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「ルーイどうしよう。生きてるよね!?」
「大丈夫だ。気を失っているだけだから。……頼むから耳元で騒がないでくれ。まだ頭が揺れている気がする」
「自分のせいでしょ」
「……」
痛む頭を押さえつつ、ルートヴィッヒは気絶してしまった子うさぎの介抱に当たっていた。
介抱とは言っても、気を失って倒れた際に打ったであろう頭を揺らさぬように抱え、起きたら襲われるであろう頭痛用の薬を用意するだけだが。
フェリミェールの発した声で、草原にいた生物たちは驚いて逃げ出し、至近距離にいた子うさぎは慣れぬ大音響に脳を揺らされ気を失ってしまった。
耳がいい上に至近距離にいたという点ではルートヴィッヒも同様に脳が揺れたが、叫びきったと同時にフェリミェールが掴みかかってきたおかげで意識を飛ばすことはなかった。
ただ後遺症として、耳鳴りと鼓膜の痛みと頭痛が残った。
「フィー。悪かったから、俺が悪かった」
「本当にそう思ってる?」
命の危機を感じていた間、実はルートヴィッヒが起きていたという事実に、見捨てられたような感覚を味わったフェリミェールは完全に疑いの目をしている。
「ああ。起きていたのなら言えばよかった。無駄に怖がらせてすまない」
「……わかってるならいい。許してあげる」
子うさぎをそっと地面に横たえると、ルートヴィッヒはフェリミェールを正面から見据える。
自身に非があることをきちんと謝ろうと思ったのもあるが、後を引かない性格をしているとはいえフェリミェールを怒らせたくはなかった。
許すと言っておきながら視線を合わせようとしないフェリミェールに、ルートヴィッヒは頭を下げる。
「すまなかった」
「いいってば。でも、次はないから」
にこりと笑って告げるフェリミェールに、ただ頷いた。
「ところで、うさぎちゃんどう? まだ起きないの?」
倒れた草の上に横たわる小さい姿を覗き込み、フェリミェールが問う。
フェリミェールの様子が普段通りに戻ったのを感じ、ルートヴィッヒは再び薬を用意するべく放り出していた荷物を漁り始めた。
「そうだな。気を失っているだけだから、問題ないと思う。ただ、まだ子供だ。大音量には慣れていないだろう」
「そっかー。気がつかなかったとはいえ、悪いことしちゃった」
「そう思うなら。その子に呼びかけるくらいしてくれ。”四王の森”をよく知っている大事な情報源だしな」
「ルーイ冷たいよ。ちゃんと心配してあげて」
そっと子うさぎを抱えて文句を言うフェリミェールに、誰が気絶させたんだとは言わず、ルートヴィッヒは半ば投げやりに返事を返した。
フェリミェールも特にそれ以上言うことはなく、抱えた子うさぎに呼びかけ始めた。
「うさぎちゃんやーい。うーさーちゃーん。起きてー」
「……お前、起こしたいのか。それとも揶揄いたいのか」
「だってー、名前聞いてないんだったら『うさぎちゃん』しかないじゃん」
「いや、呼び方ではなくて。--まあいい、呼んでていい」
何がいけないのかと首を傾げながら、フェリミェールは再び呼びかけ始める。
その声を聞きながら、子守は得意じゃなかっただろうか、とルートヴィッヒも首を傾げた。
不安は残るが一先ずはフェリミェールに子うさぎを任せるつもりでいたルートヴィッヒだが、両手で鞄を漁り直すと意外にもすぐに薬の入った小袋は見つかった。そして振り向いた先で、子供をあやすように軽く揺さぶりながら呼び続けるフェリミェールも見つけた。
「この馬鹿! 頭を打ったかもしれないんだぞ。揺らすな!」
「えっ、ごめん! ……ん? あ」
フェリミェールの言葉にルートヴィッヒは慌てた。
「おい。『ん?』って何だ。『あ』って何だ!」
「しー! 何でもないから、ルーイ落ち着いて!!」
「何でもないわけないだろ! 早く見せろ!」
「うわっ、ダメだって!」
力任せに腕を引きフェリミェールの腕の中を覗き込めば、気絶していた子うさぎがぎゅうっと目を瞑っている。二人の言い合いとルートヴィッヒが腕を引いた際の揺れに、頭痛を起こしたのだろう。
ルートヴィッヒは咄嗟にフェリミェールの腕を離し、フェリミェールも揺らさないよう中途半端に体を捻ったまま動きを止め、二人揃って口を閉ざした。
