濾過
遡ること3年前
ルグリッド公国 王都ソーデラル 王城
ミザリー、ベイカー、リーダによるドライセン護国への調査
そしてそこから連なるルースルーの事件の終末から数日が過ぎた日の出来事
昼下がりをミザリーとベイカーは揃って歩いていた
リーダ・バーンスタインは負った重傷を癒すため医務室でしばらくの休息を厳守とされ
若き国王であるルベリオは右腕であるイグダーツと共に今回の事件についてドライセン護国との会合を打診するなど公務に追われていた
そんな中、もちろん公務がある訳ではなく国の重職であるはずもない、多少の怪我はあれど安静が必要とされてもいないミザリーとベイカーはただただ暇を持て余していた
王都は田舎の出である2人にとっては華美かつ広大、とは言ってもここ数日散歩に明け暮れる。そんな日が続けば飽きはくる
ようやく散歩に飽きた2人は日向が心地いいテラスのような場所に落ち着くと
ベイカーはいそいそと荷物から折れた剣を取り出し修復への思計画を練り始めた
『あんたそれ…どうなの?直せるもんなの?』
「元通りにするわけじゃないよ、僕の好みに改修するって感じかな」
『そう、またファンキーなもん作るんでしょね』
穏やかな時間、何に追われるでもなくただ時間が過ぎていくひと時
そんな時である。ミザリーがベイカーに話があると切り出したのは
『ビー、私しばらく眠りにつこうと思うの』
「へ?…眠いの?」
ミザリーの発言を至極ストレートに受け止めたベイカーは軽く返していたが
『そういうんじゃないわよバカ…母さんがなんとなく雰囲気っての?そういうので教えてくれてんだけど多分濾過しきれてないのよ』
濾過、という単語で聡いベイカーは
すぐにそれがミザリーにとってどういう意味を持つかを察していた
「そうか…〈魔女の檻〉の魔力も濾過しきれてないのに〈ナベリウス〉の魔力まで今ミザの中にあるから」
ミザリーは倒した悪魔の魔力を自身の魔力とする、というよりはそれが悪魔の習性並びに生存競争を勝ち生きるための本能のようなものらしいということだ
ミザリーの魔力たる〈フェンリル〉もその例に漏れず〈魔女の檻〉と〈ナベリウス〉という2体の強大な悪魔を倒し、その魔力を得ていた
しかし、いかに悪魔の魂で生きてはいてもあくまでミザリーは「人」である
母であるアリスと同一であるフェンリルこそ無害に受け入れることは出来ても他の2体はそうはいかない
ましてや、両者とも筆舌に難いほどの悪意を秘めた悪魔、その魔力
完全に自分のものとするには濾過という行為が必要だということらしい
それをしないままでは強大な悪意に満ちた魔力と共に日々を過ごすという、何が起こるか分からないリスクを伴うことになる
それを母アリスが訴えかけているということらしい
「言っていることはわかるけどさ、ミザが寝るっていうかまぁ冬眠みたいなことしようってんだろ?そこまでしなくちゃいけ…いや、そうか」
ふと、思い当たるようにベイカーが顎に手をやり考え込む
「つまり、ミザが生きているっていう状態で〈悪意に満ちた魔力〉を持っていることが危険だってことだ。アリス先生が濾過しきれてない魔力がどうミザに影響を及ぼすか解らない。ましてや、とんでもない悪魔を立て続けに倒してんだからもっともだ」
『なんか自動的に理解してくれてて助かるわ、私もぼんやりとしか分かってないから』
「だから、ミザの電源を落としたような状態を作ってその隙にアリス先生が〈魔女の檻〉と〈ナベリウス〉の魔力を濾過しようってことか…」
『そゆこと』
「ホントに分かってんのかよ…でもそれってどんだけ寝る必要があるんだい?」
『具体的には言えないってか分かんないけど…3年ってとこらしいわ。今の私の魔力より、魔女とかナベリウスの魔力の割合が多い状態から脱するまで行けば安心できるとさ』
「3年か…さすがに長いなぁ。3年っていや、君が一度死んで目覚めるまでにかかったのも…あれは2年と半年ぐらいだからそれより長いのか」
昔を思い出したのかベイカーは力なく空を見上げた
『何?寂しいって?』
ミザリーがからかうように笑いながら腕組みし、同じく空を見上げる
「なんだよそれ?子供じゃないんだぜ?」
一瞬の沈黙
ベイカーは頭の中に断片的にあった思考をまとめ一つ息を吐くと立ち上がった
「わかった!じゃぁ3年後だな!3年後には僕はミザの後ろで見てるだけじゃない、ミザを守れるように強くなる…だから安心してゆっくり寝なよ」
ベイカーは笑ってミザリーに振り向くと
