第一話
冒険者カイエン・レプティリアンは、依頼人を傷つけ友を殺した罪で奴隷に身を落とされた男である。
しかし彼は誓って、友に手をかけるような男ではなかった。
(……皮肉な物だ。俺はまだ神に見放されていないというのか)
剣術の指導のため、木刀とはいえ再び握ることになった剣を見て、ふと感慨に耽る。
ひどく衰えた。冒険者を辞めさせられてから奴隷として過ごした五年間は、体を錆びつかせるのに十分長い時間だった。
しかし、神はカイエンを見放さなかった。
剣術の加護は未だにカイエンを助けており、カイエンが剣を振るう度に、何か得も知れぬ力がカイエンを手助けていた。
この仕組み――『スキル』という加護は、カイエンの与り知らぬものであったが、カイエンはそれを、神はまだ見放していないのだと思うことにした。
(いっそこの剣術の加護がなければ、神に見放されているのだと思えたら、そのときは楽だったかもしれねえが)
カイエンは、意味のない仮定を心の中で思った。
皮肉でしかない。カイエンはもう二度と冒険者になれない犯罪奴隷、だというのに神は未だにカイエンを見放さず剣術の加護を授けたままなのだから。
もう冒険者になれないと運命付けられているというのに、剣術の加護を授けたまま剥奪しないのは、カイエンの未練を徒に思い起こさせるだけでしかなかった。
冒険者ギルドから除名処分をうけ、犯罪奴隷となったカイエンは、冒険者ギルドに再び戻ることは不可能である。
そう、貴族の少女とその従者を護衛する依頼で、カイエンはあろうことか冒険者にとって命より重い依頼契約を破棄し、同じ依頼を受けた友を殺し、従者を殺し、そして少女に襲いかかった――ということになっているのだ。
その罪は限りなく深い。
冒険者ギルドが依頼人との信頼関係で成り立っている以上、依頼契約を破棄して依頼人に襲い掛かるなどと言語道断である。
果てに、友を殺すという行為それ自体が、冒険者としての最大のタブーであった。
死罪にならなかったこと自体が奇跡であった。それほどに重い罪なのだ。
であるならば、カイエンは諦める他ない。そうであるはずなのだ。
(だが、あの変わった子供の奴隷商。何でも見通すかのような目をしてやがる、風変わりなあいつ)
トシキ・ミツジを思い出す。
彼はあのとき、名前を残したくないか、と演説をした。
カイエンは心が震えた。一体いつ頃の話だろうか、名前を残したいと願って冒険に躍り出たのは。
あのときの願いがカイエンの中に再び思い起こされて、カイエンは、ただただ血が滲み出るほど手を握り締めるしかなかった。
もう一度冒険者になれるのならば。そんな意味のない仮定が、あの時からずっとカイエンの心から離れない。
(誇らしい気持ちで死にたい――そんな気持ち、とうの昔に忘れちまったはずなのにな)
かつて忘れることのない大きな夢を見ていた。たったそれだけのことが、カイエンの全てであった。
煮え切らぬ想いを抱え木刀を振るう。その剣閃にかつての熱はない。
◇◇
(……というわけで、サバクダイオウグモについて調べなくちゃならんわけだが)
あの日ハワード、アリオシュ翁の両名と取り交わした約束は、『サバクダイオウグモの討伐』『魔物使いの始末』であった。
とはいえサバクダイオウグモの生態に詳しい訳ではない俺は、例えば何が弱点なのか、という最低限の情報だけでも取り揃えておこうと考えたわけである。
しかし。
(思ったより早く終わってしまった……)
冒険者ギルド書庫の資料に鑑定スキルをかけて、『魔物の生態』『大発生の記録 オアシス街』など、遠くから本のタイトルを一括で調べ、そして関連度の高そうな本をおおよそ選別する。
その後、その本の当該部分を調べるだけ。
それだけで殆ど必要な情報が揃ってしまった。
圧倒的な時間短縮、そして効率化。ただぼんやり眺めるだけで視界に入った物の情報を調べてくれる鑑定スキルは、こういった日常レベルの些事にも応用可能なので便利な事この上ない。
