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フライパンの上で肉の腸詰めが弾ける。
それを溶き卵で閉じ、さっと炒める。
いつもの朝食の完成だ。
家の二階で多分寝ているベルと、庭で誰かと話しているアイリスを呼びに行くことにする。
ベルは寝つきは悪いが寝起きはいい方だ。
軽くエリーの上で仰向けに大の字になっているベルをエリーごと揺すって起こす。
「おーい、朝だ、飯だ、起きろーい」
「……朝カ」
エリーは伸びをした後、軽い運動のように俺の周りを飛び、肩に乗った。
<おはようございます、トルク様、あとついでにマスター>
「……朝からその言い方は無いんじゃないカ?ああトルク、外の井戸まで連れて行ってくレ……」
正に朝飯前にベルの自尊心に先制打を打ち込んだエリーは、俺とその肩に乗ったベルを見送るとすぐに目の部分を閉じ、休止状態になった。
エリーはオートマタだ、コアである魔石の消耗は金銭的にも手間も掛かる。
よって、今までの警備や家事の用事をする必要がなくなった今、エリーは必要に迫られた時以外は専ら休止状態になっている。
そんなエリーのマスターは庭にある井戸の桶に上半身を乗り出し顔を洗っている。
俺は家から外に出られないが、流石に声ぐらいはいいだろう。
そう思うと窓から声をあげてもう一人の同居人を呼ぶ。
「アイリスーっ。朝ごはんだぞーっ」
2、3回こだました後、もう一度呼ぼうか考えていると、アイリスが垣根を羽の腕でかき分け、その間から顔を出す。
「純人。取り込み中だから静かにしなさい、デリカシーが無いわね」
歯に衣を着せないような物言いにあ、はい。と適当に返そうとするのを堪えていると、もうひとつ、別の顔が覗いた。
「や、トルク君。ちょっと失礼するよ」
声色の優しい爺さん。
それだけでは無い、耳がピンと伸び、細長く、肌が真珠のように白い。
亜人種の中でも細身で色白、そして長耳、長寿で知られるエルフ種だと分かる。
彼はこの街、ハイアイドの町長、チェフさん。
俺がこの街で生きることを許可した人物。
「あ、チェフさん。おはようございます」
「ちょっと!さん、じゃないわよ、純人!チェフ様でしょう!様を付けなさい、様を!」
「……気にしなくてもいいよ。で、ちょうどトルク君と話がしたかったところなんだ。ちょっとお邪魔してもいいかい?」
むきーと音がでそうなほど怒っているアイリスを蚊帳の外に、チェフさんは軽い笑みを浮かべてそう言う。
「ええ、はい。勿論です」
そう言ってしまった後だが、ベルに目配せする。
ベルは肩を竦め、頷いた。
特に問題無さそうだ。
「アイリス、ご飯だ。チェフさんも一緒に如何ですか?」
善意半分、立場の改善への投資半分にそう言う。チェフさんは笑みを深め、頷いた。
「そう言って何かご飯に盛る気でしょう!」
「してたらとっくにしてると思うよ、アイリス。じゃあ僕もご相伴に預かるとするよ」
アイリスとは2ヶ月過ごしている。
それでも純人、せめて俺に対してでも敵意がむき出しだ、心の傷は思った以上に深いのかもしれない。
勿論俺の作ったご飯はここしばらく食べてくれている。
しかし毎回この調子で罵るのではちょっと作る側として気が滅入る。
パンは十分にあったかな、と思いつつ窓を閉め、もう一人分の腸詰めを取り出した。
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肉や乳製品、卵などのの油っこい物はパンに合う。
その例に漏れず、そこそこ美味いトーストに腸詰めのピカタを乗せたものを咀嚼しているとチェフさんが話を切り出す。
「用事と言うのはエリーの事だよ」
「……エリーが何かしたのカ?」
その話題がエリーについての事だと知るとその主人であるベルが真っ先に反応する。
