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少年とバク  作者: ふあ
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 バクは今こそ手に乗る大きさをしているが、夢を食べて回復すれば犬よりずっと大きくなるそうだ。あなたを背に乗せることもできるでしょう。バクはそう言った。

「夢を食べないと、回復できないの」

 朝食のパンを口に運びながらシオが尋ねると、キッチンのテーブルの上でバクは「はい」と言った。口の端にミルクの水滴がついている。

「良い人の夢が、私たちの食事です」

「それは、良い夢ってことなのかな」

「いいえ、心の綺麗な人の夢が、私たちの好物です。例えそれが悪夢でも、私たちにはご馳走なのです。だから私たちは夢を食べることで、その持ち主が良い人間か悪い人間かわかります」

「夢を食べられて、人間に悪いことはないの」

 バクは長い鼻を左右に揺らした。

「見ていた夢を、起きた時に覚えていないだけです。きっと、悪いことではないでしょう」

 トマトとキャベツのスープに口をつけながら、そうかもしれないとシオは頷いた。

「きみも、スープを飲むかい。ミルクだけじゃ足りないよね」

 シオが立ち上がりかけるのを見て、バクは「いいえ」ともう一度鼻を振った。

「ありがとうございます。でも、必要ありません。私たちにとって直接口にする食事は、必要不可欠ではないのです。おまけのようなもので、お腹にはたまらないのです」

 ああ、でも。バクは正面のスープ皿につぶらな目を向ける。「このミルクはとても美味しいです。私が人間であれば、もっと美味しく感じられるのでしょうか……」


 午後になると、昨夜から激しく降っていた雨はようやく止み、雲の切れ間から日差しが差し込むようになった。

 ジリリと来客を知らせる呼び鈴が鳴った。

 シオが扉を開けると、玄関先には髪をくるりと結い上げ、空色のワンピースを身に纏った少女が立っていた。手にはバスケットを下げている。

「やあ、サツキ」

「こんにちは、シオ。やっと雨が上がったわね。ゆうべの嵐はひどかったわ」

 サツキという少女をシオは家に上げたが、そこにいたはずのバクは姿を消していた。

「忘れないうちに。今朝、クッキーを焼いたの。よかったら食べて」

 サツキがバスケットからクッキー入りの紙袋を取り出し、シオはそれを受け取る。

「いつも悪いね。ありがとう」

「描きあげた作品はある?」

「一枚だけだけど」

「どんな絵? 見せて!」

 二階のアトリエで、シオはイーゼルに飾った絵を彼女に見せた。先日仕上げたばかりの絵には、美しい花畑が描かれている。

「わあ、綺麗!」サツキは両手を合わせてはしゃいだ声を上げた。「シオの絵は、本当に素敵ね。まるで絵から風が吹いてくるみたい」

「大袈裟だよ」

 シオの描く絵は、街でも評判だった。彼の手にかかれば、変哲のない空も畑も魅力的な風景に変身するのだ。いや、風景が持つ魅力をシオが引き出すのだと、かつてサツキは言った。あなたの瞳が綺麗だからなのねとも言った。シオもその時は流石に恥ずかしかった。

「この絵は、どうするの」

「うん。よければ、売ってほしい」

「わかったわ。今度父さまに伝えておく。でも、なんだかもったいないわね」

 サツキの父親は有名な商人で、あちこちを飛び回っている。娘の幼馴染のよしみで、シオの描く絵も扱ってくれている。町に娘を一人残し、家にほとんど帰らない負い目があるのかもしれない。

 シオは両親の蓄えだけでも細々と暮らすことはできたが、その上でサツキの父が絵を扱ってくれることに感謝している。一方で、絵の仕上がりに関係なく度々様子を見に来てくれるサツキも、シオにとってなくてはならない存在だった。

「今度、サツキに絵を描くよ」

「本当?」彼女は目を丸くして驚いた後、「ありがとう!」と満面の笑みを浮かべた。

 二人で紅茶とクッキーを食べながらお喋りをし、明日には彼女の家に絵を運ぶことを約束して別れた。

 通りまでサツキを送ったシオが家に戻ると、ズボンのポケットがもぞもぞと動いた。

 ひょこりと顔を出したのは、親指程の大きさに縮んだバクだった。

「縮んじゃってる!」

 驚くシオの手の中で、バクは見る間に元の大きさに戻った。

「私は、小さくなれるのです」

「ずっとポケットの中にいたの」

「ごめんなさい。咄嗟に隠れてしまいました」

「いいよ、気にしないで」

 しゅんと悲しそうに目を伏せるバクの頭を撫でる。テーブルに乗せると、皿に残ったクッキーの欠片を興味深そうに嗅いでいたが、食べることはなかった。

「隠れなくても、サツキはきみに悪いことはしないよ」

「シオさまのご友人ならば、その通りだと思います。でも、やはり私は……」

「怖い目にあったんだもんね。仕方ないよ」

 皿とカップを片付けて席につき、シオは笑ってもう一度バクの頭を撫でた。

「そんなに落ち込まないで。そうだ、夢を食べたら元気になれるかな。町にいけば、たくさんの夢を食べられるかも」

 それを聞いて、バクの目が嬉しそうに輝いた。「よろしいのですか」

「うん。夢を食べてもその人に支障はないんだよね。それなら、行ってみようよ。それでぼくに夢の話を聞かせてほしい」

「ぜひ!」

 バクは黒い頭を何度も上下に動かした。


 すっかり日が暮れた時分、シオは家を出て町に赴いた。規則正しく生活を送る人々はすでに眠りについており、通りには猫の子一匹見当たらない。ぽつぽつと立つ街路灯が橙の温かな光を灯している。

「ここはどうかな」

 石畳を歩く足を止め、シオは肩の上にいるバクに問いかけた。正面の小ぢんまりとしたアパートはどの部屋も暗く静まり返っており、二階の角部屋の窓が少しだけ開いている。風を通しているのか、閉め忘れているのか。指先ほどの小さなバクが通り抜けるには十分な隙間だった。

「すぐに戻ってまいります」

 バクは肩から飛び立ち、すんなり部屋の中に入っていった。

 月の明るい晩だった。今度の絵にはこの月夜を描こうか。夜空を見上げてシオが考えていると、やがてバクは戻ってきた。拳ほどの大きさになり、肩の上にちょこんと乗る。

「とてもおいしゅうございました」

 心なしか弾む声を聞きながら、シオは夜道を歩き出す。

「小さな坊ちゃんと、お母さまが眠っておられました」

「うん。そういえば、あの家では赤ちゃんが生まれたんだって聞いたよ」

「子どもの夢は、とても美味です。子どもたちは皆、純粋ですから」

「どんな夢を見ていたの」

 肩の上で、バクはゆらゆらと鼻を振る。

「夢の中で、眠っておられました。誰かの声が聞こえましたが、あれはきっと、お母さまの声でしょう。とても温かな空間で、幸福に満ちていました」

「あの子は、大事にされているんだね」

「甘くとろけるような夢でした」

 バクは幸せそうに、口をもぐもぐさせる。美味しい夢の余韻に浸っているらしい。

「お母さまの夢は、大変そうでした」

「大変って、どういうこと」

「洗っても洗っても、服の汚れが落ちない夢です。綺麗にしても、目を離した瞬間に汚れてしまうのです。慌てて洗って綺麗にするけど、気づけば泥の汚れがついていて。てんてこまいな夢でした」

「そりゃあ、大変な夢だね」

 それから二軒家を周り、シオとバクは家路についた。

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