第四話
「――ふっ」
一気に踏み込む。まさに一気呵成の振り下ろし。
対するトシキはそれを後ろに回避し、剣を鼻先で避けるという脅威の観察眼を披露した。軌道を見極めたらしい。
面白い、とカイエンは思った。
そこから二人の打ち合いは始まった。
(――強い)
開始して間もなくカイエンは気付いた。
このトシキという男、視野が異様に広く、動体視力に優れている。剣の軌道にフェイントを混ぜても、あまり引っかからないのだ。
一気に踏み込み視界の外から放つ下からの切り上げなど、読みにくい軌道の奇襲気味の攻撃でさえ避ける。
まるで視界の外でも剣が見えているかのような、いや正しくは『視界の外からでも剣の位置をガイドしてくれる補助が働いているかのような』勘の良さであった。
加えて、攻めが独特で対応しにくい。
引き出しが無数に存在するかのような攻めのバリエーションの豊富さには、カイエンも舌を巻いた。まるで奇襲するためだけの剣術の型をたくさん学んでいるかのようだ――そう思うほどに奇襲の剣術が群を抜いて豊富だった。
(何だこれは。身体能力も見かけ以上にはある。そして異常なほど技術を『知って』いる。体得している訳じゃねえっていうのが救いだが……)
正直カイエンに余裕はない。
トシキの剣術に合わせて受け手に回っていては、良いように攻められて負けてしまうだろう。
だが攻めに打って出れば泥仕合になることは確実で、それこそ稽古をつけるという本来の意義が無意味になってしまう。
万事休すか、と思いながらも何とか凌ぐ。
「俺の剣も錆び付いたもんだな」
ふとこぼれ落ちた言葉に、トシキは「馬鹿なこと言うなよ」と受け答えていた。
向こうも攻めに手一杯で余裕はなさそうであったが、それでもカイエンよりはやや優勢であった。
「それはお前が冒険者だった頃の心を忘れているからじゃないか」
「……どういう意味だ」
「本気を出せ」
冒険者、という今一番忘れたい言葉を思い起こされて、カイエンの心は細波打った。
剣にその乱れが反映されることはなかったが、一瞬だけ反応が遅れてトシキにきわどい攻めを打ち込まれた。
何とか耐え切ったカイエンだったが、その様子のどこにも、稽古を付ける側らしさはなかった。
「本気を出せ、カイエン。お前の本気の剣がその程度だったら、お前の、いや、お前らの冒険者としての剣もその程度ってことになるぞ」
刹那、カイエンは激情に我を忘れた。
「どこから聞いた」
だが無意識に口をついた言葉は存外冷静で、カイエンは救われた気持ちになった。もう少しで、ふざけるな貴様、などと挑みかかりそうになったのだから。
実際、『お前』ではなく『お前ら』だったということをどこから聞いたのか、カイエンは知りたかった。
過去を話したことは一度もない。だがトシキの台詞は、かつてのカイエンの親友クラッド・セリアンスロープを知っている口ぶりであった。
「さあな」
はぐらかす口ぶりと共に一閃。
弾き返すと既にトシキは、遠くに距離を取ってこちらを見つめていた。
「本気を出せ。冒険者『二つ牙』のカイエンの剣は、この程度のものなのか」
「……。友殺しに握る剣も、剣を握る資格もない」
「友を殺していないのにか?」
息が詰まりそうだ、とカイエンは嘆息した。とにかく最悪だった。その質問はあまりにも、カイエンに刺さりすぎた。
そうだ、そうだとも、と吼えそうなほどの激情が、カイエンの胸の動悸を早くした。あの魔物使いだ、あいつだけは、という憎悪がカイエンの血を滾らせた。
それでもなおカイエンは、辛うじて吼え叫ぶことを拒んだ。
「……それでも、クラッドは俺のせいで死んだ。それが全てさ」
生き汚く生き残ってしまうというのは、ある意味罪だ。あの依頼を蹴っておけば、あの時油断しなければ、そうやってクラッドが死なない未来など、いくらでも選べたはずなのに。
それはカイエンの中で終わりのない問いかけであり、答えであった。
結果論でしかないことは分かっている。
だが、それでもカイエンには生き残ってしまったことに対する惨めさを拭い去ることは出来なかった。
剣術の加護、これをカイエンは死にたいほど呪っていた。
神から加護を受けて祝福されている。傍ら、友は物言わぬ死人となっている。この身を守るための、その友を守るための剣術の加護でないのだとすれば、今神から無意味に祝福されて生き汚く生き延びているカイエンは、一体何なのだろうか。
油断から友を死なせておいて、何のための剣なのであろうか。
