敵の名
セルセイムの丘の戦闘からはや数時間後
フェンリル化による第三の腕の発現などの成果を得て、これといった損害もダメージもない
結果を見れば成長のための場として良い出来事だと取れるかもしれない
ベイカーらが丘に到着する以前の被害に関しても話から聞くに特に確認できていないとのことだった
しかし、現在
ベイカーとメルファはなんとも言えない、というよりはどこかしかめっ面で馬を歩ませていた
それもそのはず
2人の乗る馬を前後左右、きっちりと挟むように編隊に組み込まれ周囲には固い表情の奏国兵ばかり
敵意こそないだろうが居心地の悪さを感じるのも無理もない
空気にたえきれないのかメルファが小声で話しかけてくる
「なぁ…ベイカー…なんか面白い話してくれよ」
「無茶いうなよ、こっちが聞きたいぐらいだって…なんかないのか?」
「あるかよぉ…なんでこんなに囲む必要あるんだろな。客人って扱いだろ?」
「だからじゃないか?守ってくれてるんだ。あんまり無下にはできないさ」
「うへぇ…王都までこの調子かよ…思いっきり馬も走れないんじゃ丸一日かかっちゃうぜ…」
「そんなにか。メルファは王都に行ったことあるのか?」
「一応な、一番栄えてんのは間違いない。人も建物も多いしまさしく華の都って感じさ」
「そんなとこに誘拐犯が何の用だ…?」
「人を隠すには人の中ってことじゃないのか?馬車だって出入りは多いし、ガンベルほどじゃないけど工房ももちろん多い。身を隠すのが目的か、通過点として通るかのどちらかではあるだろうし…どっちにしろ見極めるには王都につかないことにはな」
「そうだな。王都で…奏国王に話を聞かせてもらえれば何か手がかりが分かるかもしれない。無策に聞き込みするよりも余程近道だ」
「…なぁ、それよりさっきのベイカーの光ってる三つ編み…こいつらも見たかな?」
「どうかな、傍観してたんなら…目に入っててもおかしくはないけど、そうだ!それよりいつの間にカートリッジスったんだよ?」
「ベイカーが馬から降りるときだよ、いざというときのためにな。どうせ、真っ向から貸してっつってもくれないだろ?」
「そりゃそうさ、いや…でも実際助かったからな。まぁ今回は不問にしとくさ」
と、ベイカーが広い心を見せたら矢先
後ろからメルファの手が伸びてきた
「…なんだよこの手?」
「え、また一個貰っとこって思ってさ」
振り向くとやたら笑顔なメルファが催促していた
「…ダメだ。」
「えー!役に立つって!補助役補助役」
「…改良するから待っててくれ、もう少し威力を抑えたりして使いやすくする。」
パッとメルファの顔が明るくなる
やはりセルセイムの丘のメルファのサポートには助けられたという実績もある
預けても無茶な使い方はしないというメルファへの信頼も生まれているのだろう
「ホントか!やったぜ!いぇーいっ」
と喜んでみたはいいが周囲の様子を思い出し、すっとおとなしくなる
「はぁ…早く王都に着かねぇかなぁ」
深いため息をつくメルファ
ベイカーも堅苦しい今の空気に同じ事を思って空を仰いだ
「全くだ…」
そして、そのままの行軍の速度で
二人にとっては居心地の悪い時間が20時間程も続いた
夜更けも朝も昼も通り越し夜
ようやく二人の視界に淡い光が見えてきた
「メルファ、ようやくだ。あれ王都だろ?」
とベイカーが後ろを振り向くとメルファは器用に居眠りをしていたらしく
呼び掛けにハッと顔が揺れる
「えっ?…あっ、やっとかよぉ待ちわびたぜ」
「よく寝れてたなキミ、でもホントようやくだ。」
緊張感と堅苦しさに包まれていた二人にとって、やっと解放されるという安堵感が溢れてくる
そして程なく、ベイカーらを率いた行軍は王都内に入った
辿り着いた町の賑やかな灯りは繁栄を惜しみなく表しており、行き交う人の表情もいきいきとしている
ベイカーの視線も忙しなく移りいくほどに鮮やかな街並み、思わず息を呑んだ
