第七話
「あら、ミーナ。随分浮かない顔ね。どうしたのかしら」
「あー、ヘティですか。どうしたもないですね。カイエンですよカイエン」
「カイエン? あら、彼がどうしたのかしら。そういえば彼随分張り詰めていたけど、何があったのかしらね」
「……。知らないんですか? カイエン、かつて友達がいたんですけど、ジャジーラって奴に殺されちゃったんです。しかも友殺しの罪をなすりつけられちゃって。もう踏んだり蹴ったりですよね」
「あら、そうなの。そんな過去があったなんて」
「でも、その罪をなすりつけた友の仇が見つかったみたいです。というか今回のサバクダイオウグモの討伐に関わっているみたいなんです」
「あら。でも、それって」
「そうですよ。絶対これ、あれじゃないですか。カイエン、きっとジャジーラと刺し違えてでも決着をつけるはずです。もう何か決意がひしひしと伝わってきましたから。本気の剣をもって決着をつける、みたいな」
「そう……。そうなのね、カイエン」
「……。ヘティ、何か知っているんですか?」
「……。カイエンについては何も知らないわ。でもどんな気持ちなのかしらって考えると、壮絶ねって思って」
「……。壮絶ですねー。……だって、その本懐さえ遂げられたら死んでもいいって気持ちになんて、中々なれないと思いませんか? そんなの、失ったものが大きすぎる人ですよ。失ったものが大きすぎて、だから、それを遂げないことには死に切れない、みたいな」
「……。そうね。そのためになら死ねるだなんて、既にもう何か失っている人の発想よ。失っていないなら、そんなこと考えないはずだもの……」
「……。ヘティもそんなこと考えたことありますか?」
「……。どうかしら。よく分からないわ。そういう気持ちのときは、感情なんかそこにはなくて、ただ、許しちゃだめなことなのって気持ちだけが、……いや、何でもないわ。勝手な想像よ」
「……。何というか、感情の問題じゃないんですかねー。……もしかしたらカイエンもそうなのかも知れませんね」
「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れないわ。私には、カイエンのその壮絶な気持ちが分からないもの。未だに憎悪を煮やしているのかも、既に感情が死んでいるのかも」
「まー、人の気持ちは分からないですよねー」
「……でも」
「でも?」
「そういう人って、その行いには意味があるって信じているんじゃないかしら。きっとカイエンも、刺し違えるだけの意味があると思っているのよ」
「……。深いですねー」
「……いいえ、深くないわよ」
「そうですか? 感情が死んでいても、意味があると信じていれば、死ねるんじゃないですか? 死ねるというか、死んでもいいというか、きっと死ぬ恐れのある行為を躊躇わないというか。だって意味があるから」
「……。そうかもね。既に失っちゃっているから、躊躇いなくそういうことを出来ちゃうのかも知れないわね」
「そういう強い行動は、感情の衝動が強いからというよりは意志がないと出来ないというか。……そういう意志に、ヘティって憧れたりしませんか?」
「うふふ、どうかしら」
「……。ヘティ、もしもですよ」
「あら、何かしら」
「もしも主様がヘティの代わりにマルクに簡単に手をかけて殺していたなら、ヘティは主様のことを好きになったんじゃないですか?」
「……。どういうことかしら」
「……。さあ? 何でもないですねー」
◇◇
「――ふッ」
月光の下でカイエンは一人、体にこもった熱を冷ますために剣を振るっていた。
一振り一振りに想いを込めるように振りぬかれた一閃は、どこか遠くに離れてしまった記憶の剣をなぞるかのように同じ軌道を繰り返し走っている。
そして事実、その通りであった。
この剣はかつてのカイエンの剣であり、死んだクラッドの剣であり、この世に既に存在しないものである。
そして、カイエンはその二つを組み合わせるかのように、あるいは体に馴染ませるかのように、幻視しているその剣を振るい続けた。
(どうして剣をもう一度握る気になったんだろうな)
カイエンは思い返した。
最初こそ、もう二度と剣を握りたいとは思っていなかった。
剣を握ることはカイエンにとって惨めの代名詞でしかなく、何故生き残ってしまったのか、何故その資格すらない祝福を受けて剣を振るっているのか、と、その惨めさを再確認させられてしまう。
剣を振るうときの心は、諦めた夢に縋っているような虚無感や無意味さに似ている。
その感情はきっと感傷、あるいはその行き過ぎたものでしかない。
普通ならば割り切れるその思いにこだわるのは、カイエンにとってそれ以上の何かがあるからである。
思い残した何か。
どうしようもなく目を逸らすことの出来ないそれが、カイエンをそうさせていて、今カイエンの心はカイエンこそ分からないままでいた。
(この剣で、俺とアイツの剣で、全てを終わらせたい。そういう思いが俺のどこかにあるようだ)
だがそれでもカイエンは剣を取ることを選んだ。
カイエンには願いがあった。
二人の剣で決着をつけたい。五年に渡る悔恨の日々に、その全てに終止符を打つべきだという思いがどこかにあるのだ。
カイエンにとってジャジーラは仇以上の存在である。
奴は全てを奪った。友を死なせ、自分の誇りを傷つけた。カイエンの生きる意味を全て終わらせたと言い換えてもいい。
であるからには、カイエンの生きる意味にもっとも近かった剣こそが、それに決着をつける道具なのだろう。
そこには積年の思いがある。
カイエンが冒険者だった三年間、カイエンが奴隷となって冒険を諦めた五年間。
カイエンが冒険を誓った剣、カイエンがあこがれた剣、カイエンが追い求めた剣、夢、希望、その成れの果て。
それらはカイエンが剣を握る理由の全てであった。
「――ふッ」
もう一閃。
クラッドの剣は、荒く猛々しく真っ直ぐな斬り込む剣であった。対してカイエンのそれは、鞭のようにしなり良く伸びる刈り取る剣であった。
性質は異なるが、全く親和しないわけではない。
(終わらせるとも。クラッドの無念を晴らすためなら命さえ惜しくはない。そう思えたんだ)
カイエンはいつぞやの演説を思い返していた。
あの時一瞬鮮やかに蘇った冒険の夢を思い返していた。
クラッドと笑いあっていた、あの何でも出来たかのような、若い日々が蘇った。「二つ牙」の名前を世界に轟かせようという若い思いも蘇った。
だからこそ、決着が欲しいと思った。
この剣術に真剣でありたいと、この剣で全てに決着をつけたいと思った。
剣は、未だかつてないほどに鋭く仕上がっていた。