第五話
マルクの隠し財産は、まだ殆どが手付かずである。
アリオシュ翁のお目溢しにより、追徴処分を免れて思った以上に金が余った俺だったが、今現在はその金の使い道に困っていた。
出来ればそのお金は素直に蓄財に回しておきたいのだが、アリオシュ翁としてはその金は使い切って欲しいとのこと。
なるほど、このお金を残していた場合は後々また収支の帳尻合わせに禍根が残る可能性がある。しかし、俺に対して免税措置が出た今のタイミングにお金を使いきっておけば、少々のお金の不自然な動きは『免税に伴う資金の変動』ということでごまかしが効く。
というわけで、アリオシュ翁達にとっても手間が掛かる追徴処分には目を瞑っておくので、その代わりにお金を使いきって今年中に清算しておいてくれ、ということだ。
俺としても、追徴されるよりは何かに使う方がまだ比較的マシなので、アリオシュ翁の発言には素直に従うつもりだ。
そのために思いついた使い道としては以下の通りだ。
一つ目。新しい奴隷たち。これについては既に実行済みで、人数を増やし過ぎると食費などが嵩むためある程度考えながら買い足した。
二つ目。商店の設備。テントや机は丈夫だったので一新する必要がなかったが、掃除道具や小道具などはもう少し追加しておいた。また、これは個人的な願望だったが石風呂を購入した。これで寒い夜も体を暖めることも出来るし、汗もしっかり流せる。
さて、残る三つ目は服装である。
「服装、ですか」
「ああ、そうだミーナ。特に店主の俺のな」
服飾屋にあれこれと指示を出しながら、俺は服の完成を心待ちにしていた。何せ金貨十枚以上を使って服を作って貰っているのだ、細部の細部までこだわって指示を出させてもらった。
元々広告業関係のキャリアコンサルタントだった俺は、服の重要性を身に沁みて実感している。
言うなれば服は権威だ。まさしく着飾る肩書きであり、お偉い方々と渡り合うための最低限の礼儀である。
ぱりっとした服装は、人の気品と貫禄をその見た名以上に引き出し、その発言力を飾り立てる。
見た目の重要性を侮る者は、きっとエレガントな人と会話をした経験がない者に違いない。服はまさしく格調だ。切れ物のように鋭利な風格は、相手を呑みこむ。呑みこまれた経験のない者だけが、人は服じゃないだなどと寝呆けたことを言うことが出来るのだ。
「店主である俺には、服装にも一定以上の品位と権威が要求される。俺はこの店の顔であると同時に看板であり、そしてこの店の総責任者でもある。……だからこその、勝負服だ」
「そう言えば、ヘティも珍しく同意してましたものね。格調高い服装はいずれ必要だと」
「ああ。いずれ貴族と渡り合うときも出てくるだろうからな。……そうさ、貴族相手でさえ負けないような、そんな最高の服が俺に必要なんだ」
そして同時に、清潔感ある服装は、この上ない誠意を表す。
フォーマルな調和感と、程よく張り詰めた服の格調高さは、見るものに誠心の意気を思わせる。
形式の上であろうとも、相手を重んじるための服という物は、相手を評価していることを暗に示唆するのである。貴方と交渉に望むために私は失礼のないようこのような格好をしております、という意味なのだから。
などと権威と誠意の二つの観点からの意味を彼女に説明しておく。「どうですか、そういう感じの服になりそうですか?」と聞いてきたので、俺は自信を持って頷いた。
勿論である。
前世の俺が愛用していた勝負服なのだから、間違いあるはずがない。
「勝負服は俺のこれからの相棒だ。ずっと長く付き合うんだ。だからこそ華々しくて、そして誇らしい奴を作ってやろうと思っている」
「へえ、完成が楽しみですね」
「ああ。これを着て俺は、誰もが羨むぐらいに成り上がってやろうと考えている。その夢に負けないぐらいに、誇らしい立派な服にしたつもりさ」
