第九話
「そろそろ夜営に入る」
ついに中継地点のオアシスに入ったらしい。
衛兵たちは衛兵長ハワードの命令を各班ごと伝えに来たようで、カイエンたちが説明を聞き終わるや否や次の班へと向かっていた。忙しいことだ、とカイエンは思った。
伝言を受けてカイエンたちは、そろそろ暗くなった空の下、腰を下ろして落ち着くことにした。
(警戒すべきは睡眠薬の仕込みだけじゃない、魔物使いジャジーラの魔物に囲まれる可能性を危惧しないといけない)
オアシス周りの魔物の情報は、主人トシキに教えてもらった。冒険者ギルドに向かったついでに、サバクダイオウグモやそこに向かうまでに出くわす魔物の資料を調べてきたらしい。全く周到な人だ。
教えてもらった情報によると、別段危険視するような魔物はいなく、強いて言うならばこのオアシスにはいないはずの砂漠虎が稀に出没するかもしれないという程度。この討伐隊の規模であれば問題視するものではない。
(ところで、あの冒険者が確か専属冒険者だったか)
主人トシキはついでに、専属冒険者とやらが誰なのかも教えてくれた。この専属冒険者たちはギルドより直接魔物使いジャジーラの始末を依頼されているという、いわばギルドの子飼いの腕利きの冒険者である。
つまり彼らとはなるべく行動をともにするほうがいい。安全面という意味でも、そしてジャジーラを始末するという意味においても。
専属冒険者と言われた冒険者たちはある程度顔を覚えた。なのでもし必要とあらば彼らと行動を共にするつもりであった。
(まあ、行動をともにしろと言われたところで、今の段階で何をするもない)
カイエンはそう考えながら、火をつけて水を沸かすことにした。
オアシスの水とはいえ、そのまま飲むと病気になりやすい。
砂漠の夜は冷え込むということもあって、沸かして温かくなった水を飲む方がよかろうという判断だ。
オアシスからすくった水を焚き火にくべていると、隣にミーナが座ってきた。
「カイエン」
「どうしたミーナ?」
「火の番は私がします。カイエンは私たちの装備の手入れの方法を教えてください」
ミーナがそう言って頭を下げるのを見て、カイエンは今更ながら気付いた。彼らはただの奴隷であって、冒険の知識は素人に過ぎないと。
別に今日一日点検しなかったからといって、今日は何も切ったりしてないのだから、武具に関してはそこまで問題はない。汗が染み着いた防具を手入れする程度でよかろう。
そう考えたカイエンは、「後でお前にも教える」と言って、奴隷たちに防具の点検を教えることにした。
(思えばミーナたちとも会話する機会が増えたものだ)
元店主マルクの奴隷だった頃は、会話など特になかった。必要以外の会話が許されていなかったからだ。当然同じテントの仲間同士でさえ、会話をすることはついぞなかった。
しかしトシキは会話を全然禁止しなかった。
むしろ推奨までするのには、ある意味カイエンたちのほうが心配したほどだ。
そんなことを許せば、守秘義務の漏洩や、奴隷の士気の低下につながるのでは。
そう危惧したものだったが、あの主人には無用の心配だったようだ。
守秘義務を漏らさないように命令を徹底させ、さらには守秘義務でなくても悪口などに関しても、何やら地獄耳なのか読心術の持ち主なのか分からないがすぐに忠告がくるという始末。
おかげでむしろ、あの主人がいると気が休まらない程だ。かなり目の光る地獄耳という印象をカイエンら奴隷たちは抱いている。
(だが、会話が増えたことはよいことだ)
カイエンは思う。
他の奴隷たちと会話する機会が増え、少なからず信頼関係が出来たように感じられる。
壁の方陣などの集団戦闘も、他の奴隷たちと会話する機会が増えたからこそ上手く連携できたのだと思うのだ。
カイエンはふと、集団稽古、会話の解禁、などを経て、思った以上に他の奴隷たちへ接する機会が増えていることに気付いた。
きっとそうでなくば、防具の点検など教えてなかったかもしれない。
そう思いながらカイエンは、点検用の布を手に持って奴隷たちの所へ向かった。
テントに戻ると、ヘティがいつものように「お帰りなさい、ご主人様」なんて冗談めかして俺を迎えてくれた。
手には雑巾があり、どうやらユフィやネルにどうやって砂埃を拭き取るのかを教えている途中だったようだ。ユフィが不機嫌な理由も、ネルが申し訳なさそうにしている理由も、それで説明がつく。
光景としてはなかなか面白いシーンであった。
高級奴隷三人がまさか雑巾を片手に清掃するだなんて、他の奴隷たちからすれば奇異な光景だったに違いない。何せ、今までそういう行為は俺かもしくは下級奴隷たちの仕事と決まっていたからである。
しかし別段愉快な光景でもない、と周囲の奴隷達は思っているようだった。何とならば、俺が今までの恨みを当て付けるために高級奴隷たちに辛く当たっているのでは、と訝っているような空気がある。後で誤解を解いておく必要があるだろう。
「掃除を教えているのか?」
「ええ。ちょっと見てられなかったもの」
「違いない」
俺は苦笑しつつ、机に座って帳簿を開いた。今回の件で大量に購入した水や非常食など、そういった出費を記録するためである。
今回の件で、今年度の収入に対する免税措置、およびマルクの隠し財産を見逃して貰えたことで結構な額が利益となる。しかしその利益は、あくまで討伐隊に参加している奴隷たちが死なないこと前提だ。死んだ分の奴隷は買い取って貰うという約束を結んではいるが、どこまで守ってもらえるかは向こうの裁量次第になりそうだ。
「掃除と言い教育と言い帳簿と言い、ヘティは良い奥さんになるだろうな」
「あら、突然どうしたのかしら? 褒めても何も出来ないわよ」
「いやいや、帳簿さ。ここ最近まではマルクと一緒につけていたんだろ? 不正経理がされているって言うからどんなにぐちゃぐちゃに帳簿が付けられているのかとぞっとしていたけど、存外綺麗に纏まっていたから安心したよ」
「そう。お役に立てて光栄だわ。まあ、こんな私に貰い手がつけばの話だけども」
そういって茶化すヘティだったが、鑑定スキルで見る限り全然悪い気はしていないようであった。
こっちも冗談半分で「貰うぜ」と返すと、にやあと彼女は笑っていた。この表情は見覚えがある、ミーナが俺にからかい半分でふざける時の表情だ。
「口説いているつもりかしら? 商人っていうのはね、本気にされたら困ることを口にしちゃいけないのよ」
「本気にされても困らないさ。喜んで貰うとも」
「うふふ、私は高い女なの。お手伝いはするから、もっと稼いでちょうだいね」
「違いない」
いなし方まで完璧ときた。認めよう、ヘティは本当に良い女である。
若干冷たい視線をユフィから感じ取った俺は、ふざけるのもここまでかと仕事に取り掛かることにした。ちなみにネルはほえー……とか言ってた。