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少年とバク  作者: ふあ
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 夜空に月と星の浮かぶ絵は描きかけだったが、サツキは大層喜んだ。

「シオの瞳には、こんなに綺麗な景色が見えているのね」

「完成したらサツキにあげようとおもっていたんだけど、どうかな」

 そう言うと、彼女の顔はいっそう明るく輝いた。それはシオにとって、いつものアトリエに煌めく一番星のようだった。

「ありがとう、シオ。楽しみにしてるわ」

 嬉しそうに笑うサツキと昼食を摂り、散歩に出かけた。二人を穏やかな日差しと長閑な空気が包み込んだ。

 サツキと別れて帰ってから、シオはアトリエにこもった。早くサツキに絵を渡したい。喜んでくれる顔を見たい。大切に一筆ずつ色を乗せていく。

 ふと自分を呼ぶ声に、シオは気が付いた。既に大きな犬ほどになったバクが、そばに座ってこっちを見つめていた。

「お邪魔をしてごめんなさい。シオさま、もう夜中です。食事を摂らなくても、大丈夫でしょうか」

 そこで腹が減っていることをシオはようやく思い出した。絵を描くことに没頭してしまうと、食事を摂ることなど二の次になってしまう。これがサツキに心配をかける所以だった。

「ああ、そういえば、お腹が空いたかも」

「私が準備できればよいのですが……」

 悲しそうな目で、バクは自分の前足を見つめる。ずんぐりした足は、料理を作るにはまったく不向きな形をしている。

「気にしないで。気づかせてくれてありがとう」

 笑ってバクの頭を撫で、シオは伸びをしながら部屋を出た。一階に下り、キッチンで簡単なスープを作る。

「ごめんね、今日はもう少し絵を描きたいんだ」

「シオさま、私だけで夢を食べてきてよろしいでしょうか」

「ぼくは構わないけど……」スープの味見をしつつ、隣のバクを見下ろす。「一人で、怖くないの」

「おかげさまで、随分元気になりました。心細いのは確かですが、いつまでもシオさまのお手を煩わせてはいけません。少しだけ食べてまいります」

「何かあったら、すぐに戻っておいで。ぼくは二階にいるから」

 はいと返事をして、バクはしゅるしゅると小さくなった。シオが窓を開けると、夜のなかへ飛び立っていった。


 遅くに眠ったシオが目を覚ますと、すっかり夜は明けていた。ベッドから下り、欠伸をしながらカーテンを開ける。眩しい光が部屋の中に差し込んだ。

「おはようございます」

 声のする方を向くと、拳ほどのバクがベッドの足元側で丸くなっていた。「おはよう」と返事をする。

「昨晩は大丈夫だった?」

「はい。三つのお家を回ってまいりました」

 部屋を出て顔を洗い、遅い朝食を摂る。バクはまだ二階から下りてこない。食器を片付け、簡単に室内の掃除を済ませ、玄関先を箒で掃く。高台にある小さな家からは、向こうの方にある家々の屋根が見渡せた。心地よい風に、うっかり眠気を誘われてしまう。

 家に入ったが、まだバクの姿はない。ポケットを探ってみたが、小さなバクは入っていなかった。少し心配になり、二階の寝室に向かう。バクは、まだベッドの上で小さく丸くなっていた。

「バク、どうしたの。具合でも悪いの」

 シオがそばに寄ると、バクは閉じていた瞼をそっと開いた。

「シオさま、心配かけてごめんなさい」

 細い声に、シオはその背を軽く撫でる。

「いいよ、気にしなくて。それより、どうしたの」

「……昨晩は、あまりよくない夢を食べてしまいました。お腹の調子が悪うございます。けれどご心配には及びません、少ししたら良くなるでしょう」

 バクはそう言った。シオは心配だったが、まさか医者に診せるわけにもいかないし、看病の方法もわからない。目を閉じてしまったバクに柔らかな毛布をかけ、背を撫でてやった。

 夕刻になる頃、バクはむくりと起き上がった。

「元気になった?」尋ねるシオに、「はい」と頷いた。道具を運んで寝室で絵を描いていたシオは、ほっとした。

「ご面倒をおかけしました」

「元気ならいいんだ」

 バクの様子はすっかり元気そうだ。目も輝きを取り戻している。そばに腰掛け、シオはバクを抱き上げて膝に乗せてやった。頭を撫でると、バクは嬉しそうに尾を揺らす。

「悪い夢を食べると、そんなに体調を崩すんだね」

「前の街にいた時もそうでした。私の周りには、悪い人しかおりませんでした。だから私は、例え誰かが近くで眠ってしまっても、その夢を食べることができなかったのです」

 少しバクは黙り、考えるそぶりを見せた後、「シオさま……」と言い辛そうに口を開いた。

「昨日食べてしまったのは、そうした悪い人の夢でした。きっと、シオさまも関わりにならない方が良いかと思います」

 バクの言葉に迷いつつも、シオは尋ねる。

「誰の夢を食べて、お腹を壊したの」

「お家の外から夢を食べました。青い屋根の、煙突のあるお家です」

 シオがバクを撫でる手が止まった。

「……それは、間違いないの」

 声の引きつりに気づいていない様子で、バクははいと頷いた。

「私たちバクの目は、どんな動物より夜目がききます。間違いありません」

 何も答えないシオの顔を見て、バクは不思議そうに目をぱちぱちさせる。頭の上にある手がぱたりと落ちるのを見て、不安げにシオを呼ぶ。

「間違いだよ」

 シオが囁くように言った。

「それは、見間違いだよ、バク」

「そうは申しましても……」

「間違いだ、そんなのあるはずがない」

 煙突を持つ青い屋根の家。それは町に一軒しかない。サツキがたった一人で暮らす家。

「サツキが、悪い人間なはずがない」

 その名に、バクも驚いた風だった。バクは、サツキがどの家に暮らしているかを知らない。だからシオに嘘を吐いて彼女を貶めることはできない。それ以前に、バクがサツキを貶める理由がない。

 バクは真実を言っているのだ。

「サツキさまのお家なのですか」

 シオが頷くと、「サツキさまの夢ではなかったのかもしれません」バクは懸命にそう言った。

「いや」だがシオは首を振る。「サツキはあの家で一人で暮らしているんだ」

 沈黙が部屋に満ちた。

 サツキが、悪い夢の持ち主であるはずがない。優しく、いつも自分を心配してくれる彼女が、悪人であるなんて信じられない。

「シオさま……」

「ごめん、バク」

 シオは、バクをそっとベッドの上に下ろした。もう少しで完成する絵を、黙って片付けた。

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