今までも公国の王都や、ハイゼン武国の王都、立ち寄っただけではあるがドライセン護国の王都にも行ったことはある
しかし、そのどれとも違う華やかさがバリオール奏国王都 ニブルヘイズにはあった
「すごいな…まさしく華の都って感じだ」
「なんかそわそわしちゃうよな」
「確かに…それはちょっとあるけど、まぁ観光しに来たわけじゃないんだ。」
「んだな。お、馬を降り始めてるぞ」
見ると先導していた兵士達が馬降り始め、ベイカーらの前を開けるように割れ始めた
「ここからは歩きか、メルファ」
「はいよ!」
メルファが身軽に馬から降りる
次いでベイカーも降りると馬の首を撫でた
「思いっきり走らせてやれなくて悪い、ちょっと待っててくれな」
兵士の一人が手綱を預かってくれる
客人の馬として丁重に扱われるだろう
「こちらです、奏国王の元へご案内します」
先程のヴィンセントという若い兵士が少し先から声を掛けてきた
示した先には荘厳な王城が見える
華やかな王都の中にそびえ立つには無骨なようにも見える
しかし、それが逆に不思議な重圧を感じさせる気さえする
「ああ、頼む」
ベイカーは剣を背負い直しヴィンセントの後に続く
その後をメルファも追う
道を開けるように両端に兵士が並ぶ中を黙々と歩き程なく王門をくぐった
そして、ヴィンセントの手振りで王城の扉が開き始める
両開きの扉が重々しく、しかし手入れが行き届いているのか思ったよりも静かに開く
扉を抜けた先は大きな広間のようになっておりその先に巨大な二十段程度の階段が正面にあり登った先も大きな広間になっているようだ
別に両端にもいくつもの部屋があるのか扉が並び階段もある、二階以上へはそこから登るらしいがヴィンセントは正面の階段へと促した
「ここからはベイカー様のみで」
ヴィンセントがメルファを制止する
「ええ?まぁ、いいけどさ」
「すぐ話済ませてくるから、待っててくれ」
とベイカーが振り向くとメルファは居心地悪そうに笑っていた
「ではお連れの方は…案内してさしあげろ」
ヴィンセントが手近な兵士に指示すると、いくつか並ぶ扉の一つに案内されていった
そしてベイカーはヴィンセントに先導され、階段を登りきった
そこはやはり大広間になっており目前には荘厳かつ華美な椅子が一脚
その他には壁際に巨大な花瓶が花を活けられ飾られているだけのシンプルなレイアウト
だがその一脚の椅子に座っている人物
紹介されるまでもなく、その女性がそうだと感じる
ナルスダリア・エルリオン
派手な上着を肩にかけたり、装飾鮮やかな靴を履いている
しかし、髪色は漆黒かつ服装も黒を基調としているシックな色合い
豪奢なものは上着と靴だけなのにも関わらず、その存在自体が華美かつ豪華
端正な顔立ちはパーツそれぞれが際立ち、しかし主張し過ぎないバランスが美しく
まさに華の都の女帝
彼女が存在しているだけでその簡素な空間が華と変わる
それほど強烈な存在感が彼女にはあった
「待ちわびたぞ」
凛とした声が響く
言葉の一字一字が完璧な輪郭を持っているような声
ベイカーはハッと我に返ると膝をつき頭を下げた
「いい、顔は上げろ。貴公がルグリッド公国からの客人、ベイカー・アドマイルだな」
「はい、突然の来訪にも関わらず先導頂いて…」
「言葉遣いも構わない、貴公の言葉で話してくれ。そのほうが伝わりやすいものもあるだろう」
「…じゃぁ甘えさせて貰います。」
「それはそうと、セルセイムの丘の悪魔も貴公が討伐してくれたと聞いた。ありがとう、奏国の王として代表して感謝を」
言いつつ目を閉じ、頭を下げた
「いや、俺にとっても邪魔だっただけです。」
「はっ、邪魔だからとあれを単騎で倒すとは恐れ入る。それはそれとして…本題に入ろう」
「本題?」
「ああ、ルベリオ坊やから…いや失敬。ルベリオ国王から文を頂いたが、いまいち要点が欠けていると思ってな」
「…」
