promise A
朝陽が差し始める
本来ならばこの場所でそんな当たり前のことを当たり前に感じるようなことは無い
悪魔の住処となったことで奏国の軍でさえも容易に手を出すことがかなわない
最北の古城群 メテオライ
朽ちた城が幾度となく行われた改修や増築によって規模を拡大し続けた
その佇まいは、時代に捨て置かれたような印象こそ帯びているがそもそもが王城という体裁を見るものに感じさせる荘厳さが混じった
異形の城
崖際に増築された部分の危うさや、妙に華美な部分が継ぎ接ぎのように違和感を孕み
所々に徘徊する悪魔の姿を妙に際立たせる
見るものが見れば、人間界から逸脱したと感じる
もしくはそこが悪魔の住む世界、魔界だと思ってもおかしくはない
軍が手をこまねいている隙に
イグリゴリがアジトとして活用を始めてもう何年も経っているが
それでも今日ほど団員が集うことは稀有だ
理由は明快である
今日という日が、イグリゴリにとっての悲願
掲げた理想を現実とする一日になるという団長の宣言があったからだ
多くの団員は前日、早いものは数日前からメテオライに集っており
それぞれが多くを語るタイプの団員ではないにしろ、音の多さは例を見ないほど
そして
その場に早くから合流したのは副団長ジャープ・スタッグ
小一時間後には馬車と4人の団員を引き連れたイグリゴリ団長
ディエゴ・エルゲイトが姿を現した
朝陽が差し始めた空に完全な清々しさはない
向こうの空に見えた分厚い雨雲が
今日という日が快晴ではないことを示している
ほどなく空は淀み始め、ともすれば雨をもたらすだろう
そして
ディエゴ・エルゲイトが運び込んだ馬車
その中に収められた金色の髪の女性
ミザリー・リードウェイは再び夢の世界で逡巡していた
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# ミザリーサイド
フェンリルに招かれた夢の世界の中
初めてフェンリルと対話をしたミザリーはその後
最後にあることを言い残して蛍のような花火のような
散るように消えたフェンリルの幻影を見送ったあと
夢の中の自分の家を出て
再び、幼なじみの家の前にたどり着いていた
夢の中でかつての日をなぞっているようで時間経過の中での変化はあるようだが
ベイカーは先程見たままの姿
軒先の椅子に座って俯いたままだった
腿のうえに乗せた両の手の指を絡ませ
そこをじっと見つめているようで、見つめていないような朧気な視線
『…何考えてるの?』
干渉できるものではない
そうと分かってはいてもミザリーはつい口に出して訊ねてしまった
仮に答えが返ってきたところでこれは過去の光景だ
現実になんの影響もない無意味な問答でしかない
それでもベイカーのその表情の理由を見て見ぬふりしたくはなかった
自身が関係することは分かっている
いたたまれなくなって目を伏せると小さな花が咲いているのを見つけた
踏まれてはいないが茎が折れて花びらが地に伏せたようになっている
『…花も人も強いわよね、でも弱い…』
矛盾でありながらも間違ってはいない
きっとベイカーも同じ矛盾を感じている
『永遠に咲く花があったとしたらその花は…綺麗なのかな。』
限りあるものにある美しさ
いつか枯れると知っても咲く花
いつか尽きると知っても生きる命
そこに美しさを、強さを感じるとミザリーは思っていた
だがそう思ってしまえばしまうほどミザリーは
誰に打ち明けたこともなかったけれど悲しさを感じていた
なぜなら、機械の身体を悪魔の魂で動かすことで生きているミザリーは死なない
老衰という概念がない
破損はあれど怪我はない、病気もない
〈魔女の檻〉や〈ナベリウス〉を倒したことで得た魔力は、生命活動をするだけに限れば半永久的にミザリーを生かすことが可能だ
しかしリーダやルベリオは違う、ベイカーは違う
人としての一生を終える時がやがてくる
ミザリーにはそれを見送るしかできない、惜しみ、嘆くしかできない未来
それが頭の片隅に根付いていたことには気付いていた
見て見ぬふりしていた
『アンタにこんなこと言ったら笑う…や、笑わないわね、ビーは』
ミザリーはそっとベイカーの横に並ぶと地面に座り込んで横目でベイカーを見る
『私の生命の終わりは…いつなんだろ』
ポツリと呟いた後、ミザリーは頭を搔いた
らしくないことを考えてしまった気がしたのだ
一人だと良くないな、と思った
『…早く起こしてくんないかしら…』
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# メルファサイド
メテオライ 内部