ミザリーは目を見開いてベイカーを見ていた
驚いたような、不思議な顔をしている
「約束だ」
ベイカーはミザリーへと拳を突き出した
ポカンとしていたミザリーだったが、すぐにふっと笑うとその拳に自らの拳を突き出し当てた
『面白いこというわね、ビー』
「なんだよ、できないって思ってる?」
ミザリーはぐっと力を込めるとベイカーの拳を思い切り押し返した
「わっ」
少し押し返され驚くベイカーにミザリーは言った
『いーや?アンタだって良く言うでしょ?私が願えばなんだって出来るんだって』
「うん?まぁね…」
『同じよ、私はアンタがやろうとする事だったら出来ないなんて思わない』
「ミザ…」
『アンタがやるって決めたことなら必ずやれる。ま、どうやって強くなるかはお楽しみってことにしとく。でもって起こすのはアンタに任すわ』
「僕でいいのかよ?てかどうやって起こすんだ?」
『起きろって言やぁ、起きるわよ。第一アンタが起こさないと、他の誰かの声で起きたりしてそんときビーがまだ強くなってなかったりしたら目も当てられないでしょ』
「ああ、それはそうだ。…じゃぁ任された。ラビやリーダにも話すんだろ?2人とも寂しがるだろうなぁ」
『その点はちゃんと考えてるわよ。』
「どういう?」
ミザリーは握った拳の親指を立てて、背後の王城に向かってクイックイッと指し示す
『ここで寝るわ』
と
そしてその数週間後
ミザリーはベイカーやルベリオ、リーダに見守られながら
王城の礼拝堂の一室を最重要機密事項とし、国王ルベリオとリーダ・バーンスタイン以外の入室を禁じ
言い方を選ばなければ
棺桶のような頑丈且つ華美な木箱の中、背もたれの緩やかな椅子に収まりながら静かに瞳を閉じ
『じゃぁ起こす時は頼んだわよ…』
ベイカー達にそう告げると、返事を待たずにミザリーは長い眠りについた
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そして再び現在
ベイカーは息切れも構わず走り続け
一区内、王城前へと戻ってきていた
「はぁっ…状況は…」
辺りを見回すと護警団など軍人が周りを警戒している動きはあれど悪魔の姿は見えず騒ぎの沈静化を見てとることができていた
「(タイミングが…やっぱりおかしい。ミザはを奪った馬車はもうソーデラルを出たってことか)」
歩を弛めていたベイカーは再び駆け出すと王城の門の前に、リーダ・バーンスタインを見つけた
ほぼ同時にリーダもベイカーに気づいてこちらに駆け寄ってきた
ベイカーが単身なことに、失意の表情が一瞬見てとれたがすぐにその表情は次の行動への意思を浮かべていた
「ベイカー!…ごめんなさい。私が付いていれば」
「責めてやしないよ、俺だって馬車を止められなかった…それより何があったんだ?ラビは?」
ベイカーの質問に、リーダは王城内へと促しながら早足で歩き出した
「突然の悪魔の襲撃の報告を受けたのは1時間ほど前、それだけなら今までもなかった訳じゃない。珍しいことでもなかった…護警団や兵士達には有事の際の立ち回りを徹底させていたし、警備も不足ない。でも今回の件は、今思えばどこかおかしなことばかりだった」
「確かに、王都内で兵士をよく見かけたし人的被害も出ていないみたいだったけどおかしなことって?」
「数が多いのよ、たまたま示し合わせてる訳でもあるまいに同一のタイミング。それらが街を散見して回っていた殿下へと集中していたの。」
「ラビは!?平気なのか?」
「無事よ、私が常にお側にあったし怪我一つしてない。でも、だからこそミザリーを奪われてしまった」
「そうか…ラビが王城に居たなら勿論リーダも王城にいる。その状況だとミザを攫うのも困難だって分かってて、ラビが街に出ている時に襲撃したのか?」
「…結果を見ればそうとしか思えない。」
リーダの言葉の一つ一つが悔しさを帯びているのを感じる
リーダにとっては妹であり、唯一の家族
それを奪われてしまった気持ちはベイカーにも痛いほどわかる
「…殿下もひどく心配されている。あなたが顔を見せるだけでも、きっと気を持ち直してくださると思うわ」
こくりと、ベイカーが頷く
血の繋がりこそないが、ミザリー、リーダ、ルベリオは姉弟の関係性でありお互いに信頼関係も厚い
だからこそ心配の念がとても強いのはベイカーが一番良くわかる
そして2人は数分後王室まで辿り着くと、ノックののち中に流れ込んだ
荘厳な一室の奥、椅子にかけていたルベリオが立ち上がっていた
「べ…ベイカー!戻ってたんですね!」
