第22話:呪いの水車
騎士団との契約が成立してから、数日後。
マシロたちが新たに借り上げた広めの作業場兼仮店舗は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
「空き瓶が足りません! 次をお願いします!」
「瓶の洗浄終わりました!」
「ラベル貼り終わりました! 検品をお願いします!」
部屋を埋め尽くしているのは枯れ木のように痩せ細った女たちだ。
彼女たちは、ロッテが裏通りの酒場やスラム街から拾ってきた「社会のレールから外れ、今日食う飯にも困っている女たち」である。
職にあぶれた彼女たちの瞳には、飢えた獣のような必死さが宿っている。
「……マシロ様。ここのチェック、これで大丈夫ですか」
「あ、はい。バッチリですよ」
一人の女性が、骨の浮き出た手でマシロに瓶を差し出す。
その視線は、瓶ではなくマシロの顔に縋るように張り付いている。
ロッテが提示した条件は「服・三食・社員寮」の衣食住の支給に加え、「美少年の笑顔付き」だった。
食うに困る生活を送っていた彼女たちにとって、全てを一変させてくれたマシロはまさに救世主そのものだ。
「すごいな。ロッテ、よくこんなに集めたね」
「ええ。安くて、切実で……決して裏切らない労働力ですわ」
ロッテが涼しい顔で事もなげに言う。
彼女らの手際は驚くほど良く、山積みだった注文書の山は確実に消化されつつあった。
単純作業である瓶詰めの工程は、これで完全に解決したと言っていい。
問題は、その中身を作る工程だ。
シルヴィアの研究室。
電気分解装置に増築を繰り返し、もはや研究するスペースなど存在しないそこには重苦しい沈黙が漂っていた。
「……あああ、もう限界! なんで私がこんなことをやってるのよ!?」
冷ややかで、刺すような声が響いた。
「頼むよシルヴィア! 君だけが頼りなんだ! この製造ラインを動かせるのは君しかいない!」
そういうマシロも、体力の限界といった様子で作業机に突っ伏している。
二人の顔色は幽霊のように青白く、呼吸は浅くて荒い。
額には脂汗が滲み、指先は小刻みに震えている。
隣ではロッテもまた自慢の縦ロールを乱し、死んだ魚のような目で天井のシミを見つめていた。
「わ、わたくしも……もう無理ですわ……」
三人の手には、鈍く光る雷の魔石が握られている。
失業者たちが猛スピードで詰めるための中身を生成するには、電気分解装置を動かすための膨大な魔力が必要だ。
魔力は時間経過で回復するが、それは血液に近い性質を持つ。
適量なら問題ないが、限界を超えて搾り取れば、貧血のような眩暈と吐き気に襲われるのだ。
しかし、装置の心臓部にはマシロの持ち込んだミスリルが使われている。
盗難や破損のリスクを考えると、身元の怪しい失業者たちをここに入れるわけにはいかない。
結果として、三人が交代で人間電池となり、不眠不休で魔力を注ぎ続けるしかなかったのだ。
「……ごめんね、みんな」
部屋の隅で、アリサが申し訳なさそうに肩を落としていた。
彼女だけは元気だ。だが、その表情は泣き出しそうに歪んでいる。
彼女は警備隊の隊長として、明日も早朝から要人警護の任務がある。
魔力を使い果たして倒れるわけにはいかないのだ。
それを分かっているからこそ、マシロは彼女の参加を固く禁じていた。
「いいんだよ、アリサ。君は本業を頑張ってくれ。これは俺たちの経営判断のミスだ」
マシロは震える手で水を飲み、無理やり笑顔を作った。
「ねえロッテ。なんとかして、雇った彼女たちにも魔力充填を手伝ってもらえないかな?
