1:祓い水
夏のホラー2025の題材「水」をテーマに、ホラーを一筆したためました。
楽しんでいただけたら幸いです。
玄関前にペットボトルが置いてあった。ペットボトルには水が八分目くらいまであり、あまりキレイとは言えない色をしている。当然、自分でこんなものを置いたはずもない。なぜ置かれているのかもわからない。猫避けで置かれる家庭もあるというが、ここはアパートの3階。しかも、セキュリティ付き。
なんとなく触ろうとしたとき、昔の記憶を思い出した。
兄と母の記憶だ。
兄は4年ほど前に失踪した。俺が20になったちょうど今の夏の頃だ。空っぽになっていく兄の部屋を片付ける俺達の中で、一番気味悪がったもの。それがペットボトルだった。飲み水とも思えない臭いと色を発していて、全員首を傾げた。さらに言うと、そのペットボトルの底には「お水さま」と書かれたメモ書きがされていた。なにかの宗教にハマっていたのだろうかと、あざけ笑いその日は母親がそのペットボトルを捨てて部屋をかたずけた。その数日後だろうか、母親も行方をくらました。捜索したのち、母は近くの川の下流でおぼれ死んでいた。父親は初めて青ざめた表情をしていた。なぜかと問いただすと、父は母が出て行く瞬間を一度見たらしく、その時にどこへ行くのか聞いたのだと言う。その時、言ったのは
「お水様が呼んでいる」だった。
背筋から沸き立つ震えを感じた。父はなぜ止めなかったのか、いや止められなかったという。いつの間にか消えていたという。父はそれ以来、一層会話をしなくなった。
それ以来、俺は家族と話もろくにしなかったし、家族の事も忘れていた。忙しさで忘れようとしていたのかもしれない。こんなペットボトル一本で思い出すとは思わず、手が震えはじめた。自分で捨てるのも怖くなり、俺は管理人に捨ててもらおうと管理室に向かった。1階、管理室にある受付窓をコンコンと叩き、軽く管理人に会釈した。
「はい」
いつになくぶっきらぼうな返事に、委縮しながらもペットボトルを見せた。
「あの、303の雨宮ですけど......。これ、落ちてて」
管理人はゆっくりと首を曲げた。俺がおかしいのだろうか。それとも、そんなもの引き取れないということなのだろうか......。
「よくわからないんで、そちらで処理いただけないですか?」
「雨宮、さんか......。なら、それは祓い水だから大切に風呂場に置きなさい」
「祓い水? どういうことですか?」
「祓い水は大切にすること、そして深入りしてはならない。そうすれば祟りは降らない」
どうも噛み合わない。しかも、風呂場ときた。これは兄と同じだ。加えて、ここは兄が住んでいた家と近かった。兄を知りたかったわけじゃない。偶然的にそうなっていたのだ。これは、兄からのメッセージなのだろうか。自分と母の死の真相を解き明かしてほしいということだろうか?
「とはいえ、どうすれば......」
触りたくもないのに触ってしまった不快感と、処理することへの不安感から吐き気が襲い始めた。この水のせいだろうか、そんな不安をよそにそっとそのペットボトルを風呂場の近くに置いた。置いても何も起きない。俺は、これ以上関わりたくないので、そのペットボトルをできるだけ無視して目を閉じた。
ポチャ......。ポチャ......。
夜中、ひどい水の音がして目を覚ました。
明かりの使うのも面倒で、スマホのライトで周りを見渡していく。
すると、唐突にその水の音はしなくなっていた。
空虚の中、スマホのライトを消して俺は少し舌打ちして再び眠りをついた。
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寝不足で遅刻しそうになりながら、仕事に向かった。腫れぼったい目をこすりながら、仕事に打ち込んだ後の昼休み、気心のしれた同僚にこぼれるようにこのことを話した。話したくなかったけど、内心誰かに聞いてもらいたいと言う欲求が収まらなかった。同僚は、そのペットボトルの話を聞くと青ざめ始めうつむいた。
「そっか。お前、地元じゃないから気持ち悪いよな......」
「なんかあるのか? このへん」
「悪いことは言わない。詮索するな」
アパートの管理人と同様、俺には詮索するなという。
「なんでだよ、教えてくれよ その話......」
だが、同僚は申し訳なさそうに首を横に振った。俺は絶望した。何も方法が分からないんじゃ、このまま気味悪いまま過ごすのか。そう思っていたら、同僚は少し小声で話し始めた。
「どうしてもと言うなら図書館に行くといい。多分、郷土資料のコーナーに、この町の事についての本があると思う......。言っておくが、俺は止めたからな......」
その顔は覚悟を決めたかのような顔だった。そんなに誰かに知られると困る伝承なのか? どれくらい根深いんだ......。そんなことが頭でいっぱいでこの日の仕事は、かなり遅れた。
「今日、図書館に行くのは無理かぁ」
残業終わりの帰り道、俺は奇妙な人を見た。なんと、ペットボトルを配っている。無料でだ。身なりはいいとは言えない。むしろホームレスに近い。その人は通り過ぎて行く人にペットボトルを収めようとする。だが、みんな彼の事を無視する。あんなんじゃ無理もないだろう。そう思いながら、俺は帰路についた。玄関にはなにも置かれていない。それだけで安心していた。だが、家に上がったとたんチャポ......。という音と、靴下からじんわりと伝わりはじめる生ぬるい水が足をむず痒くした。
「濡れてる......。なんで?」
ふと、俺はあのペットボトルの方を見た。すると、ペットボトルのふたが若干緩んでいて、そこから垂れていたことに気が付いた。俺は気持ち悪くなった靴下を脱ぎ捨て、びちゃびちゃと音を立てながらリビングで干していたタオルを引っ張って玄関周辺を拭いていった。サラサラとした感触ではなく、どことなくねっとりと粘性を帯びているその液体を搾り取り、乾かしていく。さらに、触りたくもないペットボトルのフタを閉めた。水のせいか、するすると空回りしてしまうが何とか確実に閉めることに成功した。
「一体なんなんだ......」
ネットで調べても出てこない、ペットボトルの怪現象。兄さんや母の時と同じだ。正直、このペットボトルなんてどこかへ捨ててしまいたいとも思っている。でも、捨てるのも怖い......。今日はもう眠りたい......。
「気色悪いけど、明日も仕事だしな......」
1人呟き、ペットボトルを眼中に納めないように、眠りについた。
眼を閉じて数分頃か......。
ポチャ、ポチャ......。
また水の音が聞こえ始めた。
「う、うーん......」
ポチャポチャ、ポチャポチャ......。
音の感覚が狭くなってくる。
ドン!
さらに、大きな足音のような音がした。
さすがに俺は電気をつけて台所や水回りをチェックした。
やっぱりなにもない。
俺は多少腹を立たせながら、もう一度眠りについた。
雨宮の眠りは浅かった。
彼の深層心理の中では、水であふれていた。
それでも、仕事のために脳を休めたのだった。