第十四話
伯爵家の人に画材などを色々支給してもらい、俺の店のテントに一通り絵を描くことが出来る環境が出来上がってから、俺はアントニを自分のテントへと連れてきた。
この間僅か二日である。何度も足繁く伯爵家と店テントを往復する日々が続いたが、それは画材を運び込むためではなく、寧ろ打ち合わせに時間がかかった結果である。
「今日からお世話になります、アントニと申しますじゃ。こんな老いぼれですが、宜しくお願いしますじゃ」
第一声、頭を下げるアントニの腰の低い姿勢に胸を打たれてか、うちの奴隷たちは好意的に彼を迎え入れた。
もちろん一部、どうして迎え入れる必要があるのか、と迎え入れること自体に疑問を持っている者もいた。しかし俺は俺の勉強のために必要であると説き、同時にアントニとフォーヴィスムを模索する上で共同生活は欠かせないと、その一部の奴隷たちに言い含めた。
「今日からトシキ様と絵の修行を共にする次第ですじゃ、ご迷惑をおかけしますじゃ」
「いえ、とんでもありません。こちらこそ無理を言って連れてきました、お付き合いくださって誠にありがとうございます」
改めてアントニと一通り挨拶を交わした後、これからの方向性を模索するために絵を描く。
物珍しげにアントニを眺めていた奴隷たちも、今から彼が絵を描くのだと理解して、一体どのような絵を描くのかと彼の背中に回っていた。俺はそんな奴隷たちに、早く仕事に戻れ、後で見せてやるから、と指示を出した。
「では早速、何を描けば宜しいですかのう」
「ユフィかヘティ、ネルですね。彼女たちはあまり動かない仕事をしているので」
「それぞれ教えていただけませんかのう。このジジイには見分けがつかなんです」
「承知しました。あちらにいるのが……」
手短にアントニに説明をする。
俺はまずアントニに人物画を描いてもらおうと思った。形の意味を理解できないアントニが、見たままをそのまま写して描くとどうなるのかを知るためだ。
いつかアトリエで見たアントニの絵には、木になり果てた逆さの女の絵画があった。あれは女をモデルとして呼んだのではなく、イメージの中の裸婦を描いて失敗したのだという。
ならば目の前に具象的なイメージがあれば、絵の精度はぐっと上がるかも知れない。形の意味が分からなくても模写は可能だからだ。
果たして、読みは当たった。
形の意味を理解できていないらしく、それこそ立体感があまりない絵になっていたが、形それ自体はほぼパースが狂っていない。
形も分からないまま頭の中のイメージを絵に描くのと、見たままに色を描きだすのとでは随分勝手が違うようだ。
「あら、上手ね。少なくとも真緑で描かれたときよりは上手だと思うわ」
「おい……アントニもグリザイユ画法の灰色単色から描き始めているじゃないか」
「灰色はモノトーンでいいじゃない。緑はちょっとゾンビみたいに描かれている気分がしてショックだったわ」
おつゆ描きからさらさらと影を描いて輪郭をとるアントニの絵は、とてもじゃないが形が分からない人のそれには思えない。彼の目が良いことを改めて実感させられる瞬間だ。
形の意味が分かっていないためどこが本当に影になっているのかが分からず、取りあえず暗い場所や濃い色の場所を影として描こうとした結果、寧ろ写実画としての精度が高くなっている気がする。
いやもともとアントニの写実画は相当上手なのだろうが、影の取り方が若干大胆でも現実的に見えるのだと改めて実感したと言うべきか。
アントニの目で見た場合、鼻孔と二重瞼はどちらも同じ切り込みである。俺にとって鼻は穴で二重瞼は皺であっても、影が深い場所で俯き作業をするヘティの顔は、鼻も二重瞼も切り込みに見える。
形の意味を知っているから脳で補完する俺とは違い、アントニは見たままをそのまま描く分、ある意味本当の意味で写実的であるとも言えた。
「へえ、とても上手ですね」
「ここまではな」
「?」
ミーナは俺の発言に疑問符を浮かべていた。ここまでほぼ完璧な工程を踏んでいるアントニしか見ていないので、ここから先を知らないのだろう。色を付けて立体感を出していく作業で、アントニは大きく苦戦する。
晩御飯を食べながら、奴隷達と軽くミーティングを行った。
