第四話
ゴーシュの来訪を、影に隠れてやり過ごした者が一人いることを俺は知っている。
目が見えない、容姿端麗、口調は南部訛り(ミーナ曰く、南部訛りは"男らしい口調"だそうである)、とかなり特徴的なゴーシュだが、そういったことよりもまず先に語られるべきなのは、"彼はステラの息子である"ということである。
我が店の最年長、魔法を使える老婆のゴブリン、そして声を出すことの出来ない星詠みの巫女――名をステラ・ゴブリン。
仕事としては主に、ちびたちの面倒を見たり、魔法の指導にあたったりしている。
ステラは元々、蚤の市でやってきた移動商隊の商品奴隷で、かなり安値で売られていた。それを俺が"魔法が使える貴重な人材"であることを見抜き、買い取ったというわけである。
話を戻そう。
彼女は息子、ゴーシュと長らく離ればなれになっていた……はずである。詳しい過去は知らなかったが、息子がいて、息子と離ればなれになっているということだけは、俺も鑑定スキルのおかげで知っていた。
ステラの詳しい過去が分かったのは、ミロワールの店でゴーシュを買ってからである。ゴブリンの集落の"解放"、という言葉から、何となくのお話を悟ったのだ。
即ち、生き別れ。戦乱などで親子が生き別れるという話は、この世界ではよくあることである。
「ステラ、いいのか?」
俺の問いかけに、ステラは顔を上げてこちらへと振り向いた。
"何がでしょうか"
「何がでしょうか、じゃなくてさ。お前、息子と言葉を交わさなくてもいいのかよ」
"……なるほど、ご存知だったのですか"
「当たり前だろう?」
ステラの口の動きを読み取りながら、俺は彼女の隣に座りこんだ。ステラは喋れない。だから俺がこうやって鑑定スキルで、何を喋ろうとしているのか唇の動きから読み取る必要があるのだ。
「だって、ステラはさ。ゴーシュに会いたかったんじゃないのか?」
"はい、会いたいと思っておりました"
「だったら何故」
"……"
ステラはそのまま黙り込んだ。俺もそのまま黙り込んだ。二人の間に言葉はなく、ただ音のない静かな時間だけが、重くその場にたゆたわっていた。
苦手な時間だった。まるで俺が老婆を苛めているかのような錯覚にとらわれる、とても嫌な時間であった。
そんなものだから、先に沈黙を破ろうと思ったのは、俺の方だった。
「……普通は、言葉を交わしたいと思うんじゃないのか。自分と離れている間、一体どんなことがあったのかとか、どうやって今まで過ごしてきたのかとか、そういうことを聞いてみたいと思うんじゃないのか」
"……ええ、思いました"
「なら、何故それをしないんだ?」
"……何故でしょうね"
ステラは曖昧な微笑を浮かべた。
俺は一旦黙ることにした。彼女の微笑がいかにも悲しそうで、これ以上を聞き出すのが躊躇われたからであった。別にステラを責めるつもりはないし、責めたてるような口調にならないように努力はしているつもりだが――聞きだそうとすれば、どうしてもそれっぽくなってしまいそうな話題である。"どうしてそうしなかったんだ"――平たく言えばそういうことだ。
俺はステラの気持ちを想像した。会いたいというのは間違いないだろう。言葉を交わしたいというのも間違いない。では、どうしてそれをしようと思わないのだろうか。罪悪感、申し訳なさ、それとも他の感情か――と推察はとんとん拍子に進んだ。推察だけだった。共感は、どうにも難しい領分に思われた。
鑑定スキルの心理グラフを読み取った。予想通り、それは"罪悪感"と"悲しみ"とを示していた。グラフの大きさから、その感情の度合いまでもが分かった。彼女が悲しんでいることだけが、とてもよく分かった。
共感は、やっぱり難しそうであった。
(……まあ、会いたくないっていうこともあるよな)
顔を見られただけで幸せ。そんな親子関係も、きっとこの世の中にはある。そんな言葉がふと脳裏をよぎって、俺はその言葉に半分以上納得して、そのまま少しだけ考えた。
――嘘である。顔を見られただけで幸せというのは、言葉を交わすことが出来れば、もっと幸せなのである。ただ、それが"何らかの理由"で非常に困難なだけなのだ。
「ステラ。お前のことはゴーシュには黙っておこうと思う。他の奴隷たちにもそう言い聞かせるつもりだ。お前が決心がついたら、お前のタイミングで、会話してあげるといい。きっとゴーシュもそう望んでいるはずさ」
"……ご配慮、痛み入ります"
「もう一回言うぞ。ゴーシュは、きっとそれを望んでいる。お前が罪悪感を覚える必要は、きっとないはずだ」
"……"
「それとも、ステラの過去を知らないから、俺はこんなことを簡単に言えてしまうのかもしれないな」
"……"
「第三者から見たら、こんなの、おかしいことだぞ」
"……どうやって"
「ん?」
半分、もはや独り言を呟くかのように言葉を続けていた俺に対して、ステラはそんなことを口にしていた。
"どうやって、目の見えない息子に、声の出せない母が、会話をするのでしょうか"
その質問は、真っ直ぐ俺へと投げかけられていた。そしてそれこそが、俺がステラから聞き出したかったことであった。
別に間違えたわけではないし、ステラが喋れないことを忘れていたわけでもない。俺は、ステラのその言葉を待っていたのであった。
――あっしのお袋は、とてもきれいな子守唄を歌いよったもんだすでな。
そんなゴーシュの言葉が、俺の中でもう一度再生された。つまりステラは、昔歌ったのである。
「お前こそ。本当に声が出せないのか?」
そう、きっとステラがゴーシュに会いたくないと思っている理由が、そこにあるはず――と俺は踏んでいる。
"……はい"
「……」
"……"
「……すまない、ちょっと待ってくれ」
――上手くいった、と思っていたところで、思わぬ返事がきたため、俺は一瞬事情が分からなくなってしまった。