出会い
それから何日もしないうちに、また同じような呼び出しが来た。海軍統帥部の連中は御影の事を凧とでも思っているのか。空を飛べるわけもない。時間がえらくかかるだけだ。御影は閉口した。
今度は従兵となる田中はいない。だから荷物は全て自分持ちだ。転属ではないから大きな荷を持っていかないでいいのが唯一の救いだった。
海軍統帥部、その赤煉瓦の中に入る。
「すまない」
御影はどうにか手懐けた癖毛を抑え、軍帽を被る。手近にいた兵にいつものように話しかけて、しまったと思った。
ここは酒門じゃない。海軍統帥部だ。地方の基地ではない。プライドと成績がものを言う海軍では、統帥部の連中の家柄でも覚えておかなければ声をかけるのも憚られるほどだった。
仕方ない。胸を張って誤魔化そう。
「はっ」
幸いにも兵は素直に返してくれた。
「酒門軍港所属の御影兵曹だ。召喚に応じて来た。何か聞いてないか?」
兵は敬礼して、何も聞いていませんが話のわかる将校を通します。どうぞ下士官集会所でお待ちください。そう言って御影を通してくれた。
「バカに丁寧だな……」
さすが統帥部所属の兵だ。海兵団でいい成績を残すか、算盤の技術か、要領が図抜けていないといけないってのは本当らしい。
御影は言われた通りに下士官集会所に向かった。おい、どこだ、と聞けはしないが、大体兵曹の格好なんてのはどこも似通っているし、なんなら振る舞いだって近しいところがあるから向かうことに苦労はしなかった。
「御影兵曹、入ります」
下士官集会所は統帥部の奥にあった。ガンルーム(士官室)より手前でよかったと御影は思った。
士官とは口うるさい存在だ。その分プライドを保ってやればうるさいだけで済む。ただ、今の御影にはそれを相手にしてやるほど余裕がなかった。わざわざ一下士官を統帥部に呼ぶ、しかも丁寧にだ。
(嫌な予感しかしねえ……)
御影の心中はざわつく。そんな彼女の内心を慮ることなく、集会所はざわついた。
「あなた、誰です?」
顔も名前も知らない兵曹が言った。ドアの前に立つ自分に聞く兵曹の階級は三曹だ。善行章が一本しかないからきっと優秀なやつである。
「御影だ。召喚された」
「ああ、御影兵曹ですか。大変でしたね。汽車移動ですか?」
「そうだ。ええと……、私は何をすればいい? 転属かどうかも」
「どうぞ、ここでお待ちください」
お待ちください、だってよ。そんな丁寧な対応、海軍入って初めてだ。勲章の威力ってのは大変結構なものだな。御影はそう思った。内情や性格などはいっかな変わっていないのに、海軍の方が変わってしまった感すらある。
集会所の中は酒門と大差ない。机、椅子、黒板……、御影は一番ドアに手近な椅子に腰掛けた。上座にいるのは一等海曹であり、軍艦なら掌〇〇と言ったような、現場責任者を任せられる立場の人だ。
御影からすれば一番近づきたくない存在である。どうにも昔やりあった上官がちらついてしまい、気が削がれる。
周りは、急に来た英雄を手持ち無沙汰に眺めていた。御影は実に居心地が悪い。誰もが遠巻きでヒソヒソと話すか、勲章でも覗き込もうとしているのか、こちらを見ているかのどちらかだ。最初に応対した兵曹もすぐに離れてしまっていた。
なんだかな……、所詮、ただの兵曹なんだが、私は。
そう思いながら、掌を描いていたらドアが開いた。
「御影兵曹はいるか?」
救いの手だ。そう思い、そちらを見た。小柄だが引き締まった身体をした士官がドアを開けた姿勢そのままで聞いていた。
「御影、御影です」
待ちわびて言葉が最初うまく出てこなかった。士官は奇妙に思ったようだったが、あまり気にせず、手で招いた。出ていけることが嬉しく、そのまま士官の元に駆け寄る。こんなことはそうない。
「ああ、会えて嬉しいよ。サ、行こう」
下士官集会所を出て、ドアを閉められる。廊下であらためて、小柄な士官は手を差し出してきた。
(え……、何これ? 私に何しろって言うんだ?)
「自己紹介だ。私は久代だ。階級は少佐」
「少……っ」
御影の口はさっきよりもつんのめる。
当然だ。目の前の、小柄な若い男は少佐だ。御影が所属していた酒門なら、陸戦隊なら大隊長、小さめの艦ならば艦長を務めるような階級。どう考えても兵曹の自分が話す相手ではない。
「少し話し合いが長引いた。待たせてすまなかったね」
手を差し出したまま、久代は御影を見上げる。
「どうした?」
「は、はい。ええ、と。……これはどうすればいいのでしょうか、少佐」
「握手だよ。握手」
「アクシュ……?」
「ユーライアス。知ってるか?」
「はい。名前は聞いたことがあります」
海の向こうにあるらしい国だ。御影には縁がない。
「私は留学に行っていてね。そこではこうするらしい。【扶桑】はこれからユーライアスの風習もドシドシ取り入れるだろう。これは君、一番やりやすい挨拶だよ」
「はい」
ほんとかよ……とは思った。御影からすれば、士官は雲の上で、自分たちとは違う存在だ。変わっている。
「だから君もやりたまえ」
「はい」
同じように手を差し出す。手の甲が当たった。
「そうじゃない。合わせるんだ。君も私も右手を出す」
「はい」
「そして、握るんだ。手を握るから握手だ。いいね」
「はい」
言われた通りにする。うすらでかい女と、小柄な士官が廊下で握手をする。なんだか間抜けな姿だった。
「うむ、よろしく」
「はい、少佐」
「では来てくれ。執務室に案内する」
「はい」
御影は厄介になったな、と思いながらも返事をした。どうせ、相手は上官だ。はい以外の返事など出来ない。してはならないことになっている。とはいえ、それが適用されるのは陸にいる時だけだったが。




