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少年とバク  作者: ふあ
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 ガタンと物音が聞こえ、シオは筆を滑らせる手を止めた。二階には、この小さなアトリエを含めた二部屋しかなく、音は隣の寝室から聞こえた。

 キャンバスから離れ、ドアをそっと開けて廊下に出る。泥棒でも入ったのか。しかし、こんな町はずれの家をわざわざ狙う泥棒がいるのだろうか。手に提げたランプを握りしめ、シオは慎重に寝室のドアを押し開けた。

 正面の窓は大きく開き、暗い夜から強い雨が吹き込んでカーテンがはためいている。床に転がっていた黒い影が、慌てた風に壁際のベッドに飛び乗った。

「誰だ!」

 勇気を出してランプを掲げる。灯りの中に、見慣れない獣の姿が浮かび上がった。

 ずんぐりした丸い身体は片手に乗るほどの大きさで、顔には長い鼻がぶらさがっている。前半分の毛皮と四つ足が黒く、後ろ半分は白い動物。小さな獣はずぶ濡れのまま、ベッドの上に丸くなって震えていた。

 初めて見る生き物だった。シオが警戒しながら近づくと、そいつは閉じていた瞼を震えながら開いた。黒いビーズのようなつぶらな瞳に、ランプの明るい光が灯った。

「私は、バクです」

 小さな子どもに似た声に、シオはぎょっとする。

「どうか、雨宿りをさせていただけないでしょうか」

「……きみは、喋れるの?」

 尋ねると、バクという動物は頭を動かして頷いた。人の言葉を話す獣など、シオは見たことがない。震えるバクの姿から獰猛さや凶暴さなど微塵も感じられなかった。むしろあまりに弱々しく、哀れを誘った。

 枕元のテーブルにランプを置き、シオは開いた窓を閉め、カーテンを引く。床にはすでに水たまりができ、踏みつけたスリッパを濡らした。

「ちょっと待ってて」

 バクに言い残して部屋を出たシオは、すぐに大きなタオルを二枚抱えて戻ってきた。一枚を濡れた床に乗せ、もう一枚をバクのそばに広げる。促すと、バクはおずおずといった動作で、タオルの上に乗った。

「風邪をひいたらいけないからね」

 念入りにバクの身体を拭いてやる。幼い頃に飼っていた犬に似た懐かしいにおいが漂った。タオルにくるまれたバクを置いて、今度はスープ皿に入った温かなミルクを出してやる。バクは何度も礼を言って、ミルクを残らず飲み干した。

「こんなに親切にされたのは、初めてです」

 ベッドに腰掛けるシオが空の皿をテーブルによけると、バクは感慨深そうに言った。

「きみは、どこから来たの」

「私は、遠い遠い街から来ました。あちこち点々としていたので、もう街の名前はわかりません。私は見世物小屋で飼われていました」

「見世物小屋?」

「お金と引換えに、珍しいものをお客に見せるところです」

 タオルに埋もれるバクを両手で包み、シオは膝の上に乗せる。硬い皮膚に柔らかな毛が生えていて触り心地が良い。

「私は、伝説の生き物と呼ばれています。夢を食べるのです」

 バクは悲しそうに目を伏せた。

「お客の夢を食べていたわけではありません。どの人も、珍しいバクを見て喜んでいました。私はずっと檻の中で過ごしていました」

「その前は、どこにいたの」

「もっと遠いところです」バクは目を細める。「記憶は曖昧ですが、夢のような場所です。そこで私は、仲間とはぐれてしまいました。迷っている内に人間に捕まって、見世物にされてしまったのです。運よく隙をついて逃れましたが、しばらく良い夢を食べていない私は、飛ぶのがやっとでした」

 雨ざらしで力尽きようとしていた時にシオの家を見つけ、一か八かで飛び込んだのだと言う。

「夜分、ご迷惑をおかけしました。雨が止んだら出ていきます」

「いいよ、元気になるまで家にいなよ。そうだ、夢を食べるってどういうこと。ぼくの夢も食べられるってこと?」

「それは、食べられますが……」

 ばつの悪そうなバクの頭を、シオは撫でた。

「一人は慣れてるけど、ときどき、話し相手が欲しくなるんだ。きみがよければ、ぼくと話をしてくれないかな」

「ああ、願ってもいないことです」

 バクはきょろきょろと辺りを見回す。

「この家にはぼくしかいないんだ。父と母が遺してくれてね、今はぼくだけが暮らしてる。だからなんの気兼ねもいらないよ」

 三年前、十四の時に流行り病で二人ともあっさりこの世を去った。シオは二人が遺した家を一人で守り続けているのだった。

 こうして丘の上の小さな家には、少年とバクが共に暮らすことになった。

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