外堀からこっそりと内部に侵入を果たしたメルファは耳を澄まし、目を凝らしながら注意深く歩を進めた
自分が下手を踏む訳にはいかない
ベイカーには何度も迷惑をかけた、助けても貰った
報いるためにここぞというこのタイミングでここぞと力を発揮しなくてはいけない
だからと言って気を張り詰めすぎると逆に視野が狭くなる
そんな自分の性格を把握しているメルファは脱力感、と言うよりは余裕も微かに持つようにした
決意や熱意は頭の中にだけあればいい
極端に言えば気負いすぎると良くない
「(やっぱ多少は奥の方だよな…)」
するりと極力音を立てずに、しなやかに動く
長年忍んで生きてきた経験がここでいかんなく発揮される
物陰から物陰へ
内部に入り込むのは早計だ
まずは外の通路から情報を探るつもりで行動を続ける
イグリゴリ団員の往来も隠れ、やり過ごし
ゆっくりではあるが着実に歩を進めていく
時折、団員らの報告のようなものに出くわすこともあり多少の情報も回収できた
ミザリーを連れた団長は既に到着している
副団長であるジャープも先程到着し、メテオライにはイグリゴリのほぼ全ての戦力が揃っている
そして、奏国の女王
女帝ナルスダリア・エルリオンが王都ニブルへイズを留守にしているが兵を動かしている様子はない
などと言ったものだ
後は断片的にしか聞こえない「開く」などという単語が何度か聞こえたが
団員らが無駄な会話や反芻をしないために、正確には理解できなかった
だがベイカー・アドマイルという名が幾度なく報告されているため
最も危険視されているのは理解できた
「(やっぱベイカーを先行させなくて良かった…飛び込んでたら袋叩きだったぜ)」
などと思っていたらあるものが目についた
メテオライの内部は基本的に城と同様の造りになっており、床面などは石畳である
だが老朽化によるものか悪魔の仕業かは分からないがそれがところどころ剥がれ地面が露出している
メルファが目に付いたのはそのような大きく石畳が剥がれた地面だった
「(あれって車輪の…馬車の通った跡じゃないか?)」
日の当たりづらいことが幸いしてかその跡は完全に乾ききっておらず、直近の跡だと目星を付けられる
「(この先か…よし!)」
あくまで油断はしない、焦りもしない
そこからは馬車の通れる道幅の通路を辿るように奥に進む
途中、悪魔とでくわしもしたが投石で気を逸らし事なきを得る
背後でその悪魔がイグリゴリの団員と鉢あったような戦闘音が聞こえてきた
好都合だとその戦闘音に足音を紛れさせ、多少早足で進む
既に潜入から小一時間が経つ
緊張感で体力の消費がいつもより早い
メルファは一度物陰に座り息を整えた
装備は身軽で余計なものは持ってきていない
腰に備えたナイフとベイカーから貰ったカートリッジ爆弾、そしてお守り代わりの一冊の本
メルファの母ルシア・エルゲイトの日記である
開くでもなく表紙に手を添え目を閉じる
いつもは、寂しさを感じたときに無意識に行う所作であったが今回は違った
「(勇気をくれ…今、アタシは…生きてんだ…今やっと…もう一回生きてんだ)」
ゆっくり目を開け、本を仕舞う
そして耳を一度澄ませると再び進み出した
「(慎重に…でも急がねぇと、父さんがミザリーをどうするつもりかはわかんねぇけど時間の猶予は多分そんなにねぇ。)」
メテオライにミザリーを連れてくることが重要なファクターだとするならば、到着してしまった今、時間の猶予があると考えるのは危険
そして逆に猶予がないということはミザリー付近に間違いなく動きはあるはず
それらを見逃すまいと目を凝らすのも耳を澄ますのも止めない
メルファは瞬きも惜しみながら視線を左右に揺らし続ける
そんな捜索をすること数分後
「(っ!あった!)」
大きな扉の近くに馬車の荷台が放置されている
その付近に人の気配はないが、耳を澄ませば扉の内部からいくつかの物音や内容まで捉えられないが話し声が聞こえてきた
「(だいたいの位置として見当を付ける分には、いいよな)」
メルファは懐に手を伸ばすと金属片のような物を二つ取り出す
合図としてベイカーから渡されたものである
特殊な鋼素材であるらしく、剛性が特別際立っているわけではないが同じ物をぶつけ合うことで独特な金属音を響かせる、というものらしい
それも特殊な音では無いためふとイグリゴリらの耳に入っても警戒を促すような音でもなく、かなり遠くまで響く
初めからその音を拾うつもりでいなければ気にもしないという音
「(まず一回目っと)」
〈キィーーーーーーン…〉
金属音ではあるものの、どこかこもったような丸みを感じる音
そこまでの音量こそでないが音の波は確かに遠くまで響きそうだ
