水晶玉を覗けば
いつも通ってる道なのに、気付かないうちに空き地になっているということはよくある。
そしてその空き地に、前は何が建っていたのか、思い出せないことがほとんどだ。
過ぎたことは忘れて前を向いて歩こう、と人は言うけど、俺らは案外未来しか見てなくて、過去なんか大して気にしていないのかも知れない。
俺らの一番の関心は未来であって、先の先の先の未来まで見ることが出来たら、どんなにいいだろうか――
「あれ? こんなとこにこんな店あったけ」
五月――
俺は大学に向かう道すがら、今まで目にしたことの無かった店を発見した。
木とレンガで作られたような見た目のアンティーク風の店構えで、名前は「アバンチュール」。俺は英語すらも大して得意でないので、この言葉が何語かも、またどんな意味を表すのかも分からなかった。
今日はどうせ昼までサークル活動で時間を潰すつもりだったし、来月に控えた姉の誕生日プレゼントの下見も兼ねて、俺はその店に入った。
ドアを開けると、新しい木造の建物独特の匂いはせず、むしろ古びたカビの匂いがするくらいだった。店内には、木で作られた棚やテーブルに、どこの国のかも分からないような物が所狭しに置いてあった。
姉にあげるような洒落た雑貨は無さそうだな――
内心そう思いながらも、俺は自分自身の興味の赴くまま店内を見始めた。
店の左奥にはカウンターがあったが、今はそこに誰も立っていなかった。だからどうこうという訳ではないのだが、下手に「何かお探しですか」などと聞かれることがないので、気兼ねすることなく商品を見て回れる。それに、こういう家族一人二人でやっているようなこじんまりとした店の場合、カウンターに店員さんがいるというだけで緊張してしまうものだ。
入り口から見て右奥の棚に、若干俺の気を引くものがあった。
水晶玉だ――
値札のような茶色の紙には「未来が視える水晶玉 百万円」と書いてあり、今まで見てきた商品の中で最高額の値が付けてあった。更にその下の紙には「嘘だと思うのなら、覗いてみて下さい。視たい未来を心に念じれば、水晶の中にそれは浮かんできます」と書いてあった。
百万円かよ……。俺はほとほと呆れてしまったが、本当にその効果があるのかを試させてくれることを考えると、案外この店は良心的なのかもしれない。
だからと言って、この21世紀の世に、こんな怪しい店の怪しい水晶玉を百万で買う奴がいるとは思えないけどなぁ……。
まあ、何を言っていても始まらない。さっさと適当に自分の今日の未来でも視て、こんな店とはおさらばしよう。
俺はそう思って、「今日の自分の未来」を心に念じながら、水晶玉をズッと覗きこんだ。
その時だった――
とんでもなく不思議なことに、水晶の中に俺のような人がぼんやり浮かんできたのだ。
だんだんと水晶に映っている映像は鮮明になっていき、俺の周りの景色が分かってきた。
コンビニだ。コンビニで俺がレジ打ちをしている姿が映し出されているのだ。
俺はその場に立ちすくんでしまった。確かに今日は木曜日で、俺は木曜日の夜八時から十一時までコンビニのバイトを入れているのだ。
その未来をコイツは映しやがったのだ。
俺が引き込まれるようにその映像を見ていると、今度は、コンビニに全身黒服の人が入って来たのが分かった。そいつは周りをキョロキョロしながらレジに近づくと、肉まんの出来具合を見ている俺に向かって、刃物を突きつけてきたのだ。
俺はその時になって、慌てて水晶玉から目を離した。
何がどうなって、どういう理屈であそこに俺が映ったのだろうか。
それにあの黒い男は誰だ。
あの未来は本物か――?
目まぐるしく頭の中を様々な思考が飛び交っている時、俺は急に後ろから声を掛けられた。
「どんな未来を視ましたか?」
わぁっ!
