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貞操逆転世界の「内助の功」~掃除と料理を極めた俺が、脳筋幼馴染を女王にするまで~  作者: ありゃくね


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第19話:地獄で天国なボトリング

 『赤の猪亭』の大改革から、一月程が過ぎた頃。

 王都の下町に、ある噂が広がっていた。


「おい聞いたか? あの『赤の猪亭』が生まれ変わったらしいぞ」


「ああ。なんでも、床が鏡のようにピカピカで、飯がとんでもなく美味くなって、絶世の美少年に会えるとか」


「なんだその盛りすぎな噂は。行くぞ、確かめるまで信じられん」


 そうして、興味本位で訪れた客たちは、扉を開けた瞬間に言葉を失うことになる。

 汚れ一つ存在しない清潔な空間に、食欲をそそるスパイスの香りが漂っていたからだ。


 結果として、『赤の猪亭』は連日満員御礼。

 場末の居酒屋から一転して、資産家や商人、第一、第二警備隊所属の貴族出身の騎士といった地位のある人間さえも訪れる名店と化していた。


 おもしろくないのは近辺の飲食店だ。

 赤の猪亭があまりにピカピカになったせいで、隣や向かいの店が相対的に以前より薄汚く、臭く感じられるようになり、客足が激減してしまったのだ。


「ふざけるんじゃないわよ! 営業妨害だわ!」


「そうよ! 責任とりなさいよ!」


 ある日の夕暮れ。

 マシロ、アリサ、ロッテの三人が、夕食の買い出しから戻ってくると、赤の猪亭の前は異様な殺気に包まれていた。

 店の入り口を、エプロン姿の女たちが取り囲んでいる。近隣の居酒屋や食堂の店主たちだ。

 そしてその中心には、肩を縮めて怯える店主ベラの姿があった。


「え、えぇ……そんなこと言われても……私にはどうしようも……」


 ベラは必死に弁解しようとしているが、興奮した女主人たちの怒号にかき消されている。


「……なにごと?」


 アリサが棍棒の柄に手をかけ、警戒心を露わにする。

 ロッテは目を細め、冷静に状況を分析した。


「暴動……じゃなさそうですわね。あの服装、客というよりは……同業者ですの?」


 その時、群衆の一人がマシロに気づいた。


「あ! いたわよ、元凶の錬金術師だわ!」


 その声を合図に、女たちが一斉に振り返り、今度はマシロたちへと殺到する。


「うわっ!? な、なんですか!?」


 マシロがたじろぐ。

 だが、店主たちの波がマシロを飲み込むその直前。


 ダンッ!


 鋭い踏み込み音と共に、赤髪の騎士がマシロの前に割り込んだ。


「――下がって、マシロ」


 アリサだ。

 彼女はマシロを背に庇うと愛用の棍棒を無造作に構え、その切っ先で群衆との間に境界線を引いた。

 鋭い眼光は獲物を射抜く鷹のように冷徹で、引き結ばれた唇は鋼のように堅い。


「これ以上、彼に近づかないで。

 善良な市民なら話は聞くけど……暴徒と見なせば、こちらも相応の対処をするわよ?」


「っ……!」


 低く、ドスの効いた声。

 最前列にいた女たちが、見えない壁にぶつかったかのように足を止めた。

 アリサから放たれる圧倒的な威圧感に、本能的な畏怖を感じたのだ。


「ちっ……なんだい、騎士様のお出ましかい」


 だが、後ろにいる連中は止まらない。勢いは削がれたものの、怒りは収まっていないのだ。


「あんたのせいで! ウチの店が『ゴミ溜め』扱いされたのよ!」

「客が『赤の猪亭が満員だから来たけど、ここは臭いから帰る』って出ていったのよ! どうしてくれるのさ!」

「アタイの店もあんな風にピカピカにしなさいよ! 今すぐに!」


 口々に叫びながら、詰め寄ってくる店主たち。

 理不尽な要求だが、彼女たちも生活がかかっているだけに必死だ。


「ちょ、ちょっと落ち着いてください! いきなりそんなこと言われても……!」


「うるさいわね! やるのかやらないのか、どっちなのよ!」

「やらないなら、今後この通りを歩けると思わないことね!」


 もはや脅迫である。


「わ、わかりました! やります! やりますから!」


 マシロは両手を上げて降参のポーズをとった。

 そして、群衆に向かって大声で宣言する。


「掃除をするところまではできませんが、洗剤だけでしたらご希望の皆さんに提供します!