「(よし、これでまずベイカーが方向に目安を付けて近づいてくる。10分後ぐらいにもっかい鳴らして、距離を詰めるってことね!)」
ひとまずの目安をつけた
正確な居場所を掴んでからに越したことはないが、時間が惜しい
次のメルファの役目は正確な居場所を突き詰める、ベイカーがここに辿り着く前に
「(任せとけって啖呵切ったんだ!きっちりやってやるからな!)」
仕事としてではない、メルファはただベイカーに報いるために再び気合いを入れ直した
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# ベイカーサイド
メテオライのすぐ間近
ベイカーは木にもたれかかったまま
腕を組み目を閉じ、耳をひたすら澄ませ数十分もの時間を身動ぎせずに待っていた
〈キィ…ン…〉
ハッとベイカーは目を開く
そしてその音の出処を、その方向を確かめる
だいたいの方角に目星をつける
聞こえてきた音の大きさからどのくらいの距離から届いてきたのかの予想もつく
「やっぱり手近なとこにはいないか…よし、行くか」
ベイカーも動き出す
身を伏せつつも素早く城の外壁に手をかけ、メルファがそうしたように滑り込む
「(この辺はまだ手薄だな…てもメルファも無茶しなきゃいいけど、急ぐか)」
ふぅと息を吐くと身を潜めつつ、陰から陰へと着実に歩を進める
「(それにしても異様な場所だ…朽ち果てた城ってことに間違いはないけど、悪魔が出るってことに関係があるのか妙な気配が立ち込めてる気がする。
こんな場所にわざわざミザを連れてきた理由…イグリゴリの目的…一体…?)」
いまだ見えてこないイグリゴリの目的
その最終局面の場として選ばれたメテオライ
ざわつく気持ちが抑えられない
「(…俺の中にあるフェンリルの欠片もザワついてる…?この場所が関係あるのか)」
昂りか、それとも別の要因か
なんにせよ今は
「(進むしかない、数分後にはメルファが合図を出してくれる。)」
それまでに
〈ギィアァッ!!〉
不意に甲高い音が響く
「っ!?」
ベイカーが空を見上げると
そこには嘴から炎を洩らしながら羽ばたく鳥型の悪魔がいた
ベイカーに気づいているというわけではなく、その視線は獲物を探しているかのように目まぐるしく動いている
スッとその悪魔の死角に入り直す
悪魔であれ接敵する訳にはいかない
しかしこの悪魔のせいでここにイグリゴリらが集結するという事態も避けたい
「(どっか飛んでいってくれよ…)」
とベイカーが祈っていると、何かを見つけたように鳥型の悪魔は羽ばたきはじめた
今いる場所より少し離れたところへと一直線に向かっている
どこへ向かうぐらいは見ておいたほうがいいと思ったベイカーは視線を走らす
丸い噴水を中心に置く、丸い形の広場のような場所
といっても水は枯れているようでなんの動きもない
見つめているうちにその鳥型の悪魔もそこを通り過ぎ、遠い空へと羽ばたいていった
「(…なんだよ、たまたまか……っ!)」
ベイカーが噴水に再び視線を向ける
その広場は石畳でできたもので、色合い的に言うと白や灰色の簡素な光景
しかし、その噴水の傍らに紺色のなにかが揺らいでいる
「(あれって…ミザの…)」
ベイカーの脳裏に過ぎったのは、ミザリーが良く羽織っていた上着
よく似た形のように、よく似た色のように見える
その実、ミザリーは眠りにつく際普段と同じ服装で眠りについていた
上着こそ着ていなかったものの、その上着もすぐ側に置かれているはずだった
「(なんであの上着がここに…近くにいるのか…)」
ベイカーは慎重に近づく
罠である可能性はもちろんあるし、それに対しての警戒は怠ってはいない
しかし、だとしても動かずにはいられなかった
辺りに人の気配は無い
程なく噴水の側にたどり着くと、その上着を手に取った
「(ミザのだ…たまたまここに捨てられただけか?それとも何かの意図を持って…)」
その時ベイカーは気づいた
静かすぎる
先程までは遠くからでも団員の歩く音や、話し声のようなものがかすかに聞こえていた
それがこの広場にたどり着いて全て無くなっている
「お前か」
静かに聞こえた声にベイカーは即座に振り向いた
通路からこちらに歩いてくる一人の男性
白い髪の毛を頭の後ろで束ね、ローブを纏っていてもその体躯の屈強さは見て取れる
足取りも力強いが、こちらち一歩一歩と近づいてくるにも関わらず音が一切ない
存在感と相反する
「言われなくてもわかるよ…アンタが…イグリゴリの団長 ディエゴ・エルゲイトだろ?」
つまり、メルファの父親でありミザリーを奪い去った張本人
「ベイカー・アドマイル、公国からわざわざご苦労な事だ。公国王からの指示か?
