第二話
それはとあるゴブリンの小さな頃の話。
声を失った巫女ステラの元に、目の見えないゴブリンが生まれたときは、たいそう気味悪がられたという。
産声は弱々しく、笑顔はとんと見せず。そんな赤ん坊のゴブリンは、周囲からは少しばかり変な子供だと思われていたものだった。が、天井ばかり眺めてぼうっとしているのが日に日に長くなっていくと、いよいよ周囲は――ああ、天井を眺めているのではなく何も見えないのだ、と気付くことになった。
赤ん坊から視力を奪うとこれほど不気味で無表情になるのか――と、村の者は思った。
本来、生まれたての赤子は視力が発達しておらず、目が見えないのはむしろ普通なのであるが、流石に数ヵ月も経ってくると異常が目立つ。
笑いかけても笑わぬ。むしろこちらを見ようともせぬ。その焦点の合わない表情は、おおよそ赤ん坊の浮かべてよいものではなく、むしろ何か得たいの知れない生き物のそれに近かった。
村のゴブリンたちがひそひそと噂立てるようになったのは、ごく自然な話であった。
元々この村には、生まれた赤ん坊が何らかの身体的困難を抱えていた場合、その子をくびり殺すという残酷な風習があったが――星詠みの巫女の血を引くこの赤ん坊だけは、見逃されることになった。
もしかしたら、次代の星詠みはこの赤ん坊、あるいはこの赤ん坊の子供かもしれぬ――という一縷の望みが、彼を生かしたのである。
だがそれも、文字通り生かしただけにすぎない。
彼の血筋だけが重要なのであって、つまり、殺さなかっただけという話だ。
その目の見えない赤ん坊の居場所は、この村にはなかった。
そもそも、親である星詠みの巫女ステラでさえ、この村では魔女と忌まれているものであった。
幼い頃から声を失っているステラは、村の者からは、悪魔と契約して声を失ったとか、忌み子はやはり忌み子しか産めないとか、とにかく酷い謗りを受けていたのである。
尤も、村人にとっては星詠みの巫女というより、不吉なことを告げる魔女という印象のほうが強かったのかもしれない。
今までステラは、病が流行るだとか、虫の群れが作物を食い荒らすだとか、そういった悪いことの予兆を告げる役目ばかりを負ってきた。
そのためか、ステラは不吉なことばかり告げる、むしろステラが不吉を呼んでいるのでは――などの憶測が飛び交うようになったのだ。
その不吉を呼ぶステラの息子が、彼女と同じく忌み子なのだ。
彼女に対して、あらぬ疑いがますます濃くなるのは必至のことであった。
「あぅあ」
ゴブリンの赤ん坊は、やがて歩けるようになり――成長の早いゴブリンたちの例に漏れず、ついには一人立ちできるほどの年齢になった。
が、このステラの子供のゴブリンは、悪い方向に先祖帰りしたらしく――即ち、妖精族のように成長が遅かったのだ。言葉を覚えるのも遅かった。思い返せば歩きはじめたのも少し遅かったかもしれない。とにかく、ステラが引いている妖精族の血が、悪く作用したことだけは明白であった。
――妖精の血をひいたのですね。良かった。この子も長生きできるのですから……。
ステラは長く生きた。
これは彼女が魔女と呼ばれるゆえんの一つだが、彼女は短命のゴブリンにしては奇妙なほど、長く生きたのであった。それゆえに同胞が多数死んでいったのも見てきた。ゴブリンの平均寿命が当時三〇歳で、ステラは五〇ほど生きており、もし声を出すことができない忌み子でなくばこの村の長老様になっていたかもしれないほどであった。
――この子は幸いなことに目が見えません。星が読めないのです。きっとマレビトが宿るとしたら、この子ではなく私になるのでしょう。
ステラは、火の中でそっと赤子を抱いて、その子への愛を囁いた。
もうすぐ人の手がここまで伸びるだろう。猶予は幾ばくもない。今この時だけが、最後の機会であった。
ステラは知っていた。