「いつもの文よりも文字が荒れ文面もどこか探るように言葉を選んでいたと見える。そしてその内容は端的に言えば〈赤毛の邪魔をするな〉だ。まぁもちろん、それを限りなく丁寧にした内容だが…私も回りくどいのは好きじゃない。
ずばり聞こうベイカー、貴公は何を追っている?何を探しにきた?」
その目が、その言葉や佇まいが虚偽や偽りや誤魔化しの効く相手ではないと告げている
ベイカーは考えた
この女帝ナルスダリアは、ただの派手な看板じゃない
実を伴う、聡明な、そこに座すべきして座した者だと
だが、ミザリーの存在は公国にとっても秘匿すべき存在であるだけでなく、本来は奏国のものである〈フェンリル〉を持つ
明かす訳には行かないが明かさない訳には彼女を納得させる言葉はないだろう
「…ルベリオ国王がそれについて開示してないのであれば、俺がそれを独断で明かすことはできない。でも、勝手だけど手を貸して欲しいんだ」
「…ふむ。そんなすんなり明かす訳はないとは思っていたさ、だがベイカー?考えてみろ。
もちろん奏国は公国とはよりよい関係であるし、これからもそれに変わりはない、公国に助力することも惜しみはしない。まぁ借りを作るという打算はあったとしてもな。
しかし、何を探しているかを明かさないのではそれを探す助力など不可能だ。
それを明かすことが公国にとってリスクになるとしても、失うことと天秤にかければそれはどうなる?
大掛かりな捜索隊をよこす前に貴公が単独で来たと言うことはそれなりに公国王からの信頼を得ているし、判断も任されているのではないか?」
「…」
ナルスダリアの言うことはもっともだ
何を追っているか分からないものに出来る助力などない、それを隠して求めれるものなど「馬車を探している」という大海の中で藁を探すような粗末なもの
それに、それを「失くすこと」とリスクを天秤にかける
言われてしまえば、ベイカーにとっては天秤にかけるまでもなく
ルベリオにとってもそれは同じはずだ
「わかった…確かに不躾な願いだった。話すよ」
ナルスダリアが脚を組み替えるとグッと身を乗り出す
「聞かせてみろ、わざわざ公国から来たんだ…つまらん用事では無いと理解している。…ヴィンセント」
「ここに」
ナルスダリアの呼び掛けに、ベイカーの背後にいたヴィンセントが返事をする
「人払いをしろ、この広間に私と客人以外の存在は認めん」
「ただちに。」
足早にヴィンセントが広間を後にすると
一切の音が周囲から消える
「これでいい、この広間での会話はどこにも聞こえず漏れはしないし聞き耳を立てる無礼者もこの城にはいない。」
「…俺がここまで追ってきたのは、公国から奏国の港町ポーリーにやって来た馬車だ。その馬車は公国王城に秘密裏にあったものを奪っていった。ポーリーから足取りを追って、どうやら王都に来た可能性があるっていう読みを立ててここまできた。」
「その馬車の中身はなんだ?」
「…フェンリルだ。」
その名を出した途端、ピクリとナルスダリアの瞼が動く
「厳密に言うと…フェンリルを宿した俺の、幼なじみだ」
すっと身体を起こすとナルスダリアは背もたれに身を預ける
「フェンリル…その名を聞くとはな。いや、なかなか込み入った話になりそうだ」
「奏国にとってもフェンリルが特殊な存在だってことは、詳しくじゃないけど聞いてる。でも俺が話す全てに嘘は無い」
「だろうな、そんな器用にたち振る舞える男にも、人を騙す男にも見えん」
「それで…追っているのがフェンリルだとしたら、何か手がかりはあるか?」
「まぁ待て、それを話すには少し過去へ遡る必要がある。私としては、恥ずべき歴史ではあるが貴公には恐らく知る必要がある」
「語り手のことか?」
「ああ、詳しくは?」
「いや知らない、そういう存在があったってことだけだ」
