第六話
(カイエンの剣が変わっている)
剣の稽古を見ると、この前とは打って変わってカイエンの剣は力強く冴えていた。
これまでの洗練された、無駄な力みのない、流すような剣ではなく、相手を断ち切らんばかりの覇気が漲っている。
それは気概のようなものであった。
一閃一閃に、何かを追い求めるような緩まぬ気合が篭もっている。
人が変わったようなその変化に、奴隷たちも面食らってカイエンの剣を受けていた。
荒々しく襲い掛かるような剣の軌道は、伸びるように相手を捉え、リザードマン独特の鞭のようにしなる体をもってしてバネを効かせ、一気に振りぬかれる。
必然、内側に潜りこまれやすくなるため、前よりも隙が目立つ構えになっている。
だがその剣には一撃必殺の気迫が宿っていた。
(そうか、カイエンはそっちを選んだのか)
俺は内心で笑った。
カイエンの葛藤の原因は予想がついていた。友が死んだ傍ら、自分が剣を握ってもいいのだろうかという迷い、あるいはそれに近い感情なのだ。
だが今は、きっと剣を握る理由が、それも本気で剣を握る理由が、彼の中にある。
剣を握ってもいいのかという葛藤はその意味で薄れており、剣を振るうことへの躊躇いは幾分か少なくなっている。
きっとその躊躇いは今後ともなくなることはないだろう、だがそれ以上に彼の中に生まれた本気の剣を振るう理由が、これからの彼を後押ししてくれるだろう。
(なるほど、それがカイエンとクラッドの二人の剣、『二つ牙』の剣か。……今度戦ったら勝てる気がしないな)
お前らの剣はその程度ということになってしまう、というかつて俺が言った言葉を一瞬思い出した。
覇気のないカイエンの剣はそれこそ、その程度とやらであったかもしれない。
だが今俺の目の前で繰り広げられている剣は、目の覚めるような力強さと、内に秘めたる確固たる決意が感じられるものであった。
(なら当然、俺はカイエンに応えないといけないだろう。犯罪奴隷を冒険者に復帰させることぐらい何でもないさ)
俺はアリオシュ翁を思い出しながら、あの爺さんにまた借りが一つ増えてしまったかもしれないな、と僅かに苦笑した。
◇◇
「あの、イリ、ちゃん?」
「ん。誰?」
「あ、ネリーネです。ネルって呼ばれてます。……イリちゃんは何しているんですか?」
「ん。声を、聞いてる」
「声ですか?」
「声。鳥の声。風の声。砂の声」
「へえ、たくさん聞こえるんですね。何だか、そんなに聞こえてたら夜寝るとき困っちゃいそうです」
「ん。たくさん聞こえる」
「凄いですね、イリちゃん。私にはそんな才能ないから、ちょっと羨ましいです」
「変わっている」
「変わっている、ですか? あ、そうですよね、変わってますよね私、よくユフィに馬鹿にされて――」
「違う。カイエン」
「え、ええ? カイエンさんですか? 確かに変わってますけど、でも普通の人じゃないかな、って思ってます」
「今は、上手じゃない。けど、本気」
「? え、え? 上手じゃないんですか? え、上手って何がですか?」
「……。ネルは、下手」
「え、ええ? 私は下手なんですか? え、何がですか? え、あれ、話が通じていないですか?」
「……。頑張って」
「? あ、はい、頑張ります……?」
◇◇
「――お前たちも知っていると思うが、このたびサバクダイオウグモを討伐するために、うちから奴隷を十名派遣することになった。槍を使う者を七名、剣を使う者を三名、合計十名だ。いいな?」
テントの中、サバクダイオウグモの討伐について説明する俺の目の前で、戦闘奴隷が十名(強い上位十名を選ばせてもらった)、全員横並びに整列していた。
全員話を集中して聞いている。
それも中心に存在する人物、カイエンがこの上なく真剣な雰囲気を醸し出しているからであろう。
カイエンの全く緩みのないその態度には、今から命を賭するのだ、という覚悟があった。