俺は大声でびっくりして、後ろを振り返った。するとそこには、黒いスーツに身を包み、髪をきっちり七三に分けている、まるで執事のような、ホテルの支配人のような男が立っていた。
「え……え?」
「ですから、あなたはどのような未来を視たんですか?」
「あ、あぁ。コンビニのバイト中に強盗に襲われる未来を……」
「なるほどぉ……。あなたはその未来を信じていますか?」
「え、いや~どうかな。信じていると言えば信じているような感じですかね。水晶に自分が写ったっていうのがもう既に凄いから、信じ初めてるというか……」
「そうですか。ならば今日、あなたはバイトを休んだほうがいいですね。そうしないと、危険ですよ」
「は、はぁ。まあそうします」
まだ完全に水晶玉の能力を信じたわけではないが、バイトを一日休むくらいどうってことない。騙されたと思って、今日はサボることにしよう。
さっきの黒スーツの店員に礼を言い店を出た後、俺はバイト先のコンビニに連絡を入れ、そのままなんとなくだが家に帰った。
夜十時頃――
そろそろ風呂に入ろうかとTシャツを脱いだ時、ケータイに電話が入った。
「はい、もしもし」
「あ、拓馬? おいお前大丈夫かよ」
「は? 何が」
「何がじゃないって。お前のバイト先のコンビニ、さっき強盗入ったんだってよ。店員はすぐにレジの有り金全部渡したから怪我は無かったらしいけど、お前は大丈夫だったのかよ」
嘘……だろ……
「お、おい直樹。その話どこで聞いた?」
「テレビで今やってんだよ。ニュースも見てねぇのかよ」
俺はすぐにテレビのスイッチを入れた。
もうコンビニ強盗のニュースは終わりかけだったので、一瞬しか見れなかったが、そこには確かに俺のバイト先のコンビニが映っていた。
「あ、マジだ」
「マジだじゃねぇよ。とにかくお前は大丈夫だったんだな」
「あ、うん。今日はバイト休んだから」
「はっ! お前ちょー運いいな。そういや確かに今日は大学にも来てなかったしな。なに、風邪でも引いたか?」
「あー……違う違う。なんとなく。虫の知らせってやつ?」
直樹に水晶玉のことを話そうか、と一瞬思ったがやめた。
「ほんとマジすげーな。まあ元気ならいいや。おい拓馬。明日俺らのサークルと隣の女子大の女の子達とで合コンやるんだけど、来ない?」
「合コン? あーーどうしよっかな~…………」
ぶっちゃけ俺はモテない。
自分で言うのもなんだが、顔は別に悪いわけではないと思うから、俺自身の人間的魅力が足りないんだと思う。
夢はたくさんある。
バンドで成功してミュージシャンになるってのが、高校の頃からの夢だし、小説家にもなりたい。絵もそこそこ描けるから、もっと練習して漫画家かイラストレーターになりたいとも思ってる。
結構前に付き合ってた彼女に、「声カッコ良いね」と褒められてから、若干声優も意識してるし、俳優だって興味がないわけじゃない。
ただ、どれもこれも中途半端だ。
何一つとして本気になれていない。
と言うのも、俺にはどの分野の才能があるのかが分からないから本気になれないのだ。本気で努力して、やりきった時に「あ、俺はこの才能ないじゃん」となったらシャレにならない。
まあ、それはそれとして今回は参加しよう。
せっかく水晶玉のおかげで命拾いをしたんだ。お祝いに、自分の中での打ち上げをしてもいいじゃないか。
そう思った時、俺は一つとびきりの名案を思いついてしまい、
「あ、もしもし。俺、明日の合コン行くわ」
と直樹に告げた後、脱いだTシャツをもう一度着直し、財布を持って、近くのコンビニに念のためコンドームを買いに行った――
次の日――
夕方の合コンに備え、いつもより少しオシャレをした格好で家を出た俺は、大学に行く前に昨日の店に寄った。
店内は昨日と同じように人気がなく、右奥の棚には水晶玉が置かれていた。
俺はその前で「今日の合コンでの未来」を心に念じ、水晶玉を覗いた。事前に、合コンでうまくいく女の子がいるかどうかを知っておけば、有利に進められると思ったからだ。
前と同じで、まず俺の人影がぼんやりと浮かんできた。その後周りが徐々にくっきりしてきて、とうとう合コンの映像が映し出された。
メンバーは、男三人女三人の計六人。なんだか見た感じ、いつもはあまり喋れない俺が活き活きしているようだった。この水晶玉にスピーカーは付いていないので、何を話しているかまでは分からないが、うまくいっていることは確かだろう。
だが、ここからだ。俺が視たい未来はこの先なのだ。
映像が一瞬乱れ、元に戻ると、さっきとは場面が変わっていた。
俺はそれを見て、息を呑んだ。
なんと俺が女の子と一緒に歩いてる。歩いてるのだ。
顔を見た感じ、さっきの場面でテーブルの真ん中に座ってて、俺の正面にいた女の子だと思う。如何せん水晶の中の映像なため、あまりはっきりと顔は見えないが、結構可愛い。それにこの道は、俺のアパートに帰る道。
大成功だ――
俺はもう十分に未来を知り尽くしたので満足して、水晶玉から目を離した。
それと同時にくるっと後ろを振り返ったが、そこには昨日のようにスーツの男はいなかった。
「それでさー、コイツちゃっかりバイト休んでて、強盗に遭わなかったって。凄いよなぁ」
直樹が昨日の俺の武勇伝を緩急つけて話してくれている。
水晶玉の中の俺は活き活きしていたが、人間そんなに急に変わるものでもなく、いつものテンションにちょっと毛が生えた程度だった。