〈フェンリル〉を取り戻せ、と」
「ちょっと違うね、俺が取り戻したいのはフェンリルじゃない、ミザリー・リードウェイさ」
「…いらない問答だったか。」
ディエゴはやはり、音もなく携えていた槍を構える
槍と言うが、切っ先の刃の部分が異様に大きい
二枚の厚い刃を組み合わせた、銛といったほうが近いかもしれない
武器を構えると醸し出すプレッシャーのようなものが静かに、だが火のようにベイカーの身を炙る
「…聞かないのか?」
ベイカーも肩に提げた剣の柄を握る
その質問はもちろん
「メルファのことか…問題ない、ここにいるんだろう?お前がここまで守って連れてきた、そうだろう」
「…なに?」
「…メルファが生きていることを知った。無論側に連れてきたかったさ、会いたかった。だがそれをお前が阻んだ…しかしだ」
指を立てて、それをゆっくりベイカーに向ける
「お前の目的がフェンリルであり、そのためにここに向かってくる。そして若くして力を持つお前がメルファを守っている。ならば、ここで待てばいい」
そこでやっとベイカーは気づいた
ノーズヘッドからここまでのイグリゴリの追っ手の少なさはそれを意図してのことだったのだと
「…ずいぶん評価してくれてるんだな。」
「イグリゴリの団員らも並の兵卒ではない、十二分に戦闘経験を持つもの達だ。それを何度となく退けた腕前ならば問題ないと客観的に判断したまでだ。」
「そうかよ…なら、おとなしくミザを返して貰えると助かるんだけどな」
「力を評価しているのは事実だが、私に届くとは思っていない。そしてあのフェンリルは…元は我らのものだ、公国が持っていることがそもそもの誤り」
「…あんたんとこの副団長にも言ったけどな。物じゃないんだ…ミザは!」
〈バッ!!〉
剣を抜き、切っ先をディエゴに向ける
〈ギィンッ!!〉
その瞬間
ベイカーはバランスを崩した
突き出した剣に槍をぶつけられたせいだ
集中していない訳では無い、油断もしていない
それでもディエゴの一撃は虚をついたような衝撃をベイカーに与えた
「(なっ!早いっ!!)」
と思ったのも束の間
ベイカーの眼前に槍の切っ先が迫る
「(嘘だろ!!)」
回避が間に合わない、剣でいなすことも出来ない
このままでは顔面に風穴が空く
〈ジャキッ〉
並の剣士ならば
〈ドゥオン!!〉
独特な発砲音を鳴らし、ベイカーが片手で抜いた大型拳銃ジャックローズが火を吹く
こちら側の回避が不可能ならば向こうの攻撃の手を緩めればいい
ジャックローズの弾丸はディエゴの足元で小規模爆発を起こす
その爆風で僅かに、刺突の勢いが緩んだ
「このっ!!」
〈ブォンッ!!〉
と風を切りつつ剣で槍を弾こうとするが、それさえも避けられる
「初撃で決まると思ったが、思った以上だな。団員が手こずるのも理解出来る」
「アンタもな…そういえば元兵士なんだっけな。」
「昔話だ…だがまだお前は隠し持ってるものがあるだろう?」
〈ヒュッ!!〉
細い風きり音
動きが早すぎてノーモーションで繰り出されるように思うほど
だが
〈ビュッ…ヒュンッ〉
ベイカーは集中し、それらを躱す
「(それでも…!)」
〈ブンッ!!〉
迫る槍を弾こうと振るう剣は何度も空を切る
「(こいつ…場馴れしてるなんてもんじゃない…)」
剣を槍にぶつけることができない
相手の攻撃を防御する、という以外にも先程ディエゴからされたように相手のバランスを崩したり次の一撃のための予備動作となる
それをさせない、というだけのことが
ベイカーに攻撃のリズムを掴ませない
剣と銃を武器とするベイカーは、対人としては珍しい類の相手
それでもディエゴは怯むこともなく冷静に攻撃を仕掛けてくる
「(剣技じゃ分が悪いっ、かと言って銃で揺さぶるのも通じない!)」
かつてないほどの相手
悪魔相手だろうとここまで緊迫感を拭えないことはなかった
「(ならやるしかないっ!)」
チャンスは一度だろう
初見で対応するのは困難でもディエゴならばすぐに対応し始める
剣を、槍を振り合いながら
極々僅かな隙を待つ
そして
「(ここだっ!)」
〈ガキィッ!〉
取り出したイクスプロッシブカートリッジ
機構剣ダイバーエースの起爆用ガジェット
それを剣の背に装填する
その動作にディエゴは警戒をしたかもしれない
何かを行うという予備動作であることぐらいは判断しただろう
だがそれでも思考の隙をそれ以上与えてはならない
ベイカーは横向きに剣を振るいながらトリガーを引いた
〈ブワァッ!!〉
と剣の背から爆発による炎が噴き出す