「今から数百年も前のことだ、当時から世界には悪魔と呼ばれる存在が今ほどでは無いが、現実として皆が認識する程度には現れていた。だが一際奏国への出現率が他の三国と比べて多かったようだ、今ほど兵も悪魔退治や討伐に慣れず、人々は今後悪魔が増えることを危惧しながらも日々を足掻いていた。
だがそんな折、ふいに狼の悪魔が現れた。それに関しては全くの偶然なのか、訪れるべくして訪れたかは定かでは無い。
その狼の悪魔は、人を襲う悪魔を喰らうも何故か人を襲うことはなかった。
そんなこともあるのかと人々が稀な奇跡だと思っていた。
しかし、その奇跡は奏国に居座りその後も襲い来る悪魔から人々を守り続けた。
常に奏国の丘の上、今やこの王城が建っているここだ。自然が豊かに実り、花々も色とりどりに咲き誇る美しい場所だったここに腰を下ろし風を浴びていたことから「美しいこの場所が気に入ったのだろう」と人々は自ら達を守るその狼のために、そこを懸命に手入れしていたということだ。」
「…それって」
「公国のものには耳馴染みがあるだろう、「金色の狼」という御伽噺としてな。」
「そういえば、以前友人がそれは本来奏国の御伽噺だったって言ってたな」
「話を戻すぞ、なぜ狼が奏国を守っていたのかは未だに定かでは無いがその栄光は長くは続かなかった。
狼の悪魔がいるために他の悪魔が奏国には寄り付かなくなった。人々としては喜ばしいことだが、徐々にその悪魔は弱り始めていったのだ。
どうやら、悪魔は他の悪魔を倒して魔力を得なければ肉体を保てないのだと人々は気付いた。
だからといって他の悪魔を招く訳にも行かずも日々弱っていく狼を惜しみ人々はある答えに達した。
悪魔の形でダメならば人に宿ればよい、と。しかし、当初はその提案が気に入らないのか、そもそもがそういう問題でないのか。人に宿ることはなかった。
いよいよ花畑に伏しこれまでかと思われた狼へ、当時の王は最大の労いと感謝を込め花の首飾りを自ら作りその狼の首へとかけた。
すると、その狼は淡い光となり散るように周りを囲み惜しんでいた人々の中へと染み込むように入っていった。
そこからが「語り手」の始まりだ。
光を浴びた人々は髪色が金色となり、それは子へと遺伝するようになった。
そして、金色に染まった中からただ一人がフェンリルという強大な魔力を継ぐこととなった。
その選ばれ方は王による選別
金色の髪を持つものを前提とし、前任者が40になるとき、次の継手を王が選び未来へ繋いでいく
その体制が習慣化していった。
何代も何代も、王が代わり
次の王になってもその選別という悪習を王族は手放さずにいた
フェンリルという力を持つことを他国には秘匿としながらな。
だが、フェンリルは本当はそんな王の選別などどうでもよかったのだ。」
「え?でもフェンリルは王の選別通りに語り手に宿り続けたんだろ?」
「ああ、継ぐ時には姿を表し語り手の中に入っていく。しかし、それだけだ。
語り手の長い歴史において、そのフェンリルの力を扱えたものはただの一人もいなかった。」
「いなかった?」
「ああ、フェンリルには選別の結果などどうでもいいと言っただろう。名残か恩義か、そういうものが悪魔にあるかは知らんが、儀礼として淡々とこなしていただけということだったのだろう。
しかし、ある日例外が起こった。
本来40になったものが次の15の女子へとフェンリルを託す。つまり25年間は一人の語り手の中で眠る、それは何年も変わることのなかったルーティンだが、それがただの一度狂った。
継いだばかり、フェンリルを継いでほんの数日経ったばかりの少女からフェンリルが飛び出し選別の対象ですらなかった少女に宿ったのだ。しかも、その際はこれ以上ないほどに眩く輝きながらな。」
「そんなこともあるってことじゃないのか?」
「ただの一度きりだったからな。それもそれを機にフェンリルを継ぐという語り手の存在は歴史から消えることとなる。」
「それが30年ほど前のことだ。貴公が探しているのがフェンリルならば、この名に聞き覚えはあるのではないか?
