第三話
「……ミロワールさん、彼は?」
「はい、トシキ様ならば彼ゴーシュを上手に導くことができるのではないかと」
偶然足を運んだミロワールの店で、俺が持ちかけられた話は「このゴブリンを導いてもらえませんか」というものであった。
「目が見えないゴブリン、ですか……」
「はい。元々は吟遊詩人だったそうですが、時勢が時勢ですので、このように奴隷として身分を落としたとのことです」
「吟遊詩人ですか」
吟遊詩人と聞いて、俺が思ったのは琵琶法師であった。江戸時代、目の見えない人たちは日々のお金をどのように稼いだかというと、貸金業、按摩、琴・三味線などの弾きかたの指導などであった。中世ヨーロッパなどでも、道化や物乞い、或いは修道院に預けられるなどして暮らしていたと聞く。
吟遊詩人もまたそのうちの一つである。別に目が見える人でも吟遊詩人になることはできるのだが――目の見えない人たちは、器楽の技術を身につけて、路上、酒場で弾き語りをしたり、更には貴族に芸人として雇われるなどして生きていたのである。
「しかし、こう言っては語弊があるかもしれませんが、ゴブリンには見えませんね」
「ええ。お気付きの通り、彼は妖精族の血が強く出た先祖返りのゴブリンなのです」
「先祖返り? ゴブリンも妖精族なのでは」
「学説的には仰る通りですが、ゴブリンの扱いは妖精族にしては、些か特殊なのです」
あまり深くは掘り下げなかったが、つまりはそういうことらしい。ゴブリンは見てくれがあまり良くなく、いかにも小鬼という雰囲気で、他の妖精族とは雰囲気が異なっている。世知辛い話だが、こういった外見の違いが潜在的な差別意識に結び付くのはよくある話である。
その点、ミロワールの紹介する彼は特殊と言えた。目の見えないゴブリン、だが何となくゴブリンらしくない。
目は他のゴブリンと同じく黒目のみだが、やや丸みを帯びており柔らかい印象がある。鼻はゴブリンの鷲鼻ではなく人のそれに近い。肌質もごつごつしたものではなく、もう少し滑らかなものだ。総合的に見て、彼はゴブリンというよりは小人族などの別種族のように見受けられた。
聞くところによると、彼は他のゴブリンとは異なって特別な家系に生まれたのだという。
「最近の話ですが、比較的大きなゴブリンの村が人の手によって"解放"され、それに伴って多くのゴブリンたちが奴隷市場に流されたのです」
「……はい」
「このオアシス街でもゴブリンの奴隷を時々見かけますが、そのうち三割ほどは、件の事件による奴隷だというお話も伺います」
「本当ですか。それは多いですね」
「ゴーシュもまた、そういったゴブリンの一人でした。――が、彼は目が見えないことと、この外見のお陰で、奴隷落ちを逃れたのです」
「……奴隷落ちを逃れた?」
「単なる気休め程度の期間ではございますが、彼は他のゴブリンとは異なる扱いを受けていたのです。つまり、修道院に入ることが許されたのです」
「……なるほど。つまりこのゴーシュというゴブリンは、彼の住む村が攻め落とされた時、奴隷落ちになるのを免れて、修道院へと預けられることになって、そこで器楽を学んだという訳ですね」
「攻め落とされた、ではなく"解放"です。トシキ様」
「おっと、失礼しました」
ミロワールは訂正するように指摘した。あくまでも表向きは"解放"であって、侵略のための攻め込みではないということらしい。このテント内ならともかく、外で同じようなことを思わず口にしてしまえばどこの誰かにやっかみを買われるか分かったものではないので、気を付けなくてはならないだろう。
(それにしても、このゴブリン、ゴーシュといったか)
どことなく気品ある面立ちの彼を眺めながら、俺は奇縁を感じざるを得なかった。
「いかがなさいましたか?」と尋ねてくるミロワールに「いえ、お気になさらず」と軽く返しながら、俺は考えた。
彼、ゴーシュはゴブリンの村に生まれ、その後村が攻め落とされてからは修道院にて器楽を学び、その後に放浪して、金策に困ってからは身を売った――という波乱万丈な人生を送っている。
が、そのゴーシュという男は、何の縁かは分からないが、このオアシス街にやってきた。