爆発のその勢いに乗り、回転し
二撃目は一撃目よりも遥かに早い剣速でディエゴに迫る
〈ガギィンンッ!!〉
とうとう、剣と槍が交わる
〈ガチガチ〉と刃同士で競る音が静かな広場にかすか鳴る
「これも止めんのかよ…!」
「多少は…驚いた。面白い武器を使うな」
面白いなどという一言で終えられる威力ではない
並の悪魔なら一撃両断も可能なダイバーエースの一撃をなんなく止めた
「でもまだ終わらない…!」
ベイカーはグッと剣を押し込むと、左手を一瞬握り手から離す
無論ディエゴほどの相手に一瞬たりとも力を抜くべきではなく
その一瞬でベイカーの身体は押され始める
しかし
握り手から離した左手は、中指と親指を合わせ互いを弾くように指を鳴らす
〈パチン〉
ディエゴの知るよしもない
その動作が呼び水となる
〈バチチチチチッ!!〉
一瞬でベイカーの背に光る三つ編みが顕現する
「なんだと!!」
即座に三つ編みの先は手を象り、支えるようにダイバーエースの背を掴み
「行くぞ!」
一瞬でディエゴを押し返した
単純に手数が倍となり、そのサードアームとして現れた三つ編みの膂力は人は勿論、並の悪魔さえ相手にならない
〈ガギィンンッ〉
今度はディエゴが防戦一方となる
形勢逆転だ
ベイカーの三つ編みはミザリーのものほどのリーチはなくとも、それでも5mほどのリーチを持ち十分に役割を果たす
ベイカーの剣撃に合わせ、時にはタイミングをずらしつつ
ディエゴに向けて攻勢に躍り出る
〈ギンッ!ガギィ〉
先程よりも遥かに剣と槍がぶつかり合う音が多く響き出す
「ずいぶん目がいいんだな!」
直線的な剣撃と変則的な三つ編みの攻撃を、多角的な攻撃を繰り出しつつも有効打がない
防戦一方ではあっても、その防御に隙がない
「〈強いっ!!〉」
〈ギィンッッ!!〉
強く剣と槍をぶつけ、お互いにバックステップを踏む
静寂の中、広場に砂煙が舞う
「はぁ…はぁ…、なんだよ、息切れぐらいしてくれないか?」
ベイカーは呼吸を整えるも、ディエゴにその様子は見られない
だが隠しているだけでそれなりに疲弊はあるのか首や腕を微かに揺すった
「大したものだ、この腕前ならばメルファは間違いなく無事だろう…感謝する。」
「…何が目的なんだ?父親であるがための気持ちをメルファに持っているのはわかる。でも、アンタの目的はメルファと関係があるのか?ないのか?それが見えてこない…」
「…正直に言おう。
私はメルファを…失ったと思っていた。
〈代魔病〉を患い、私はそれを何としても治そうと…メルファを生かそうと必死に文献を漁り、方法を模索した。
だが…きっと私は…酷い顔をしていたんだろうな。メルファは負う必要のない自責の念に駆られ家を飛び出してしまった」
「…」
ベイカーは静かに語られる言葉をただ受け止めた
「私は…何を恨めばいいのかも分からなかった。妻を失い、娘さえ救えなかった私は…どう生きていけばいいのかと迷う日々が続いた。
自身が取り零したと、嘆くしかできない。
だが始まりを、悲哀の始まりを辿ったとき全ての原因がそこにあると気づいた」
「…それがフェンリルだって言いたいのか?」
「そうだ、フェンリルを継承する事を至上の幸運と宣い、あまつ政略にさえ利用する悪習。
そんなものがあるからルシアは虐げられた…メルファも代魔病に…冒された」
一度はフェンリルに選ばれたディエゴの妻でありメルファの母親ルシア・エルゲイト
一度はフェンリルを継いだことにより崇められることとなったが
フェンリルは程なくルシアから離れ、アリシアス・リードウェイを選んだ
厳密に言えばフェンリルはただ漂っていただけであり意図的に誰かを選んでいたわけではない
唯一、選んだのがアリシアス・リードウェイだ
だがそれはディエゴもベイカーも知る由もない
「それを今、フェンリルを…ミザを奪うことにのなんの意味がある!」
「フェンリルとはもはや、虐げられてきた選ばれざる者の痛ましい過去の象徴なのだ。
そして選ばれざる者達の掴み損ねた未来の種、それを今我々イグリゴリが手にすることで過去を払拭し全てをあるべき形に、いわば同一のスタートラインに戻すことが我らの目的」
「スタートライン…?なにを…しようとしてる?アンタらはそれにフェンリルを使おうとしてんのか…」
「その権利は我らにある、愚の過去、無用な選別…歪んだ王政、それらの象徴であるフェンリルに…最期に我らの役に立ってもらおうというだけだ」
「ふざけるな!フェンリルは…そんなんじゃない!