 ですが、今は在庫がありません! 作るのに時間がかかるんです!」


「いつになるのよ! 納期まで何ヶ月もかかるって話なら、この場で赤の猪亭を襲ったほうが早いわよ!」


「あ、明日の朝!

 明日の朝一番で、ここにいる全員分を用意します! だから今日は引いてください!

 お願いします!!」


 マシロの必死の叫びが、夕暮れの下町に響き渡った。

 店主たちは顔を見合わせ、やがて渋々といった様子で拳を下ろした。


「……明日の朝ね?」


「嘘だったら明日の夜も赤の猪亭が存在してるとは思わないことね」


 捨て台詞を残し、女たちは三々五々、自分の店へと戻っていく。

 嵐が去った後の路上に、四人が取り残された。


「……言っちゃった」


 マシロはがっくりと肩を落とした。

 全員分。ざっと見ただけで20人はいた。

 全員に店舗があるとすると、これから用意すべき洗剤の量はあまりに膨大だ。


「あんな無茶や要求、突っぱねちゃえばよかったのよ! あんな素人、何人いたって負けないわ!」


「……彼女たちも生活がかかってるし、それに、万が一でもアリサが傷つくのは嫌だ」


 ロッテがポンとマシロの肩を叩く。


「まあ、言ってしまったものは仕方ありませんわ」


「ご、ごめんねぇ、マシロ君……とばっちり受けさせちゃって」


 群衆が去ったあと、解放されたベラがへなへなと座り込みながら謝った。


「ウチの店のせいで、こんなことになっちゃって……」


「ベラさんのせいじゃありませんよ。こちらが勝手に言ったことですから、責任は俺が取ります」


 そう言って、マシロは気丈に笑ってみせる。

 その笑顔に、ベラはまた一つ、胸を撃ち抜かれたような顔をするのだった。


 こうして、マシロたちの長い夜が確定した。


 †


 深夜、丑三つ時。

 兵舎の篝火すら消灯し、静寂が支配するこの時間帯。

 女子隊員用宿舎の一室――アリサの個室だけは、異様な熱気と、神経をすり減らすような緊張感に包まれていた。


 部屋の中央には、巨大な壺が三つ鎮座している。中には、マシロとシルヴィアが大急ぎで精製した『強アルカリ電解水』、『次亜塩素酸水』、『次亜塩素酸ナトリウム水』が並々と満たされていた。


 そしてその周囲を囲むのは、これまた大急ぎでかき集めてきた数百本もの空の小瓶や壺といった大量の容器だ。

 

 底にいる三人は服装は長袖長ズボン、手には大きなガラス製スポイトを握りしめていた。

 これから、大きな壺に入った原液を適切な濃度に薄め、容器に小分けにする作業に取り掛かろうとしていたのだ。


「マシロ君、これ壺のまま渡したらダメですの?」


「ダメだよ。これは劇薬なんだ。素人が適当にすくって使えるようなシロモノじゃない。

 それで取り返しのつかない怪我でもされたら、話が余計にややこしくなる」


「……二人には付き合わせて申し訳ないけど、終わったら埋め合わせするから、手伝ってほしい」


「もう、そんなこと言わなくても手伝いますわ。とはいえ、お言葉に甘えさせていただくのもマナーですわね」


「そうよ! マシロの手料理、しかもとびっきりのご馳走を食べたいわ!」


「……わかったよ。とびきり美味いやつを作る」


「「交渉成立!」」


 そうして、深夜の地獄のボトリング作業が幕を開けた。


 シュゴォォ……。

 スポイトが液体を吸い上げる音。

 チョロロロ……。

 小瓶に注がれる音。

 キュッ。

 コルク栓を締める音。


 部屋には、この三つの音だけが、永遠に繰り返されるリズムのように響いていた。


 †


 開始から数分後。

 最初に音を上げたのはアリサだった。


「……あぁぁぁん! もう! 手がプルプルする!」


 ガタッ!

