第七話
それから一週間後のことである。
「……しっかし、トシキさんも変なことを注文するもんですなぁ」
「おや、そんなにおかしかったでしょうか」
「いやぁ、こんな仕事、私も初めてのことですからねぇ」
オアシスリュート・ウード職人の親父さんは、まだまだ微妙に自分の仕事に納得が行っていないようで、こんな楽器を手渡してもいいのかと躊躇いがちに改良版リュートを手渡してくれた。
「大丈夫です。弦もボディも注文通りの出来映えです」
「いやぁ……ですけど私としちゃ、肝心の音がねぇ」
弦は頑丈な魔物の糸――サバクダイオウグモの糸をこよって使用した。かつてこのオアシス街に来襲したサバクダイオウグモの吐く糸は、普通のガット弦(羊の腸などを加工したもの)よりも頑丈かつしなやかで、張力ひずみも少ない。どういうことかというとつまり、これを使えば音程の狂いが少なくなるのだ。
また、ボディも頑丈に仕上げた。一般にリュート――それもウードとなると特に、ボディが薄い板で出来ている。これは何故かというと、薄いボディ板の方が音が大きく響いてくれるからだ。
しかしそれでは、俺のイメージするギターパーカッションが出来ないということで、ボディを合板に仕上げてもらった。板の繊維方向を縦横交互になるよう重ね、それを接着剤で固定する構造である。
本来なら接着剤に膠を使う関係上、実は合板を使った楽器は熱に弱く、膠のゼラチン質が高温では溶けてしまう――という弱点があるのだが(だから、ウードなど砂漠の楽器は合板を使用しない方向に発展したとも言えるのだが)、この問題はいとも容易く解決された。簡単な薬品の調合(それも漆と牛乳と薬草の煮汁を混ぜるといった程度)で熱に強い接着剤が完成したのである。
この新しい接着剤は、楽器職人としても喉から手が出るほど欲しいものらしく、「じゃあ今後この接着剤を、そちらにはお安く卸しますから、合板の素材をちょっと良いものに」と取り付けたらすんなりと今回の依頼を聞いてもらえたほどだ。調合を研究していてよかったと思う瞬間である。
話を戻そう。弦とボディ部分(他にもいくつか手を加えてもらったが)を換えて、このリュートは生まれ変わったのであった。
「音は心配ありません。幸いうちには音に明るいやつが一人いますから」
音のチューニングならば、ハーピィの娘であるイリがいる。あいつならば音の微妙な狂いも感じ取って、チューニングすることが出来るだろう。とはいえ、例えばDADGADチューニングとかをイリが知っているとは思えないので、そこらへんは俺が教えないといけないとは思うが。
そんな風に思ったが、どうやら職人の親父さんが言いたいのは違うことらしい。
「ああいや、音のチューニングって意味ではないんですよ。むしろそれは、このサバクダイオウグモの糸の素材の良さが活かされていて、弦を開放しても押さえても音程のずれがあんまり起きませんし、そこは問題じゃないんです」
「チューニングが問題じゃないとなると――なるほど、音自体ですか」
「はい、音自体ですねぇ……」
言うなり、職人の親父さんは首をすくめた。
どうやら彼は、音自体の響きが悪くなった、ということを言いたいらしかった。確かに合板になる前――単板だった時は、音を鳴らすと楽器のボディごと震えて、大きく深い音を奏でていた。弦鳴りと箱鳴りのバランスが良かったのだ。だが合板になってから、弦鳴りと箱鳴りのバランスが少し変化して、箱鳴りの深みがやや落ちる結果となった。
「せっかく色気ある箱鳴りだったのに、何だか勿体ないような気がして堪らなかったですねぇ」
「いえいえ、その代わりこいつは頑丈になりました。演奏中バンバン叩いても大丈夫なぐらいにね」
「え、バンバン叩くつもりですかい!? 楽器を!?」
「ええ。そのために、貴方のところに一週間もこのリュート……もといギターを預けていたのです」
楽器を叩くなんて正気じゃない、と言わんばかりの視線を投げ掛けられたが、俺は努めて明るく返した。