このゴブリンの村が普人族に攻め込まれ、彼らの手によって解放され、ゴブリンたちが人々の奴隷として売り払われることを。
そして、その運命を受け入れなくば、きっとゴブリンたちはその四割を戦いで失い、赤子はきっと争乱の最中に死ぬであろうということを。
村を差し出し、そして自分や我が子を含む全てのゴブリンたちが奴隷となる未来を選択したステラの心情は、一体どのようなものであっただろうか。
暗澹とした前途を突きつけられた彼女のその胸中が如何ばかりだったか、その詳細は定かではない。
◆ ◆ ◆
気に入ったから、というただそれだけの理由で、半ば道楽のような買い物をした俺への風当たりは散々なものであった。
「一つ聞くけれども、ご主人様はその楽器をどう使うのかしら」
「まあ、アントニの新しい可能性を思っての投資ってやつだな。案外こっち方面の芸術の才能があるかもしれない」
「……つまり何も考えてなかったってことね」
「そんなことは……ないさ」
まあ、そんなことはあるのだが。
俺の手元には、乾燥に強い木材と強靭な魔物の体毛でできた絃楽器が一つあった。鑑定スキルによると、正式名称はリュート。指か爪で弦を弾くことで、音を奏でる――いわゆるギターのようなものであった。
価格は金貨一枚程度と、決して安くはない。
まあこのリュートの価値は、鑑定スキルによると金貨一枚以上はありそうだったので、最悪の場合こいつを売ればいいだけだ――という打算もあって入手したのだが、いかんせんそんな事情を分かる由もないうちの副店長(とちびたち)は、呆れた視線を俺に向けていた。
「あのね、ご主人様。お酒や紅茶を買うのはまだ分かるの。商売道具として使い出があるもの。でも流石に楽器は、どうこうもないんじゃないかしら」
賢いラミアーの女、ヘティはすっかり店を取り仕切る副店長――というかもはや店長らしくなってきた。この板に付きっぷり、貫禄があるとはまさにこのことである。根なし草のような俺と比べると、もう一目瞭然であった。
さりとて俺も発言力がないわけではない。何だかんだで俺が一番稼いでいるのだから、俺の意見は尊重されている。
ただ、まあ、貫禄がないだけだ。
「やっぱり貫禄は年齢か……?」
「……失礼しちゃうわ」
悩んでいると、ジト目と共に尻尾で脇腹をつつかれた。このラミアーさんは、年齢という言葉に思うところがあったようである。
この世界では一五歳の少年である俺ミツジトシキは、対外的に腰が低いこと、行動が突飛なことも相まってか、何かと見くびられることが多い。
正直、これから先を考えると貫禄はいくらでも欲しいところではあったが、今のところそれが足りなくて悩んでいるところであった。
逆にヘティは、「ご主人様にはもっと貫禄をつけてもらわないと困るわ」なんて頬に手を当てて冗談めかしていた。
ラミアー族の長い寿命を鑑みれば、ヘティはむしろ若いのだが、うちのお調子者のミーナが「年増さんですからねー」なんてからかうものだから、若干気にしているのかもしれない。
「――貫禄は行動よ」
と、そんなことを考えている俺に、よく通る声が聞こえてきた。これはちびたちの一人、銀髪エルフのユフィの声である。
「突飛な行動を避けて、落ち着いた振る舞いを心掛けたら貫禄はついてくるに決まってるじゃない」
はっきりした正論である。ユフィはいつも、こうやって正論を真っ直ぐ飛ばす子である。
一つ難を挙げれば、やや俺にたいして当たりが強いところだろうか。最近やや丸くなったような気もしなくはないが、基本的に彼女の舌鋒は鋭い。
「だからリュートなんて買ってこないで、きちんと仕事をすればもうちょっと尊敬されるはずなのに」なんてぶつくさ言ってるが、何故彼女が不機嫌になっているのかは俺には掴みづらかった。――何故俺が尊敬されないことにユフィが怒っているのだろうか。
(え、これってツンデレ?)