フェンリルに選ばれ、語り手という存在を終わらせたのは
アリシアス・リードウェイという女性だ」
「っ…、ああ、よく知ってる…」
つまりが最後の語り手
ミザリーの母であり、ベイカーにとっても母親のように接してくれた機械技術の師匠
大恩人である
「一つ言っておくが、私はそれに関しては何も思っていない。フェンリルがそもそもの奏国のものであると主張すると思っただろう?残念ながら、私にはなんの興味もない。
だが、語り手というものを選別し続けた王政には反吐が出る。頂に立つ者が傲慢かつ得意げにそんな行為をし続けたかと思うとこの玉座に座ることさえ嫌悪感が沸く。
病に伏した我が父にさえ。例外なくな。」
顔を顰めながら、自らの玉座を見下ろす
ベイカーが気になっている点と、恐らくそのナルスダリアが抱く嫌悪感
「選別」という言葉
「…ああ、長々と話してしまったな。この昔話が今フェンリルを宿した貴公の幼なじみを拐った者とどう結びつくのか?要点はそこだ。」
「選別っていうのはわかった。もしかして…選ばれなかった人達が関係あるのか?」
「察しがいいな。その通りだ、本来ならば奏国の守り神たるフェンリルを宿すということはこの上ない役目だ、神秘的な存在として国からも真綿のように扱われ何不自由ない生活を送れる。
しかし、語り手という存在が確立されたころある弊害にも人々は気付いた。
金色の髪を持つものは多少なりとも魔力を帯びているということだ
それがフェンリルを受け入れるために必要なことだともな。」
「魔力を帯びることが弊害…?」
「厳密には違う、魔力を帯びることによって個人差はあれどどうやら悪魔を引き付けているんじゃないかと、危ぶむものがあってな。真偽か定かではないうちに悪魔に対して敏感だったものたちは語り手のうち選ばれなかったもの達を敬遠し…いや、言葉を選ばずに言うとフェンリルに選ばれもしないが悪魔を引きつけるものとして迫害し始めた。」
「それじゃ魔女狩り…行き着く思想は違ってもやってることは同じだ」
「全くだ、それによっていよいよ王の選別というものに対して全ての国民が注目し始めた。挙句その選別に選ばれなかったもの達は王都を追われ、人里離れた場所にて人にも悪魔にも隠れて過ごす不遇な人生を過ごす羽目に…そしてそれには王政は知らぬ存ぜぬだ、フェンリルを宿せぬ者には施しさえなかった。」
「だとすると…フェンリルは…恨まれている存在だったのか?」
「一部ではそう歪曲して受け取るものもあるかもしれんが基本的にフェンリルは神格化されている。
現にこのバリオール奏国ではフェンリルを所持している間特筆すべき沙汰もなかった。
フェンリルが継承という方法を取ったことが結果としてそういう弊害に繋がっただけだ。
選別というていを王政が取ったせいで人が…勝手にフェンリルに選ばれようと魔力を帯びるという進化をしたのさ。
その証拠に魔力を帯びたとされるものは皆が金髪、自らがフェンリルを継ぐためにリスクを背負ったということとも言える」
「…かもしれない。」
ベイカーは些細な気遣いを感じた
フェンリルを宿す幼なじみという存在を追ってきたベイカーに対して
〈フェンリルは悪だから拐われた訳では無い、その幼なじみに罪がある訳では無い〉
と暗に宥められている感覚を覚えた
王の器というものとして申し分ない
その人物が王ということに対して全くの違和感を感じない理由に触れた気がした
