第13話:焼きたてのパンと、神の水
シルヴィアはいつも通り、技術開発棟に訪れた。
その足取りは軽く、鼻歌なんかも歌ったりして明らかに上機嫌な様子だ。
そして知り合いを見つけ、その歩みが止まる。
普段着を腕まくりし、炉の前で汗を拭うマシロを見つけたのである。
「……お、マシロいるじゃん!今日は新しい金属の実験?」
「あ、シルヴィア。おはよう。いや、この炉の火力調整がつい楽しくて……パン焼いてた」
マシロが指差した先には、実験用トレーに山盛りになった、こんがりきつね色の白パン。
ふっくらと焼き上がったそれは、王都のどのパン屋でも見たことがないほど美味しそうだった。
「パンって……あんたねぇ、金属用の炉でパン焼きなんて最高にロックね。……で、味は?」
「自信作だよ。食べる?」
「……毒見してあげるわよ」
シルヴィアは呆れつつも、焼きたてのパンを一つ手に取り、口に運んだ。
カリッ、という心地よい音。そして中から溢れるモチモチの食感と、小麦の甘み。
「……っ!!」
シルヴィアの目が大きく見開かれた。
彼女は無言で二口、三口と頬張り、あっという間に一つを平らげてしまった。
「……なにこれ。めちゃくちゃ美味しい!」
「よかった。隊への差し入れ用に大量に焼いたんだ」
シルヴィアはため息をつき、近くの椅子にどしりと座り込んだ。
「実はさっき、この間の時計が海軍に正式採用されることになったのよ。だからそのお礼に、今日はパーッと高い店でご飯でも奢ろうと思ってたんだけど……」
「え、すごいじゃん! 海軍採用って、エリート街道真っしぐらだね」
「まーね。……でも、このパン食べちゃったら、高い店行くのが馬鹿らしくなったわ。ねえ、もう一個ちょうだい」
「いいよ。ジャムもあるけどつける?」
「いる」
二人は実験机を囲み、焼きたてパンをモグモグと頬張った。
殺伐とした実験室に、ほのぼのとした空気が流れる。
「……ふぅ。満足した」
すっかり満腹になったシルヴィアが、満足げにお腹をさすった。
ふと、彼女の視線がマシロに向く。
彼はさっきから、パンを食べている最中も、ちらちらと自分のリュックの方を気にしていた。
美味しいものを食べているはずなのに、どこか上の空だ。
「さっきからリュックを気にしてるけど、何かあるの?」
「うん、実はちょっと相談があってね。……これなんだけど」
マシロはリュックから、慎重に布に包んだ物体を取り出した。
銀色に輝くインゴットだ。
「……また綺麗な金属ね。前の『炭素鋼』とは違うの?」
「うん。師匠が『一番魔力を伝えやすい物質だから、困った時に使え』って持たせてくれたんだけど……見たことない金属で、シルヴィアなら何か知ってるかなって」
マシロが困り顔で言う。
シルヴィアは「ふーん」と興味なさそうに手に取り――。
ズシリ。
「……重っ」
予想外の比重に、手が沈んだ。
そして、指先で表面をなぞった瞬間、彼女の顔色が変わった。
「……冷たい。吸い付くみたいに滑らかで……こんな金属、あったっけ?」
彼女は近くにあった魔力伝導率は図る計器をインゴットに近づけた。
針が振り切れる。
いや、振り切れて計器から煙が出た。
「!?」
シルヴィアがビクリと震え、後ろに飛び退いた。
彼女は椅子から転げ落ちそうになりながら、絶叫した。
「ちょ、ちょっとあんた!! これ何!? 魔力抵抗がゼロ!? ありえないわよこんなの!!」
計器の故障を疑って別の魔力計を使ってみるも、指し示す値は変わらない。
「え、そうなの? 師匠はただの端材だって……」
シルヴィアが、ものすごい形相でマシロの口を塞いだ。そして、周囲をキョロキョロと見回す。