(親子が同じ土地で同じ奴隷になって再会するだなんて、何というか、こんなことってあるもんだなあ……)
奇縁というのは他でもない。
鑑定スキルによれば、その盲目のゴブリンは、いわゆる星詠みの巫女の子供であり――即ち、うちの店にいる老ゴブリン、ステラの息子なのであった。
◆ ◆ ◆
「……旦那は本当に、あっしで宜しかったんだすか?」
「ああ、別に後悔してなんかいないさ」
帰り道、目の見えないゴーシュと共にオアシス街の人混みを苦労して掻き分け、ようやく人気も落ち着いたところで彼は尋ねてきた。
自分なんかで良かったのか、目の見える他の奴隷の方が使い出があったんじゃないか、ということらしい。
だがそんな質問は、俺からするとはっきりナンセンスであった。
「もっと使える奴隷がいたんじゃござんせんか」
「そうはいうけどな、ゴーシュ。俺は使えない人間というものはあまり信じないことにしているんだ」
「信じない、と?」
「よくよく見れば普通の人間の中に、使えないやつが混ざっている。でも彼らは普通の人間として何とかやっていってるもんだ」
「はあ」
「俗に、使えない人間って言われている人たちは、運が悪かった人間だ。もしくは間が悪かったか、性格が悪かったかだな」
「そいつは、旦那の哲学ですかい?」
「いや、経験談だな」
俺は苦笑いしながら「逆に、間抜けで嫌な性格のやつでも、運が良いからなのか、案外普通に生きているって話さ」と喋った。ゴーシュは何も言わなかった。
「話を戻そう。ゴーシュ、お前は使えない人間なんかじゃない。俺が保証しよう」
「いや、まさか、あっしは旦那に見込まれるほどのもんじゃござんせん」
「いや、俺の"目"に狂いはない」
俺のやけに自信たっぷりな言葉にゴーシュは複雑な表情を浮かべて、何かを言いかけて途中でやめ、口をつぐんでいた。
(……そんなことはない、と言おうとして止めたってところか)
ゴーシュは目が見えない分、表情の変化も豊かではないらしく、笑顔、泣き顔、怒り顔、などを知らないようであった。が、困惑の表情は目が見えなくてもできるようで、今ゴーシュの表情はまさに、色んな思いの入り交じった困惑そのものであった。
「まあいい。うちは人材を育てる方針の店だからな。気にしなくたっていつの間にかひとかどの技術を身に付けることになるさ」
「……人材を育てる?」
「ああ。それこそ料理人から拳闘士まで、な」
俺は言った。
「なあ、もしもだ。ただ単に奴隷を安く仕入れて安く売りさばくよりも、人材を育てて高く売ることができるのであれば、そっちのほうが賢いと思わないか?」
「……まあ、可能ならば、というお話だすが」
「可能なのさ」
俺は続けて「それに、人材として優秀であればあるほど、奴隷たちもより良い条件で雇ってもらえるわけだ」と喋った。
「つまり、技術を身に付けさせることは俺にとっても、奴隷たちにとっても得の多い話になるわけだ」
「……。旦那は大層なお方だす。とてもじゃござんせんが、あっしには到底分かりもしないような、賢い方法があるんでござんしょうな」
「おいおい、それだけか?」
「失礼ながら、これ以上はとんと」
「俺はつまり、『ゴーシュも何か身に付けてみないか?』って言いたいんだ」
「……」
ゴーシュははたと足を止めた。
「なあ、ゴーシュ。何かやってみたいことはないか?」
「……旦那は、つまり、あっしに何かを身に付けさせようと考えておられると」
「ああ。もちろんさ」
「……なるほど、そうでござんしたか……」
ゴーシュが足を止めたのは、その一瞬だけだった。
「失礼。あっしときたら、そんなことを考えもしなかったもんだすから、つい驚いてしまいんした」
「何でもいいぞ。こんなことしたいとか、そういうのがあれば、言うのは無料だからな」
「へえ。でも、あっしにはござんせん」
「ないのか?」
「どうにも、ござんせん」
それはやけにさっぱりした言い回しだった。
「やってみたいことを考えるより先に、生きよう、生きよう、と祈ってきたもんだすから、やってみたいことなんて、思い付きゃせんのだす」