フェンリルは、ミザは!…ずっと誰かのために、自分が傷付いたって苦しんだって、誰かの為に…人の未来を守ろうと戦ってきた。
戦うことでしか守れないから…戦ってきたんだ!
その足跡には、辿って来た道にはみんなが笑ってる今がある。
それを…ミザの足跡は俺が守る!!」
〈バチチチィッ〉
三つ編みが静電気を鳴らしながら輝く
ベイカーは再び剣を握る手に力を込めディエゴへと向かう
「(こいつは必ずここで抑える!)」
「…それでも過去は拭えない、我々はな。」
〈ゾワッ…〉と
不意にベイカーの身を包んだのは悪寒
ディエゴの、他のイグリゴリらとは一線を画す圧倒的な実力に失念していた
彼も、ディエゴ・エルゲイトも〈選ばれざる者〉なのだ
つまり
〈悪魔化〉する
〈ぶわっ〉
と黒いもやが一瞬でディエゴを包むとそれらは身体の中心に吸い込まれるように、収束されるように晴れる
黒い外殻に身を包み、顔を覆う仮面のような外殻は
どこか狼の意匠のように見える
悪魔化を完了した合図のように光が灯ったその瞳は月のように朧気だった
「……終わりだ。ベイカー・アドマイル」
〈ドッ!!!〉
ディエゴの言葉が耳に届いた瞬間
何かが自身にぶつかる感覚が脳に届く
ディエゴの槍がベイカーの左胸に触れている
「なっ…」
その一撃は余りにも早すぎる
ベイカーの三つ編みはミザリーのものとは違い、あくまで能動的に動くものであるため
意識外で防御反応をとる事ができない
即座に三つ編みでその槍を防ごうとするが
その一撃の重さは備えなしで防げるものではなかった
〈ドジャッ!!!〉
と鈍くも水分を孕んだ音と共に
ベイカーは、壁に打ち付けられた
磔のように、心臓を通過し槍は壁へとその身を隠す
「ご…ふ…」
胸から血が滲む
それ以上の血が口から溢れ出す
身体の感覚が遠くなる
「ミ…ザ…」
視界は霧の中のように揺らぎ、徐々に全ての輪郭をぼやかしていった
そして、ベイカーはそのまま
何を感じるでもなく意識を失った
一人広場に残されたディエゴは
光る三つ編みが解け、ふっと消えたのを見ると
「…フェンリルの欠片か…」
ベイカーの中にあったフェンリルの魔力
それをディエゴは得ようと手を伸ばした
〈バチィッ!!〉
が思わず仰け反るほどの反発がディエゴを人間の姿へと戻す
「…なぜだ?いや…単純なことか、あとで回収すればいい」
ディエゴはさっと衣服を整えると
来た道をゆっくりと音もなく戻っていく
広場には、ただベイカーの血が流れるだけの
音にもならぬ音だけが残された
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# メルファサイド
その頃メルファは、それらしい場所を見つけたはいいがその大きな扉の前で悩んでいた
「(うーん…侵入するとこが見当たんないなぁ)」
中を調べたいが扉は勿論固く閉ざされており、不用意に開けようものなら中にいるであろう団員らに気づかれることは間違いない
出入りしてくれていたら、その隙にということも出来たかもしれないがそれもなく
このままではただのそれらしい場所でしかない
「(ベイカーに無駄足踏ませたくねぇからなぁ…こっちくるまでに中見ときたいんだけど)」
周囲をぐるりと見回す
「(あっ…)」
円筒型のその建物を見上げると10mほど上のところではあるが煉瓦がいくつか抜けているのを見つけた
隣接する外壁からならそこに届きそうでもある
「(あっこから中に…最悪中の様子だけでも見られれば)」
メルファは辺りへの警戒を怠らないようにその場所へ向かう
かなり高い場所で登ると目立つかもしれない
迅速にことを進めなければと
身軽に外壁を登る
老朽化により危うい箇所もあったがと元々の造りが良かったのだろう
全体的な耐久力のおかげ、メルファの身軽なことも幸いしてなんなく問題の箇所に近づくことができた
近づいてみるとその壁は10個ほどの煉瓦が抜けていた
周りをぐるりと一度警戒する
ちょうど建物の影になったりしているおかげかこちらから誰かの姿が見えることは無かった
壁には辛うじて手が届く
「(いちか…ばちか)」
メルファは一つ息を吐くと思いきってその穴に向かって跳びついた
へりに手をかける
煉瓦が抜けている箇所なのだから周りも脆い可能性はあったが
運良く残された煉瓦たちはしっかりと壁としての役割を果たしていた
「(ふぅ……)」
なんとかなりそうだ
メルファは極力音を立てずによじ登ると
なんとか肘で身体を支えられる体勢まで持ってくる
中を覗くと薄暗い
と、すぐ真下に壁を伝うように通路があることに気づく
よく見ると木箱や細々したものが雑多に置かれている
