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ぼんやりと沈んでいた意識がゆっくりと現実という水面へと浮上して行く。
鉛のように重く、反応の鈍い瞼をこじ開ける。
最初に目に飛び込んで来たのは黄色を含む白石と薄い灰色の石でモザイク状に彩られた天井だった。白い石の反射する光が目覚めたばかりの目を容赦無く刺し、目を細ばめる。
……ベットの横に座ると、身体が重くなって、いや筋肉が無いのだろう、重く感じる。それがわかると同時にこれは夢だと気づく。
(俺は……ポータルで街から出て……それから……何だ?)
今までのことをしっかり思い出そうとするも、まどろみと揺らぐ意識のせいで思考を保てない。
考えることをやめ、下に向けた視線を上げると、いままで修理に使ってきた修理器具が、いやそれよりもっと綺麗な器具が並んでいる。
心の奥で警鐘が鳴り始める。
まるで何かの魔法のように視線が動かせなくなる。
時が止まったかのように感じた後、無理矢理俯くまでにどのくらいかかったか。
いつの間にか息が上がり、動悸は痛々しいほど胸を叩いている。
目を逸らした先の寝ていたベットのしわくちゃになったシーツごと手を握り、早く目覚めろと意識を取り戻そうとする。
その時、扉のノックが部屋に響いた。
再度、思考、視線の時が止まる。いや、今度は痩せ細った身体が小刻みに震え、振り向いた瞳は見開かれている。
寒くないのに歯が鳴り始める。頭の中は、覚めろ、と、どうして、で埋れ切った。
視線はただゆっくりと開いていく扉の下部を視界に留めていた。
まず、騎士らしい金属製のブーツを履いた人が二人、ガチャガチャと耳障りな音が鳴る。
その後、白くて分厚い生地でできた白衣と作業着を合わせたようなものを着た女が一人、部屋に入ってくる。
そして、唄うような声で唱えた。かつての俺には正に天からの救いの言葉を。そして、今の俺には死刑宣告に等しい言葉を。
「ようこそ、トルク・ディクト。君は今日からここの研究所で働ーー」
最後まで聞こえず、俺の意識は精神的な限界を迎え、細糸が千切れるように闇に沈んだ。
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目が覚める、と同時に背中に冷や汗で濡れた不快感を感じる。
机に突っ伏して寝てしまっていたようだ、紙が幾つかくしゃくしゃになって腕の下敷きになっている。
「おウ、トルク。起きたカ」
半目で書類を睨んで居た目を上げるベルを視界の端に捉え、先程まで何をしていたか整理し、思い出そうとする。
結局、ポータルは正しい座標……ネクト街ではなく、そこから徒歩で数ヶ月かかるだろうかなり遠い場所に辿り着いた。
亜人の街、ハイアイド。
それがこの街の名前だ。
そして、辿り着いたのが2ヶ月程前。俺とベルはそのハイアイドの中心街の一角で暮らしていた。
<書類がゴミのようになってますよ?>
訂正、二人では無かった。ベルを主人とするアザラシ型オートマタ、エリーも一緒にこの街に飛ばされて来た。
「やっぱり純人種はこんな腑抜けた奴ばっかりなのね!呆れたわ!」
人の手や腕が無い代わりにある鳥のような羽の生えた翼を大きく羽ばたかせ、エリーを爪の生えた鳥の足でむんずと掴み、窓から俺を、いや純人種を蔑む声が響く。
追加でもう一人。亜人種、ハーピーのアイリス。
彼女は余所者である俺たちの案内役、兼監視役を受け持っている。
監視役と役目、それを説明するにはこの街、ハイアイドの成り立ち等を説明しなければなるまい。
ハイアイドは、先述したとおり、亜人の街と銘打っている。その通り、この街には亜人種と純獣種しか住んでいない。
少なくとも、2ヶ月前までは。
というのも、そのほとんどが純人種に虐げられ生活して、そこから逃げ出した者だ。
アイリスもその例外ではない。今まで迫害された反動で、純人種にトラウマに近い恨みを抱えている。
というのも、純人種と亜人種が結ばれ、子をなすとそれは純人種に近かれ遠かれ亜人種とされる。
純人種の個体は少ないのだ。
そこから勘違いした人々が多く発生し、個体数が少ない、保護せよ、法で守れと甲高い声で叫び、政治に介入、結果として亜人種は純人種の下の立場という認識が広まってしまった訳である。
先程説明したとおり、この街には亜人種しかいない。その中に純人種が一人でも混じったらどうするか。
ほとんどの場合、市民に広まらないよう事実を隠蔽し、秘密裏にこの街から"退場"願うことになるだろう。
俺はベルと一緒に居て、しかも修理工という立場からエリーを見せ、オートマタに対しても差別はない、外のより高度な魔導具について知識があるとして、軟禁ではあるが、生かしておいてくれているそうだ。
そして、この街から出ることは叶わない。
あくまでこの地図にすら乗っていない、俺も知らなかったこの街、ハイアイドを公にするわけにはいかないので、俺はこの街と共に生きることになる。
と、アイリスが言っていた。
口が軽い。監視役には向かない性格の持ち主だろう。
俺はそれを快諾した。このような隠された街に住めるなら追手もお手上げだろう。何より十数人から槍や杖を突きつけられて条件を提出されれば拒否権も何もないが。
「えーっと、純人。エリーちゃんの解析が終わったらしいから返却だってさ。この程度のルーン文字ならすぐ真似出来るってさーっ」
「お褒め預かりどうも、アイリスさん。あと俺の名前はトルクだ」
皮肉たっぷりで、舌を出してアイリスがそういったので、つい俺はそう返した。アイリスは嫌な顔をしたが、すぐニンマリと攻撃的な笑みを浮かべた。
「純人、そんな反抗的な態度でいいのかな?監視役である私が活殺を握っているの。何だったらすぐに……」
「あーはいはイ。いいからさっさと採点しナ。期限今日までだろウ?」
見え透いた挑発、脅迫を遮り、魔学者としての腕を買われて学校で先生をしているそうで、ベルは手を急かすように言った。
「……分かってるよ、ベル。それとアイリス、俺の名前は……」
<トルク様、時間の無駄です。始めてください>
ベルに敷かれ、薄ら笑いを浮かべて居たアイリスはついに俺の言葉をエリーが被せた時に決壊したのだろう、大声を上げて笑い始めた。
ベルもつられ笑い、俺は腕でくしゃくしゃになった紙に目を落とし、苦笑いをした。
そこには普通じゃないがわずかに幸せな日常があった。
開けました、おめでとうございます。
二章開始です。
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