【第8話】ダイヤの5
【第8話】ダイヤの5
「蓮クン、バイトの時間ですよー!」
学校が休みの土曜日。朝から麗奈のハイテンションな声が響き渡った。
彼女が持ってきたのは、ネットのオカルト掲示板のプリントアウト。そこには『旧市街の廃倉庫、深夜に謎の足音? 財宝の噂も!』という、いかにも胡散臭いスレッドが印刷されていた。
「……これ、ただの都市伝説だろ」
「甘い! 甘いよ蓮くん! チョコラBBより甘い!」
「意味わからん。大体、財宝なんてあるわけないだろ」
「財宝そのものじゃなくてもいいの。『心霊スポット検証動画』とか撮ってアップすれば、再生数でガッポリよ!」
結局、彼女の勢いに負け、俺と麗奈、そして愛(憑依状態ではなく、俺の側に浮遊している状態)の三人で、その廃倉庫へと向かうことになった。
現場は、昭和の匂いを残す古びた赤レンガの倉庫だった。
中に入ると、埃っぽい空気と共に、独特の「気配」が肌を刺す。
いる。間違いなく。
「お兄ちゃん、あそこ」
愛が指差した先。倉庫の奥深く、積み上げられたボロボロの木箱の上に、一人の男が座り込んでいた。
時代がかった商人のような格好。腹をさすりながら、何かを必死に数える仕草をしている。
「……一枚、二枚、足りぬ……まだ足りぬ……」
怨念というよりは、強烈な執着。その空気が澱んで、周囲の空間を歪めている。
麗奈には見えていないはずだが、彼女は「うわ、なんか寒気がする。これマジなやつ?」と身震いした。
「ああ、いるよ。商人の霊だ」
「マジで!? よっしゃ、蓮、やっちゃって!」
「簡単に言うなよ……」
俺は男に近づく。男は俺に気づくと、ギロリと目を剥いた。
「ワシの銭だ! 誰にもやらん! 店を……店を大きくするんじゃ!」
襲いかかってくる男。その手には、霊力で具現化された硬貨のような塊が握られている。
俺はそれを紙一重でかわし、男の懐へと飛び込む。
右手に力を込める。狙うは霊の核。彼の胸のあたりに輝く、歪な光の球。
「『アーキタイプ・バインド』……!」
俺の手が光に触れた瞬間、男の記憶が雪崩れ込んできた。
――貧しい農村の出。
――必死に働き、店を持った喜び。
――家族を顧みず、ひたすら金を稼いだ日々。
――妻の死に目にも会えず、息子には絶縁され。
――最期、金庫の中で札束を抱きしめながら、孤独に死んでいく寒さ。
(……寂しい)
それが、彼の感情の全てだった。
金は集まった。でも、それを誰かと分かち合う時間は、とうに失われていた。
男の執着の正体は、金そのものではなく、金によって埋めようとした「孤独」そのものだったのだ。
「……もういいんだ。十分、稼いだろう」
俺が呟くと、男の動きが止まった。
男は呆然とした顔で俺を見つめ、やがて涙を一筋流した。
「……ワシは、ただ……」
光が収束していく。男の体は渦を巻いて吸い込まれ、俺の手の中にある一枚のカードへと変わった。
『ダイヤの5』。
ダイヤは「執着、強い想い」の象徴だ。恨みや絶望というよりは、生前すがっていた希望や妄想の類であることが多い。
絵柄には、金貨を抱えて寂しげに笑う商人の姿が描かれていた。
「終わった?」
恐る恐る近づいてきた麗奈に、俺はカードを見せる。
「ああ。……でも、財宝なんてなかったよ。あったのは、ガラクタみたいな古い硬貨と、後悔だけだ」
倉庫の隅には、錆びついた古銭が数枚落ちていただけだった。
麗奈は「ちぇー、ハズレかよー」と文句を言いつつも、どこかホッとした表情を浮かべた。
帰り道。夕焼けに染まる街を歩きながら、俺は考え込んでいた。
あの商人は、何のために霊として留まっていたのだろう。
ただ、死んだ後も孤独を噛みしめ続けるためだけに?
そんなの、あまりにも虚しいじゃないか。
「お兄ちゃん? どうしたの?」
愛が心配そうに俺の顔を覗き込む。
「いや……何でもない」
家に帰ると、俺は父の遺品が入った段ボール箱を引っ張り出した。
父もまた、多くの霊を封印してきた。父は、彼らの「虚しさ」とどう向き合っていたのだろうか。
古びた手帳や儀式の道具が詰め込まれた箱の底。
一冊のノートが目に止まった。表紙には、父の几帳面な字で『覚書』と記されていた。
ページをめくる。そこには、霊封印の技術的なメモに混じって、父の独白のような走り書きが残されていた。
そして、あるページで俺の手が止まる。
『霊とは、行き場を失った情報の残滓である』
『彼らは存在し続けることで、現世を蝕むだけでなく、彼ら自身をも永遠の苦痛に繋ぎ止める』
そこまではいい。父がよく口にしていた理論だ。
だが、その次の一文が、俺の心臓を鷲掴みにした。
『故に、全ての霊は速やかに還すべきである。例えそれが、愛する者であったとしても――』
俺は息を飲み、思わずノートを閉じた。
愛する者。
父にとって、それは……。
そして今、俺にとっての「愛する者」は、俺の目の前で無邪気に笑っている愛、その人だ。
「お父さん……」
父の言葉が、冷たい棘となって俺の胸に刺さった。