俺の言葉を聞いてミーナは、「主様らしいです」と微笑んでいた。主様らしい、というのは野心的なところがだろうか。
上等だ。野心的、大いに結構。俺には絶対に成功してみせるという願望がある。
それを叶えるためには、相棒はこいつしかあり得ない。
服飾屋の店主から「お客様。どうぞこちらになります」と黒いスーツジャケットと黒いスーツスラックスを手渡される。
俺はそれをしかりと受け取り、代金として金貨を十数枚手渡した。感覚的に換算するなら百万円以上のスーツ、というわけだ。
笑みがこみ上げないわけがない。
「ネクタイは黒と金のアクセントを入れた赤色基調のパワータイ。巻き方はウィンザーノット。ジャケットとベストは共に黒。ネクタイピンは幸運の象徴クローバー。靴はキャップ・トゥでクォーターブローグ。……袖のカフスボタンとフラワーホールのバッジは、お洒落と勇気が必要なときに付けていくアイテムだ」
「それは?」
「俺のかつての相棒だったものたちさ。……有り合わせだけど、やっぱりないより全然勝手が違う」
俺の仕事の相棒、それはこだわり抜いた勝負服だ。
新人時代からずっと付き合ってきたスーツに、少しずつ新しい相棒を馴染ませてきた、俺個人の歩みとも言える。
ウィンザーノットのネクタイは自分の気持ちを引き締めてくれる。
本当はネクタイにも色によって誠意、気楽さ、などの意味があるのだが、俺が一番好きな赤色のネクタイでいいだろう。こいつを付けているときが一番自分らしい気がする。
そして三つ葉クローバーのシャムロックのネクタイピンは、自分の名前の三辻と幸運を掛けたアイテムだ。昔から何となく使っている馴染みの道具だ。
靴のクォーターブローグのキャップ・トゥは、良くある一文字のフォーマルな靴とは少し違い、ブローギングにより穴飾りが加えられている。冠婚葬祭を除くフォーマルな場から普通のビジネスなどの用途にまで幅広く活用できるのが良いところだ。それこそ新しい営業先でのプレゼンテーションなどなんかには打ってつけの靴と言えよう。
もはや全てが懐かしい。
これらの服飾はかつて俺の誇りだった。新米の頃の服飾の自由を許されなかったころの堅いスーツ姿から、自分の成長と共に新しく加わっていく相棒達。俺と最も付き合いの長い相棒は、俺と共に少しずつ変化していって、ちょっとしたお洒落の似合ういいスーツになったと思う。
「遂に俺は、一人前か」
最終確認のため試着室に入りながら俺は呟いた。
「いや。正確に言うならば、ここから先は一人前にならなくちゃいけない」
「よほど気に入ったんですね主様。でも着て帰らなくても良かったんじゃ……」
「そうか? 着なじむことは重要だろ? それにアルスターコート風の外套で砂埃からはスーツを守っているし」
帰り道、そこには顔をほころばせている主人と呆れ笑いを浮かべながらそれについて行く従者がいたという。
周囲はその特異な風貌にちらと目を奪われている。どこぞの貴族か貴族かぶれた商人か、とでも思っているに違いなかった。
「……トレンチコートなのでは? 主様ってイギリスかぶれですよね」
「……。まあトレンチコートだけどさ。確かにウール生地じゃないし。だけどお前トレンチコートとかイギリスとか……まあいいけど」
「靴のストレートチップをキャップ・トゥとか言ったり、トレンチコートをアルスターコートとか言ったり。……可愛いですね」
「可愛いってなんだよ」
「その細かいこだわりがです」
「こだわるのは当たり前だろ? これからは一人前なんだからさ」
振り向きながら一言。ようやく俺は帰ってきたという感慨や、これからはそうならなくてはならないという決意をその言葉の裏側に込めて。
「それが、一人前までのキャリアプランってね」
オアシス街は広い、まだまだやるべき事はたくさんある。そんな将来への期待と先の見えない落ち着かなさを感じながら、俺は帰るべき場所へと足を運んでいた。