「……」
「……」
「うー……、きゅー……」
「……うさぎって『きゅー』って鳴くんだ」
「黙ってろ」
ただの呼吸音だったのだが、うさぎと接することの少なかった二人には、音か寝言か鳴き声かなんて区別はつかない。
黙ってろと言ったが、ルートヴィッヒも内心同じことを考えた。
そうして静かに子うさぎを覗き込んでから数分も経たないうちに、小さな鼻と瞼がぴくぴくと痙攣し、ゆっくりと目が開いた。
「あれ? ……えっと」
「よかったー! 起きたー!」
フェリミェールの歓声にルートヴィッヒと子うさぎの眉間に皺が寄る。
「フィー! 大声を出すな。頭に響くだろう」
「あっ、ごめーん。うさぎちゃん大丈夫?」
--俺はいいのか……
前足で眉間を揉みながら子うさぎは大丈夫だと答え、二人の顔を見回した。
「おれ、何で抱っこされてんの? でっかい兄ちゃんと話してたよね」
でっかい兄ちゃん、とはルートヴィッヒの事らしい。
記憶を失っているらしい子うさぎを一先ず地面に下ろさせ、ルートヴィッヒとフェリミェールも腰を下ろした。
どこまで覚えているのかを問えば、”森の国”、ルートヴィッヒ達にとっては”四王の森”について話していた所までは覚えているらしく、フェリミェールが叫ぶ寸前にルートヴィッヒへ注意を促したことは覚えていないらしい。
「そうか。まあ簡単に言えば、正気に戻ったこいつの大声で気を失ったんだ」
「え、声だけ?」
「ああ。こいつの声は響く上にうるさいからな。子供のお前には耐えられなかったんだろう」
「へー。兄ちゃん医者みたいだな」
フェリミェールの大声に影響を受けた奴を何人も見たからな、とは流石に言えなかった。
ごめんねーとしきりに謝るフェリミェールをルートヴィッヒが軽く紹介し、ルートヴィッヒは子うさぎの小さな後頭部をそっと撫でた。
「何何?」
「ああ、すまない。後ろ向きに倒れたから、怪我はないかと思ってな」
「んー、大丈夫だよ。痛くないもん」
「ルーイ、心配しすぎだって。ここ草原だよ。怪我なんてしないって」
あっけらかんと言い放つフェリミェールに、思わずルートヴィッヒと子うさぎが肩を落とす。
「……いや、兄ちゃんは心配しなさすぎだろ」
「……すまない。わざとじゃないんだ。こういう奴なんだ」
耳を倒して頭を抱えたルートヴィッヒに、「あ、この兄ちゃん苦労性ってやつだ」、と子うさぎは思った。
やる事がなくなり、だらだらする事を決め込んだフェリミェールを放置して、一頻り問診を行うとルートヴィッヒはようやく異常なしの判断を下した。
医者のようだと例えた子うさぎの目は的確と言える。
自分の健康は自分で管理、が鉄則だった里で育ち、町医者や流れの医者に会えば診断を細かく聞き覚えていたルートヴィッヒの問診は、見習い医顔負けのものになっていた。
念のためだと渡された頭痛薬を飲み、子うさぎは再び感心を口にする。
「やっぱ、兄ちゃん医者みたいだな。あの森、医者少ないから行けば重宝してもらえるかもよ」
「いや、そこまでの知識はないさ」
「凄いねー。重宝とか、子供なのに知っているんだ!」
フェリミェールの感想に一人と一匹は顔を見合わせ、アイコンタクトで判断を下す。会って間もないのに、意見はぴったり一致した。
聞き流そう、と。
何より子うさぎの体調に問題がないのであれば、ルートヴィッヒには最優先で聞かなくてはならないことがある。荷物を片付けながら、早々に切り出した。
「なあ、”四王の森”のことを教えてくれるか。可能なら案内して欲しい」
「あれ? 無視?」
「いいよ。案内していいかは座長に聞かないとだけど、教えんのならおれ一匹でできるよ」
「うさぎちゃんまで!?」
「それで十分だ。助かる」
「酷い。仲間はずれだ!」
「五月蝿い!」
会話の合間合間に騒ぐフェリミェールに音が響きそうな拳骨を落とし、ルートヴィッヒは子うさぎを促した。
友達なのかと問いたくなるほど容赦のない拳を叩き込み、かつ何もなかったかのように振舞うルートヴィッヒと、頭を押さえて地面に蹲るフェリミェールに交互に視線を配り、子うさぎは一匹静かに頷いた。
--おれは何も見なかった
「ついてきて。森が見えるとこまでは連れてってあげるよ」