しかし今日、俺には絶対的な自信がある。
そう、水晶玉の示した未来だ。
あれが示した運命の女性が、あの映像と同じように俺の真正面にいる。
そして俺は、この合コンの開始と同時にその女性をメインにアタックを仕掛けているのだ。
「ねぇ、奈央ちゃんって、大学出たら何したいとかあるの?」
「え、あーうーん、今はまだないかな。二年生だし、これから決めてきたいなって思ってるけど」
両脇をチラリと見ると、直樹も翔平も自分の前の女の子と話していた。
今なら二人に茶化されず、奈央ちゃんのアドレスが聞ける。
勇気を出すんだ、俺。成功は約束されている。
「ね、奈央ちゃん。で…」
テーブルの上に置いてあった奈央ちゃんのケータイが鳴った。
「あ、拓馬くん、ちょっとごめんね」
奈央ちゃんはそう言うと、すすっとトイレの方に行ってしまった。
せっかく決心がついたのに、挫かれてしまった。
でもまあいい。電話が終わって戻ってきたら、また聞けばいいのだ。
二、三分後。
奈央ちゃんは戻ってくるなり「みんなごめんねぇ~。ちょっと急な用が出来ちゃって、今日はもう帰らなくちゃいけないの」と言った。
え…………俺の知っている未来と違う…………
いや、ちょっと待て。慌てるな。もしかしたらこれは、俺と一緒に二人で抜け出しちゃおうというサインなのかもしれない。もしそうなら、ここは俺が「送ってくよ」と言うべきなのか――
「タクシー呼んだから、みんなはこのまま楽しんで。それじゃホントごめんね」
奈央ちゃんはそう言うと、バッグを持ってそのまま店を出てしまった。
相手がいなくなってしまい、意気消沈してしまった俺は、二人に早めに帰りたいという旨をこっそり伝え、一次会が終了という形でこの合コンは九時前に終わった。
俺以外の四人は、この後二次会をやるか各自に分かれるかの話し合いをしていたが、それの最中、俺はひっそりと帰った。
これから暇になってしまったな、と考えていると、いつの間にかあの店の前にまで来ていた。
さすがにこの時間ではやっていないだろと思ったが、入り口のドアのガラスから光が漏れているので、試しに引いてみると、開いた。
店内は、天井から吊るされたランプでぼんやりと照らされていて、昼間とは全然雰囲気が違った。
それでも水晶玉は相変わらず右奥の棚にあったし、店員もいなかった。
俺は店員に、どうして視た未来と違う結果になったのかを聞きたかったのだが、それとは別にもう一つやりたいことがあった。
それは、俺の夢の未来を視ることだ。
俺にはたくさんの夢がある。ミュージシャン、小説家、漫画家、イラストレーター、声優、俳優。
どれも努力だけではどうにもならない部分のある、才能がものを言う世界の職業だ。
だからこそ、この水晶玉で俺の夢の未来を視て、俺が何に向いているかを知りたいのだ。
俺は心の中で、「俺の夢の未来」を今までで一番丁寧に念じた。
そして、水晶玉を覗きこんだ。
これまでと同じように、まずは俺がぼんやりと浮かび上がってくる。
そして徐々にその映像が鮮明になってくる。
おっ!
俺はこの夜遅くに思わず声を上げそうになった。
なんとこの俺が大観衆の中、ギターを片手にバンドライブをやっているではないか。
前にも言ったが音こそ聞こえないものの、その迫力は十分に伝わってくる。なるほど、そっかぁ。俺はミュージシャンに向いてたのか。
俺がそう思った時、その映像が急に火に包まれた。
何が起こっているのか、俺は全く理解出来なかった。ただ、その燃え盛る映像を茫然と見つめ、それが全て燃え尽きてしまうと、また新しい映像が浮かび上がってきた。
そこには、本のたくさん積まれたテーブルごしにたくさんの人と握手をして、その人達の持ち寄る本や色紙にサインをしている俺の姿があった。
この時になって、俺はやっとさっきの火の意味が分かった。
あれは叶わない夢だから消滅したのだ。
そして、この小説家になっている未来が本当の未来なのだ。
しかしそう思った時、この映像も燃え始めた。
そして次に浮かび上がった漫画家の未来も、イラストレーターの未来も、声優も俳優も、すべて燃え出し、燃え尽きた。
俺には何の才能も無かったということか――?
俺みたいな人間はおとなしく普通の人生を遅れってことか――?
なんだか俺は、この水晶玉にとてつもなく腹が立って、
「バッカじゃねぇの」
と吐いた。
「お客さん」
その時、またしても後ろから急に声を掛けられた。
さすがに一応の警戒はしていたので、声は出さなかったが、心臓が止まる程びっくりした。
「どんな未来を視ましたか?」
黒スーツ姿の男は、そう聞いてきた。
「…………」
「どんな未来を視ましたか?」
「えー……まあ、あんま良い未来じゃなかったですね」
「そうですか…………」
男はそれで黙ってしまった。
俺が、小さく「夜分遅くにすみませんでした」と言い、店を出ようとした時、スーツ男が言った。
「自分の未来を、先回りして知りたいと思うあなたがいる限り、夢なんて一生叶いませんよ」
俺は――
黙って店を出た。
次の日、百万円もする水晶玉を三回も試させて貰ったことと、昨日の言葉へのお礼の意味を込めて、小さな菓子折りを買って持って行こうとしたのだが、なぜだかあの店はもう見つからなかった。
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