「しかしだ。それでも奪われたのがフェンリルだというならば、そこに関係するのは話に出た選ばれざる者達、その関係者、末裔、彼らを避けて考えるのは逆に不自然だ。
私は先代の、つまり父らの尻拭いという訳では無いが、彼らの足取りを追い生活の補填をしようと動き続けている。
もちろん、彼らにとってそれが今更だと頑として拒むものも多く門前払いも常だ。
そして、その中に一団を形成し闇の中で行動を起こしているものがある。」
「一団…?犯人は団体ってことか…?」
「仮にそれらが奪ったとすると、そうなる。しかし、明確な目的も意図も精細には分からないという状況ではあるが、ここひと月ほどで動きが増えてきていたということを鑑みるに…あくまで可能性としてだ。」
「雲を掴むような話でも今はそれしかないんだ。それで、どんな一団なんだ?」
「選別に選ばれざる者達、人数や目的は不明だが、彼らは自らを【イグリゴリ】と名乗っている。闇を忍ぶにはお馴染みの、黒い出で立ちで統一されているぐらいのヒントしかない。まぁもちろんそんな如何にも格好をしていない者たちもいるだろうから当てにはできんな。」
「イグリゴリ…一先ずは、そいつらを探すしかないか。手助けは…期待していいのか?」
「ああ、フェンリルに興味こそないがイグリゴリも現王政が償いをすべき立場の者たちだ。追えているかはともかく、足取りは常に追っているし…それら全ての情報はルベリオ坊やへの借りとして貴公に喜んで提供しよう。
もし、なにかイグリゴリが企んでいるのならばそれも奏国の業として背負わなければならないしな」
「(なんか苦労かけるかもしんないけど、ごめんなラビ…)」
「イグリゴリと思わしき団員はこのニブルヘイズでも確認されている。簡単には行かぬだろうが、それを辿るか。はたまた…北部の話を知っているか?」
「ああ、なにか訳ありってことぐらいは…」
そういえばと、つい昨日メルファからその話を聞いたことを思い出した
「さきほど話した、いわれない迫害を受け王都を追われた者たちが集まったのが北部の村や、集落だ。それら一郡をまとめてメテオライと呼ばれている」
「ってことは、イグリゴリの本拠地はその一郡の中にあるって見ていのか?」
「ああ、そう見てもいいだろう。しかし、北部は険しい道のりというだけでなく悪魔の出没が盛んでな。思うように調査が進んでいないというのも現状だ、あくまで予測の範疇としておいた方がいい」
「だったら、まずは王都内で手がかりを探すか。そんな道のりなら、準備もある程度は必要なだろうしまだ王都に留まってる可能性は十分にある。」
ベイカーはすっと立ち上がった
「なにかあれば王都の至る所に兵士がいる。それに言伝を、可能な限り手助けをしよう。」
「分かった。感謝する」
ベイカーはサッと振り返ると階段を降り、促されるまま城の外へ出た
そこには先程の兵士、ヴィンセントが立っていた
「お話は終わったようですね」
「ああ、色々と教えてもらった。あんたは、ナルスダリア王の片腕みたいなもんか?随分信頼されてる立場に見えるけど」
「ええ、まさしく…片腕です。それなりに付き合いも長いので他の兵士と比べれば近しいものだと自負しております。」
「そっか、あの人のなんていうかカリスマ性みたいなものを思えば人徳も広そうだ…っていけね、メルファは?何処にいるんだ?」
ベイカーが問うと、ヴィンセントは首を傾げる
「まさか連れていかれるのですか?」
「ああ、まだ仕事の最中なもんでね。連れてきてくれないか?」