チェフさんはそれをネガティブに捉えていると思ったのか、手を振って、いやいや、と言って続ける。
「ルーン文字についての話。よくわからないルーン文字が多かったから製作者本人に聞かなきゃと思ってね」
「なら俺ですが」
エリーの大元を作ったのは俺なので嚥下した後声を上げる。
と、いうかアイリスが昨日言っていたこの程度のルーン文字、というのは嘘だったのだろう、トーストを3枚も食べ尽くしたアイリスは明後日を向き口笛を吹いていた。
そんなアイリスの様子にチェフさんは苦笑いした。
「出来れば今日、無理なら明日辺りに別館までエリーと一緒に来てくれないかな?それを越すと他の街から使者が来るからね」
「えっ、いや、いいですけど、外出禁止ではないんじゃ……」
「えっ、いや、来てくれないと解析用の器具が使えないよ」
まるで押し問答のようなチェフさんとのやり取り。打開策を見つけようと俺はベルに目で助けを求める。
「転送は無理ダ、準備に時間がかかって明日明後日じゃ無理だナ。透明化とか迷彩とかの魔導具しか手がないんじゃないカ?ワタシはそんな魔術は覚えていないガ」
そんな魔導具があったらとっくに使っている、という反論をぐっと堪え、考える。
意外と妙案かもしれない。流石にこちらも軟禁状態だと暇をもて余す、それを解消できる魔導具があればこれからも自由に行動できる。
「アリ……かもな。だとすれば機能はどうするか」
「ふむ、僕も無理を言ったお詫びとして魔導具の材料くらいなら支給しよう」
「ありがとうございます。では小さい魔石を一つお願いします」
いつの間にかアイリスはさっき立場が悪くなった時に霧散してしまった。
窓が空いているばかりである。
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そして、明くる日。
魔導具は完成し、エリーを抱えて玄関に立った。
機構は周りの人々に"これは亜人種です"と思い込ませるミーム的なものも考えたが、燃費の面から単純に亜人種に良くある特徴を装着者に付ける、というものにした。
急造のものなのでかなり簡易的に。
獣人種の耳と尾を写像するものにした。
ベルはこれを見て、
「トルク、そんな趣味があったとハ……、ああ、魔導具カ、悪かっタ」
チェフさんは、
「うん、とても素晴らしいと思う。これ程のものを僅か一日で作るとは感服だよ。ただ、あまり出入りは……うん、しない方がいいと思う」
……馬鹿にされているのは分かる。
それは純人種の俺を知っているからこその感想であり、俺は悪くない、多分。
<悪くは無いと思います。いいとは到底思えませんが>
フォローらしからぬ辛辣な言葉をエリーから頂く。
その時、羽ばたき音が聞こえた。
アイリスはあくまで監視役なので今日別館に行くことを伝えてあるのだが。
ふと、音が止んだと思ったらアイリスが真っ逆さまに落ちてきた。
大きな音はしなかったが、確かに頭から真っ逆さまだった。
地面に頭から落ちたアイリス。急な事で受け止められなかったが、咄嗟に近づき、様子を見る。
「アイリス!無事か!」
「……っ」
薄く目を開けるとすぐに目をぎゅっとつむる。
軽く身体が小刻みに震え、痙攣しているように見える。
打ち所が悪かったのかもしれない、嫌な予感がふっと頭を過ぎ去る。
「アイリス!アイリス!」
上体を起こし、軽く揺する。医療知識がないので迂闊に手が出せない。
しばらくすると、アイリスが硬く結んだ口を開いた。
「ぷっ!……ぶふっ、あははは、あーっはっはっはっ、ふ、あひゃあはは!」
どうしよう、このやるせないやり切れない感情。
アイリスはただ俺が亜人に変装している姿を見て笑い転げているようだ。そんなに猫耳と猫尻尾が似合わないか……?
