第十九話
アントニの『炎の絵』は、まさに燃えるような美しさであった。ギャラリーにいる人々も必ずと言っていいほどに足を止め、その美しい色合いに見惚れている。
部屋の一角に人だかりが出来ており、その絵を見て「ほう」と感嘆の声を上げる人々が続出している。
俺はその光景を見て、成功したという思いに一人ほくそ笑んだ。
絵の美しさは、俺の計算通りであった。美しく仕上がらない訳がないのだ。
というのも、用いられている絵の具が違うのだから。
まず俺は、水にも溶ける絵の具を調合した。
界面活性剤を少し混ぜた油彩は、一種の混合揮発性油油絵具として機能する。その描き心地といえば、まるで水彩画のようにすっと薄く均一に広がるのだ。それだけでなく濃く細い線で強調するハッチングという技法なども、水彩絵具のようにかけるので簡単にできるのだ。
そして界面活性剤を含んでいようが、乾けば普通の油絵具と一緒である。強度は保証されている。
他にも、画面の痩せ(油の蒸発により画面の厚みが痩せること)や色変化が少ない種類の乾性油を油絵具に使用。
普通、絵と言うのは一般に色変化や痩せを考慮して描かなくてはならない。それを考慮して絵を描ける人を一流の画家と言うのだ。
もちろんアントニもそれを一通り嗜んでいたが、変化が少ない絵の具であるのなら言うことはない、という様子であった。
まさに見たまま色を描くだけでその通りに色を実現できる状態。このような絵の具は油彩画家が羨むような一級品であった。
何より最も大きいのが、俺の調合する化学塗料を用いることができるため、色彩の幅が広がったことだろう。
例えば、ラピスラズリの鉱石から得られる青い顔料「ウルトラマリンブルー」は高価な絵の具のため、揃えるのが難しい。しかし俺がインジゴ系統の色素を合成して調合すれば、安価に青系統の色を作れるのだ。
他にも、赤系統の色で有名なのは、ヴァーミリオン(朱色)。
天然のヴァーミリオンは彩度が低く若干パープルっぽい色を呈している。そして強い光を当てると黒変することがある。しかしこれを人工のカドミウムレッドに置き換えることで、黒変などを防ぎながら、目のくらむような赤色を作り出すことができる。
さらに安定性の高い絵の具を作ることで、混色による化学反応も抑制できる。遊離硫黄のあるウルトラマリン系の色に、含鉛顔料のシルバーホワイトなどを混ぜると硫化鉛が生じて黒変するため、水色が描きにくいという問題があったが、それもウルトラマリンを利用しないことで対処できる。
高価な色、鮮烈な色、混色の自由。これらの条件で色に深みが出ない、だなんてことはありえないのだった。
他にも、質のいい筆洗油(筆を洗うための油)など、そういった道具をすぐに調合できる環境だったのも大きい。
皮肉なことに、アントニの絵画の深みは、形が見えなくなってから恐ろしいほどに上達したのだった。
他の画家の描くような褪せた絵ではなく、鮮やかで目のくらむような色を使い、水彩画のような表現技法まで用いて色のコントラストを表現できるのだから、目立つことこの上ない。
アントニの絵は、まさしくあるべくしてこの展覧会の最上の絵として讃えられていた。
「主様、凄いですね……」
「だろう、ミーナ? 目を引かないわけがないさ」
「何だか、この部屋の中でも一際目立ってますよね。ずるいというか何というか」
「光の演色効果まで考えたからな。アルベール伯爵に無理を言って、照明や壁の色、カーペットの色などの部屋のデザインも、この絵を美しく見せるためだけに設計している」
演色効果。例えば、人間の顔色は本来の色彩よりもややピンク系にずれている方が好まれやすく、一方で黄色や緑色にずれていると不快である、と言われている。
このように照明の色と物体の色の二色のずれ、というのはかなり重要な意味合いを持つのだ。
光魔術を用いた照明も、この演色効果をかなり気にして設計した。俺はプロではないので細かいことは言えないが、「緑と赤を混ぜる」というような鮮やかさを減衰させるような色の組み合わせを廃したりぐらいには気を回したのだった。
「ここまでしたんだ。普通に考えても一番の名画になるさ」
「主様って、徹底して大人気ないですよね」
「ビジネスには万全を期する、と言ってくれよ」
サロン・ド・オアシスの展覧会場を見回しながら、俺はそうミーナに答えた。
これぐらいしないと、逆に勝負になりにくいのだ。
ここに来る作品は非常にレベルが高いと俺は思う。写実画にしたって、まるで ヤン・ファン・エイクの『ヴァン・デル・パーレの聖母子』のように絨毯の書き込みが細かかったりするのだ。
フォーヴィスム系統の作品にしても、勢いや迫力のある絵が多い。鮮やかな色の絵の具に制限があるにも関わらず、巧みな色彩感覚でそれをカバーしようとしてくる。
それらを凌駕するには、これぐらいの徹底が必要なのだ。
(そうだとも、徹底したさ)
俺は思いに耽った。
(宣伝文句から、勝負をかけていた。『かの名匠アントニが作り上げたフォーヴィスムの名画たち』と話題を煽った。かつて長くに渡り芸術の第一線を牽引してきた名匠が、突然今までのスタイルを変えてフォーヴィスムに挑戦するんだ。目を引くことは間違いないだろうさ)
ロスマンゴールド商館の面々を有効活用したことはいうまでもない。こういうステルス・マーケティングは画商の間では常識になりつつある。
(芸術評論の方にも力を入れた。ヤコーポが協力してくれたのは意外だったが、彼にも一筆『素晴らしい作品であった。この絵には命と力が込められている』などの絶賛の評論文を書いてもらった)
アルベール伯爵とロスマンゴールド氏の人脈を活用し、評論についても絶賛を賜ることに成功した。
メディチ家、デュローヌ家の運営するアカデミアにすら渡りをつけて、この新しいアントニの芸術に『近代稀に見る名画』というコメントを頂くほどである。
(そして、実際にアントニのフォーヴィスムの絵は美しかった。芸術作品として素晴らしい。絶賛されるべき名作だった。名作の仕上がりだったんだ)
これでアントニの絵が大した作品でないなら、ただの八百長でしかないが、アントニの絵は実際に素晴らしいものであった。
芸術Lv.6の補助能力は素晴らしい。今までの芸術の経験もあるのだろうが、色の使い方の巧みさや色調の描き分けには惚れ惚れするものがあった。芸術神の加護のおかげか、形が見えないアントニでも美しい色の絵を描くことが容易だったのだ。
(……これでいい)
俺は、ミーナを引き連れて奥の方へと歩みを進めようとした。
同行していたイリ、ユフィ、ネルの三人にも「まだもう少し見ていたいっていう作品がないなら、先に進もう」と促す。
三人は、何か言いたげな表情で俺を見ていた。
「……どうしたんだ?」
「別に、特に」「……。何でもないわ」「……何でもありません」
俺は、何かいいたいことがあるくせにと思った。だが別段聞き出そうとも思わなかったので、そのまま歩みを進めることにした。
歩みの先には、モザイクの天使が存在した。
時間を置くと透明性が増すという油絵の特徴を利用した、ステンドグラスのような質の油彩画がそこにあった。アラベスクの深い幾何造形美と、鮮やかだが優しい色彩の使い方に、俺は思わず足を止めた。
歪。
天使の描きこみは優美で精緻なのに、その色付けは、まるで形を失った抽象的な美の概念をなぞり込んだものであった。
羽ペンとインクで描き込まれたに違いない天使の絵を、エキゾチックな美しさを醸すグラッシの色の膜が飾っていた。