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『沈黙の手紙』

掲載日:2025/10/26

まだまだ堀辰雄、立原道造の影響下にある文章です。

Ⅰ 〜予感〜


その朝、わたしはまだ夢のなかにいた。

窓辺の薄布を透かして差し込む光が、部屋の空気を淡く染めていた。


それは、言葉になる前の感覚をそっと撫でるような光で、わたしはそのなかに、誰かの気配を感じていた。


それが、わたしではないもの──

わたしの外側にある、けれども、どこかでわたしに触れているようなもの──

であったのか、あるいは、わたし自身の残響であったのか、判然とはしなかった。


その気配は、声を持たなかった。

ただ、沈黙のなかに息づいていた。

触れられることを望みながらも、触れられぬままであることをも、

どこかで受け容れているような、そんな気配だった。


わたしは、静かに立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

外には、まだ風の気配もなく、

遠くの山々が、まるで記憶のなかの風景のように、

ぼんやりと霞んでいた。


そのとき、ふと、わたしは思った。

この記憶は、ほんとうにわたしのものなのだろうか。

それとも、誰かの記憶が、わたしのなかに残像として宿っているのだろうか。


白い花の香りが、どこからともなく漂ってきた。

それは、忘れたはずのものの香りだった。


赦しの予感のような、

あるいは、誤解されることさえもどこかで望んでいた、 そんな「わたし」が、静かに息づいているような香りだった。



Ⅱ 〜余白〜



その香りに導かれるように、

わたしは机の引き出しを開けた。


そこには、折りたたまれたままの便箋が一枚、

静かに眠っていた。


差出人の名はなかった。

けれど、筆跡は、わたし自身のものだった。


それは、かつて書こうとして書けなかった手紙だった。

誰かに宛てたはずの言葉が、

いつのまにか、わたし自身に向けられていた。


赦しを乞う声は、他者のものではなく、

わたしのなかに沈黙していた「わたし」の声だった。


それは、誤解されたまま、語られぬまま、

それでもなお、誰かの記憶のなかに

残っていた「わたし」だった。


わたしは、便箋を開き、

そこに書かれた言葉を読むふりをした。


実際には、何も書かれていなかった。

けれど、わたしのなかには、

確かにその言葉が響いていた。


赦されるとは思っていない。

語らなかったことを、語れなかったことを。

それでも、あなたの沈黙は

わたしを赦していたのだろう。


わたしは常に、「わたしではないもの」に、

そっと撫でられていた。



外の風景は、少しだけ色を変えていた。

遠くの山々が、まるで誰かのまなざしのなかで

見られているように、静かに揺れていた。


そのとき、わたしは思った。

赦しとは、誤解されたままでも、

なお、わたしが抱きしめることのできる、

静かな余白なのかもしれない。


わたしは、窓辺に立ったまま、

その余白のなかに沈み、静かに涙した。


流れ落ちるものは、あの手紙のように、

言葉にならないまま、余白のなかで、ほどけていった。


花の香りはまだ、部屋中に満ちていた。

それが、「わたし」の感じていたものの、すべてだったのかもしれない。


そして、それだけで──十分だった。



もう少し、自分独自の揺らぎや重層感を構築していかないと…。

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