「……そうか。まあ無理にとは言わないさ」
「せっかくのお話、申し訳ござんせんが」
「いや、なら普通に行こうか」
ゴーシュの表情が少し怪訝なものになり――この表情が怪訝の表情だと少し遅れて気付いた――そのまま彼は「普通に行く、だすか」と言葉を繰り返していた。
「ああ。ミロワールとの会話を聞いていたかもしれないが、俺はお前さんを成功させることになっている」
「そんな簡単に約束してもよろしいので?」
「約束じゃないさ。――まあ、でも物のついでにやってみよう、というわけだ。駄目で元々、というものだから、あまり構えなくてもいい。気楽なもんだ」
「で、普通に行くというのはどのようなことで?」
「まさにそれだ」
俺はゴーシュに答えた。
「技術を身に付けさせようと思っているんだ。それも周りのリュート弾きにはめったに見ないような、前衛的な技術をだ。そうすればお前さんは、ひとまずは成功するだろうと思っている」
「……なるほど」
「リュートの弾き方は一つとは限らない。俺の頭の中にはいくつかの絵がある。で、まあ、俺はそれをいっぺん試してみようと思っているってわけだ。きっと皆、斬新過ぎて唖然とするだろうさ」
「……」
「どうした? 何か腑に落ちないのか?」
「いやあ、とてもとても、異論はござんせん」
ゴーシュはすぐに手を振って否定した。「ただあっしにそんな大層な真似ができるか、と不安に思うとるだけだす」と付け加えるような言葉が妙に印象的であった。
「……そういえば、やりたいことでござんしたか」
「ん? ああ、そうだが」
「一つ、やりたいこととまでは言わんのですが、あっしがちょっとだけ、できたら何ぼかいいなあと思うていることがござんしてな」
「何だ、あるじゃないか」
俺が笑うと、ゴーシュは「恐縮だす」と一言口にして、それからまた口を開いた。
「あっしのお袋は、とてもきれいな子守唄を歌いよったもんだすでな、で、あっしはそいつに、ちょっといい伴奏をつけてあげられたらな、なんて、言ってみりゃあそんなことだす」
◆ ◆ ◆
ゴーシュをテントに連れ帰ったときの反応は、予想よりも少し大袈裟なものであった。
「え、えっ、嘘」
と珍しくユフィが慌てたかと思うと、急に改まったかのように姿勢を正して身だしなみを整え始め、それを見たネルも「わわわ、どうしましょう」と何やらわたわたしている。イリはぽかんと呆けたようにゴーシュを見つめており、「え、と」と言葉に困っているようであった。
(どういうことだ?)
全く事態が呑めなかったが、ふと視線があったヘティが「あら?」と俺の気持ちを察してくれたらしく「ふふ、大丈夫よ、ご主人様も負けてないわよ?」なんてことを笑いながら述べていた。
いや、だからどういうことだよ。
「いっやあ……、主様もすっごい奴隷を連れてきましたねえ……」
呆れたようなミーナの台詞に、俺はますます訳が分からなくなっていた。――いや、何となくわかるような気がするけど、そんな馬鹿な。
「……そんなに凄いのか?」
「いや、ほんと、こんなイケメンそうそういないですよ、もうえっらいイケメンですよ」
「……あ、そう」
薄々気付いてはいた。というか(いや、どっから見たってそんなにイケメンじゃないだろ、ちょっと気品ある程度のゴブリンだろ……)ぐらいに俺は思っていたが、この反応を鑑みるに、まあ、そういうことらしい。
このゴブリン、ゴーシュは、どうやらこの世界ではとんでもないレベルのイケメン――にあたる顔立ちなのだとか。
それは、ユフィを狼狽えさせ、ネルをあたふたさせ(こいつはいつもあたふたしてるが)、イリをぽかんとさせるほどの好男子っぷりらしい。
例えるなら王子。それこそ言葉を失うほどのイケメンなのだとか。
……分からねえ。
「あ、分からねえって顔してますよね、主様」
「……う、む、まあ」
「いや、ほんとやばいっすよ、彼。例えるなら憂いを帯びた異国風青年ショタって感じです」
「……更に分からなくなった」
ミーナの解説のせいで更に分からなくなってしまう始末。
――何だこれ。マジで。
