第二話
それはもはや昔の話だが、カイエンがずっと後悔していることが一つ、あるいは数え切れないほどにある。
目をつぶって思い返せば、カイエンの脳裏にあの若くて充実していた冒険者時代が蘇った。
鱗も若く筋肉もしなやかで、夜に酒盛りでバカ騒ぎしても疲れが残らなかったあの日々。その頃のカイエンは充実した冒険者として、もっとも人生で楽しい時期を過ごしていた。
(あの頃の俺は何でもできる気持ちだったさ。舞い上がっていた)
隣にはクラッドという親友がいて、いつも腕を競い合ってきた。
どっちも前衛の戦士職で、カイエンとクラッドはたった二人のバランスの悪いパーティーを組んでいたが、それでも不足はしなかった。
若さに任せて無茶をしても、悪運強い二人は生き残り、後から無茶は笑い話になる。
砂虎に戦いを挑んで命からがら逃げ出した話なんか、本当に笑えない話のはずなのに、何故か思い返せば笑えてくる。
馬鹿みたいな毎日だった。
そんな毎日を続けて、カイエンとクラッドは三年生き残った。
(調子に乗った俺たちは、貴族の護衛を務めることになった。あれが運の尽きって奴だった)
ある日のこと、カイエンとクラッドは護衛任務を受けることになった。
貴族の娘が乗る馬車を街から街へ無事に送り届けるだけの仕事で、途中通る山道だけを警戒すればいい。それだけの話だった。
馬車には貴族の娘と侍従、護衛の兵士二人と、カイエンら冒険者二人、合計で六名乗っていた。馬車の御者まで含めれば八名。何一つ不安要素のない旅である。
(ところが、馬車は不運にも襲われた。魔物使いにやられた訳だ)
旅は順調に行った。
貴族の娘、マリエールとは仲良くなり色んな話をするまでになった。
彼女には兄と姉がいる、隣の街の叔父を頼って学校に通うことになった、彼女は冒険譚が好き、そんな取りとめのない話をいくつもしたのだった。
カイエンとクラッドは、あまり楽しいものだから油断していた。
もちろん油断したつもりはないし任務には真剣に取り組んでいたが、彼女の「兄と姉がいる」という言葉を深く考えなかったのが良くなかった。
(今でも思い出す、まんまとしてやられたあの日のことを)
ある日の夜だった。
いつも通り皆で食事を軽く取り、水で煮込み戻した携帯食を口にしていたタイミングで、カイエンは気付いた。
味付けが強い、これは。
当時に戻れるならば、それは眠り薬だ、と教えてやりたいほどの失態だった。
だが、無味無臭の遅効性の薬を、念のため濃い味付けで舌のしびれをごまかしたものに、カイエンとクラッドはまんまとやられたのだった。
気が付いたときにはもうすでに遅く。
カイエンは目を覚まして後悔した。
周囲はファングに囲まれており、兵士二人はすでに片方が事切れており。
親友のクラッドがはらわたを出して傷付きながらも応戦していて。
いつの間にかもう片方の兵士一人が脱走していた。
カイエンは体にむち打った。
リザードマンの体は、ファングが噛み付かない程度には鱗で頑丈だ。
その上、食事前に傷を癒すために体に塗りこんだ薬草のツンと強い匂いがファングを辟易させたようで、カイエンは何とか無事であった。
眠気や痺れは、ファング相手に立ち回るのであればそれほど問題ではなかった。
言うことを聞かない体で無理矢理にファングを一体ずつ屠っていく。
気が付いたときには、足元にファングは六体横たわっており。
侍従は首元を噛まれて事切れており。
親友は虫の息で、「わりぃ、ヘマした、相棒」と血を流しすぎて冷たい体になっており。
マリエールは顔の傷の痛ましい姿で、しかし辛うじて生きていた。
全てが遅すぎたのだ、とカイエンは思い知った。
(馬車もなかったし食糧すらなかった。生きて町に戻れたこと自体が奇跡でしかなかった)
幸運だったのは近くに川があったこと。
薬草の匂いを全部そこで洗い流し、自分とマリエールの匂いをそこで一旦絶つことで、追っ手を逃れた。
カイエンは、この魔物の襲撃も睡眠薬の仕込みも全て、あの逃げた兵士が企てたことなのだろうと考えた。
そして事実、あの逃げた兵士が、どうやら裏で魔物使いと共謀して行った謀り事だと判明した。
しかし全ては後の祭りだった。
(街まで命からがら逃げた俺は、そこでまんまと嵌められたわけだ)
冒険者ギルドからの通告は、依頼人への反逆罪により奴隷落としの罪に処すというもの。
カイエンは絶句した。
どうやら世間では、貴族の娘マリエールを手込めにするため俺が睡眠薬を仕込んで反逆したことになっているらしい。
兵士を殺したのはカイエン。
親友クラッドを殺したのはカイエン。
マリエールの命を危機にさらしたのはカイエン。
こんな無法があっていいのか、とカイエンは吠えた。
だが役人にいくら身の潔白を説明しても、そのたびにカイエンは世の闇を思い知るだけであった。
カイエンに勝ち目はなかったのだ。
そもそもリザードマンと獣人族のカイエンとクラッドは、捨て駒扱いだったのだ。
貴族の親族の一部は権力争いのため、マリエールを始末したかった。
しかし露骨にやりすぎてはすぐ明るみになる。
故に、見た目だけ整えて、下級の亜人族の使い捨て冒険者二人、侍従一人、兵士二人うち一人裏切り者、でマリエールを護衛して、そしてあたかも魔物に襲われたかのように魔物使いによって始末させるつもりだったのだ。
(役人は、俺の無実を知りつつも俺を犯罪者にさせたがっていた。腐ってやがったのさ)
カイエンは憤慨した。
自らの友の死が、あまりにも浮かばれなさすぎる。カイエン自身の冒険者としての矜持を、あまりにもあざ笑っている。
だが、カイエンがいくら訴えても、友は死に、自分は犯罪者へと落ち、結局その事実は覆らないままなのであった。
カイエンはこの時以来、すべてを失ったのだった。
カイエンの後悔、それはどうしてクラッドを助けられなかったのだろうかというそれ一つであり、そして数え切れないほど存在するあの時こうすればという仮定であった。