壁に小さな穴を開けて、向こう側から握手する要領で魔力を流してもらえば、装置を見せずにお願いできるし……」
「いいえ、ダメですわ」
ロッテは首を振った。
「壁一枚隔てたところで、『隣の部屋にお宝がある』ことがバレてしまっては意味がありませんもの。
彼女たちは生活に困窮していますわ。
『あそこには金目のものがある』と知られれば、夜中に忍び込まれて盗まれるリスクがあります」
「……確かに。みんなを疑いたくはないけど、リスクは冒せないか……」
マシロがガクリと項垂れた。
魔力を流させるということは、そこに「魔力を受け止める何か」があることを教えてしまうようなものだ。
生産能力の欠如が、商会の成長を完全に阻害していた。
注文はある。材料もある。人手もある。
ただ、エネルギーだけがない。
「……いや、諦めるのはまだ早いよ」
マシロが顔を上げた。その瞳には、まだ理性の光が残っている。
「俺ら人間の魔力が尽きるなら、人間以外にやらせればいい。
……例えば、勝手に動き続ける動力源さえあれば、それを電気に変換する『発電機』が作れるかもしれない」
「動き続ける動力源……?」
「うん。風とか、水とか……自然の力を使って」
「……!」
ロッテがバッと顔を上げた。
瞳の奥に、計算高い商魂の炎が灯る。
「ありますわ。……心当たりが」
「えっ? あるの?」
「その……売りに出されている作業場を探していた時に、事故物件のリストで見かけたんですの。
水車付きなのに、相場の十分の一以下の捨て値で放置されている場所を。
本来なら水利権は貴族やギルドが独占する既得権益の塊……ですが、ここだけは例外でしたの」
「例外?」
「ええ。いわゆる『訳あり物件』として、水利権とセットで売りに出されていたのです」
ロッテが懐から一枚の古びた羊皮紙を取り出し、テーブルに広げた。
それは王都の地図だが、下流の外れ、スラム街よりもさらに先の地域が赤く塗りつぶされている。
本来、川の動力は粉挽きや染色に使われる重要なインフラであり、利権の塊だ。
だが、ここだけは違うらしい。
「放棄? タダでもいらないってこと?」
「ええ。場所は王都の最下流、通称『呪いの水車小屋』ですわ」
†
王都の外れ。
そこは華やかな王宮や活気ある市場とは無縁の、世界の掃き溜めのような場所だった。
川幅は広がっているが流れは遅く、水面には得体の知れない油と泡が浮いている。
その川岸に、半分朽ちかけた巨大な水車小屋が佇んでいた。
「……うわ、臭っ」
現場に到着するなり、アリサが鼻をつまんで顔をしかめた。
ここには鼻粘膜を直接焼くような強烈な悪臭が漂っている。
周囲に人の気配はない。
ただ、風に揺れる水車の軋みだけが、ギィ……ギィ……と不気味に響いていた。
「ここですわ。かつては製粉所でしたが、数年前から呪いがかかったとして閉鎖されていますの」
ロッテが何重にも重ねたハンカチで口元を覆いながら説明する。
「管理人たちが次々と謎の頭痛や吐き気に襲われて倒れ、夜な夜な水車から死者の呻き声が聞こえるそうですわ。
今では悪霊の巣窟として、スラムの住人でさえ近づきません」
「あ、悪霊……?」
アリサが青ざめ、マシロの袖をギュッと掴んだ。
彼女はごろつき相手なら一歩も引かないくせに、実体のないオバケの類が極端に苦手なのだ。
ガタガタと震えながら、涙目でマシロを見上げる。
「か、帰りましょうマシロ。ここ絶対になにかいるわよ! 寒気がするわ! 霊気よ絶対!」
「……確かに、空気が淀んでるね」
マシロは冷静に頷き次の瞬間、表情を一変させた。
「っ! 二人とも、すぐに離れて! 息を止めて!」
「えっ?」
「いいから! 走って!」
マシロは二人を引っ張り、風上にある丘の上まで一気に駆け上がった。
十分に距離を取り、新鮮な空気が吸える場所まで退避してから、ようやく足を止める。
「はぁ、はぁ……。危険なところだった。あそこに長居したら死んでたよ」
「え? 死ぬって、呪い殺されるの?」
「違う。……あの腐った卵のような臭い」
マシロは小屋の方角を睨みつけた。
「あれは『硫化水素』だ」
「硫化水素……?」
「上流を見て。染色工房の廃液と、革なめし職人のエリアからの排水が流れ込んでる。
恐らくここ数年で、都市計画が変わったんだ。
貴族街や表通りを綺麗にするために、汚い排水のルートを全てこの川に一本化したんだろうね。
その結果川の自浄作用を超える汚れが急激に流れ込み、この水車を動かすため堤防で止められ、川底にヘドロとして溜まったんだ」
マシロが指差した川面では、ポコッ、ポコッ、と黒い泡が弾けている。
「管理人が倒れたのは呪いじゃなくて、ガス中毒だ。
呻き声の正体はガスが抜ける時の音か、錆びついた水車の軸受けが鳴らす摩擦音だろうね」
「つまり、そのヘドロさえ掃除してしまえば、使えるようになりますの? 上流からは汚れが流れ続けてますけれど」
「うん。ガスが発生するのは溜まって腐るからだ。
一度徹底的に掃除して水を動かせば、ガスが溜まることはなくなる。
後は定期的に掃除すれば大丈夫」
「決まりですわね。……ですが、掃除は後ですわ」
ロッテがニヤリと笑い、懐から分厚い書類の束を取り出した。
「綺麗にしてから交渉に行けば、『やっぱり価値があるから金貨100枚ね』と言われるのがオチですわ。
今、この『どうしようもない呪いの水車』の状態のまま契約を結んでしまいます」
「なるほど。……商魂たくましいな」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいまし。
私はここの所有者に『将来の汚染リスクと管理責任を全て我々が引き受ける』という慈悲深い提案をしに行くだけですわ」
ロッテはそう言って、優雅に踵を返した。
「マシロ君たちは一度戻って、装備を整えておいてください。
私が契約書にハンコをもらってきたら……その時こそ、徹底的なお掃除の開始ですわ」
こうしてマシロたちの産業革命への挑戦は、腐臭漂う呪いの水車からひっそりと幕を開けたのだった。