「何となく漂う妖精味とゴブリン的な野性味が、優しくしてあげたくなる魅力と知的な雰囲気とに溢れてて、もう、何か、すごいんです」
「はあ」
「何というか、家庭の事情が上手くいってない感じの、ぶっちゃけ上手くやればお持ち帰りできちゃいそうな感まである、ハーフのイケメン高校生男子(サッカー部)って感じで」
「何だよそれ……」
お持ち帰りってお前。サッカー部って設定細かいし。というか高校生とかサッカー部いう単語を使うなよ。
……とまあ、色々と突っ込みが追い付かない。
(……だめだ、分からん。どこからどう見ても顔立ちがちょっといいゴブリンだ……。一人称があっしとか、語尾がござんす、だす、とかいう訛りも相まってか、全然イケメンに見えてこねえ……)
俺はゴーシュの顔をまじまじと眺めた。が、どうにも彼の顔がイケメンであるということにぴんと来ず、一体どこがショタ成分なのだろうか、だとかそんなことを考えていた。
まあ、何となく雰囲気的には幼い……気がしなくもない。妖精族の醸し出す妖しさ、幼さ、気品がきっと、ゴーシュをそのように見せかけているに違いない。言われてみればちょっと普通のゴブリンとは違うように見えてきた。本当に気持ち程度だが。
「……いやはや、皆さんお口が上手でござんすな。あっしとしちゃ、こいつは困り申した」
照れたような、困惑しているような、そんな口調でゴーシュは言った。割と明るい声色であった。ちやほやされて悪い気はしないのだろう、少しだけ頬が緩んでいる。
が、ゴーシュは流石に弁えているようで、褒められることもそこそこに、謙虚な仕草でこう返した。
「だすが、目の見えないあっしにも、皆さんが大層べっぴんさんだってことぐらい、分かってござんすとも。声が美しいもんだすから」
「! え、えっと、私、その、はい、声が、えっと……」
「へ、へえ、そ、そう。まあ、分かる人には分かるんでしょうね……」
「……ふ」
明らかなお世辞。だが、効果は覿面のようで、ちびたち三人は全員あからさまに浮ついていた。
やっぱり顔なのだろうか。イケメンが言うとやっぱり心にぐっと来るのだろうか。何気ない言葉でもイケメンであるものとイケメンでないものが同じ台詞をいうと、やっぱり受け取る側としても何となく違うことを思ったりするのだろうか。
俺の頭の中で、お調子者のカイエンが「そらそうよ旦那! 男も女も若いうちは顔だろーよ、はっはっは!」と笑い飛ばす姿が脳内再生された。クリアな脳内再生だった。やはり顔なのだろうか。まあカイエンがそう豪語するのはおかしい話だと思ったが。
「いや、単純に褒められ慣れてないだけだと思いますよ……?」
「え、そうか? ミーナ以外の皆はそこそこ褒めてるつもりなんだが」
「何で私以外ですか!? 何か悪意を感じるんですけど! ……じゃなくて、いや、本当に褒められ慣れていないんだと思います」
ミーナの「ほら、的確な助言を出した私を褒めるのです」とかいうドヤ顔をよそに、俺はしばし考え込んだ。
果たして、俺はそんなに褒めていないだろうか?
「ふふ、ご主人様は外見を褒めてないのよ。行動に対しては偉いぞとか良くやったとか褒めるけど、見た目を可愛いとか美しいとか褒めてないじゃない。きっとそこじゃないかしら」
「あー、なるほどな、ヘティ」
ヘティの説明で少し腑に落ちた。「え、私の説明じゃ駄目なんですか!?」とミーナがショックを受けていたが、それは置いておくとして。
外見を褒めることは確かに滅多にない。というか、毎日一緒に生活をしておいて「今日も可愛いね」なんて言うだろうか、という話である。恋人じゃあるまいに。言うはずもなかろう。
それもこんなちんちくりん三人にである。年齢が一〇も離れているような……いや、今の俺だったら二~三歳程度だが、まあ、精神的にはそれぐらい下のお子様だ。てんでおかしい話だ。
せめてミー……ヘティぐらい綺麗な女性でないと土台無理である。
「今一瞬無意味に否定されたような気が……!」とミーナがびくんと反応していたが、それはどうでもいい。しかし妙に鋭い奴である。油断ならない。
「……今度褒めてあげるか」
俺はこっそり呟いて、そう決意した。