なんて詮のない疑念が首をもたげるが、あのユフィに限ってそれはない――と脳内で否定するに留まった。
「――ユフィ。貫禄は、行動」
今度はちびたちの一人、ハーピィのイリが口を開いた。基本的に眠そうな彼女は、言葉がたどたどしいところがあるが、端的かつ鋭い言葉をくれることがある。
今回もそれだった。
「……イリ。アンタ、どういうこと?」
「怒るのは、怖い。けど、それは、貫禄ではなく、狭量」
「……。はあ、肝に命じておくわ」
「ん」
ユフィの怒りっぽさをさらっと嗜めることのできるイリは、もしかすればちびたちの中では一番のいい子なのでは――と思わなくもない。
「貸し一」
「おい待て」
俺に向けてぼそっと何かを呟くイリだったが、俺が突っ込むと「てへぺろ」とか何か言ってた。てへぺろじゃねえだろ、てかてへぺろって言葉をなんで知ってるんだ――と思ったら、後ろの方でお調子者のミーナがてへぺろしていた。いらっとした。
「……貫禄は行動だな、ミーナ」
「え、何、何ですかそれ、私に貫禄がないみたいな」
事実そうだと思うが――とは思ったが、黙っておくことにした。
「そういえばネル、さっきからリュートを眺めているけど、珍しいのか?」
「ふぇ?」
最後のちび、セイレーンのネルが俺の手元のリュートに物珍しそうな視線を注いでいたので、俺はそちらの方に話を振ることにした。
どうやらネルは先ほどの会話を全く聞いてなかったらしく、リュートのことばかり見ていたらしい。
「あ、いえ、えっと、どんな音がするのかなあと考えていただけです……」
もじもじしながらネルは答えた。
「弾いてみたいのか?」
「あ、いえ、そんなおこがましいことはとても……」
おこがましいって何だよ、と思いつつも、俺はネルに「いや、そんなに遠慮することはないぞ。何なら弾き方を教えてもいい」と言ってみた。反応は早く、「い、いえ! 私、そんな皆さんにご迷惑をおかけするような真似!」と妙に恐縮していた。いやだからどうしてそんなに遠慮するのだろうか、なんて思ったり。
「だって、その、金貨一枚って、イリちゃん半分ですから、その」
「どういう計算だよそれ……」
何か謎の計算式が成立していた。
「ちなみに言っとくけど、別にお金を出して買ったわけじゃなくて、物々交換だぜ?」
「……ねえ、ご主人様。チッタに何かサインを書かせてたけど、もしかして」
「そう、チッタの古くなったボクシンググローブを渡そうと思ってな。古くなってどうせ交換が必要だったグローブと、楽器との物々交換だから、まあ得だろ?」
「……そうかしら。普通にグローブを売ったほうがよかったんじゃなくて?」
「ともかく、これは元手はかかってない。つまり俺は悪くない。以上」
我ながら呆れるような暴論で締めくくったものだが、反論が出ない以上は、別に間違ったことはしていないということだ。言いたいことがありそうだったヘティは、その言葉を飲み込んで肩をすくめるだけだった。
ちなみにネルはショックを受けていた。「イリちゃんが……元手なしだなんて……」とか呟いていた。――いや、その話まだ引っ張るのかよ。しかも色々間違っているし。
◆ ◆ ◆
「……もはや決定事項なのでしょうね。私はやはり、運命の繋がっている人同士を導く定めにあるようです」
タロットカードを机に並べ、占いの結果を何度も確認しながら、その女ミロワールは呟いた。
「偶然かと思いましたが、やはりあのマレビト、トシキ・ミツジには運命を引き付ける力があるようです」
ミロワールの目の前のタロットは、ケルト十字と呼ばれる並べられ方で整列されており、過去、未来、などを象徴するアルカナのカードがそれぞれの場所に位置している。
占いの結果は解釈でしかない。つまり、浮かび上がったニュアンスをどうとらえるかという問題が常に付きまとうため、それが占いの不確実性の原因の一つとなるのである。
そしてマレビトであるトシキは、何故か"強い運命の人間"を引き寄せる力が強いらしく、自然と彼の周りに運命的な出来事が多発しやすくなる環境を作り上げているようであった。
「まるで、人の加護が見えているかのように」