「…それならば直ちに、少々お待ち下さい。」
思わしげな反応を取ったヴィンセントは再び王城の中へと入っていく
残されたベイカーは城門のそばの壁にもたれると目を閉じナルスダリアの話を頭の中で反芻する
「(選ばれざる者の一団、イグリゴリ…フェンリルに因縁めいたものを持ってる?でも迫害への恨みってものがフェンリルを奪うことに繋がるのか…?どっちにしろ…そんな話はミザには関係ないんだ…)」
〈ザッ〉
足音が耳に入る
メルファが来たのだと、ベイカーは目を開き足音へと顔を向けた
「いよっ、お待たせ」
「待たせたのは…っ!」
ベイカーは目を見開いた
目の前に立つメルファの腕、腹など見える箇所にいくつもの痣や傷ができている
顔にまでもだ
口の端は切れ、片目は瞼が腫れるほどの傷
殴られでもしなければそんな怪我は有り得ない
痛々しくも無理して笑うメルファの後ろにはヴィンセントが無表情で立っている
ベイカーは燃えるような熱が一気にこみあがってくるのを感じた
「なんの…つもりだ!!」
肩に掲げた剣の柄を握るとベイカーはヴィンセントへと踏み出した
しかし
「待て待てベイカー、良いからっ…」
なぜかそれを止めたのはメルファだった
「なんで止めるんだよ…そんな目に…」
ベイカーを押し止めながらメルファが顔を横に振る
痛ましい微笑みを前にベイカーは、歯を食いしばりながらも剣から手を離した
「なんのつもりだ、とは不思議な質問ですね。その娘は「盗賊」なのでしょう?そういう報告を受けている以上、然るべき処置を取るのは当然なことでは?」
ヴィンセントが淡々と語る
まるで火に油を注ぐような口ぶりにベイカーは再び眉間に皺を寄せた
「女の子だぞ…ここまでする必要あるのかよ!」
「ベイカー、いい!いいから行こうぜ、アタシ腹減っちゃったよ、なっ?」
「っ…わかった。…大丈夫か?」
「あたぼうよ、この飯代も経費だよなっ?」
メルファがベイカーの背を押す
当のメルファに言われればベイカーもここは溜飲を下げる他ない
2人は揃って王城を後にした
そしてその十数分後
すっかり夜の風情へと変わった王都の町並みの中、幾つかの飯屋が並ぶ通りの中
その中の一軒に二人は腰を落ち着けていた
「いつまで怒ってんだよベイカー?」
並んだ食事を前にしても渋い顔が治まらないベイカーをメルファがなだめる
やはり口の中が切れているのだろう
隠そうとはしていてもスープやパンを食べるたびに僅かに痛む素振りが見られる
それを見るたびにベイカーはいらつきを募らせていた
「だからあの連中はあれが仕事なんだって。あたしは盗賊、あいつらは軍人、悪いやつをこらしめるのは当たり前だろ?」
「だからって…メルファはなんで受け入れてんだよ。女の子が顔を傷だらけにされるなんて…くそっ」
食事前にできる限りの処置はしたが腫れはそう簡単に引いたりはしない
痣が赤黒くなってくると、より一層痛々しさが増してくる
「受け入れるってか…まぁ実際仕方ねぇよ、ベイカーがアタシを連れてくって言ってなきゃあのままボコられ続けた挙句檻の中だったろうし…それを思えばこれで済んだんだから上等だよ」
「慣れてる…のか?」
「悲しいことにな、でも最近はドジってなかったから綺麗な顔でいれてたんだけどなぁー。久々だよ、こんな腫れちゃったの」
女が一人で盗賊業をすることの過酷さ
ベイカーはそれに対する理解が浅かったと痛感した
恐らくメルファは想像よりも痛ましい思いを長い間一人で耐え続けていたのだろう