「ちょ、純人、イメージが、ぶふっ、い、イメージが違いすぎ、っあっはははは!」
無視して行こうと思うがアイリスと同行しなければ別館には入れない。
つまりこの屈辱をしばらく味わわなければいけないのだ。
「エリー、なんか慰めてくれないか、なんだか今日はとっても疲れているんだ」
アイリスは笑いがまだ止まらないようだ。
笑いが収まって来たと思ったら再度こっちを見てまた笑い出す。
地面に腕の翼をバシバシと叩きつけ、飛翔し一回転し、数分経った今も大爆笑しているアイリスを無心で見つつ、思わずそうつぶやいてしまった。
<アイリス様にはデリカシーが大きく欠如していると思います>
どうせまたトゲのある言葉を投げかけられると覚悟していた俺は擁護してくれたエリーが一瞬天使に見えた。
アザラシの天使だ。
<もっとも、センスについてはとても良い感性をお持ちのようです>
結局言葉のボディブローを上げてから放つというえげつないことをしたエリーが悪魔に見えた。
アザラシの悪魔だ。
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アイリスの笑いは収まり、改めて高度な変装魔導具の性能に驚いたようだ。
その後すぐに慌てて亜人なら出来ると言っていたが。
「ちょっと驚いただけ。それにしても似合わ無いわね、ぷふっ……」
今一緒に歩いているのは俺に合わせて滑空しているアイリスと、石畳の上をなんのそのという顔で滑るエリーと俺だ。
思えば歩いているのは俺だけだ。
変装用の魔導具はその機能をいかんなく発揮しているようで、人通りは全くもっていつもと変わらない。
やっぱりこの姿が初対面なら別に問題は無いようだ。
<アイリス様、変装がバレるようなことを仰らないでください、そこの突き当たりです>
別館とは、このハイアイドの町長を務めるチェフさんが作った広大な屋敷の、隣にある建物だ。
エリーにはそこまでのナビゲートを頼んである。
アイリスに頼むとどこの町の外れに案内されるかでたまったものではない。
「主屋が街の行政を任されていて、別館で魔法の研究をしているんだっけか?」
「ええ。今回のように魔導具の研究をしていたり、新しい魔術を作ろうとする事もある。ハイアイド自慢の施設よ」
アイリスは俺の疑問に胸を張って答えた。俺達は今からそこに技術提供しに行く、ということは黙っておこう。
半分鎖国しているような街に最先端の技術を求めるのは流石に酷というものだろう。
<新しい魔術とは、新生魔術のことですか?>
「新生魔術?なにそれ?こっちではそんな魔術は聞いたこと無いけど」
エリーが言った新生魔術というワードをアイリスはオウム返しにした。
新生魔術とは俺も初めて聞いた。
言葉から察するに、今までとは違う方式で魔術を行使するのか。
<いえ、研究していないなら宜しいのですが>
どうやら黙秘をするようだ、エリーは見た目はアザラシでもマスターに忠実なオートマタだ。
これ以上質問しても無駄だろう。
ベルとエリーが話している姿を思うと少しクエスチョンマークをつけざるをえないが。
そうこうしているうちに着いたようだ。3階建てのかなり広い木造の屋敷が目前にそびえ立つ。
「ここが別館ね」
<ええ、それにしても大きいですね。別館でこれですか?>
「ああ、いや、主屋はこれと同じ位の大きさ。というか別館が増築を繰り返したというか……」
少し、前に自分の店だったマテル修理店を思い出し、目頭が熱くなる。
それと同時に、両開きのドアが開き、中からチェフさんが顔を出した。
薄汚れた作業着を着ている。頬や剥き出しの腕にススが少し付いて、白い肌を黒く染めていた。
「や、よく来たね。トルク君、エリー君」
「少し早かったですが良かったですか?」
<お呼ばれになり恐悦至極の極みで御座居ます>
ひょい、とエリーが地面に寝そべったまま頭を下げ、俺も慌てて会釈する。
顔を上げると、チェフさんの隣に妖精のベルが飛んでいた。
「エリー、堅苦しくしなくてもいいゾ」
「そうそう、その通りその通り」
「ベル、ちょっとそれはチェフさんに失礼すぎるんじゃ……というか、学校は?休暇じゃ無いよな?」
