第27話:決戦前夜
翌朝。
カーテンの隙間から、白い朝日が部屋に差し込んでいた。
ベッドの上で、アリサは隣に眠るマシロの寝顔を静かに見つめていた。
規則正しい寝息。無防備な表情。そのすべてが愛おしい。
昨夜、彼は言った。一生俺を守ってくれ、と。
それはアリサにとって、どんな愛の言葉よりも重く、そして嬉しい響きだった。
単に愛されるだけの庇護対象ではない。
彼を守り、支えるための剣としての自分を、彼が必要としてくれたのだ。
(……ええ、守ってみせるわ)
アリサはそっと、マシロの頬に触れた。
指先から伝わる体温が、決意をより強固なものにする。
マシロの瞼が震え、ゆっくりと開かれた。
黒曜石のような瞳が、アリサを映す。
「……ん。おはよう、アリサ」
「おはよう、マシロ」
交わす言葉はそれだけ。
けれど、視線だけで想いを伝えるには十分だった。
†
朝食の時間。
詰所の食堂に現れた二人の空気は、昨日までとは明らかに違っていた。
距離感が近い、というだけではない。互いの間に流れる信頼の濃度が変わっている。
というか、手を握って詰所に入ってきた。指を全部絡ませる握り方だ。
ざわついていた隊員たちが、一人、また一人と静まり返り、二人を見る。
マシロは咳払いを一つしてから、凛とした声で告げた。
「……というわけで、これからは公私ともにパートナーとしてやっていくことになったよ」
少し頬を赤らめながらも、その言葉には迷いがない。
アリサもまた、彼の横で力強く頷いた。
「マシロはもう私の男だから、手出し無用よ」
静かな、しかし絶対的な宣言だった。
その言葉に含まれる威圧感に、食堂が一瞬、真冬のように凍りつく。
だが、その静寂はすぐに破られた。
「えええええええッ!?」
「隊長! よくも私たちのアイドルを!」
「抜け駆けはずるい! 私だってマシロ様を狙ってたのに!」
昔からの隊員たちが、ここぞとばかりに猛抗議の声を上げた。
彼女たちにとってマシロは、薄汚い世界から救い出してくれた神のごとき存在だ。それが隊長のモノになったとあっては、黙っていられない。
「隊長だからって許しませんよ! マシロ様を少しでも不幸にしたら暴動起こしますからね!」
「泣かせたら即刻クーデターですよ!」
「マシロ様の笑顔が曇ったら、隊長の食事に『催涙玉』混ぜますから!」
物騒な野次が飛び交うが、そこには湿っぽい嫉妬はない。むしろ、新しい関係を囃し立てる祭りのような熱気があった。
アリサは呆れたように、しかし嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ。もちろん、分かってるわよ」
彼女はマシロの肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように笑う。
「誰にも手出しはさせないし、絶対に泣かせたりしない。……私の命に代えてもね」
その言葉の重みに、隊員たちは一瞬だけ真顔になり、次の瞬間には割れんばかりの歓声を上げた。
結局のところ、誰もが認めているのだ。
このアリサ以上に、彼を守るに相応しい人間はいないと。
†
食事を終え、執務室に戻ったマシロたちを待っていたのは、ロッテとシルヴィアだった。
ロッテはいつものように分厚い帳簿を抱え、シルヴィアは機械油の匂いを漂わせながら、何やら図面を広げている。
「ごきげんようですわ、お二人さん。朝から熱烈なことで」
「よう、バカップル。朝飯ごちそうさん。……で、愛の語らいは済んだの?」
ニヤニヤとからかうシルヴィアに、マシロは顔を赤くし、アリサはふんと鼻を鳴らした。
「うるさいわね。……で、二人揃って待ち構えているってことは、何かあったの?」
アリサが本題を切り出すと、ロッテの表情が引き締まる。
「ええ。王家と貴族院が、動き出しそうですわ」
その言葉に、室内の空気が張り詰めた。
マシロも表情を引き締める。
「石鹸ギルドを中心としたわたくしたちに権益を削り取られた勢力が、王家も無視できないくらいの規模になってきたようですわ」
「連中、自分たちの金貨が減るとなると、とことん必死になるからねぇ」