「…あっ!でも誤解はすんなよ!ぼこられはしてるけど身体は綺麗だからな!」
「へ?」
「そりゃ悩ましい身体してるからそういう危険な目に遭いそうになったこともあるけどさ、そういうときはナイフを自分の首に当てたり、舌噛む素振り見せてやんのさ。死体とよろしくしたきゃ止めはしないけどなって…そしたら勝手に白けてくれるからな」
なにやら得意げに言ってはいるが
それでも怖い目にあっているのは事実である
「なんでそんな目にあってまで盗賊続けてるんだ?もっとなにかあるだろ…メルファなら人当たりも良いし…」
「え?もしかして褒めてる?」
「それなりにな、正直盗賊だって言われ続けてても未だにピンときてないんだ。」
「来いよ、ピンと…自信なくしちゃうだろ」
「なんだよ盗賊の自信って…まぁスリの器用さは褒めれたもんじゃないけど、手先は器用ってことだしな」
「なんつうかなぁ…嫌われてたいんだよな、アタシは…だから人のものを奪う、横取る、かすめ取る、そんな生き方しか選べなかった…のかもな」
「…嫌われてたい…なんでだよ?」
「ぁあ!もうやめやめ!そんなことよりだ、なにか成果はあったのか?女帝さんと話できたんだろ?」
「まだ可能性の話だけどな。とりあえず食事終わらせて宿に行こう」
ベイカーが促すと、メルファは慌てて残った料理に手を伸ばす
イグリゴリ、という一団が何処に潜んでいるのかも分からない
人目に着く場所では迂闊にはなすべきではないとベイカーは考えた
幸いすぐに宿を見つけることもできた
なかなかしっかりした作りの比較的新しい宿で部屋へ通されると、周りの部屋も宿泊客はいるはずだがさほど音は聞こえてこない
二人は荷物をテーブルや壁際にまとめると
ベイカーは椅子に、メルファはベッドに腰を下ろした
「それでなにが分かったんだ?」
「敵の目星がついたんだ、イグリゴリって一団の可能性がある。拐った理由まではまだ分からないけどな」
「なに?…イグリ…ゴリ?なんだそれ?どういう連中?」
「奏国のしきたりっていうか伝承っていうか、「語り手」って呼ばれる人達知ってるか?」
「…ああ、ちらっとはな」
「その関係者が集まってできた一団らしい、そういう一団があるって奏国も把握しているけど目的とかはまだ分からないって話らしい」
「それがベイカーの幼なじみをねぇ…まぁでもベイカーの中ではなにか繋がりがあるってていでそいつらが犯人って踏んでるんだろ?」
詳細を聞きはしないのは気遣いだろうか、痛む身体に時折顔をしかめながらベッドにメルファは倒れ込んだ
「じゃぁ次の仕事は王都内でそいつらを探すってんだろ?」
「ああ、それも向こうにはできるだけ勘づかれたくない。難しいかもしんないけど手伝ってくれるか?」
「任せとけって!契約はまだ生きてんだからなっ」
なんとも頼もしい返事にベイカーは少し安堵した
言わば初めて来た奏国での唯一の協力者
歳が近いというのもあるかもしれないし、ベイカーがお人好しというのも大いにある
それでもベイカーはメルファに対して信頼というものを感じていると思った
「なぁ、事が終わったら公国に来ないか?ラビに、いや国王になにか仕事のツテがないか頼んでみるよ。皆とも気が合うと思うし、そしたらもう盗賊なんて危険なことしなくても…」
ベイカーが言葉を切ったのは、耳に寝息が聞こえてきたからだ
「寝つきがいいな…おやすみ。」
ベイカーも明日に備えるため椅子に身体を預け、瞳を閉じた