「友殺しに握る剣も、剣を握る資格もない。……ないんだよ、旦那」
今自分が剣を振るっているのは、義務だからである。
剣術を指導しなくては奴隷が不必要に死に、主人トシキは困る。
だからこそ、剣を手に取りたくないという個人的な感傷を抱いていたとしても、カイエンは剣を手に取るのだ――。
カイエンはそう自らに言い聞かせ続けている。
「そう、ないんだ」
繰り返し呟く。
つまり心の底で、剣を片手に冒険したあの頃の夢がその影をちらつかせていたとしても、それはただの気の紛れでしかなくて、カイエンは剣を握ってはいけないし握りたいと思ってはいけないのだ。
カイエンにとって剣術の加護は、自らに忌むべき記憶を思い起こさせるものであって、救いではないのだ。
だから、剣を握って、いまだに俺は見放されていないと何かしらの希望を抱いてしまうのは、ひどく卑しい精神なのだ。
カイエンは、だからこそ、もう一度冒険をしたいという未練を断ち切るべきなのだ。
「なあ、カイエン」
トシキはそんなカイエンに、静かに問いかけた。
「友殺しと謗られて、お前の友クラッドとのパーティ『二つ牙』の名前は地に落ちて……お前は辛くないのか?」
「……。どういう意味――」
「昔夢を追いかけていたかつての自分は、それで満足してくれるの――かっ!」
奇襲の一閃。
カイエンの木刀は、跳ね上げられたかと思うと空を飛んで遥か後ろに落ちた。
武器を失ったカイエンの負けである。だがそれ以上にカイエンは、『かつての自分はそれで満足してくれるのか』という問いかけに動揺していた。
「かつて夢を追いかけていた頃の自分を、あの頃の思い出を、あの頃の気持ちをお前自身が拒んでたら、その頃の自分が報われなさすぎるって思わないか」
「……旦那」
「頼むカイエン。お前は友殺しじゃないんだ。お前のこれからのために、自分の過去に正直になってくれ。他ならないお前のためなんだ」
「……」
「あの頃夢を追いかけていたかつての自分を、無為にしないでくれ。友殺しにさせないでくれ。――友が自分のせいで死んだなんて言葉は、あまりに自分自身にとってむごい言葉だ」
目の前にやってきたトシキは、目をそらさずに真っ直ぐカイエンを見つめていて、それはまるでカイエンの隠しておきたい心でさえ見つめているような例の透徹感を思い起こさせた。
あるいは、あの演説のように、心の忘れていた部分に語りかけて動揺を誘うような震えと熱か。
語りかけるような言葉は、カイエンがずっと抱いていた悔恨と憎悪をまざまざと蘇らせて、当のカイエンは何一つ言葉を妨げることが出来なかった。
「クラッドが死んだのはお前のせいなのか、それとも魔物使いジャジーラのせいなのか、それは極端な話どっちでもいい」
「っ……」
「あの魔物使いジャジーラのせいだと割り切れないのは、きっと心のどこかでああしてやれば良かった、こうしてやれば良かった、とか色んな後悔を思い浮かべるからだろう。それを俺みたいな第三者が、カイエンは悪くないだなんて言ったところでどうなる話じゃない。
……それはきっと心の問題だ。お前がどうして思い切り剣を振らないのか、本気で剣を握らないのか、その葛藤の理由にどうしようもなく関わっている根深い話だ。だから、それはお前の中で決着をつけるべき話なんだろう」
「……」
「そうだ。『決着』だともカイエン。剣を握る資格があるかどうかを差し置いても、本気で剣を手にとって欲しい問題が一つだけあるんだ。――昔との決着だ」
「……決着」
ああ、とトシキは頷くだけだった。
「カイエン。実は今ここに、お前の友を死に追いやってお前から全てを奪った相手をその手で討ち取ることができるチャンスがある」
「――」
何だって、という呟きは音にならず、ただカイエンは先ほどのトシキの言葉を心の中で反芻するばかりであった。
この手で討ち取る。全てを奪った相手。
カイエンはもはや、木刀を拾うことも、呼吸すらも忘れていた。
「もしもだ。友を殺してお前の全てを踏みにじった奴との決着をつけることができて、冒険者へと戻れる方法があるのだとすれば、カイエン、お前は乗るか?」
トシキはそのまま、先ほどまで握っていた自身の木刀を差し出した。
乗るならば握れということなのだろう。
だがそれは単純な問いかけではなく、手に取るのならば本気で手に取れ、本気で剣を振れ、という意味が込められている。
カイエンはその木刀を、長い時間をかけて見つめていた。