「自習にして来タ」
<素晴らしいですマスター。教師の風上にも置けませんね>
ベルは魔術を専門に教えているが、実に意外と評判がいいらしい。一回くらい自習にしても問題は無いそうだが。
「まア、エリーのマスターだからナ。駆けつけないト」
<仮にも>
「何か言ったカ」
<なにも>
馬鹿みたいなオートマタとそのマスターのやり取りを見つつ、チェフさんはアイリスに声をかけた。
「アイリス、案内ご苦労様。帰っていいよ」
「えっ、ここで待つって言うのは駄目なんですか!」
「だって多分、いや絶対口出しすると思う……そうだ、ミルさんとこのカフェの割引券をあげよう」
「わぁ!アイリス、行って来ます!」
ばさりと音を立て飛び去って行くアイリスを見て、鳥頭ならぬハーピー頭、と、とても失礼なことばが浮かんでしまった。
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「このルーン文字は摩擦軽減の一節ですね。魔素を込め続けられれば氷上のような滑りになります」
「なるほど、急拵えで車輪替わりに応用できますね」
目の前にはエリーの縫いぐるみ部分を取り除いた骨組みとコアが露出している。
チェフさんはいつの間にか用事が有るから、と席を外し、ベルは部屋の邪魔にならない所でエリーの脱け殻を縫い直していた。
今この解剖台と言ってもあながち間違いではない机を囲んでいるのは俺と獣人種、エルフ種の二人の研究スタッフだ。
「これはどういう意味の文字ですか?そこら中に分布しているみたいですが」
「それは簡易的な魔素を溜め込むバッテリーです、これだけ大掛かりなオートマタなので魔素供給の安定を考えて多く配置しています」
真剣なようで、質問が絶えることはない。どうやらこの二人はお互いにライバル視しているようだ。時に相手の質問を遮って質問し、火花を散らしている。
「ありがとうございました。存分に日常生活に活用させていただきます」
そんな時間も終わり、エルフの女性研究スタッフから礼を言われた。どうやら純人と言うことを欺くには十分であるようだ。
「ありがとうございます。此処まで高度な魔導具技術に感服します。もしかして帝国辺りからの逃亡者でございましょうか?」
獣人の男性研究スタッフがそう言った。
視界の端のベルが反応するようにピクリと動いた。
「えーと、まあそんな感じです。すいません、少し気分が優れないのでお暇しても」
適当にお茶を濁し、この場をずらかろうとする。と、獣人スタッフが慌てて言った。
「あ、失礼なことをお聞きしてしまいましたか?家までお送りしましょうか」
「いえ、大丈夫です。お気になさらず」
結局、エリーを抱えて逃げるように場を後にしてしまった。
庭に出て頭を軽く冷やしていると、ベルがゆっくりと後を追って来た。
「トルク。帝国出身なのカ?」
帝国。このハイアイドと対極を成す街と言っていい、巨大な城壁に囲まれた純人種の街。
そこで亜人を見たら良くて労働者、大抵奴隷という差別に満ちた街。
「出身は違う。ただ、欲しがってもない恩を売られて暫く過ごして居た」
「ン、そうカ。ならその知識には理由がつク。……あと、魔導兵器についてもナ」
できるだけ考えることをやめて、エリーのコアをアザラシに詰め込む。
エリーには現在魔素が充填されておらず、休止状態になっている。
この会話を聞かれていないことは幸いだ。
「まア、話す時になったら話してくレ。ワタシからは触れないようにするヨ」
「……恩に着る」
ベルは時々、俺よりも数倍小さいのに時々とても大きく見える。
と、ベルは俺の小脇に抱えられたエリーを見て、一つ提案をした。
「そうだナ、気晴らしも兼ねて学校にエリーの充電でもしに行くかカ?」
いい案だとは思うが、エリーが学校をどう思っているのか少し透けて見えた案だった。
一話投稿の長さをながーくしてみました。
手が進む!とまらない!
ということで出来たら更新という形にします、一週間以上空く時は言いますのでご容赦をば。
誤字脱字、感想、改善点等お待ちしております。