほうが楽な話に見えてくる。
乗っ取るか、逃げるか。それとも、今のままを甘受するか。
(……少なくとも三つ目だけはないな。このままだと殺されかねない)
普段の扱いを思い返す。ただ殴る、怒鳴るの繰り返し。時々本当に生命の危機を思わせるような一撃が来ることもある(鑑定スキルでHPを見たら結構減っていた)。
もし風邪や熱など、病気を患った場合、当然休ませてくれたりしないだろう。給料もないので薬も満足に買えず、体力のない体で暴力を受けたりしたら、そのまま死ぬ可能性は十分にある。
これではまずいのだ。
そうじゃなくても、このままを甘受するだなんて、それこそ、せっかくの人生再起のチャンスを不意にしている。
(逃げるべきか、乗っ取るべきか)
いずれにせよ、まずはこの世界の知識が必要だ。知識を仕入れないといけない――。
「あの、いいですか?」
「ん?」
等と考え事に耽っている俺に、声がかけられた。
ミーナ・セリアンスロープ。いつもは笑顔を浮かべないので物静かな印象を与えがちだが、一度仲良くなると人懐こく良く笑う、そういう一面を持つ娘。
彼女はワーキャットの獣人の娘であり、そして俺と同じ(正確には俺は違うが)奴隷である。
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名前:ミーナ・セリアンスロープ(奴隷)
年齢:15歳
レベル:6
HP:21 MP:6
筋力:8
俊敏:9
魔力:2
耐久:4
固有加護:夢見の巫女
特殊技能:槍術Lv.3
特殊技能:舞踊Lv.2
特殊技能:肉体強化Lv.1
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鑑定スキルにもはっきり、ミーナ・セリアンスロープ(奴隷)と表記されており、彼女が奴隷であることは間違いない事実であった。
一部気になる記載は散見されたが(特に槍術がLv.3もあること、夢見の巫女という固有加護、等)、それでもなお彼女はマルクの一奴隷に過ぎない。
そして、今の時間帯の夜の見張りは、俺とミーナの二人で担当しているのであった。
「どうした、ミーナ」
「あの、お怪我は大丈夫ですか? 今日ずっとお腹をさすりながらお仕事していたものですから」
「ああ、問題ないよ。もう四ヶ月……いや、とにかく慣れたよ」
彼女は目ざとく俺の仕草を注視していたらしい、恐らくだがテントの掃除中のたまに腹をかばうような動きでばれたのだろう。
実際、あのマルクの蹴りは結構厳しい一撃で、HPが結構減っていた。しかし然るべき処置(鑑定スキルによると消炎鎮痛剤を飲めばよいとのことだったので、その効果のある草を今煮込んで白湯から飲んでいる)を施すことで何とか快方に向かいつつある。
「ああ、そういえばもう四ヶ月ですね」
「……」
「? どうされました?」
不思議そうな顔で覗き込んでくるミーナだったが、俺はうかつに言葉を発することができなかった。
四ヶ月、というのは、俺がこの世界に来て四ヶ月ということだ。
この四ヶ月間、暴力や理不尽に耐え忍んできたというのは感慨深いものがある。だが、その四ヶ月の苦労は、俺しか知らないはずなのだ。
外部の人間には、四ヶ月前から俺が転生してきた、だなんて分かるはずがないのだから。
(このミーナの発言は、どういう意味なんだ?)
意味深なミーナの発言に、俺は「ああ」と生返事だけを返しながら、白湯を飲んだ。
引き換えに、別の、聞きたかったことを聞くことにした。
「なあ、そういえば四ヶ月前のことだけど。俺が鑑定する方法を忘れちゃってポカしたときの話。覚えているか?」
「え、はい。覚えています」
「あの時ミーナ、良かった、って呟かなかったか? あれってどういう意味なんだ?」
そう、あの時確かに、彼女は「……良かった……」と俺に向かって呟いたはずなのだ。その発言の真意は一体何なのか。
あくまで仮説だが、彼女はもしかしたら俺が転生者であるということを知っているのではないだろうか、だからあのタイミングで「良かった」だなんて発言したのではないだろうか。
穿っていても仕方がないので、とりあえず聞いて、向こうの反応を確かめる。
「秘密です」
どことなくミステリアスな笑みを浮かべる彼女からは、俺は全く読めなかった。だが鑑定スキルは彼女の心理をほぼ正確に読んでいた。
これは重要なことを隠しているときの心理グラフの動きだ――と、俺はポップアップ表示される心理グラフメータを読み取りながら思った。焦りや動揺はあまりなかったが、驚きの感情が強く表示されている。
「秘密ですけど、良かったのは本当です」
「だから何が良かったんだか気になるじゃないか」
「うふふ、嫌な夢を見ちゃって、でもそれが今度は正夢にならないかも、って思ったからですよ、主様」
「何だよそれ……って、主様? 俺は主様じゃないぞ」
「さあ、何でしょうね?」
「何でしょうねって……」
はぐらかされているような、本音を語っているような。どっちとも付かない彼女の発言に、俺は深読みすることを諦めた。
でもきっと主様になるんですよ、という言葉が聞こえた気がしたが、そこに込められた感傷のような何かを、俺はついぞ汲み取ることができなかった。
「それよりも、主様」
「何だ? ていうか主様じゃ」
「もしもマルクからの独立を考えているなら、私が手助けしましょうか」
「え……?」
「巫女ですから、私」
巫女だったら何なんだ、と俺は思ったが、その口調はまぎれもない本気で、だからこそ俺は彼女のその言葉を冗談だと聞き流すことはできなかった。
「ね、いかがですか?」
人懐こいような笑顔を見せてほんの少しだけ近寄るミーナは、まるで悪戯が成功したときの子供のような表情を浮かべていた。
2016/3/11
その他自作オプションの表記を変更。
元々は【年収】【好きなタイプ】など自分で項目を作ってそれを調べることが出来るという壊れスキルを想定していましたが、番外編でこのネタを使うことにします。