これは確かに、アリオシュ翁が目を付けるわけだ――とミロワールは思った。
アリオシュ翁はこのオアシス街の治安を守るために動いている人だ。そのアリオシュ翁が、彼は良くも悪くもあの男に対して効きすぎる――と言うだけはある。
トシキという人間は、とにかく人の運命を切り開かせる才能に富んでいるようであった。言うなれば、ゼロから運命を切り開かせるものではなく、元々それに向いているが巡り合わせが悪かったという人間を見定め、アイデアでそれを開拓するということに長けているのだ。
「キャリアプラン、ですか」
ミロワールの聞きなれない奇妙な単語の繋げ方だが、意味としては何となく分かる。キャリアとやらが職業を意味するのであるならば、プランは構想・設計などの意味だから、さしずめキャリアプランとは職業設計という意味になるのだろう。
職業設計。よく言ったものだ。彼トシキが行っている行為は、確かに職業設計と言っても過言ではないだろう。
人の適性を見抜き、その適性を伸ばして一つの職に至るまでの道筋を設計する。
その言葉にすれば簡単な行為を、何故か"都合のいい方法が見えているかのように"簡単に行ってしまえるのが、あのトシキという男の不思議である。
人の運命を設計する、とまでいうのは些か語弊があるかもしれない。が、トシキの行っていることは、平たく言えばそういう行為である。人の夢を――特に、そんな将来なんて叶うわけないだろうと諦めかけている人々の夢を斜め上からのアプローチで叶えていくこと、それがトシキの行為だ。
彼の今までの成功を、奇跡的に上手くいっただけのただの幸運な男だと見るべきか、小手先の技巧と知恵で掻い潜ってきた狡い男だと見るべきか――はたまた、"初めから何かが見えている"と見るべきかは、判断が割れるところだ。
あの少年トシキは、人の可能性を開拓することが妙に上手かった。
「本来、導くことは私の役目なのですが、彼はそれを能動的な意味で行っているのでしょう」
導き方が、自分とトシキとでは根本的に異なっている――とミロワールは考えた。
ミロワールのそれは、対象の可能性を占って自然な流れに乗り、予兆を読んでアドバイスを授けるというもの。対象の能力を底上げして困難(或いは待ち受ける運命)を乗り越えさせる、というものではない。
が、そんなミロワールの方法とは対照的なことに、トシキの導きは、対象がどんな困難な環境に置かれていようと可能性があるならば、その"困難な状況"を無視してとりあえず体当たりさせる、というものに基づいている。更には、困難であるならば能力を底上げしてアプローチを変えて、と手を変え品を変え、そうやって叶えるものだ。
別に諦めが悪い、という訳ではなさそうだが――手数が豊富なためか、結果的には"いい意味で諦めが悪い"、タフなアプローチになっている。
アイデアを数打って当てるという、とても簡単なことなのだが――そのアイデアの元となる知識が尋常ではない。
ミロワールからすれば、奴隷堕ちした冒険者を限定的に復職させ、魔物の料理を一部認めさせ(というより魔物が料理を作るという突飛なことに抵抗がなく)、顔に傷のある女をオペラ女優に仕立て、初心者の女オーガをこの街指折りの拳闘士に鍛え上げ、今度は形を認識できなくなった精密絵画の画家に何か新しいことをさせようとする――というこれらの行為は、驚嘆に値するものばかりである。
いずれも困難な状況下にある人間ばかりだったはずである。が、本人の能力と、彼の上手いアイデアがあったからこそ、状況的困難をあっさりと乗り越えてしまったのである。
「では一つ、試させて頂きましょうか」
ミロワールはそう呟いた。
脳裏に浮かんだのは、ミロワールの手元にやってきたばかりの、元吟遊詩人の盲目のゴブリン。このゴブリンから微かに感じ取れた運命の予感を、ミロワールはトシキという人物への試金石にしようと考えたのである。
そして奇しくも、そのゴブリンの男は――ミロワールがそれを知っていたのかは定かではないが――僅かに妖精族の血がやや強い"先祖返り"のゴブリンなのだという。