縦長の空間を無駄にしない為
壁に沿わせた螺旋状の通路を物置代わりにしているようだ
何にしてもありがたい
メルファはその通路に静かに降り立つと恐る恐る階下のほうを覗き見る
誰かがいる
「(叔父さん…もうここに来てたのか)」
階下に居たのはイグリゴリの副団長ジャープ・スタッグだ
周りに3人の団員を引き連れ、中心に置かれた変わった形の、棺桶にも見える大きな箱を囲んでいる
「(もしかして…?)」
ベイカーから、ミザリーは玉座のような椅子に座ったまま木箱に眠りに着いている
と話に聞いていた
座ったままということを加味して考えると、ちょうどそれらしい大きさの木箱だ
「(中身が空なら、叔父さんがわざわざ見張ってるわけねぇよな…よしっ!)」
と、その場を去ろうとした時ふと気づいた
「(あれ?叔父さんがミザリーを見張ってるってことは…父さんは…?)」
てっきり、ミザリーの側にいるだろうと思っていた父の影がない
そう思っていた時だった
〈ギィ…〉
と扉が軋みながら開き始める
人一人が通れるほどに扉が外の光を通したとき
現れたのは
「(!……父さん…)」
7年も前に会ったきりの父の姿だった
メルファはぐっと唇に力を込める
状況が状況でなければ、嬉しい再会だっただろう
それを思う悔しさがメルファの表情を曇らせる
「どうだ、ジャープ。問題はないか?」
「ああ、団員達もほぼ全て揃っている。予定通り進ませられる、悲願は近いな。」
「ああ…あとはナルスダリア・エルリオンだけが障害だが、動きは掴めたか?」
「まだだ、メテオライに来ているのか。それともいないのかさえ掴めない、済まない」
「いや、そんな簡単な相手ではないさ。」
メルファは聞き耳を立てながら疑問に思う
「(なんだ?女王様…だけが障害?ベイカーのことは知ってるはずじゃ)」
捨て置けるような存在ではない
それを理解していないはずがないと不思議に思ったその疑問はすぐに晴れた
「…ジャープ、頼まれてくれるか?」
「ああ、なんだ?」
「向こうに枯れた噴水のある広場があるだろう。そこにあの小僧の死体がある」
「ベイカー・アドマイルのか…殺したのか。」
「ああ、心臓を貫いている。だがフェンリルの力の欠片は惜しい、回収しておこう。」
メルファは、途中から言葉の意味が
2人の会話の意味が分からなくなった
頭の中に残響し続ける言葉を飲み込めず思考が止まってしまった
「(…ベイカーが……死んだ……?)」
そんなはずがない
小一時間前に別れたばかりだ
そんなはずがない
ベイカーは、まだミザリーを奪い返せていない
そんなはずがない
「(…ベイカー…?嘘だよな…)」
ぐっと胸を抑える
「(痛ぇ…なんだよ、なんでこんなに…)」
こんな時に〈代魔病〉の発作かとも思ったが、違う
それよりも、これまで感じたどの痛みよりもひどく胸を締め付ける
〈ギィィ…〉
とジャープが扉を開けて外へ出ていった音でハッとする
続けて何かを会話していたかもしれないが、メルファの耳にはなにも入ってこなかった
頭の中が何度も何度も先程の会話をなぞる
部分的に、何度も何度も
「(死ぬかよ…ベイカーが…そんなわけねぇだろ…)」
目の端が熱い
心臓の鼓動が煩い
息が、しづらい
メルファはふっとベイカーの後ろ姿を思い出した
「(ふぅ…いや、まだわかんねぇ。この目で確かめる…)」
メルファは静かに息を整えると
再び音を立てないように、外へと素早く抜け出す
変わらず人の気配は少ない
かと言って焦ってしまえば、メルファもイグリゴリに捕らわれてしまう
まだ警戒は解かず、慎重に枯れた噴水のあるという広場を探すことにした
そんなに遠くは無いはずだろう
「(落ち着け…焦んな、焦んな…きっと大丈夫だ)」
願うように祈るようにメルファは自身に大丈夫だ、と声をかけ続けた
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〈ザッ〉
足音が鳴る
枯れた噴水が居座る広場
静寂の中 ジャープが辿り着く
ディエゴから聞いた通り先客がいるが
その先客は、槍に心臓を貫かれ壁に磔にされている
音は無い
足元には大きな血溜まり、あまりの出血量に乾くのも時間がかかりそうな程の
確かめるまでもない
この出血量では生きていられない
「ディエゴにかかれば…こうもあっけないか。」
黙祷とでもいうようにジャープは目を閉じ、開いた
「…肌寒いな…おかしな気温だ…」
ふぅ、と息を吐くと
ベイカーの死体を回収するべく一歩踏み出す
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(俺は…終わったのか…?)