「結果、貴方に頼んで良かったです。とてもいい仕事をして下さったのですから」
「……こっちとしちゃ、あんまり納得のいってない仕事ですけど、いいんですかね」
職人の親父さんはしばらく髭をさわって「もし何かあれば遠慮なく言ってください。ちょっとした修理ぐらいならサービスしますぜ」と付け加えていた。どうやら、本当に自分の仕事に納得がいっていないらしく、その分アフターケアを頑張ろう、という考えらしかった。
ありがたい申し出だった。俺は「そうですね、初めての試みですので、もしかしたら近いうちにお世話になるかもしれません」とだけ述べ、そのあとにきちんと、親父さんには今後から安い値段で接着剤を卸すことを約束するのであった。
◆ ◆ ◆
「……というわけで、新しく接着剤の取引相手も増やしたわけですか。ほほーん。いつの間にか取引相手増えているんですが」
帰ってくるなりミーナは、楽器の修繕を職人に頼んでいたはずが、いつの間にか俺の商取引相手が増えている――ということを突っ込んだ。まあ普通は、楽器の修理に行ったらそのお店と取引をすることになった、なんて展開になんてならないだろう。
「ミーナ、仕事はこうやって得るんだ。皆にも見習ってもらおう」
「何でもすぐそうやってビジネスにするの、野心ぎらぎらって感じで怖いです」
「主人である俺がこうなら、無論俺と雇用契約を結んでいる従業員にはもっと働いてもらわないとな」
「本当、うちの主様は奴隷を休ませるつもりがないんですねぇ……」
呆れた口調でミーナは呟いた。
「いや、奴隷商つったって、奴隷をただただ遊ばせておくのは勿体なさすぎだろ。それに、こう見えて労働基準法は守ってるつもりだ」
「オアシス街に労働基準法ってあるんですか?」
「ある。奴隷には適応されない法律だが、俺は守ることにしている」
「じゃあ、他ならない主様自身は、他のどの奴隷よりも働いてますけども、労働基準法をきちんと守ってるんですか?」
「いや、経営者には労働基準法は適応されない」
「あの、そういう答えを求めていたのではないのですけど……」
だから無限に働ける、と続けるとミーナの呆れの色が強くなっていた。どうやら俺の勤労精神に言葉を失っているらしい。
「それに実はオアシス街の労働基準法は、労働時間を制限していない。結構ザルだ」
「つまり主様、何も守ってないんじゃないですか……」
「守ってる守ってる。オアシス街の労働基準法にプラスして、この店はきちんと一日八時間労働を厳守してるぞ。俺とヘティ以外」
「ヘティ……」
ヘティを偲ぶように呟いたミーナは、「なんで異世界に来てまで社畜生活を謳歌しなきゃいけないんですか……」と白い目で俺のことを見ていた。失礼な、俺は社畜ではない――と反論しかけたが、よく考えたら俺は、今仕事がとても楽しいからという理由で土日もなく働いているので、あまり強く言い返せないなと思ってしまった。
土日も付き合わされるヘティが可哀そう? 何のことだか分からないな。
「まあそれはそうとして、ちゃんと出来上がったぞ。アコースティックギターもどきがな」
会話の方向をくるっと変えて、俺は手元にあったリュート、もといギターもどきを掲げた。
この一週間、主に俺が何をしていたかというと二つのこと――アコースティックギターの作成と、酒場の調査であった。
前者に関しては言うまでもない、先ほど俺が済ませてきたばかりのギターの補強である。"パーカッシブな演奏"のためには頑丈なギターが必要になってくるため、手に入れたリュートを大胆に改造してもらい、バシバシ叩いても大丈夫なように強く仕上げ直してもらったのである。
では後者のほうは何なのかというと、"パーカッシブなスラム奏法が受けるかどうかの市況調査"である。市況調査だなんて言い方をしたが、要するに酒場の雰囲気を見て、今までの吟遊詩人が一体どんな感じなのか、そして俺の考えている新モデルは受けるだろうか、というのをぼんやりと予想しただけだが。
