英雄
「どうしてああも長いのかね。俺はケツが痛くなっちまった」
うんざりしたように志村が言う。
「偉い人は色々大変なんだろう」
ようやく立ち上がれ、疲れをほぐすように身体を動かした御影が応じる。
式典はさらに長く続いた。馬飼中隊長が軽く挨拶を締めなければ永遠に続いたかもしれない。御影はどうにか整えた黒髪をボサつかせる。
「少しは調えろよな」
「私はこれでいい。まあ、適当な床屋にでも行くよ。休暇がもらえるらしいからな」
「お、そうだったな」
休暇といっても、御影には特に帰る場所もない。同期と酒保で飲んだくれるか、同期の何人かで借り受けている下宿で飲んだくれるかのどちらかだ。休暇は酒と共に終わっていく。
「お前、部屋片付けろよ」
「ああ」
「生返事はやめろ。本当だぞ。勇者様」
「お前もだろう、永劫に語り継がれるそうだぞ」
「お前、語り継がれたいか?」
「何度も言うが嫌だ。私はまだ生きているんだからな」
違いない、とお互いが笑い合った。
この時まではまだ笑い合えていたのだ。
志村と笑い合い、お互いを勇者だとか英雄だとか言い合えていたのだ。
御影が、そうした冗談に言うことは二度となかった。いや、言えなくなったのだ。冗談ではない状況に追い込まれるようになったのはこれから三日後の事だった。
事の発端、と言うのは何の前触れもない。
雨が降る前に曇る。自然ならそれは当たり前だが、人が行う行為にはそんなものはないのだと御影はこれから嫌と言うほど思い知ることになった。
連隊は再編成に入った。五割の将兵が失われた連隊など何の役にも立たない。少なくとも戦場に投入するなどお呼びもつかないことだ。その間、将校などの幹部たちは転勤などで動いていった。
馬飼中隊長も予備役入りした。恭しい表現ではあるが、要するにクビだ。腕の神経が切れ、三角巾が取れた後、彼の肘は曲がらなくなってしまった。だらりと垂れ下がった腕はこれから長い療養を必要とすると判断するに十分だった。
御影はその日、下宿にいた。畳敷の八畳間。文机くらいはあるが、特に何もない。下宿を出している小母さんの粗茶くらいはあったが、御影にとっては酒が一番だった。
「ん?」
最初その人影を見た時、御影は共に下宿している女性の兵隊でも帰ってきたのかと思った。
粗雑な御影にこき使われるのを嫌っていて、あの手この手で逃げていく後輩だ。まあ、その分その場に居合わせた日にはこの上なくこき使うからどっちもどっちだったが。
酒を飲んでいたから気づかなかったが、もう夕暮れ時だった。再編はまだ終わらないだろうが、こう無為に酒ばかり飲んでいるのもな……などと思っていた中での来客だった。
「御影兵曹」
一応相手は自分が誰だか知っているらしい。晒しと長ズボン姿というだらしない姿そのものの御影は形ばかり身体を起こした。
「はあ、御影ですが。あなたは?」
夕暮れ時で、その上酔っ払っているからか、目の前がひどく見づらい。目はいいつもりだったが飲むとやはりダメだな、なんて思っていると相手が口を開いた。
「海軍省の者だ。しっかりせんか」
大きい声で言われたが、御影も海軍は長い。
だから普通に応じた。
「はい!」
背筋を伸ばし、海軍式の敬礼をする。
御影は三等海曹という下士官だから、兵が頭を悩ませる暴力なんかとも無縁に近い。とはいえそれも態度次第だが。
「酷い格好だ。それでも英雄かね」
目の前の姿がようやく見え始めた。女性にしては大柄な御影よりも大きな将校だった。純白の将校服は女性からも人気が高い羨望の的だ。サラシと下士官の長ズボン姿の自分を怒るのも当然だと御影は思った。
ただ、帰ってから三日経ってもまだ自分が英雄扱いされるのは疑問だったが。
「はっ、直します」
すぐにシャツを身につけ、上衣を羽織る。元々ガタイがいいこともあり、すぐに海軍下士官そのものに変わった。
「よろしい。休め」
「はっ」
わざわざ下士官用の下宿まで来た将校はそこまでやって、ようやく自分の名前と階級を言った。
海軍省の広報課の課長で大尉。つまりは兵学校出のエリートだ。自分とは似ても似つかない麗しの将校様である。
「君に知らせが会って来たのだ。先に電信でもすればよかったがここにはまだ無くてな」
「それは、そうでしょうね」
軍が優先して使っているから市井とはまた事情が違う。そんな高価なものはまだ貴族とか金持ちしか見たことがないだろう。軍の連中からして電信を初めて見た連中は魔術だとか魔法だとかおどろいてばかりだ。
「御影兵曹。君の英雄的活躍に皆おどろいている。ついては海軍の名において勲章を授与するので三日後、海軍省の講堂に来るように」
「へ?」
「返事っ」
「はっ!」
わけがわからなかった。ただ、どうやら私は英雄になるらしい、としか御影の頭には残っていなかった。