意識という概念の外にいるような感覚
真っ暗な中に立つような
いや、漂っているとでも言うような浮遊感に近い気がした
悪魔と化したディエゴの一撃に為す術もなく貫かれた
皮肉だ
全ての始まりのハンドベルの惨劇
悪魔から母を庇い、命を落としたミザリー
その際にミザリーは心臓を貫かれ死んだ
その痛みを真に知ることができたのが瀬戸際だなどと
(何が奪い返すだ、結局俺は…また見てるだけに…いや、見てるだけさえも出来ない。
メルファの気持ちにも応えてやれない…
今こうしてる間にもミザやメルファに危険が迫ってるのに
俺は…俺は…っ)
【諦めるのか?】
不意に声が響く
真っ暗な空間にかすかこだまするように頭に届く
誰の声だったか、あまりに唐突で気づくのが遅れる
【お前はこんな所で終われる男じゃない】
はっきり分かる
その声の主の事を、鮮明に
【まだ果たすべき事が、果たすべき約束だ残っているだろう、友よ】
「君なのか…なんで……」
意識外であるにも関わらず目頭が熱くなる
あの日の誓いが身体を震えさせる
【皮肉だろ?俺の命を奪う要因となったこの力が、今友を救うための一縷の光になるなんてな】
姿が見えずとも確かにそこにある
姿が見えずとも、彼が笑っているように見える
【のんびりしてる暇はないぞ、ここで立ち止まってる場合か?違うだろ!
俺はお前に託したんだ、それは…今でも間違ってないって信じてる。
…こうやって声をかけてやれるのはこれで最後だ。
だが魂は、お前が共に連れていくと言ってくれた魂は常にお前と共にある。
行け!ベイカー!】
胸が熱い
心臓が脈動する、魂が激動する
それだけの思いを、心を、魂を受け取った
「ありがとう…アーサー…力を貸してくれ!」
ベイカーはかつて夢半ばに散った友の名前を呼んだ
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ジャープがベイカーの胸を貫いた槍を抜こうと手を伸ばした時、異様な感覚に囚われた
先程感じた肌寒さだけではない
何か、何か有り得ないものが目の前にあるような感覚
第六感のようなものかもしれない
思わずジャープがわずかに手を引いた
その時
〈ピシッ…〉
と微かに音が聞こえた
薄氷に足を乗せたときのような音
それを疑問に思う間にもその音は大きくなり始める
何より
目の前で死んで居るはずのベイカーが息を吐き出し始めた
その息は、寒冷地でもないのに白く冷たい様子を見せる
「なにがっ!!」
何が起こっているのか、理解できない
ジャープが警戒のために一歩、二歩と引く
〈ピシ…ピシピシピシ…〉
徐々に大きくなっていくその音は
ベイカーの心臓付近を徐々に氷を形成させ凍らせていく
傷を塞ぐようにそして
〈ドシャッ!!!〉
とベイカーの心臓から槍を追い出すように一瞬大きな氷柱を形成すると、激しく槍をベイカーの肉体から押し出す
〈ガランッ!ガランッ〉
と弾き飛ばされた槍がジャープの足元に転がる
そして、見る見る内にベイカーの胸に空いた風穴を氷が埋めていくのが見えた
「なんだ…何が起こっている?」
槍を身体から追い出した
ベイカーはゆっくりと前に踏み出す
手元から離れていた剣を
ダイバーエースを再びその手に握る
友と、誓いを再確認するための握手をするかのように強く握った
「何も起こってやしない…友達が俺の背中押してくれただけさ。」
剣をジャープに突き出すように構える
その場を一瞬で冷やした冷気を、軽く払うように風が吹く
その風は、ベイカーの髪を
左側の一部が金髪となったベイカーの髪
そして
右側が一部白くなったベイカーの髪を静かに揺らした