お互いに早足で駆け寄ると固い握手を交わした
もう15歳になるルベリオの背は伸び始め、顔つきも男子三日会わざるば刮目して見よという訳では無いが、幼さが抜け始め凛々しくなり始めているようだった
「さっき、戻ってきたとこだよ。…悪い、ミザを拐った馬車を取り逃しちまった」
「いえ、機密事項であるために城の警備を手薄にしていた…僕の責任です」
やはり気落ちしているのは目に見えている
責任感の強さがその表情の憂いから良く見て取れた
「殿下の責任ではありません。ミザリーの『私の警備なんていらないから、少しでも国の人を守って』と、その言葉を受けての配置です。ベイカーが殿下を責めることもありません…でしょう?」
リーダがチラとベイカーに視線を向ける
「ああ、それこそ俺がミザにどやされるんだ。それよりあの馬車の行方は…追えてるのか?」
ルベリオはベイカーの帰還で少し気持ちに力を入れ直せたようで、その目にはしっかり光が灯っている
「はい!ロワールが行方を追ってくれています。」
ロワールとは、ルグリッド公国の先王ハーディン・ウェイヤードを人知れず守っていた大鷲の悪魔である
ハーディン亡き今、その息子ルベリオを守るため側に居てくれているものだ
「でもロワールは並の悪魔にこそ遅れを取りはしませんが、特別戦闘に強いわけではありません。あの馬車の拠点を探り当てることに尽力してもらって、その後は」
「私が乗り込んで、ミザリーを奪い返す。そのつもりでいた矢先あなたが戻ってきたという所よ。」
「そうか…でも悪いけどリーダ」
「役目を譲れというのでしょう?分かってる…それに見ただけで分かるわ。」
チラと再度ベイカーに視線をやるリーダ
「相当鍛えこまれて来たようだし、それはあなたの役目だってことも理解してる。だから…」
「ああ、ミザは俺が連れ帰る。ミザを攫うためにこの騒動が起きたと仮定しても、どちみち状況が不鮮明だ。リーダをラビの警護から離す訳には行かない」
「ミザリーは…大丈夫でしょうか?そもそもなんで…ミザリーを?」
ルベリオが曇った顔で頭を抑えた
確かにその疑問はベイカーやリーダもそれぞれ考え込んではいたが未だに答えは浮かばない
「考えられる可能性としては、「公国先王の血を引いている」とか「フェンリルを宿している」とかそれがどちらでもミザにとっちゃ良いもんじゃない」
「…どちらも知っているものはそう多くないはずですが。とにかくミザリーが無事で居てくれれば」
とかく心配が尽きないルベリオ
「それは大丈夫なはず。ミザが眠っているって言ってもフェンリル、アリス先生の意思がある。ミザになにか危害が加わるようなことがあれば防御行動をとってくれると思う」
安心させるつもりで自分の憶測を伝えたが、この憶測は恐らく当たってはいるとミザリーとアリスの母娘の絆を知るベイカーは確信を持っていた
「だからと言ってのんびりする気は…っ!」
〈ギィィィーッ!〉
突如鳥の叫び声のようなものが聞こえたと3人が窓に目をやった瞬間
〈バンッ!!〉
と窓に何かがぶつかった
「これは…ロワール!?」
窓にぶつかりそのまま、落下し始めた黒い影に気付き
ベイカーは駆け、窓を押し開けると
手を伸ばし間一髪ロワールの身体を抱えあげた
「大丈夫か!?ロワールッ…」
ベイカーが王室に引き上げた黒い鷲に声をかける
その身体には夥しい傷が、滲む血が痛々しく羽毛を赤く汚していた
〈ギィィ…〉
ロワールはゆっくりと瞳をベイカーに向けると、しっかりと目を合わせた
「…っ!?」
ロワールと目が合った瞬間
ベイカーの脳に風景が一枚の大きな絵のように広がった
それはベイカーにも見た覚えのある道筋だった
「…ここまで追ってくれたのか…?…ありがとうな、ロワール」
傷ついた身体を撫で、ベイカーはルベリオに視線を向けた
「ラビ、ロワールを休ませて…治療を」
「私がやるわ、魔力を分け与えれば大事ないはず」
リーダがベイカーからロワールを受け取る
ルベリオは急いで布を椅子に敷き、そこでの治療を促すと、心配そうな視線を己の従者に向けた
「ロワール…よく頑張ってくれましたね…」
労うように、自身の手が血に汚れることも厭わずその身体に手を当てた
「ああ、本当によくやってくれたよ。さっき、ロワールが俺に見たことのある風景を見せてくれた。」
「それって…?」
「あれは南にある港町 サウス・リームへの道筋だ。」
ロワールの身体に包帯を巻きながらリーダが何かに気づく
「サウス・リーム…もしかして…」
「なにかあるのか?」