生活必需品の供給と、独自の兵力。それは実質的に、国家の中に別の国を作っているに等しい。
最初は金の卵を生む鶏として生かされてはいたものの、既得権益を持つ彼らがそれを黙って見過ごすはずがなかった。
「彼らは遠からず、必ず介入してきますわ。適当な難癖をつけて事業を差し押さえるか、あるいは……」
「武力による制圧か」
アリサが低い声で呟く。
ロッテは静かに頷いた。
「ええ。ここまで来たらいつ実力行使に出てもおかしくないですわ。やれるものを全部やって、決戦のときを待ちましょう」
ロッテの瞳には、怯えも迷いもない。
あるのは、来るべき嵐に立ち向かう冷徹な計算だけだ。
「マシロ君。人材不足解消のために騎士や貴族の方々を雇い入れたでしょう?」
「ああ、あの次女さんや三女さんたち……読み書き計算ができて助かってるけど、それがどうしたの?」
「あの子たちは優秀だよ。私の工場の資材管理も手伝ってもらってるけど、覚えが早くて助かるね」
ロッテは口元に不敵な笑みを浮かべた。
「彼女たちは教育は受けていますが、家督を継げるのは長女だけ。
行き場のない彼女たちを事務員として雇い入れました」
現在、事務処理の中核を担っているのは、彼女たちだ。
真面目で優秀で、何よりマシロたちに深く感謝している。
「彼女たちもまた、立派な人質ですわ。娘や親戚の命運をウチに握られた騎士たちは、迂闊に手出しできません」
ロッテはそこで言葉を切り、目をスッと細めた。
「それに加えて賄賂や脅迫の裏工作の結果、いざ開戦となれば相手方の3割から5割は寝返るか、戦闘放棄する手筈になっておりますわ」
マシロは背筋が凍るのを感じた。
家族という人質。先を見据えた工作。
マシロが平和に商売のことだけを考えている間に、ロッテは王国の武力である騎士たちを雁字搦めにしていたのだ。
「……ロッテ、すごいね……」
「お褒めいただき光栄ですわ。有能な友人を持った幸運に感謝してくださってよくってよ?」
「とはいえ、残りの半数といえど数でも質でもあちらは上よ。……マシロ、シルヴィア、アレの準備はできてる?」
「うん。僕の知識とシルヴィアの設計で完成させた自信作だよ」
マシロは傍にあった箱から、いくつかの道具を取り出した。
「まずはこれ、『高圧洗浄砲』。空気圧を利用して、水を高速度で噴射する装置。
水車の洗浄で使ったときは手押しだったけど、小型のミスリルコイルを組み込んで電動にしたんだ」
マシロは実物を指差しながら説明する。
水圧と空気圧を組み合わせた、いわば巨大な水鉄砲。
その圧力は、鎧を着込んだ百キロの人間だろうと吹き飛ばすほどだ。
「次はこれ、大量の『石鹸水』だね」
「これを撒けば、重装備の騎士は立っていることすらできない。
『高圧洗浄砲』でばら撒けることも確認済みだ」
それらを説明した後、マシロはおずおずと切り出した。
「時間がないから以前使った道具の改修で済ませたけど、これで大丈夫?
直接敵にダメージを与えるような武器じゃないけど……」
「ええ、殺傷能力が低いのは好都合ですわ」
ロッテが即答する。
「相手に『降伏する口実』を与えられますもの。『死んだ仲間のために降伏できない』と特攻されるより、よっぽどやりやすいですわ」
「……私たちも対騎士を想定した訓練を続けているわ。マシロのアイテムの使い方もしっかり叩き込んでおく」
アリサが剣の柄を叩いて言えば、ロッテも帳簿を閉じて頷く。
「わたくしは裏工作と物資の調達を進めますわ。……今のうちに大量に買い占めておかないと、これからどんどん身動きが取りづらくなりますわよ」
「じゃあ、私らはアイテムの量産だね。
新しいのだけじゃなく、『催涙玉』とか、鎧とか、工場のラインをフル稼働させて、全員に行き渡る数を揃えるわ」
武力のアリサ、知略のロッテ、技術のシルヴィア。
それぞれの得意分野で仕事を果たし、来るべき日への準備は整いつつある。
「よし……みんな、頑張ろう!」
マシロの掛け声に、三人が力強く応える。
最強の布陣で迎える第三警備隊の防衛戦。
王都の権力者たちが彼らの本気に気づくのは、もう間もなくだった。