いや、命を賭するという覚悟よりも重たいもの、例えるならば命よりも重要な物を賭けて過去と決別するという気概に似た何かを、彼は身に纏っていた。
「まず日時だが、今から一週間後になる。場所はこのオアシス街から少しはなれた、通称『遺跡のオアシス』。討伐隊は中継地点のオアシスで一日を過ごし、二日をかけて移動する予定らしい」
討伐隊の規模は二〇〇人程度。サバクダイオウグモ自体は一〇名程度の手練れの冒険者および手練れの衛兵で仕留められると見られているが、サバクダイオウグモの子供の『波』を警戒して人数を用意するに越したことはない、とのこと。
内、ギルド専属冒険者と呼ばれる冒険者ギルドの便利屋が四名ほど入っているらしい。
討伐方法としては、先に『遺跡のオアシス』に陣取って、地形的優位を生かして、誘い込んで討伐する予定と聞く。
「落とし穴を掘り、そこに『遺跡のオアシス』から湧き出る『燃える水』を投下、そこに魔物達を落としこんで火を付けるらしい。落とし穴に魔物を落としこむため、柵を作る予定だそうだ。槍を使う者はそこに突き落とす、剣を使う者は逃げたクモを仕留める、という役割分担になっている」
魔物達、とはいうが、恐らくはサバクダイオウグモの子供たちがその殆どを占めるだろう。もしかすれば『遺跡のオアシス』に住んでいる魔物が襲いかかってくるかもしれないが、それはそれで同じように落とし穴に落とせば良い。
いずれにせよ戦い方は変わらない。
槍を使う奴隷達は陣形を組み、来るであろう子グモ達に対抗する。
剣を使う奴隷達はそれをサポートするように遊撃に回る。
「お前たちには既に、陣形の組み方は説明しただろう。実戦でも練習と変わらないように立ち回るように。そして、カイエンかミーナから撤退の指令が出た場合は速やかに撤退するように。意見が割れたとしても、撤退指令をどちらか片方が出した瞬間に撤退だ」
一応、奴隷たちにはどう整列すればいいのか、クモの弱点の部位はどこか、などの情報は教えている。
そして、どれだけ陣形が崩れたとしても、ミーナ、あるいはカイエンの指示で直ぐに陣形を整えなおせるように、複数の陣形を頭に叩きこんでいる。方陣と言う名のただ四角の形に構えるだけの陣形でしかないが、それでも知らないよりはいい。
彼らには生き残るための術は教えられるだけ教えた、つもりである。
俺には奴隷を死なせるつもりはさらさらない。
「何故こんなに陣形を徹底して教え込んだかというと、お前たちはもしかすると魔物使いと戦う可能性があるからだ」
少しだけ、カイエンの瞳の色が変わった気がした。
魔物使いジャジーラ、まだ姿も見ない奴だが、もし奴と戦うことになるとすれば、一筋縄ではいかないだろう。
奴がいないのであれば魔物達の動きは本能的なものでしかなく、退治しやすいだろう。だが奴がいれば、魔物使いとして魔物達に指示を出して有機的に陣形を作って、こちらを苦戦させるに違いない。
魔物に人の知恵が加わったら厄介になる。アリオシュ翁もまた、俺にそう言っていた。
「そして今回の作戦だが、リーダーはカイエン、補佐をミーナとする」
俺がそう言うとカイエンは、ただ真っ直ぐ俺を見つめ返し、何も言葉を発さなかった。
そこにあるのは決意のみである。
「カイエン、いいな?」
「……承知した、旦那」
返事は固い。それはもしかすると、まるで死ににいくような奴の台詞のように思われて。
ミーナがここでようやく、ちらと横目でカイエンを窺ったのが分かった。彼女もまた俺と同じようなことを思ったようで、どことなく不安げな表情を浮かべていた。
「生きて帰って来い」
「……。おうよ、旦那」
思わず続けた俺の台詞に、カイエンはやや時間差をもって答えた。それはまるで守れるか分からない約束をするような答え方であった。