結論としては、きっといけるだろうというのが俺の予想である。
今のところ、酒場などに出没する吟遊詩人は、言ってしまえば"英雄譚や愛の詩を情緒豊かに歌い上げようとしているものの演奏技術としてパーカッシブなものは知らない"という程度に収まっており――つまるところ、弾き語りの盛り上げ方として歌い声の強弱や速弾きに頼っている状態なのである。それはそれで悪くない。が、パーカッションが入るか入らないかでは全く全体のノリが変わってくるのだ。
パーカッション、というのは『打撃』を意味する言葉で、例えばドラムなどの打楽器がそれに当てはまる。パーカッションの果たす役割は広く、必要に応じてアクセントを加えるというだけに収まらず、例えば全体のリズムを一定に保たせる、空気感を張り詰めさせる、打楽器的ビートがむしろメロディの構成を積極的に担う――といったように、使い方次第では音楽をがらりと変えてしまう。
そんなパーカッションがない今の吟遊詩人たちの弾き語りは、演奏の強弱をダイナミックにし、"上手く間を持たせる"ことで盛り上げたりすることは可能だが、"畳みかけるようなゴキゲンな弾き方で一気に聴客を引き込む"ということが難しいわけである。
(パーカッションがあれば、そいつは訳ない話だ。速弾きの音が活き活きして、途端に耳がリズムで"飽和する"。ノリが断然違ってくる)
俺は今、わくわくしていた。
自分のアイデアがきっと通用するだろうという期待と、今でも十分に弾き語りが上手だったあのゴーシュがスラム奏法を覚えたらどんな音楽ができるのだろうかという気持ちが合わさって、(早くゴーシュにスラム奏法を教えたい)と逸っている。
断じて早く結果を出さないとまずいと焦っているわけではない。一週間酒場に遊びに行ったせいで、ヘティがジト目で俺のことを見てくることとは全く関係がない。普通にスラム奏法が楽しみなだけだ。
強いて言えば、まあ、俺は別に遊んでいたわけじゃないからユフィやネルと一緒になってジト目で見ないでもらおうか、という弁明の意味はなくはない。
そう言えば、
「ふっふっふ、そういえば計算しましたよ。この一週間に限れば、居酒屋に入り浸っている主様より、私のほうがお金に貢献していたわけです。私は天使ですね。ミーナちゃんぐう有能、嫁入り待ったなし」
などと訳の分からないことをうちのミーナがほざいていたが、そのドヤ顔が気にくわなかったので、(これが本物のぐう有能ってやつか、てのを早く見せつけてやろう)と決意した――というのもあって、早くゴーシュにあれこれ教えたいという気持ちになっているという一面もあるのだが、まあそれはおいておくとして。
「出来上がりましたね、それ。……一応まだリュートでいいんですかね」
ミーナは俺が掲げているギターもどきリュートのことを指さして言った。
「そうなる、かな」
「じゃあ今からゴーシュへの仕込みに入るわけですね。『こいつがお前のキャリアプランだ』つって」
「こら、人のセリフをとるな」
しかも微妙に物真似が似てないし。謎にドヤ顔なのが、うざったらしいような可愛いような、でも概ねうざったらしい。
ならば仕返しということで脇腹をつついてやったら「えひゃい」と変な言葉とともに飛びのかれてしまった。猫のような身軽さだったので俺のほうがちょっと驚いた。その後「ふしゃー」と尻尾を立てて威嚇していた。警戒のつもりらしい。
が、鑑定スキルを持ってる俺からすればボロい警戒だったので、何度も脇腹をつつきまくって遊んだり――という話はさておくとして。
「まあともあれ。全ての準備は終わって、いよいよゴーシュにいろいろ教え込む段階ってやつだ」
俺はこれからの予定をあれこれ考えながら、まずはどんなフレーズを作ってやろうか、とギターもどきを軽く鳴らすのだった。
※ 究極普通 様へ
修正いたしました、ありがとうございます!