 アリサがスポイトを持ったまま、テーブルに突っ伏した。


「なんで!? なんで吸い上げるだけなのに、こんなに難しいのよ!

 武器を振るより筋肉使うんだけど!?」


「アリサ、力を入れすぎだよ。スポイトの革袋は親指と人差し指で優しく押すんだ」


 マシロは作業の手を止めず、冷静に指摘した。

 彼の手元は、まさに職人芸だった。

 目線は瓶の口から外さず、一定のリズムで液体を吸い上げ、一滴の狂いもなく小瓶に移し替える。その所作は茶道のお点前のように美しく、無駄がない。


「緊張して、指が勝手に……!」


 アリサが泣き言を漏らす。

 彼女の剣ダコで硬くなった指先は、繊細な作業には向いていない。

 先ほども、力余って小瓶を一つ「握り潰して」しまい、マシロに悲しそうな顔をされたばかりだ。


「……はぁ。見てられませんわね」


 隣で黙々と作業を続けていたロッテが、呆れたように口を開いた。

 ロッテの手際は、マシロに迫るほど見事なものだった。

 何でも卒なくこなす能力が、内職というフィールドでも遺憾なく発揮されている。


「アリサさん。敵の急所を突くときはあんなに精密なくせに、なんでガラス相手だとそうなりますの?」


「うぐっ……! だって、敵は壊してもいいけど、ガラスは壊しちゃダメでしょ!? 加減が分からないのよぉ!」


「……仕方ないな」


 マシロはため息をつき、自分のスポイトを置いた。

 そして、アリサの背後に回り込む。


「えっ? マシロ?」


「力を抜いて。……こうやって持つんだ」


 マシロは背後からアリサの手を包み込むように握り、スポイトを支えた。

 いわゆるバックハグに近い体勢だ。


「ひゃぅっ!?」


 アリサの身体がビクンと跳ねる。

 背中に感じるマシロの体温。耳元で聞こえる吐息。そして、ゴツゴツした自分の手を優しく包む、マシロの白く滑らかな手の感触。


(……ち、近い! いい匂い! マシロの匂いが背中から包み込んでくる……!)


 アリサの脳内メーターが、一瞬で沸点に達する。

 だが、マシロはあくまで「技術指導」として淡々としていた。


「いい? ゴムを押すときは、呼吸と合わせるんだ。

 吸って……吐きながら、離す。

 そう、ゆっくり。……液体が管を登ってくるのを感じて」


「は、はい……ふぅ……ふぅ……」


 マシロに操られるまま、アリサはスポイトを操作する。

 青い液体が、スゥーッと管の中を登ってくる。


「そう、上手だよ。そのまま、小瓶の上へ移動。

 ……ここで息を止める。指先の力を、少しずつ抜いていく……ポタ、ポタ、ポタ……」


 チャプン。

 小瓶の水面が揺れる。

 マシロの手のぬくもりが、アリサの震えを抑え込んでいた。


「……できた」


 表面張力で盛り上がった、完璧な水面。

 一滴もこぼれていない。


「す、すごい……! 私にもできた……!」


 マシロはニッコリと笑い、アリサから離れた。

 その瞬間、アリサの心は「もっとくっついてて欲しかった」という名残惜しさと、「これ以上は心臓が持たない」という安堵の間で揺れ動く。


「……マシロ君。そこ、私の視界に入ると砂糖を吐きそうですわ」


 ロッテがジト目で二人を睨む。


「あ、ごめんロッテさん。

 ……よし、アリサもコツを掴んだみたいだし、ペース上げようか」


 マシロは再び自分の席に戻り、機械のような手つきで作業を再開した。

 アリサもまた手に残るマシロの体温を愛おしむように一度握りしめ、作業を再開するのだった。

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