「ええ、普段は公国中至る場所への定期便や荷物を積んだ貨物船が出港している。常ならば、そこから何処へ行ったのかは目撃証言などから行先の選択肢を割り当てる必要がある。でも、今日という日に意味があるのならば…今日は数ヶ月に一度、何隻かの貨物船が貿易のためにある国へと向かうの」
「ミザを他国へ連れ出そうってのか?…それで?どこへ向かうんだ?」
「アリスの故郷…〈バリオール奏国〉よ」
「なっ…?」
バリオール奏国の名にベイカーは険しい表情を見せた
それはリーダと同一の懸念
ミザリーの母であるアリス、アリシアス・リードウェイは公国の出自ではなくそのバリオール奏国から公国に流れ着いたものであり
語り手と呼ばれる、代々「フェンリル」を受け継いできたとされるルーツがある人物だった
だがアリスはそのフェンリルを身に宿したまま奏国を離れ公国に居を構えた
強大な悪魔の力を代々受け継いできたとなれば、その背景には大きなものが絡んでいることは想像に易い
それをもって今回の一件、ミザリーを狙った者がバリオール奏国へ向かった
もとい、〈戻った〉のだと推測すれば、やはりミザリーの中のフェンリルが目的だと仮定せざるを得ない
「もう見失って1時間以上経つ、敵が時間経過を考慮しての作戦を立てているのであればサウス・リームからバリオール奏国への船が出立するのに大きな時間の空きはない。バリオール奏国へ行く船便は!?何便あるんだ?」
リーダが懐から手帳を取り出すと手早くページを捲る
「…あった。サウス・リームからバリオール奏国はの船便は今日を逃せば2ヶ月以上は予定にない。今日は数時間おきに三便、敵が馬車で向かったなら二便…もう出てしまうしそれには間に合わない。最終は…2時間後よ!」
「二時間!?そんなの馬でも間に合わない…」
ルベリオが慌て思索を巡らす
「伝達して出立を遅らせて…だめだ、そもそも伝達も間に合わない。新たに一便出すにしても奏国との交易船だから、割り当ててない船の着港は認められないし。時間が…」
「我々の奪還に対しても対策を取っていると見ても良いでしょう…とにかくベイカー!」
「分かってる、馬貸してくれ。悪いけどちょっと無茶させてしまう…」
それでも間に合うかは、限りなく低い可能性
だが動かない訳にはいかないという焦りのベイカーの耳に
〈ギィ…〉
とか細い声が届いた
振り向けば寝かせていたロワールが起き上がりこちらを見つめていた
「ロワール…?」
ゆらり、ゆらりと揺らめく火のように
正しくはふらつきながらロワールは窓際へと歩を進めた
「どうしたんだよ…休んでないと…」
ベイカーが次いで窓際へと向かうと、ロワールは窓から外へ
そして、黒いもやを放つと巨大な黒い鷲へと変貌する
それが元のサイズではあるが、先程までのサイズからすると痛々しい傷がより顕著に目に見えた
「…大丈夫なのか?」
ロワールの挙動はベイカーの胸を熱くさせた
痛む身体を堪えながらの変貌が意味するものは一つ
問いかけに静かに頷くロワールへと
「…頼む!」
とベイカーは声を掛けると窓際へと脚をかける
「ベイカー!ミザリーをお願いっ!…殿下は私が必ず!」
リーダがその後ろ姿へ願う
「待って下さい、ベイカー…これをっ!」
次いでルベリオが小さな革の袋をベイカーへと投げる
それを受け取ると見た目の割の重さや感触から中に貨幣が入っているようだ
「差し当っての路銀です、それに僕の名入りの書面が入っています。それがあれば多少は融通の聞く面もあると思うので」
恐らくルベリオもミザリーを奪った人物が公国外へ逃走、もとい他国の者である可能性を考慮していたのだろう
後を追うベイカーが可能な限り妨害に合わないようの配慮を準備してくれていたのだ
「ああ、助かる。港まで送って貰ったらロワールを…戻る体力が残ってないかもしれない。なんとか救護してやってくれ」
「勿論です。こちらのことは僕達に任せて下さい」
力強く頷くベイカー
〈ザッ〉
窓際を蹴り、ロワールの背に飛び乗ると
「頼む…ロワール!」
〈ギアァーー!!〉
ベイカーの言葉にロワールは叫びで応えると翼を広げ、飛び立つ
〈バサッバサッ〉
力強い羽ばたきはダメージを感じさせないが
それでも普段からを見ると精彩を欠く
それでも、ロワールは先代国王ハーディン・ウェイヤードから使命を越えた信頼をもって仕えていた悪魔
そのハーディンの血を引くミザリーの危機に再度奮い立ったと思うと
ベイカーは決意を口に出さずにいられない
「俺が必ず…奪り還す!」