おかげさまで、『クモはカフェインに弱い』『油を遠くから浴びせて焼くのが有効』など、有用そうなのは間違いないのだがどうやって扱えばいいのか迷う情報まで手に入った。
さてそろそろ帰ろうか、と思った矢先、書庫に誰かが入ってくる気配がした。
アリオシュ翁その人である。
「ああ、アリオシュ翁でしたか。毎度毎度、書庫の閲覧許可ありがとうございます」
「構わん。お主に閲覧許可を出すことでワシの懐は痛まんからのう。それよりもお主には、サバクダイオウグモ討伐や魔物使いの始末を依頼している手前、情報をたくさん集めて欲しいぐらいじゃからの」
気さくに返すアリオシュ翁であったが、ギルドの書庫の閲覧許可を出すというのはそれほど気軽な話ではない。
ましてや閲覧制限のかかっている資料も読む事ができる第一種閲覧許可は、それこそ五枚羽以上のベテラン冒険者のもつ権限と同等のものである。
永続的なものではないためその都度許可を発行して貰う必要があるが、それでも破格の扱いだ。
「そういえばアリオシュ翁。オアシス街の倉庫各地にガラナの木材が多量に積まれているのですが、あれは何でしょう?」
「あれかの? クモはカフェインに弱いらしいからのう。いざというときは火を放ってクモを追い払う予定じゃ」
「なるほど……」
「もっとも、そこまでクモを侵入させてしまった時点でワシらの失敗なんじゃがのう。先手を打って討伐せねばならん」
アリオシュ翁曰く、このガラナの木材ことは秘密らしい。
どこぞに魔物使いジャジーラが潜んでいるか分からない以上、この情報が漏洩してしまえば先手を打たれて木材をダメにされる可能性があるとのこと。
本当に万が一の切り札なので、こうやって極秘にしているのだという。
「そういえばお主、奴隷商としてはどうじゃ? 儲かっておるか? それとも商売あがったりか?」
「まだ準備段階ですので、あまり芳しい結果は出てませんね。まだまだじっくり構えようと思っています。幸い蓄えはそこそこありますので」
「ああ、そりゃ上手く脱税したからのう、蓄えは全然あるじゃろうて」
「いやあ、手厳しい」
それとなく免税措置のことを軽口叩くアリオシュ翁に、俺は「一応今後の狙いはあるんですよ」と受け答えて話を逸らしておいた。
「今後の狙いとな?」
「はい。うちの奴隷たちから、冒険者を数名輩出しようと思っておりましてね。彼らに今後、冒険者として活躍して貰おうかなと考えているんです。そうすればうちも有名になるし、彼らもきっと冒険者になりたい一心でやる気を出してくれるでしょうし」
「ふむ、お主は毎回面白い宣伝方法を思いつくのう。槍稽古然り、今回然り」
アリオシュ翁の言う通り、俺の宣伝方法は独創的らしく、そして宣伝という意味ではそれなりに上手くいっている。
槍稽古にしたって、こんなことをする奴隷商はいないということでよく酒の肴に話のネタにされている。存外奴隷達の槍稽古が様になっているので、『人材コンサルタント・ミツジ』から戦闘奴隷を買おうか、と迷っている声もちらほら聞くほどだ。
でも、宣伝は上手くいっているが、実際に買いにくるやつはいなかった。
恐らくは、場所的に足を運びにくく思っている客が多いこと、および俺の奴隷商としての実績がないことから商品への不安がまだあること、の二つが原因と思われた。
要は信頼をどう得るか、だが――。
「そこで、実績を作るためにまずは、手持ちの奴隷を冒険者にさせようというわけじゃな? 冒険者としてここまで活躍する奴隷を輩出しているからには、きっとこの『人材コンサルタント・ミツジ』も信頼の置ける店なのだとアピールするために。そうじゃろ?」
「はい」
信頼を勝ち取るには時間と実績が必要だろう。幸い蓄えはたくさんあるので、免税された一年間はなんとでもなる。その間に『人材コンサルタント・ミツジは、他所によくある安くて質の悪い奴隷商とは一味違う』という認識を広めればいいのだ。
よくある安かろう悪かろうの店とは違って信頼できる店だとアピールするのだ。