ヘティとは今月の収支のおさらい。自作ポーションの売り上げや人材派遣業の事業所得、アリオシュ翁へのお酒など贈り物に掛かる出費、食費などの諸経費をここで軽く計算しておく。
税制度がそこまでしっかりしていないこの世界においても、何かしら金銭的なトラブルに巻き込まれたときにこういう会計帳簿をつけているかどうかで大きく異なる。身の証を立てる手立てはいくらあっても困ることはない。会計帳簿の扱いはユフィ、ネルにも優先的に習得させようとしている技術である。
ユフィとは調合ポーションの作り方について。今までは回復ポーション、魔力ポーションなどを中心に調合してきたが、次からは大量に存在する解毒剤に少しずつ挑戦してもらうつもりだ。
一般にこの世の毒は治せない。対応する解毒剤をもって治さなくてはならないのだ。しかし、対応する解毒剤をもっても尚治せなかったりするケースが殆どだ。毒が体に効くというのは一種の化学反応であり、その化学反応を中和したり食い止めたりするのには合致する解毒剤がないと厳しいというのが実情で、そしてその化学反応を食い止めるタイミングが遅ければ解毒を待つ前に死に至るのだ。
しかし解毒剤が重宝されないという訳ではない。魔物が良く放ってくるポピュラーな毒は典型的な解毒薬で対応できるのだ。
というわけで、ユフィには今現在サバクヒメサソリ、サバクオオアリ、サバクダイオウグモあたりの毒の解毒剤を作ってもらっている。
チッタにはスポンサーについて。今決定しているスポンサーは『精肉屋バリー』に加えて、もう一つ『頑固親父の武防具店』の二つだ。
頑固親父のほうは、俺が昔ノール、エリック、ウッソたちを冒険者に仕立て上げたときお世話になった武防具店である。というか鑑定スキルで職人の腕前と店の商品を鑑定させてもらい、俺がこの頑固親父の店に一方的に惚れ込んでしまったのだ。それ以来、何とも仲良くなってしまい、度々新しい防具を試させてもらったり、逆に防具に使えそうな薬品を彼に直接卸したりと、今ではお得意様の一人である。
彼との付き合いの長さ故か、チッタとスポンサー契約をする話を持ちかけた所、快くOKを頂いた。これで彼の商売のプラスになれば幸いである。
そしてチッタも「自分の力が認められて嬉しいっす」と少し照れくさそうに微笑んでいた。
ミーナとは冒険者業についてだ。
もはや看板娘、会計、接客従業員、稽古指導、その他諸々を手伝えてしまうミーナは、そのポテンシャルの高さ故に仕事を見つけてはここに居座っている。
最近こそステラを雇い、奴隷の衣服の洗濯や食材の購入及び料理など、奴隷の身の回りの世話をステラとイリに先導してやってもらっているものの、それでもミーナは何だかんだこのテントに居付いている。
たまに思い出したように、ノールたちと一緒に簡単な依頼を引き受けては、その持ち前の槍術スキルと舞踊スキルで舞うように相手を屠っていって、依頼をさくっとこなしてしまう。「アイツ見てると、ホント羨ましいぜ。魔物ってこんなに簡単に狩れるんだって勘違いしちまいそうになる」とは、今は遠くゾンビ狩りに派遣されてしまったカイエンの言葉である。
持ち前の知識ゆえか、書類仕事がなまじヘティと同レベルで出来てしまうので、たまに商人ギルドなどに顔を出してもらっては「今度の派遣先の労災保険の申告書類提出してきましたよ」とか色々やってもらっている。
しかし、流石に冒険しなさ過ぎなのでやんわりと「そろそろ冒険して来い」と命ずる。「全然やんわりしてないじゃないですかー」と文句を垂れながらもミーナはしぶしぶ承諾していた。
皆との一頻りのミーティングを済ませると、晩御飯はちょうど食べ終わっていた。俺は今度はアントニへと向き直った。
「さて、今日はもう一つ。アントニさんにせっかく来てもらったんだ。アントニさんと是非仲良く交流して欲しい。……すみませんがアントニさんもよろしくお願いします」
「いえいえ、寧ろこちらこそこのような場を設けていただいてありがとうございますですじゃ」
せっかく一緒に過ごすのだから、ある程度仲良くなってもらったほうが居心地も良いだろう。そう考えた俺は、皆に自己紹介をしてもらいどんどん質問をするように言ったのだった。