幸い、他の技師たちは自分たちの実験(爆発)に夢中で、こちらの会話には気づいていない。
「……ちょっと、こっち来て」
シルヴィアはマシロの腕を掴むと、実験室の隅の資材置き場の影に引きずり込んだ。
そして、マシロの顔をのぞき込み、声を潜めた。
「いい、マシロ。落ち着いて聞いて。……これ、多分『ミスリル』よ」
「……ミスリル? 物語に出てくる、あの?」
「そう。グラム単位で金貨が飛ぶ超希少金属。魔力を一切ロスなく伝える性質をもってる……らしいわ。流石に私も実物は初めてだけどね」
「ロスなく……? 待って、それってつまり、『電気抵抗』がゼロってこと?」
「電気? よく分からないけど……魔力を流しても熱を持たないし、減衰もしないってことよ」
「――熱を持たない!?」
その言葉に、マシロが食いついた。
先ほどまでの怯えた様子はどこへやら、彼は実験机に身を乗り出し、シルヴィアの肩を掴んだ。
「本当に!? いくら魔力を流しても、高電圧をかけても、ジュール熱が発生しないってこと!?」
「え、ええ。電圧とかはよくわからないけど、とにかく熱が発生しないって言われているけど……ちょ、ちょっとマシロ、顔が近い」
「すごい……すごいぞ! これなら作れる! あの『夢の装置』が!!」
マシロの瞳が、怪しく輝き始めた。
それは、未知の知識を探求する錬金術師の目であり、同時に、獲物を見つけた猛獣の目でもあった。
「あ、あの……マシロさん? 夢の装置って……まさか、禁断の戦略兵器とか……?」
シルヴィアが引きつった笑みを浮かべる。
マシロのその熱量は、国一つを滅ぼす兵器を思いついたマッドサイエンティストのそれにしか見えなかったからだ。
「違うよ! もっとすごいものだ!」
「もっとすごい!?」
「『電気分解装置』だよ!!」
マシロは高らかに叫んだ。
シルヴィアはポカンと口を開けた。
「……は?」
「いいかい、シルヴィア。『塩化ナトリウム水溶液』と水を隔膜で仕切って電気を流すと、陽極には酸性の『次亜塩素酸水』が、陰極には強アルカリ性の『水酸化ナトリウム水溶液』が生成されるんだ。
でも、これを実用化するには、安定した電源の確保が問題でね、雷の魔石は一気に魔力を放出するから、普通の銅線じゃあ熱で瞬く間に焼き切れちゃうし、かといって『ダニエル電池』みたいな化学電池じゃ十分な電流を稼ぐのに何十個も直列で繋がないといけないから現実的じゃない。
だけど、このミスリルなら! 熱を持たないこの金属なら、雷の魔石の高出力にも耐えられるかも知れない!!」
マシロは一息に捲し立てた。
分かりやすく言えば、『次亜塩素酸水』はキッチン用洗剤として使われる塩素系漂白剤、『水酸化ナトリウム水溶液』は強力な油汚れ用洗剤の主成分である。
つまりマシロは、この世界に現代日本の主婦の味方を顕現させようとしているのだ。
前世の専門用語の羅列に、シルヴィアの理解はとうに追いついていない。
だが、一つだけ分かったことがある。
この少年は今、とんでもないことをしようとしている。
「つまり……その装置があれば、何ができるの?」
「あらゆる汚れを瞬時に分解し、あらゆる細菌を死滅させる。……まさに、神の掃除道具が作れる」
マシロはうっとりとミスリルのインゴットを見つめた。
シルヴィアは呆れ果て、そして吹き出した。
「くくっ……あはははは! あんた、最高だわ! 伝説の金属を使って作るのが、掃除道具!?」
「笑い事じゃないよ。衛生環境の改善は、生存率に直結するんだ」
「はいはい、分かったわよ。……面白そうじゃない。手伝ってあげるわ」
シルヴィアはニヤリと笑い、マシロの手を強く握り返した。