冒険者をプロデュースするのは、その意味では絶好の機会といえた。
「まず元より、冒険者の話題はこのオアシス街でもいい酒の肴です。いい冒険者、強い冒険者、これから伸びそうな冒険者、などなど、割と日常的に会話がされてます」
「まあのう、オアシス商人たちにとっても冒険者たちはよい商売相手じゃからのう」
「それに、戦闘奴隷の能力をアピールするのなら、冒険者として活躍させるのが一番早いです。依頼達成数やランクによってどれぐらい活躍しているのかが客観的に評価できますし。何より、冒険者は――」
本当の理由、冒険者ならば失敗したとしても悪評は立たないし目立たない、という理由は伏せておく。
小間使いや料理人を雇う場合は、奴隷が仕事で失敗した場合は「あそこの奴隷は質が悪くて」云々悪口を言われたりしがちだが、奴隷たちが集まって冒険者として勝手にパーティを作って勝手に失敗したとしても、誰も損をしないし悪口を言わない。
つまりローリスクなまま、数打ちゃ当たる。
それを隠して言い繕う。
「――冒険者は一山当てられますからね」
「お主、本当は腹黒い奴じゃのう。何を腹の内で考えているのか分からん奴じゃな。……まあええわい」
「まさか。何も企んでなんかいませんよ」
俺はそこでようやく、物のついでにアリオシュ翁に頼みたい事を思い出したのであった。
ちょっと過去を調べたい奴がいるのだ。
「そうだ。実は前々からお願いしたい事がありまして」
「何じゃ?」
「とある冒険者の過去を調べるために、ギルド支部長であるアリオシュ翁に許可を頂きたく思っておりまして」
「……ふむ、何故じゃ。それは冒険者ギルドの中でも守られるべき情報じゃ、おいそれと許可を出せん」
「カイエンです」
瞬間、アリオシュ翁が納得の表情になり「そういえばお主、カイエンを持っておったのう」と頷いていた。
カイエンの情報が知りたい理由は、自分の保有する奴隷が本当はどんな犯罪を犯したのかを把握しておくべきという思いと、後はカイエンこそを冒険者として復帰させたいと思っているからである。
半信半疑の奴隷たちのやる気を引き出す上で、カイエンは重要な立ち位置を占めていると言えた。
カイエンは犯罪奴隷であり、犯罪奴隷と言えばまごうことなく『何をするにしてもその権利が与えられていない』存在の代名詞であった。
しかし、そんなカイエンが無事冒険者として復帰することに成功すれば、奴隷達も考えを改めるだろう。
頑張ったら彼でさえも冒険者になれるのか。
そういう成功例が実際に目の前にあるかないかでは大きく違うと俺は思う。
それに、これは主観的な考えでしかないのだが、彼が友を殺したとは到底思えないのだ。
精神的な問題を抱えているような言動は見られず、心理グラフの動きも普通の人間のそれと同じ。見るかぎり人を殺すような、それも冒険者としての矜持を捨て依頼契約に背いてまでして友を殺すような性格だとは思えないのだ。
それに、冒険者ギルド書庫に残されている彼の裁判記録も、不自然な記述がちらほら見られた。
無理やり彼を有罪にしようとするような、何者かの恣意がそこにあった。そう俺には感じられた。
「カイエン・レプティリアンは犯罪奴隷なのですが、彼が一体どんな人物なのかをもう少し深く知りたいと思っておりまして」
「なるほど。……特に今回、魔物使いジャジーラ絡みじゃものな」
「アリオシュ翁は何かご存知なのですか?」
「ご存知も何も、魔物使いジャジーラはカイエンの因縁の相手じゃよ」
あっさり言ってのけるものだったが、内容はそれなりに衝撃的であった。
一瞬反応に困った俺をよそに、アリオシュ翁は言葉を続けた。
「カイエンが友殺しと言われておる理由。それは、魔物使いジャジーラに罪を着せられたからじゃ」
「……それは」
「正確には友殺しだけじゃなく、何から何までじゃ」
濡れ衣。そう考えると納得がいく、だがそれじゃあカイエンは余りにも。
言葉を失っている俺に向けて、アリオシュ翁はぽつぽつと語り始めた。